生きてほしいから(6)
少年は眉間に皺を寄せた男と見つめあいながらテーブルを挟んでコーヒーを啜っていた。
(なにこれ、なんか気まずいんだけど…)
コトッとコーヒーカップをソーサーに置いた。この家はコーヒーも抜群にうまい。この気まずい状況に置かれていなかったらの話だが。
「えっと、僕は別に父のことは気にしてないですよ…?」
「ふむ、それもそうだが、」
そこまで言って男もコーヒーを啜り、特にリアクションはせず少年を見た。
「お前の父を殺せるということは、お前を殺すことも可能だということだ」
男はあくまでも冷静にその事実を伝え、手に持っていたカップの中のコーヒーを飲み干した。
「それは、」
カタカタカタ…
少年が何かを言おうとしたところで、コーヒーカップが音を立てはじめた。
「ふむ、地震ではないな。夜々!」
男は訝しげにカップを見つめ、娘を呼んだ。降りてきた少女は、どこか浮かない顔をしているように見えた。
「パパ、なんかおかしいよ、これ」
「ふむ、分かっている。二人とも、気を付けろ」
夜々は両手で頬を軽く叩き、取り敢えず今の状況に集中する。
「あの〜…、パパさん、夜々さん、ちょっといいですか…?」
「何だ、この非常事態に!」
「何よ、この非常事態に!」
少年は二人の剣幕に縮こまった。やはりこの死神親子は怖い。
「その〜、怒らないで聞いてくれます…?」
「さっきからハッキリしないわね、取り敢えず早く言いなさいよ。場合によっては怒るけど」
夜々の目がマジなのが怖いが、少年は諦めて素直になった。
(まぁ、あいつのせいで死ぬことは無いだろう。夜々さんとパパさんに殺されるかもしんないけど…)
「この揺れ、たぶん僕が…というか、僕のせいですこれ…」
「ふむ、ひとまず簡潔に説明しろ」
男は先ほど置いたコートを着つつ少年を促した。
(大事なコートなのかな?それとも武器が仕込まれてるとか…?)
「おい、聞いてるか?」
「あぁ、すみませんっ!詳しくは後で話しますが、今言えることは…」
少年は親子二人が自分を見ているのを確認して言った。
「敵です、それとごめんなさい」
「ふむ、それは君にとっての敵か?それとも…」
男の台詞の途中で部屋中に轟音が響いた。これならご近所にねぼすけさんが住んでいたとしても、まとめて飛び起きるだろう。
「ヨォ、元気にしてたかァ?殺しに来たゼぇ」
二十歳前後と思われる着物姿の若い女が嫌な笑いを浮かべながら喋った。屋根を突き破って入ってきたようだが、傷は一切負っておらず、服も無傷だ。
「お前、人の家の屋根壊しておいて、いい態度だな?」
パパさん超怒ってる。こめかみあたりに浮かんでいる青筋が切れないか心配だ。そして、さらに怒ってるのが…
「こいつ、コロシテイイ?」
どうやら自分の部屋を壊されたようで相当ご立腹だ。鬼瓦と般若のハーフの子みたいな顔になっている。
「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて下さい!こいつ結構強いですよ!?」
「お前ラ、うるせぇなァ?邪魔スんならまとめテ殺すゾ?」
ぎこちない喋りとは裏腹に殺意がありありと伝わってくる。
「不味い、二人とも下がっ…」
「もうイい、お前ラ寝てろ」
少年が言うより早く相手が動き、目にも留まらぬ速さで三人を斬りつけた。幸い三人とも傷は浅かったが、あまりの速さに思わず後ずさる。
「ふん、速いだけでは私達は殺せんぞ?」
「あァ、確かにこんなんじゃ死ナないだろゥな」
そう言って着物の女はまた嫌な笑いを浮かべた。それと同時に夜々が膝から崩れ落ちた。父親が慌てて受け止めそっと寝かせる。
「お前、娘に何をした?」
男の声には怒りが満ちていた。並の人間ならそれだけでも恐怖に駆られ後ずさるだろう。
「さァ、何だろうナぁ?あと、娘だケじャなくて、やったのはお前ら全員にだ」
それでも尚、着物の女は怯える素振りを見せずに笑っている。その目は狂者そのものだ。
「ふん、ならば私が倒れる前に殺してやろう」
「ちょっ、パパさん!」
少年の声には耳も傾けず、男は瞬時に踏み込んだ。懐から鎌を取り出し、目にも止まらぬ速さで着物の女を切りつけた。
鎌の大きさは1メートルほどになっている。
「オっと、危ねェ」
音すらしない斬撃を着物の女は楽に躱し、そのまま男を蹴り飛ばした。腹部にめり込む鈍い音と共に男は壁に激しく打ち付けられた。
「うぐぅ…」
なんとか意識は保っているようだが、毒の影響もあり動くことはできないだろう。
「さァて、あとはお前だケだナ」
「パパさん、夜々さん…」
少年は心配そうに二人を見ると、すぐに女へ向き直った。
「一分で終わらせるてやる、来い」
「へェ、お前そんな顔スるんだナ。ま、言われなくテも行くけどナ」
女の顔から初めて笑みが消え、全力で少年を殴りつけた。少年はその拳を避けることなく、真正面から拳めがけて殴り返した。インパクトの瞬間に乾いた音が響く。とても人間の体から出るような音とは思えない。
「イってぇナぁ!!」
女は拳を大きく弾かれたものの、そのまま殴る蹴るの打撃を繰り返す。一撃ごとに速さを増し、肉体どうしのぶつかり合う音が壊れた部屋に響き渡る。
「はぁ、はぁ…。あィ変わらず化けもンだな、お前。毒も全然効かねぇし」
「お前にだけは言われたくないな、肆緒」
名前を呼ばれた瞬間、肆緒と呼ばれた女は顔をしかめ、構えを解いた。
「ケッ、気持ちワりぃ…。もうヤる気しねェから帰るわ。」
「やっぱり一分で終わったね」
「うるセぇ、お前が気持ちワりぃのが悪いンだよ。次会ったらブッ殺すから覚えとケ」
妙に馴れ馴れしい会話を済ませると、肆緒は捨て台詞を吐いて上空へと消えた。正確にはただの跳躍なのだが、パワーが桁外れで飛んだようにしか見えない。
「さて、まずは毒だな…」
少年は夜々をひょいと抱えると、父親の横に寝かせた。二人とも既に意識はないが、なんとか生きてはいるようだ。
「…今からすることは必要なことだ。決して邪な考えはない。僕ならできる、大丈夫…」
しばらく独り言を呟いた後、少年は夜々の胸元へと手を突っ込んだ。
「失礼しますっ!!」
瞬時に目的のものを掴み、すぐに手を引き抜いた。
「失礼しましたぁっっ!!!」
手に残る柔らかな感触を忘れるように叫んだ。その手には黒いネックレスが握られていた。よく見ると小指ほどの小さな鎌が付いている。
「ふぅ、そいじゃ、二人とも失礼しますよ」
少年はネックレスを首にかけると倒れている親子の手を握った。途端に二人は淡い緑色に発光しだした。
「ぐ、ぬぅ…」
「んん、ころしてやる…」
それから直ぐに二人は意識を取り戻した。ついでに夜々の殺意も目を覚ましたようだ。
「お、お目覚めはいかがでしょうか、お二人とも…」
ゆっくりと起き上がる親子におずおずと声をかける。
「そうだ、あいつはどうなった!?」
「あいつ、隅々までぶっコロしてやる…」
慌てる父とは裏腹に、揺らぐことのない殺意を湛える娘はある意味死神のあるべき姿なのかもしれない。
「えぇっと、あいつはもう帰っちゃいました。実はあいつ、僕の命を狙ってる奴でして…」
「ふぅむ、つまりこの惨状の元凶は少年、君自身だということだな?」
「あうぅ、私の部屋どうしてくれるのよ…」
頭をガシガシとかいて困り果てる父と、涙目で少年の胸ぐらを掴む夜々を見ていると、申し訳なさでいっぱいになった。
「ホント、ごめんなさい…。えと、もちろん修繕費は僕が全額出しますし、その間の住まいは僕の家の空いてる部屋でいかがでしょうか…?」
「ふむ、申し出は有り難いが、流石に娘と歳も変わらん子供に金を出させるのはなぁ…。だが、修繕が終わるまでの寝床は貸してもらえると助かる。夜々もそれでいいか?」
「まぁ、モブ君がいいなら…」
「おい、娘よ、流石に人をモブ扱いするのはやめたらどうだ…?」
「えぇ、でもモブ以外に名前教えてくれなかったし…」
そこまで言うと親子が少年をチラリと横目で見た。目が名前教えろと言っている。
「いや、僕はそのあだ名気に入ってますから、どうぞモブのままで…」
少年は目をそらした。すかさず親子がじわじわと詰め寄ってくる。
「ふむ、やはり名前がないと不便だなぁぁ?」
「そういえば、私の部屋って誰のせいで壊れたんだっけなぁぁ?」
「あの、ちょっ、二人とも目が怖い…」
「………」
「………」
死神の圧力がすごい。もう名前を教えるまでこの視線からは逃れられないようだ。
「はぁ、……です…」
「え、なんて?」
「え、なんて?」
やはりこの二人実は仲良しなのだろう。少年は諦めて名を明かした。
「郁都です、あ!や!と!」
「ふむ、郁都か、贅沢な名だね」
どこのバァバやねん、この父親。
「へぇ、いい名前じゃん。殺しに慣れてそうだね」
「いや、誰が殺都やねん」
二回目は思わず母に出してツッコミを入れてしまった。文字に起こさないと分からないボケをかましおって。
「ふむ、それでは夜々よ、必要なものをまとめて先に少年宅にお邪魔させてもらいなさい」
死神父は用は済んだとばかりにいそいそと身支度を始めた。郁都は、名前で呼ばないんかいというツッコミは捨て置いた。
「あれ、パパさんはこないんですか?」
「ふむ、実はこれから仕事があるのでな。とりあえず娘を頼んだ」
男は話しながら簡単に身なりを整えると、玄関へ向かってしまった。
「言い忘れていたが、家はこのままでいいぞー。すぐに修理に来てくれるように友人に頼んでおくからな」
玄関から叫ぶ声を最後に男は仕事へと向かった。
「さて、それじゃあ僕たちも行こっか」
「あ、えぇっと、着替えとか用意したいからこれでも食べて待ってて」
「おっ、これはっ!それでは僕は、ご相伴にあずかるので、ごゆっくり〜」
夜々は、冷蔵庫から酒饅頭を取り出して郁都に渡すと、ぺたぺたと階段を上って行った。
(いやぁ、まさか好物までバレてるとはなぁ。てか、普通名前から調べるもんじゃないのか?)
悶々と考えつつも手はパッケージを開き、酒饅頭は口へと運ばれていた。
「うっはぁぁ、やっぱうまいなぁこれ!この酒麹の香りが鼻から抜ける心地よさはもちろん、餡子の甘みと麹のほのかな香りが合わさって、究極の逸品へと昇華させている!」
「なんか、聞こえてくるなぁ」
郁都の食レポは荷物をまとめている夜々のBGMになっているようだった。
「試しに買ってみたけど、まさかあそこまで喜ぶとはなぁ。また買ってきてあげよっかな…っと、荷物はこんなもんかな?」
キャリーケースに手早く荷物をまとめると、部屋を見渡した。
(あーあー、改めて見ると酷い有り様だなぁ。服が無事なのがせめてもの救いかぁ…。ダメだ、思い出したらまたイライラしてきた)
「…さて、ボコボコの部屋眺めてても仕方ないし、そろそろ行くか」
わざと大きい独り言を漏らすと、キャリーケースを重そうに持ち上げ階段へと向かった。その重さは、半壊した部屋の床には負荷が大きかった。バキバキと乾いた音を立てて夜々の部屋の床は役目を終えた。
(ヤバッ、これは流石にっ……!?)
不運なことに、落下地点には最初に崩れた瓦礫がトゲのように大きく突き出ていた。数秒にも満たないような自由落下の中で死を確信した。皮肉にも、死神だからこそ瞬時にそれを察することができた。
「いや、まだだね」
やけに落ち着いた郁都の声が耳元で聞こえる。いつのまにか落下も止まっている。
「ん…、あれ?生きてる?」
ふと下を見るとーー
「ちょ!?」
体のいたるところを棘に貫かれた郁都が、夜々を支えていた。
「い、いてて…」
笑っていた。痛覚はあるから普通に痛いのだと、郁都が言っていたのを思い出した。
「どうして、そこまでするの…?」
声が震えていた。それでも聞かずにはいられなかった。
「私はあなたを殺そうとしてるのに、なぜ身を割いてまで私を助けるの?どうして、痛いはずなのにそんな顔ができるの?」
郁都は、一層と優しい笑顔になり、ただ一言だけ述べた。
「君に、生きていてほしいから」
あぁ、この人は殺せないや。死神がそう思ってしまうほどに、眩しい少年がそこにいた。その眩しさについ目を閉じると、次の瞬間には棘は郁都を貫いてはおらず、夜々は少年に優しく抱えられていた。
「あ、あれ…?」
「ふっふっふ、僕の能力はこんな使い方もできるんだよ…、って、夜々さん?」
夜々は郁都に抱えられたまま、抱きついていた。
「あと少し、このままで…」
「あはは、死神でも死にかけるとさすがに怖いよね」
「うっさい…」
言いながら郁都の胸に顔を埋めた。
「ん、なんか痛い…」
「あっ…」
郁都は夜々から拝借していたネックレスを取り出した。
「これ、どーやって取ったの?」
目がヤバかった。先ほどまでの艶やかな瞳は別の人の目だったのだろうか。
「えと、解毒の為に致し方なく…」
「どうやって取ったのかな?」
笑っていた。しかし、そこに温もりはなかった。
「手を、突っ込みました…」
「何か、触りましたか?」
「………。夜々さんって、着痩せするタイプぅぐおぇあぁ!?!??!」
「…一応言っとく、ありがと…」
郁都は地に伏せた。素晴らしいまでのボディブローがめり込んだ。薄れゆく意識の中で見た夜々の顔はほのかに赤かった気がした。