どこかで見たような……?
――――戦争前
アグリス軍は街を出立。こちらへ向かっているという報告が届く。
あと七日もすれば、常勝不敗の獅子将軍エムト=リシタ率いるアグリス軍が北の荒れ地に現れることになるだろう。
その間に、私たちは戦準備の最終段階に入っていた。
準備と言っても確認程度で、大してやることはないのだが……なにせ、こちらには戦闘の意思はない。意思はなくとも、勝つ。そういう戦だからな。
私はキサとギウとカインと共に、第一の防壁傍でカリスたちへ戦争中に行う指示を飛ばしてた。
その途中、フィナが城の三階バルコニー……私の執務室より少し進んだ場所にあるバルコニーに立って、城を見下ろしていた。
隣には親父もいる。何をしているのだろうか?
私はギウたちにこの場を任せて城へ向かうつもりであったが、ギウはこのあと何か用事があるらしく、この場はキサとカインに任せることにした。
ギウと共に城まで行き、彼は海岸の方へ。
何の用事かわからないが海岸には洞窟があり、そこにはギウが住んでいた場所がある。
戦争前に整理をしておきたいのかもしれない。
私はさほど気にすることなくフィナと親父に意識を向けた。
地上から三階に向かって呼びかける。
「フィナ、親父、何をやっているんだっ?」
「う~ん、ちょっとねぇ。気になるものがあって」
「旦那、こっちに来てもらえますか?」
二人は私に声を返しながらも視線は城の防壁に向いている。
丘陵の頂に立つ城からはトーワ全体が見渡せるが、二人は何を見ているのか?
私は正面玄関から城へ入り、すっかり整備され、絨毯まで敷いてある石階段を昇り、三階へ。
私の部屋を右において、正面奥へ向かった。
扉を開けるとすぐにフィナから注意を促される。
「そこ、窪みがあるから、足元気をつけて」
私は窪みをひょいと跨ぎ、二人の近くに寄った。
「それで、二人は何を見ていたのだ?」
「防壁の形をね。これって歯車みたいな形してるじゃん。だから親父に、歯車を象徴とするルヒネ派と何か関係あるのかな? って尋ねてたの。でも……」
「あくまでもみたいなであって、歯車ではありませんからね。こいつぁ、ルヒネ派とは関係ないですぜ、とフィナの嬢ちゃんに話してたんですわ」
「なるほど。防壁の形ね……」
私は三階のバルコニーから防壁を見下ろす。
防壁は三重にあり、どの防壁も凹凸に塗れた、一見、歯車のような形をした姿。
しかし、親父の指摘通り、ようなであって歯車の形ではない。
その防壁をじっと見つめていると、どこかで見覚えがあるような気がしてきた。
「ふむ、以前、どこかでみかけたような」
この声に、フィナが飛びつく。
「ケントもっ?」
「その様子だと、フィナもか?」
「うん、どっかで見たことあんのよねぇ。でも、親父は見たことないって」
「ええ、俺はこんなガタガタした防壁は見たことないですぜ」
私はフィナと親父をちらりちらりと見る。
「私とフィナには見覚えはあるが、親父にはない……つまり」
「錬金関係……じゃないかな?」
「そうなるか? だが、見覚えがあるだけで、記憶にかすりともしない」
「それってつまり、この歯車みたいな形が私たちの専門外の何かってことじゃない?」
「なるほど、錬金に関係する何かかもしれないが、私やフィナからは縁遠いものというわけか。この城の原型はランゲン国が築いたもの。彼らは錬金を基礎に何かの効果がある防壁を築いた……では、おかしいか」
「そう、おかしい。この防壁は、防壁の下に走る何かの力の働きを借りるために作られたもの。その何かの力は古代人のもの」
「ということは、古代人の知識に関係した錬金術、科学? そして、私たちの専門外……なんだろうな?」
「防壁の下に走る力は防壁のラインに沿って流れ、凹凸の凹みの空白部分で力が滞留して増す効果がある。ランゲンは、その力を障壁の展開に使っていたんだろうけど、古代人は別の何かに使っていた」
「そしてそれは、私たちが見たことのあるもの……喉に何かが詰まっているような感覚で気持ち悪いな」
親父はバルコニーから首を伸ばすように防壁を眺める。
「元は何かは謎でも、ランゲンの防壁の効果を使えば障壁が展開できるのでは?」
「それは無理よ、親父。動力となる魔導石がないし。防壁の下に走る古代人の動力は謎の力だし」
「なんというか、宝の持ち腐れな感じがすんな」
「どのみち、今回は障壁なんていらないから用はないけどね。そうでしょ、ケント?」
「そうだな。こっちは攻撃も防衛もする気はないからな。これらの謎はお預けにして、フィナはカリスたちの準備を手伝ってくれ。親父は……」
「アグリス内部での仕込みですね。すでに手配済みです」
「ご苦労。私たちがこれを無理に行う必要もないのだろうが。なにせ、フィコン側が同じことを行うつもりであろうし……」
「ならばなぜ、こんな面倒なことを?」
「仁義を切るようなものだ。それで、こちら側の協力者は地元の人間か?」
「いえ、旦那は覚えてますか? ムキ=シアンの配下であった小柄な奴と無骨そうな戦士を?」
「ああ、覚えている」
「あいつらの力を借りて、元トリビューターの兵士たちの居場所を。で、そいつらに」
「トリビューター? たしか以前、小柄な戦士がその名を口にしていたな」
ムキとの対決後、小柄な戦士と無骨そうな戦士は奴隷に落ちて、湾岸工事に精を出すことになった。
その彼らとの最後の会話で、彼はムキに救われたと口していた。
『アグリスとトリビューターの戦いで、俺たちはトリビューターの兵士だった。だが敗れて、命からがらで逃げていたところをムキ様に拾われた。本来ならアグリスの奴隷になるところだったのに……あの方は、故郷を失った俺たちに居場所を作ってくださった! それどころか、腕を買われ、傭兵団の頭に据えてくれた。俺には、その義理がある!』
「そうか。彼らもまた、アグリスの脅威を知る者だったか……」
「はい、あの傭兵たちはトリビューターの元兵士。大陸側にあった勢力で、アグリスに敗れ滅ぼされた者たちです」
「恨み骨髄……とはいえ、よく協力してくれたな。彼らも、その元兵士たちも」
「小柄な奴から見れば、旦那は憎い相手と同時に仲間を救ってもらった恩がありますからね。ですが、小柄な奴を含め彼らトリビューターはアグリスに対して憎しみしかありません」
「なるほど……しかし、これはアグリスの象徴・フィコンが利することだぞ」
「彼らもアグリスの実権を握っているのは二十二議会と知っていますから。それに、エムト将軍は敵国であっても慕われております。他の将軍や兵士と違い、敵対勢力に対して苛烈に接することはなく、礼儀と誇りをもって接してくれますので」
「協力は議会への恨みとエムトの人柄のおかげか。ふふ、そういった微妙な思いを知ったうえで、元傭兵たちに協力を持ち掛けたな、親父」
親父はニヤリと笑う。
彼はアグリスをよく知る男。同時に、ビュール大陸における、物と心の機微を知る男。
だからこそ、ムキ=シアンの元傭兵に協力を求めるという案を見出せたのであろう。
だが、親父は傭兵たちとは違い、議会だけではなくアグリスの象徴・フィコンにも思うところがあるだろう。
それはカリスたちも……。
「よくやった、親父。だが、このことは他者はもちろんのこと、特にカリスたちには絶対に悟られるなよ」
「わかってます。あいつらの心情を考えると複雑でしょうから……」
しんみりとした雰囲気が辺りを満たす。
その雰囲気を陽気な鼻歌が掻き乱した。