親父の発想
何もなかった円形状の広い部屋。
だが、今ここには亡き父の書斎が存在する。
フィナは、私に疑問の声をぶつけてくる。
「父の? アーガメイトの書斎なの、ここが?」
「ああ、父の書斎だ。忘れるはずがない」
「でも、どうして?」
「おそらく、先ほどの球体の力ではないだろうか。これは憶測だが、私から記憶を読み取り、部屋を構成したのかもしれない」
「何のためにって、球体は?」
「さあ、どこに行ったのやら?」
「はぁ、何が何やらさっぱり。仮にあんたの記憶から複製して造られた部屋だとして、なんで三年前?」
「さぁな。これも憶測だが、三年前と言えば父を亡くす直前。私の中では最も印象深い場所であり、父と過ごした最後の日常の光景がこの部屋だった。だから、読み取られた記憶の中で最も強いイメージを生み出したのかもしれないな」
「結局、憶測ばかりでわからないことだらけってことね。でも、意味もなく、部屋なんか映し出すものかな?」
フィナは顎に手を置き、紫が溶け込む蒼玉の瞳を揺らし首を捻る。
するとそこへ、マスティフが皮下脂肪を蓄えた唇をぶるんと震わせ、少し驚いたような声を上げてきた。
「おい、ちょっとこれを見てみるがいい」
彼は一冊の本を手にして、その中身を私たちに見せてきた。
「本の文字だが、丸い点ばかりでさっぱり読めぬ」
「これって……古代人の文字ね」
フィナはナルフを浮かべてマスティフが手にしている本を調べるが、首を横に振り、軽い息を漏らして別の本を手にする。
だが、その本の中身も丸い点ばかり。
フィナは点を睨みつけて、ぶつぶつとつぶやき始めた。
「この部屋はケントの記憶を反映しているはずなのに、文字は古代人の言語のまま……彼らは私たちの言語を知らない? いえ、これだけの技術力があれば、翻訳くらいお手の物のはず。ってことは、翻訳システムが機能不全を起こしている?」
彼女が考え込む隣ではマフィンがコーヒーカップを手に取って香りを楽しんでいる。
「フンフン、これはかなりいい豆ニャね」
「もし、父の部屋を再現しているならば、フェノチェット産の豆のはずだが」
「あの、最高級のコーヒー豆ニャかっ? どれどれ、ずずっ」
マフィンはコーヒーを口に含む。
それには一同、驚きの声を上げ、私とフィナは彼の名を呼ぶ。
「マフィン!?」
「ちょっと、マフィンさん。何やってんのよ!?」
「ふ~ん……イケるニャ」
「なにがイケるニャ、よっ!」
フィナは急ぎ、ナルフでコーヒーとマフィンを調べる。
「組成に問題なし。マフィンさんにも問題なし……はぁ~、勝手なことしないでよ、もうっ!」
「ニャハハハ、すまにゃいニャ。でも、このコーヒーが光から造られた幻なら、超すげ~ニャ。原材料ただで、最高級のコーヒーが作り放題。いや、コーヒーだけじゃニャい。たぶん、いろんな道具作れるニャね」
「マフィンさん、コーヒーは光子じゃない」
「ニャに?」
「コーヒーはタンパク質やミネラルなどの合成物。本物そっくりな偽物」
「それはすげぇニャ! 偽物でも、この味で作り放題なら最高ニャ」
「何が作り放題よ。これを作るための動力源も、どの程度の動力量が必要かもわからない。コーヒーを作って施設が停止しました。じゃ、洒落にもならない」
「それもそうニャね。ま、仮に作り放題だったとしても市場を混乱させるからニャ。ぬか喜びニャ。ぐびぐび」
と言って、残りのコーヒーを飲み干し、フィナから怒られている。
そんな中、親父は皆から少し離れ、本がぎゅうぎゅうに詰められた本棚を黒眼鏡に映し、顎下のひげをじょりっと撫でて私に話しかけてきた。
「旦那」
「どうした?」
「本物のアーガメイトの書斎なら、この本棚に何が納まっていたか覚えてますか?」
「ああ。上段に地図。中段・下段はその地図に対応した特産品の分布図や歴史書だが。それがどうしたんだ?」
「いえね、先ほどフィナの嬢ちゃんが言った『意味もなく部屋を映し出すのか?』という言葉で、もし意味があったらと考えてみたんですよ。それで……」
親父は地図の書籍が納まっている上段から一冊の本を取り出して、中身をパラりとめくり、得心が行ったとばかりに声を出す。
「やはり、そう来るか……旦那、これを見て下せい」
親父は手にした本を広げ、漆黒の執務机の上に置いた。
私たちはそれを覗き込み、親父は得意満面に言葉を出す。
「本に載っている絵、見たことありませんか?」
「これは……クライル半島か!?」
本にはクライル半島の地図が載っていた。地図の絵は空から半島の形をそのまま写しとったようなもの。
その周りには丸い文字の羅列。
これを見て、フィナが声を跳ね上げる。
「なるほどっ。この部屋はアーガメイトの書斎を再現して、それに対応した知識を納めてるんだ。あの球体はケントから読み取った情報で、私たちにもわかりやすい情報提供の場を用意したのよ。親父、大手柄じゃんっ!」
評価を入れていただき、ありがとうございます。
鼻腔を魅了する香しいコーヒーのように、文字を追う瞳を魅了し虜にしてしまう文を作り出せるように頑張ります。