訪問(5)
「あのぉ、ここって…」
「うむ、墓だな」
「お墓ね」
少年の疑問に死神親子は当たり前だろ?とでも言うように食い気味に返してきた。今は三人で墓地を歩いている。
(夜々さんの家に招待してくれるんじゃなかったのかな…。もしかして、僕、葬られるのかな……)
「そんな顔をするな、少年。別にその首を刈り取って土に還そうなどとは考えていない」
「…お父さん、僕のこと嫌いなんですか?」
「お前にお父さんと呼ばれる筋合いは…」
「…パパ?」
待ってましたと言わんばかりにあの台詞を吐こうとする父親へ、娘の冷たい声が降りかかる。
「…ごめんなさい」
どうやら、全国の多くのパパがそうであるように、死神パパも娘には弱いようだ。
「まぁまぁ、それはいいとして、どうしてお墓に?」
「ふむ、いい質問だな、少年。では、君は死神について疑問に思ったことはないかね?」
ナイスフォローだ!と言わんばかりに男は元気に話し出した。
「疑問、ですか…。そりゃあ、死神の起源だったり、どれくらい死神がいるのかだったり。あ、さっき使ってた武器や死神の力についても…」
男はうんうんと頷いている。満足する回答だったらしい。
「では、君はどれくらいの数の死神が存在していると思う?」
「ええっと、急に言われてもなぁ…。千人とかですか?」
「三割だ」
男は人差し指と親指だけを立てた。二進法を使った表し方だ。
「千の三割で…三百人ってことですか?」
「いや、違う。日本の人口の三割の数だ」
「そんなにいるんですかっ!?」
「うむ、そんなにだ。あと二進法を使ったのに意味はない」
(あ、意味ないんだ。というか、そのうち日本人殺し尽くされるんじゃないかなぁ…)
「だがまぁ、殺される者を除いて殆どの人間は死神と出会うことはないぞ」
「えぇ、でも、そんなにいるなら嫌でも会うんじゃ…」
日本の人口の三割が死神なのに出会わないとは、あまりにも不自然だと思うのは当然だろう。
「ふむ、やはり君は勘違いをしているようだな」
足を止め、振り向きざまに男は述べる。いつのまにか、墓地の端まで歩いたようだ。
「と、言いますと…?」
「それは、実際に見たほうが早いな」
男は墓石に向かい合い何かをしているようだ。
「あの〜、パパさん、何してるんですか?」
「君は、外出先から帰宅して、家に入るときに時に何をするかね?」
「玄関を、開けますね…」
「それには鍵が必要だろう?それと同じだ」
少年が男を覗き込むと、暮石とスマートフォンをつなげてなにやら入力していた。
「えっ、この暮石ケーブル繋げるんですか…?」
「あぁ、便利だろう?旧式だとどうも使い勝手が悪くてなぁ。つい最近リニューアルしたんだ」
「便利な暮石ですねぇ…」
少年はツッコミをやめた。男はいつの間にか入力を終えて軽快に完了ボタンを押した。
「今のが鍵なら、どこが玄関なんですか?」
「玄関というか、もう着いてるぞ。周りを見てみろ。」
「え?」
さも当たり前のように言う男を訝しみつつ、少年は辺りを見渡した。
「……逆だ」
一瞬のことで気がつかなかったが、周りの景色が全て反転していた。その様は、あたかも鏡に映した景色のようだった。
「ここは、どこですか…?」
「君の自宅の近くの墓場…に酷似したどこかだ。そんなに変わらんだろ?」
反転していて違和感はあるものの、確かに少年の家の近所の墓場だ。さらに少年は暮石にも違和感を抱いた。
「ここ、文字は反転しないんですね」
「ふむ、細かいところに気がつくな。ここは鏡の世界ではなく、あくまで酷似したどこかだからな。文字はそのままだ」
男はいつのまにか暮石からケーブルを回収してぐるぐると巻いている。夜々もこの景色には慣れているようで、特に驚いた様子もない。
(まぁ、家に案内してもらえるってことは、当然夜々さんもこの場所には慣れてるよな…)
「それでは行こうか。我が家へ」
「あ、はい、お願いします…」
男は混乱している少年を特に気に留めることもなく歩き出した。
「ま、説明は後からしてあげるから、とりあえず行こ?うちすぐそこだし」
そう言うと、夜々も歩き出した。いつまでも墓地に留まる訳にもいかないので、少年もその後に続いた。
「それにしても、変な感じがするなぁ。ここら辺はよく知ってる道なんだけど」
少年は歩きながらも落ち着きなくあたりを見回した。そんなことを言いながら五分ほど歩くと、男がぴたりと止まった。そこには見慣れた二階建ての建物があった。
「着いたぞ、少年」
「えっ、ここですか…?」
着いた場所は少年の家が反転した場所、つまり、元の世界の少年の家だった。
「うちとそっくりですね」
「まぁ、言ってしまえば同じ家だからな。内装までは分からんが」
「私だって、君のこと調べてた時に驚いたよ。君の家うちと同じなんだもん」
「夜々さんストーカー…」
少年は夜々から一歩離れた。
「あぁん?」
「あっ、いえ、死神のお勤めご苦労様でした…」
少年は縮こまりながら、死神の恐ろしさを実感した。
「ごほん…。そろそろいいかね?」
玄関の前で立ち往生する二人に、男が痺れを切らして割り込んできた。
「…ごめんなさい」
「…ごめん」
少々の沈黙のあと二人の謝罪が聞こえた。
「…いいから、家に入るぞ。色々話すこともあるし、腹も減っただろう」
そういえばお昼がまだだったと、夜々と少年はお腹のあたりを撫でた。
「私の手料理でよければ振る舞うが、どうかね、少年?」
男は手際よく黒いエプロンを身につけながら訪ねてきた。胸のあたりには鎌の刺繍が施してある。死神ジョークなのだろうか。
「えっ、パパさん料理できるんですか?」
「なんだ、悪いか?」
「いやぁ、どちらかと言うと夜々さんの方が料理とか担当してるのかなぁって思って…」
男の鋭い目つきにお茶を濁しつつ答える。なぜか夜々もそっぽを向いている。
「ふっ、ふふっ…だっははははははっ!ぐふぅ……!?」
途端に男は笑い出し、直後に夜々のボディブローが炸裂した。普通の人間ならすぐには立つことも叶わないだろう。
「こっ…こいつは中々…」
しかし、男は苦悶の表情を浮かべながらも見事に立ってのけた。強いパパだ。
「はいはい、どうせ料理なんてできませんよ!悪かったわね!!」
「あっ、なんか、ごめん…」
少年は今にも放たれそうな死神ボディブローから逃げるように後ずさった。
「…まぁ、そういうことだ。全く、あいつに似て乱暴なんだから…」
パパはお腹をさすりながら料理の材料を並べ始めた。娘のバイオレンスには慣れているようだ。
「あっ、そういえば夜々さんのお母さんは?どこかにお出かけ中?」
「あー、お出かけというか、出張中ね。シンガポールに」
「おぉ、まじか…。死神って忙しいんだね…」
「まぁ、ママは死神の中でも変わった仕事してるからね」
「なるほど、そういうことか〜」
(僕が思ってるより死神の仕事って細分化されてるのかなぁ…)
少年が死神について考察していると、夜々がおずおずと口を開いた。
「そのー、もし嫌だったら答えなくてもいいんだけど、君のご両親ってどんな人だったの?」
「変人だね」
「いや、早いし適当かよ」
目にも留まらぬ即答だった。夜々も思わず突っ込んでしまうほどに。
「えぇ〜 …。じゃあどういうのが聞きたいのさ?」
「もっとこう、家族っぽいエピソードとか」
面倒だと言わんばかりの表情だが、それでもしばらく考える素振りを見せる少年。やがて、一つの記憶が蘇る。
「あ、あるよ、家族っぽいやつ」
「んじゃ、それよろしく」
「母さんが死んじゃう少し前の話ね。母さんは割と美人だったんだけど、めっちゃ料理下手でね」
「あぁ、それは残念ね…」
「で、普段は父さんが料理担当だったんだけど、父さんの誕生日に母さんが料理してあげたんだよ」
「そうそう、そういうのが聞きたいの!いい家族じゃない」
「で、父さんは母さんを溺愛してたから、超喜んでたんだよ」
「微笑ましい限りね」
「で、父さん正直だから、嬉しいけどまずい!って笑いながら言っちゃったんだよ」
「あぁ、一番言っちゃダメなやつ…」
「で、キレた母さんがナイフで父さんの手をぶっ刺してテーブルに固定しながら殴ってたんだよねぇ」
うんうんと、頷く少年からしみじみと語られる思い出は、まさに狂気だった。
「ごめん、私が悪かった」
夜々は深々と頭を下げた。長い髪がだらりと垂れ、見えるうなじは何だか色っぽかった。
「おい小僧、娘に何をしているんだ?」
湯気を立てている料理を運びながらパパが現れた。ちょっと機嫌が悪い。
「いいの、パパ。これは私が悪かったんだから」
「夜々が、反省しているだとっ…」
パパは心底驚いた顔をした。一体普段はどれだけ横暴な娘なのだろうか。
「なに、文句あんの?」
「…ないです」
パパは目をそらしながら小さく呟いた。なんだかかわいそうに見えてきた反面、昔の両親を思い出すような、懐かしい感じもした。全国のパパには強く生きてもらいたい。
「…さて、食事にするか。好きなのを選んで食べてくれ」
アンティーク調のお洒落なテーブルの上に美味しそうな料理が並んでいる。
「私これー」
夜々はミネストローネを選んだ。オーブンで軽く焼かれたバケットもついており、トマトの香りが食欲をそそる一品だ。
「えっと、僕はこれいいですか?」
「うむ、構わんぞ。茹で具合はアルデンテだ」
少年は刻んだ大葉が多めに乗ったたらこスパゲッティを選んだ。とても美味しそうに盛りつけられている。
「さて、私はこれだな」
そう言いながら男が手にした皿には美しく輝く天津飯が乗っている。どれも美味しそうなのだが、一貫性がない料理たちだ。
「じゃあ、頂きます」
少年は合掌ののち、たらこスパを食べ始めた。残りの2人も各々食べ始めたようだ。
(う、うめぇ……!!)
少年がたらこスパを一口食べると突如空腹が蘇ってきた。
「ふふ、美味いだろう。隠し味に醤油を少し入れてある」
「いやぁ、まさかこれほどまでとは…」
特に感想は述べないものの、夜々も満足そうにトマトのスープへ浸したバケットをもちもちと頬張っていた。男は黙って天津飯を食べ進めているが、どうやら満足のいく出来だったようで、時折頷いている。
「パパさん、僕に料理教えて下さいよ。これはもうプロ級の腕前ですよ…」
「パパはね〜、昔料理人をやってたの。だからこんなに上手なのよ」
ぶっきらぼうに言う夜々だが、それでもパパは嬉しそうだった。
「ふむ、パスタなんて誰にでもできると思うがな。まぁ、そのうち教えてやらんでもないぞ」
そんな会話をしていると、少年はぼんやりと死んだ父と母を思い出した。
(そういえば、母さんも父さんから料理教えてもらってたなぁ……)
「おーい、お皿下げるよー?」
いつのまにか目の前にいた夜々が三人分の皿を片付けていた。
「あぁ、ごめんごめん。僕がやるよ」
「一応お客さんなんだから、ゆっくりしてて。それに、パパと話があるんでしょ?」
そういえば、と思い出して男な方を見る。
「ふむ、夜々よ、少し席を外してくれるか?」
「えぇー、私が聞いちゃ不味い事でも話すわけ?」
ずいっと一歩踏み込んで男に近づく夜々だが、男は微動だにしなかった。真っ直ぐに夜々の目を見つめていた。
「……はいはい、分かったわよ。終わったら呼んで頂戴」
そう言うと夜々は、二階にある自室へぺたぺたと歩いて行った。
「さて、パパさん、僕へのお話の前に、言わせて頂きたいことがあるのですが」
夜々が階段を登るのを確認すると、先程男が淹れてくれた食後のコーヒーを啜りながら男の方を見る。男の眉がぴくりと動いたのが分かった。きっと予想外の展開だったのだろう。
「…聞こうじゃないか」
「ありがとうございます。では、単刀直入に言いますけど、夜々さんに死神の才能が無いの、パパさん気付いてますよね?」
「ふむ、あまり娘を悪く言わないでもらえるかな。あれでも私が鍛え上げた一人の殺し屋だ」
この男、強面なだけに、細められた目からはひしひしと静かな怒りが伝わってくる。
「あぁ、いえ、そう言う話ではなくて…。僕が言いたいのは夜々さんが持ってる死神の力のことなんですが」
「ほぅ、気付いていたのか。なら話は早いな。貴様はこう聞きたいのだろう?なぜ、向いていないと分かっていながら、夜々を死神として育てたのか?と」
「えぇ、まぁ、そんなところです」
男は静かな声で告げた。
「お前の父を殺すためだ」
部屋には苦いコーヒーの香りが漂っていた。階段の隅では、そんなコーヒーよりも苦い顔をする少女が一人、ひっそりと佇んでいた。