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七つの樹に七つの果

ヒナがいつか巣立つまで。

作者: 七ツ樹七香

 


 行く先々の国で買い求めた絵葉書たちを一枚、また一枚と広げながらひとり悦に入る。


「みなさま、今日もビヨシア航空 317便をご利用いただきましてありがとうございます。当機の機長は――」


 一日あまりしゃべっていなかった声はガサガサしていて、思うよりもちゃんと出なくてがっかりする。黒いハイヒールを履き、シワのない制服をまとい、髪をきっちりと結い上げて、キャリーを引く。私はちょっとだけ胸を張って、まっすぐな通路を丁寧に歩いていた。

 離陸の瞬間が一番好きだ。

 飛行機が空飛ぶための力を翼に蓄え飛び立つあの瞬間、あの速度。地を離れた瞬間、えもいわれぬ恍惚が背を走る。

 そんなことを言おうものなら「集中しろ」と叱られるから、クルーの誰にも言ったことはないけれど。


「あれが、エモいってやつかなぁ」


 キラキラした仲間がいっぱいで(まあいろんな妬み嫉みも見たけれど)いいお給料を頂いて、好きなブランドも化粧品もそんなに我慢せずに手にできて――。

 トルコ、アタテュルク、スイスも好きだったな、ああほかにも……。


 そんな時間旅行の矢先、二階からドスンと大きな物音がした。

 殴ったのか踏みつけたのか、物を投げたのか……。

 ため息が出る。ケガを、していないといい。

 壁にも穴が空いてないといいけれどと、広げた絵葉書をかき集め、トントンとそろえてどこかのプチプラアパレルのビニル袋にしまい込んだ。形に合わせて丁寧に袋を折りたたんでも、悲しいぐらい所帯染みている。どこにも出さない絵葉書はずいぶん古びてしまった。

 世界中を飛び回っていた私は、キャビンアテンダントという仕事を気に入っていたけれど、縁あって家庭に入って今に至る。

 幸せな毎日を……と、言えるような日々じゃ、今はない。

 息子は今日も、荒れている。

 洗濯物をたたんで、夕食を作り終えたあとなら、嵐も少しは収まっているだろうか。何があったか聞けるだろうか。なにか話してくれるだろうか。


「もしかしたら、あなたと話すこともプラスになるんじゃないかと思って、ねえ今度」

「ただの反抗期だろう、ほうっておけばいい」


 すげない言葉を置いて、夫は出張に出た。

 出張おつかれさま。大好きな不倫旅行だろうけど。

 送り出して重苦しい思いを放り出したとたんに、穴の空いた壁が目について、ため息ばかりが口をつく。ぽっかりと空いた黒い穴のふちから、壁紙がべろりと気の毒そうな有様でたれていた。そのうち修理しよう。不器用だけど。

 たまりにたまったいら立ちが火柱のように吹き出して、息子は思春期の嵐に包まれている。

 階段は親の仇みたいに踏みつけて上り下りするし、ドアは壊れろとばかりに閉めるし、洗濯物を渡したって床置きで放置。あげく「今日のメシ、辛すぎ、ムリ」だって。

 あ、そ。このあいだは好きって言ってたのにね。麻婆豆腐。

 自分に、あるいは親に。わからないけれど、彼のイラ立ちはトゲトゲになってあらゆる方向に飛んでいく。こっちに手を上げるわけじゃないけど。それにはどうやら一線を引いているようなのだけれど。彼を受け止めてくれている壁や床は、穴や凹みで私の気をくじく。

 怒るのも罵るのも向いてない。叱っても迫力ゼロ。なめられてるんだろう、多分。


「こんな生活、したかったんかなあ、私」


 思わず口をつく。絶対に聞かれたくないくせに口に出した。

 飛べない、飛ばない、毎日。

 明日も変わらず不倫された妻でいる。

 息子の嵐に翻弄される母でいる。

 やめちゃいたいよ。ほんとにさ。一瞬で、いいから。

 スッキリするかな。



 ◇◇◇



「ほうら、あんなこというからバチが当たったんだ」


 その翌日の高熱は、久しぶりのインフルエンザらしい。

 夫はああだし息子もああだし。五里霧中の心持ちでいて無我夢中ほどには足搔けなくて、結局の今日のところは熱に屈しているしかない。

 薬飲んだから、ひと寝入りしたらすこしは熱も下がると思うけど。ああ、今日はご飯、コンビニで適当に買ってきてくれるかな。

 家に帰るなり部屋に引きこもった、昔天使だった息子に念を送る。

 届きやしないんだろうけど。

 そこから、ぷっつりと寝落ちていたら、なんだか焦げた匂いがして飛び起きた。


「火事……!? なんだっけ。なんで?」


 ざっと血の気が引き、布団から這い出てよろよろとキッチンに向かうと、ガッと耳障りな音がした。


「チッ、くそっ。ざけんなよ!」


 見えたのはキッチンの扉を蹴りつける息子の姿だった。

 カウンターの上にはちょっと焦げ気味のひと皿が湯気をあげている。


「え、うそ。作ったの?」

「は? 見てわかるだろ。いらないならいい。オレが食べる」

「ううん、食べる。食べるよ。お腹、すいてる」


 ぐちゃぐちゃの野菜炒め。油多めでふぞろいの、ちょっと強火で頑張りすぎたおかず。それきり声にならずに立ち尽くしていると、舌打ちしてスタスタと食器を運んだ息子は「食べれば」と、ひとこと言った。


「おいしい」

「うそつけ、まずいし」

「ううん。おいしい、ほんと」


 ふたりで向かい合う食卓には、いつもより会話がある。私にほんの少しのご飯と、テーブルの真ん中にキャベツが多めの野菜炒め。野菜嫌いの彼は葉っぱをちびちびとつまんで、大盛りのごはんにふりかけをかけてしのいでいる。


「すごいね。レパートリー増やしておかゆとかどう? 彼女に愛されるかもよ。コウちゃん」

「は? レトルトあるし、今どき。てかうぜー」

「そうだね。今のはうざかった。」


 ごめんね、と言う。それには返事をせずに、ぽつりと彼はこぼした。


「別れれば? あのクソ親父」


 彼は、私が野菜好きだと知っている息子だ。航平という名の息子だ。

 まあそのうち、と私は顔を伏せてごはんをひと口飲み込んだ。

 いつか、飛べるようになったなら--。





本作は、小説家になろう内の個人企画「描写力アップを目指そう企画」に寄稿しようと思った短編のボツ作品です。


第七回 たのしいお仕事企画

お題:「もうからないけどやめられない……私のお仕事」の描写

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