釣りを楽しむ
魚人に連れられ、城の背後にある崖下までやってきた。
「ほぅ、崖の下には洞窟があったのか」
崖下には巨大な穴がぽっかりと開いていた。
周囲はごつごつとした岩が広がる磯辺。
洞窟内部の大部分は海水に浸されているが、端には人が一人通れるほどの道のようなものがある。
奥行きはかなりあり、城の近くまで続いているのではないのだろうか。
「もしかして、君はここに住んでいるのか?」
「ギウ」
「そうか……」
細かいことを言えばここは私の領地であり、しかも城の下に許可なく住んでいる。
本来なら大きな問題だが、おそらく彼は昔から住んでいるのだろう。
ならば、無闇に追求し、事を荒立てる必要もない。
私としても自分が領主などという意識もないわけだから。
ここは先住者に敬意を払い、交流を深め、理解し合うことが先決だ。
意識を魚人に戻し、問いかける。
「それで、ここへ私を案内してどうするつもりだ?」
「ギウギウ」
彼は銛をグサリと砂浜に刺して、こちらに右手を伸ばす。
手は私の持つ釣り竿に向いているので、寄越せと言ってるようだ。
「釣り竿か? 別に構わないが、何を……?」
「ギウ」
釣り竿を渡すと、彼は釣り針に餌を付けて、洞窟から真反対の海の方向へ向けて針を飛ばす。
釣り針は磯辺と砂浜の間にある海にポチャリと落ちた。
魚が魚を釣っている……というような下らぬことを考える暇もなく、彼は魚を釣り上げる。
「ギウギウッギウ」
彼は巧みな竿さばきで釣った魚を手に取り、釣り針から離して、私が持ってきた木のバケツに放り込んだ。
そして、釣り竿を私に返す。
「ギウ」
「私もやってみろというわけか。つまり、君は釣り場まで案内してくれたんだな?」
「ギウギウ」
体を上下に二度動かした。肯定の動作だろう。
「なるほど。礼を言わねばな、ありがとう」
「ギウ~」
彼はちょこんと体を揺らし、場を譲るように手を磯の方へ向けた。
「わかった。早速、釣ってみよう」
私は釣り糸を磯の方へ投げ入れる。
すると、すぐさま力強い返事が糸に伝わってきた。
「おっと」
釣り竿を引く。
釣り針には立派な魚がしっかりと釣り餌を咥えていた。
その光景を見た私の頬は勝手に綻んでいく。
「は、はは、ははは、釣れた……」
糸をこちらに手繰り寄せ、バタバタと暴れ狂う魚を無理やり押さえ込み、なんとか釣り針から魚を離し、バケツに放り込む。
「釣れた。釣れたぞ。はは、こうも簡単に。さっきまでは虚しく、苦痛であったが、釣れるとこんなにも楽しいとはな」
今まで味わったことのない昂揚感。心臓の音が囃子のように高鳴る。
「どれ、もう一度……釣れたっ。これはいいなっ。それ、もう一度。それ、それ、それ、それ!」
釣り針を入れるたび、魚たちが面白いように釣り上がっていく。
その楽しさに魅せられ、私は何度も魚たちを釣り上げた……。
しばらくの時が経ち、私と魚人は木製のバケツを覗き込む。
「ふむ……」
「ギウ~」
バケツには溢れんばかりの魚たち。
「いかんな。つい、あまりの愉快さに我を忘れ、釣りすぎてしまった」
「ギウ、ギウギウ、ギウ?」
彼が身振り手振りを交え、何かを訴えている。
魚を指差してから、手の指を揃えて斜めに動かしている様子から、『捌けないのか?』、と尋ねているように感じる。
「実を言うと、魚は捌いたことがない。一、二匹釣って、そのまま焼いて食べるつもりだったからな」
「ギウ……」
彼は光のない真っ黒な瞳に明らかな落胆の色を乗せた。
「そ、そんな態度を取らなくてもいいだろう」
「ギウ」
「それはたしかに、調子に乗って獲り過ぎてしまったが……このまま腐らすわけにはいかないし、どうしたものか」
「ギウ~、ギウ」
魚人は左手に魚の入ったバケツを手に取り、崖から離れ始めた。
「待て、どこへ行くつもりだ?」
「ギウ」
右手に持つ銛で崖上を指す。
「うん? 城へ向かうのか?」
「ギウギウ」
「なぜ?」
「ギウッ」
銛を前に振る。とにかくついてこい、だそうだ。
「そうか、わかった。君には何か良いアイデアがあるのだな」
こうしてまたもや私は母を追いかける幼子のように尾ひれの後をついて行くことになった。
その途中で、彼に話しかける。
「そうだ、君と会話ができなくて名前がわからないんだが……今後はギウと呼んでもいいか?」
「ギウ? ギウゥゥ~ギウ、ギウ~……ギウッ」
彼は何度も体を左右に振り、最後は無理やり納得させるような感じで返事をしてきた。
それは明らかに名付けを気に入っていない態度だが、仕方がないといった感じだ。
「悪いな。なんでもいいから名前がないと、こちらも呼びかけにくくてね。では改めて、よろしくだ。ギウ」