第42話 セキが生まれた日
モンスター目線です。
猿の意識が芽生えて最初に頭を巡ったのは、
(この御方が私の主人だ)
という思いだった。
目の前の人物の顔を見て、なぜ自分の主人だと思ったのかは分からなかったが気づいた時にはこの御方に失礼をしてはならないと感じ、身体が勝手に動いていた。
「お呼びにより、参上しました」
口から出た言葉の意味は自分で発してから理解した。対応を間違えなかった事に安心しつつ、主人の顔をよく見た。
「おめでとう、お前がこのダンジョンの最初のモンスターだ」
話しかけられると花が開くように知識が伝播する。
それにより自分が何処の何者なのかという事を理解し、同時に絶対者がこのダンジョンの最初のモンスターに自分を選んだという事実に猿は誉を感じていた。
「なんなりとご命令を」
たった一言交わしただけでもう完全に言語のルールついては猿の頭の中で出来上がり、それに基づいて言葉を発していた。
本来ならば生まれたてのダンジョンのモンスターはダンジョンマスターの命令を理解するだけでここまで流暢に最初から話せるわけではない。
これは猿に人間の頭脳をと【モンスター変化】を行った結果であり、何より言葉を理解するモンスターを欲して、それに重きを置いて創造した故に起きた事だった。
「そこに座ってくれ」
そう言いながら主人は立ち上がる。
主人が立っているのに自分だけ座るのはどうかと思ったが、歯向かうことはありえない事なので猿は言われた通り椅子に着席した。
その時一瞬、樽の上の光球に目を奪われる。
(この方も私の上位者だ)
と察し、すぐに主人に視線を戻した。
光球は主人が立ち上がると同じように動き出し、宙に浮かび上がった。
それからの猿の視線はずっと主人の背中を追っている。主人は草むらの上に置いてある荷に近寄ると、その中一つ。
血の匂いがする短剣を手にして椅子に戻った。
「では最初の命名を下す。これで手のひらを貫け」
主人はドンと音を立てて、短剣を樽の上に置くと椅子に腰掛けた。
(短剣で手のひらを?)
猿は自分の手のひらを見る。
主人の言葉を理解する事は出来たが、すぐに動き出す事は出来なかった。
聞き間違えかと思ったからだ。
「主様?」
反応したのは猿ではなく赤い光球だ。
「なんだ?」
「いえ、なんでもありません」
「何かあるなら言えよ、気になる事は聞いておいた方がいいぞ」
「主様の行う事なら何か意味があるのでしょう?それが荒唐無稽なことでも」
「まぁな」
「ですって、主様は少し外れている人ですから付き合うには色々大変ですよ。今の貴方は短剣で手のひらを突き刺すしかありません」
「そうだ頑張れ、今日の俺のラッキーカラーは赤だ。血を出すと良い事があるかもしれん」
とんでもない命令を下した後に相応しい非日常的な会話を目の前で繰り広げられて、猿は圧倒される。
唯一言葉にできたのは、耳で受けたものを口から出す事だけだった。
「短剣を手のひらにですか?」
「ああ、出来ないか?」
(これが出来なければ、私は………)
いつまでも動き出さない自分に淡々と向けられた主人の一言は、猿を動かすには十分なものだ。
「いえ、お望みとあれば………失礼します」
背が届かなかったので失礼を承知で椅子の上に乗った。息を呑み、猿は右手で短剣を受け取る。
重量以上にそれがずっしりと重く感じたのは錯覚ではないだろう。
それから自分のもう片方の左手を反転させ樽の上に乗せる。
そうして短剣を持っている方の腕を掲げた所で猿の動きが止まった。
想像力のあるものなら、次の行動で何が起こるか分かってしまう。
だから身体自体が意識とは別に躊躇してしまっていた。
「どうした、手が止まっているぞ」
しかしそれを解くのが主人の眼差しだ。
(私よりも優先されるのはこの御方の命令)
「申し訳ありません。ではご覧下さい」
猿は身体の抵抗を意識でねじ伏せて短剣を振り下ろした。
「っ!………なぜですか?」
「すまんな、止めるのが少し遅れた」
やるならば思い切り。猿の決意が込められた自傷行為は命令した主人によって寸前の所で止められる。
しかし無事とはいかなかった。
短剣の刃の先だけが手のひらを裂き、そこからは血がつーっと流れ落ちていた。
主人が謝ったのはこの為だ。
「ああ、はい。いえ」
「よくやった。これで確認は終わった。いい仕事だ」
主人は猿から短剣を取り上げ、肩に手を置く。
その朗らかな顔を見た猿は安心して、椅子に座った。
「主様は疑り深いですね」
「自分の判断しか信じられない、俺の悪い癖だ。命を預ける事になる奴らだからな。これから増やしていくにあたって、どうしても命令が遂行されるのか最初に見たかったんだ」
「なんか泣けてきます。可哀想な主様」
「誰が可哀想だ。慰めてもいいんだぞ」
「では、機会があれば」
猿は会話には入れない。
それが少し悔しかった。
「じゃあ」
それから主人は一度猿の手を見て、どこかに遊びに行くような手軽さで言う。
「やる事はやって貰ったからな。次は俺の番だ」
主人は樽の上に手のひらを上にして置き、短剣を上に掲げた。
「主様、何を!?」
「お止めください!!」
それは簡単に想像できる繰り返し。
ただ、この時は止める役のものが存在しなかった。二つの声の制止を振り切り主人は躊躇する事なく、短剣を手のひらに叩きつける。
その勢いはあまりに強く、短剣は手のひらを貫き、下にあった樽をも破壊した。
猿の手など比較にもならず、血が手から溢れ出した。
「意外と痛いな、泣きそうだ」
左手の短剣を抜き、短剣を地面に放り投げると主人は手を押さえて痛みに耐える。
「何をやっているんですか、主様。馬鹿ですか?」
光球は主人を注意する。
「こいつが傷を負ったのは俺の所為だ。何もしないなんて道理に合わない」
「融通が利きませんね」
「『アイテム購入』に傷薬と包帯なかったか?あったら買っておいてくれ」
「無駄遣いとしか言えません」
「悪い」
主人は光球に謝り、猿に近づいた。
「さて、これで俺達は同じ場所に傷を負った、この傷がお前を信用した証だ。よろしく頼むセキ」
「セキ?」
「お前の名前だよ」
「有り難く。誠心誠意仕えさせて頂きます」
(ーーー私はこの御方に)
主人の傷と自分の傷を見比べ、名を頂戴したことにより猿はセキとなった。この傷が切っ掛けとなりセキは自分の傷を見る度に主人に忠誠を誓う事になる。




