欲はとっても正直なんだよ
――トーワ
五百人のカリスを引き連れてトーワへ戻ってきた。
すでにゴリンが迎い入れる準備を終えており、キサたちの出店と同じ造りをした簡素な家が建ち並んでいる。
ギウたちにカリスの誘導を任せて、私はゴリンに話しかけた。
「ゴリン、ご苦労。だが、私は手紙で簡易テントで十分と伝えていたと思うが?」
「そうでやすが、それじゃ大工として名折れでやすから……それよりもケント様、こう言っては何ですが、正気でやすか?」
彼は角刈り頭に巻いた鉢巻の部分を指先でぼりぼりと掻き、目をそらしながら問いかけてくる。
「あはは、アグリスと対抗しようとすればそう思うだろうな」
「第一の防壁は何とか形を整えてやすが、正直、大した時間稼ぎにはなりやせんよ」
「ふふ、そうだろうな」
「笑い事じゃ――」
「ゴリン。私は馬鹿ではない」
「え?」
「今はそれだけだ。それよりも、簡易テントをいつでも設置できるようにまとめておいてくれ」
「はい? いえ、粗末ながらも家を建てたんでやすが……」
「それはそれとして使用するが、どうしてもテントが必要でな。とにかく用意してくれ。それが終えたら、君たちはアルリナへ帰るんだ」
「それはっ、しかしっ」
「君たちはいまだノイファンの下にいる者たちだ。アルリナは中立を宣言する。そうなれば、君たちをここにおいてやるわけにはいかん」
「そうでやしょうが……」
「本音を言えば、協力してもらいたい。だが、せっかく化粧品の利益が上がり、トーワが豊かになろうとしたところでこれだ。君たちを直接雇用できる機会が遠退いてしまった」
「……っ」
ゴリンは夏の太陽の恩恵を受けて、元々黒かった肌をさらに黒く染め上げた逞しい両手を震わせる。
彼のことだ。次には協力するという声を上げるだろう。
だから私は、先に声を被せる。
「ゴリン」
「へ、へい?」
「もう一度言う。私は馬鹿ではない。勝算のない戦などしない」
「……わかりやした。悔しいでやすが、今回はアルリナの住人として、アルリナに戻りやす……」
「うん、ありがとう。君の想いは深く心に刻む」
「へい……それでは、テントの用意が終え次第、仲間を連れてアルリナへ戻りやす。ケント様、ご武運を」
ゴリンは深々と頭を下げて、僅かな間、トーワを離れることになった。
ゴリンは役目に戻り、私は他の手伝いにも同じく声を掛けていく。
その中でキサがアルリナに戻らないと訴えてきた。
私は説得に当たるが、キサは赤毛の二本の三つ編みを揺らして、鳶色の瞳でしっかりと私を見つめ返してくる。
「キサ、危険があるのだ。大人しくアルリナに戻ってくれ」
「危険があるとは思えないな~」
「なに?」
「兵の数の差ははっきりしちゃってる。ということは、領主のお兄さんは戦争以外の方法で何とかしようと思ってるんだよねぇ~」
「ほほ~、それはなんだ?」
キサは首を傾げながら、悩まし気な声を漏らし、情報の少ない現状から先を見通そうとする。
「う~ん、アルリナはどっちにもつかないって言うはず。だから、アルリナで話し合いが行われる。話し合いにはキャビットやワントワーフも参加する。そこが勝負所でこのメンバーに意味がある!」
「ふふん、いい線を突いているな」
「だけど、話し合いの内容までは読めないな~。みんな、アグリス相手だからはっきりとした協力はしてくれないけど、たぶん見えない手助けはしてくれるはず……これだと、満点からほど遠いよね~?」
「そうだなぁ、百点中五十点だ」
「半分か~」
「いや、現時点では満点をあげてもいい」
「うん?」
「まだ、勝利条件の全てが開示されているわけではないからな」
「じゃあ、やっぱり話し合いの場所で何かが起こるんだ?」
「さてな。とにかく、キサはアルリナに帰るんだ」
「今はまだ帰る必要ないよね?」
「何故だ?」
「少なくとも、話し合いが終えるまでは安全ってことだもん。それに、私みたいな子どもが残ったところでアグリスは気にしないだろうし。もし、それでもダメなら、今日から私、トーワの人になるよ~」
「ご両親が心配するぞ」
「大丈夫だよ。ケント様がいるもん」
「どういう理屈だ……なぜ、そうまで残ろうとする?」
このように問うと、キサは鳶色の瞳を忙しなく左右に振る。
「連れてきた人たちは兵隊じゃない。戦えない。戦争になる。死んじゃう。お兄さんはそんなことさせない。だから、安全……」
キサは瞳を止めて、凍てつくような瞳で私を見つめる。
「全部が終わったあと、トーワには五百人の人口が生まれる。商売の機会……ううん、そんなのちっぽけなこと。そう、どんな形でもいから、『あのアグリス』に勝利することに意味がある。そっか、見えない手助けどころじゃない、みんなはっ」
言葉を途中で収め、遥か北へ視線を振った。
そして……。
「領主のお兄さん」
「……なんだ?」
「私は領主のお兄さんのそばで、大きな儲けが生まれるか見極めたい!」
少女は、いや、商人としての彼女は私を遠望の瞳で捕らえる。
「これは驚いた。初めて出会ったときは元気いっぱいの女の子という印象だけだったが、知れば知るほど少女とは思えなくなってきた。キサの成長ぶりには驚かされる」
「えへへ、マフィンちゃんからいろいろ教わってるからね」
「彼と出会う前からその片鱗が見えていたがな。まぁ、成長するのは良いが、あまり急いで子どもの時間を短くしない方がいいと思うぞ」
「うん、わかってる」
「ふふ、素直で大変よろしい。もっとも、私がこれを口にするのは説得力に欠けるんだが。なにせ、私は子ども時代など無いに等しいからな……」
「え?」
「なんでもない……」
キサの才にあてられ、思わず私の過去に触れかけた。
私は話題をキサの才能へと戻す。
「君の全体像を見極めるという才は、フィナや親父の才を遥かに上回っている。おそらく、現時点ではギウと同等かそれ以上に私を理解しているだろうな」
「それはお兄さんから商売人と同じ匂いを感じたからだよ。お兄さんは欲張りだよね~」
「そのつもりはない。全て予防策のつもりだ」
「……フフ」
冷笑――それは私の心の奥を見透かしているような笑い。
商人としての彼女は痛みを覚えるほど冷え切った笑いのあとに、柔らかな声を上げた。
「欲はね、正直なんだよ。たとえ領主のお兄さんがどんなに嫌だって言っても、お兄さんが求めようとしているものを手に入れようとしてるんだもん」
「私の欲、か……どちらかというと面倒くさがりでのんびり暮らしたいと思っているが、王都での出来事が尾を引いているのかもしれんな」
王都で理想を掲げ、敗れた。
そうであるならば、別の場所で理想を掲げればいい――。
「ふむ、無意識下で、自分が行おうとしていた理想を成そうとしているのだろうか?」
「領主のお兄さんの理想って?」
「全ての人々が平等に機会を得ることだ」
「うん?」
「現状だと、身分差や教育格差や富の格差があり、一度も機会を得られぬまま一生を終える者が多い。それをなくしたい」
「できるの?」
「さて、どうだろうか? とりあえず、私は最初の一歩を歩みたい。まずは身分差のない教育の拡充だろうな。それに次ぐ職業差別の撤廃。それで十分だろ」
「そうかなぁ? もっといろいろ必要だと思うけど」
「私はそこまで優しくない。機会を得られる環境は整える。あとは好きにしろ。努力を怠る者は知らん。そういった者ども引っ張り上げる方法は次の世代に任せるよ」
「面倒くさがりなところが出てるね~」
「ふふ、そうだな。キサ、そろそろ私は行くが、私が成そうとしていることに気づいても」
「うん、しゃべらないよ」
「よし。では、エクアたちの手を借りてカリスのために弁当を作ってやってくれ」
「うん、わかった。領収書は領主様宛でいいね~」
「ふふふ、さすがだな。もちろんだ」
評価をつけてくださり、ありがとうございます。
皆さんを楽しませたい、もっと多くから読んでほしい。そういった良い欲を心に満たして、お話づくりに想いを注いでいきます。