第36話 甘美なるもの
まず懇願する振りをしたのは警戒を解かせる為。
ベッファンに弱みを見せれば襲ってくるとはいったがそれは彼が同等のものに対する対応だ。
それよりも下、明らかに自分よりも劣っていると感じた相手に対しては、こういう手合いは少し違う対応をする。簡単に言うと甚振る事を楽しむのである。
奪うものを奪った後には、殺すのは間違いないが。
侮らせて、油断させる。ベッファンは周の狙い通り、抜こうとしていた帯剣から手を離した。
弱い獲物を前に警戒心は薄れる。
それがわかりやすく次に出るのが恫喝である。
これがこういう部類の人間の習性だからだ。
「おい、おっさん。何をいきなり謝ってるんだ?そんなに俺達が恐いのか?」
「…………」
「黙ってんじゃねーよ。この腰抜け」
ベッファンは言葉で周をなじる。
周はそれを聞き流しつつ、思考する。
ここまではおおよそ予想通りに進んでいる。
(次は何が正解だ)
だが勿論、それで周が助かるなんて事は無い。
ベッファンの職業は盗賊なのだ。
奪って殺すのが仕事である。
このままではただ酷い目に合わされて殺されるのを待つだけ。周がまだ無事なのは相手が人を甚振る事に価値を見出しいている人間だったからだ、そこに価値を感じない人間に見つかっていたら周は何も出来ずに殺されていただろう。
ベッファンが自分に対して懇願している哀れな弱者をなじる事に快感を覚えている間に、周は隠れて行動を開始していた。
跪いたのは相手を油断させることを狙った行為であったが、それと共にある道具を手に入れるという目的も兼ねていた。
素手で強者と相対をするなんて無謀を周はしない、あくまで卑怯に狡猾に、プライドは捨て、自分だけは怪我もせず、脅威が消えるのを目標にベストな選択をする。
これまでもそうしてきたし、これからもそうだ。
その為にはどうしても跪く必要があった。
そうすれば相手は警戒をとき、周に恐怖を与えようと手の届く範囲に自ら近づいて来てくれる、さらに相手をどうにかするための道具も手に入れられる。
「そうだな、まず金目の物を出して貰おうか」
「すいません。今手持ちが、どうかご勘弁を」
「ふざけんじゃねーよ。だったら殺すだけだ。一本一本指を切り落としてから殺してやろうか?」
「お願いします。やめて下さい」
周は、気づかれないように大仰に怯える演技をしながら左手に土を、右手には折れた枝を掴んで隠した。
これが欲しかった道具。
(二つ目も完了)
周は気づかず、ほくそ笑んでいた。
これは行動の結果が上手くいったことを喜んだわけではない。周の度し難い内面。何でもありの勝負を今しがた自分がしている事に気付いたからだ。
「おいおいおい、情けねぇな。もしかして泣くのか?恥を晒す前にさっさと死んでおいた方がいいんじゃないか?」
周の様子が変わった事にベッファンは気づかず、さらに調子を上げている。
(よし、第一段階は成功。ついでに武器も入手できた。だが、まだこちらが弱い)
相手は盗賊と従騎士。こちらの世界では当たり前のように人を殺している。
しかし周は当然、殺人童貞だった。
本当にやれるだろうか?と周は思う。
頭の中で考えていることを実行すれば人殺しになる。
経験していないものは、やってみなければ出来るかどうかわからない。
(この一線を超えたことはあっちでもなかった)
元の世界で、もしこれをやれば許されない事だったからだ。
周は自分自身の内面に向き合い、答えを出す。
(やれるか?か。我ながら笑えるな。そもそもそういう事をわかった上でこっち来たんだろ。こいつらがやろうとしている事を俺は返すだけ。なんて言い訳をするつもりもない。ただ自分の為にやる。それだけだ)
「国家そのものが軟弱だから、お前みたいな奴がいるんだな。やっぱりこの国は滅んだ方がいいなぁ、こんなどうしようもないやつしか居ないのか?この国にはよお」
ベッファンのこの言葉はリュベット公国に対する不満から来るものだ。自身それに気づいてはいないが、これが彼の本当の心の内情を吐露したものだった。
周はこれを雑音として捉え、手持ちの武器の確認する。
左手には土、右手には折れた枝。
本当に心許ないものだ。
余裕がないからこそ、自然と決意は固まる。
人間とは本来、理性という皮を剥いだら自分本位で快楽を貪る生き物だ。
倫理が欠如しているこの空間では、かつての常識は廃棄すべきものへと形を変えていた。
周の心の準備はいつの間にか終わる。
頭の中は、もう目の前の男をどうにかする事しかなかった。
(油断と、左手の土、右手の枝。あとひとつ何か切っ掛けがあれば………そうだペテ子がいる)
今の今まで忘失していた仲間の存在を思い出し、周はそれが活路となるかもしれないと姿を探す。
自分の背後はいない。いたら男達が気づくからだ。
周は一瞬視線を男達から外し、見つけた。
ペテ子は男達が周に注目している内に男達の背後へと移動していた。
周がペテ子を見ると、その視線が合った気がした。
(頼む、何か行動を起こして隙を作ってくれ)
願った数秒後、ペテ子は光った。
その一瞬男達の視線が完全に周から外れる。
(よくやった)
決意をし、体を動かす準備も完了していた。
心と身体の両方が万全な状態だったからだろう。周は自然と動き出していた。
その瞬間、周はサイドスローで左手の握っていた土をベッファンの目に向かって投げつけた。
周が動いた事に気付きベッファンが対応をし始めたその時には目に砂が入り、数秒間だけ視界を潰す事に成功する。
それを見逃さず周は右手に持っていた枝を握り込み、力の限り足に向かってそれを振り下ろして突き刺し、ベッファンの左足の太腿に枝を生やしてやった。
「うぎぁぁぁぁ」
堪らずベッファンは大きな悲鳴を上げた。
周にとって運が良かったのは、ベッファンが利き手の指を失っていたことだ。
本来のベッファンの帯剣の位置は逆だった。
元騎士である癖のせいで咄嗟の時ベッファンは指を失くした利き手の方の腕が、そこにはない剣を探して勝手に動いてしまう。
おのずとワンテンポ遅れてベッファンは攻撃に移る事になる。
周はそういう幸運にも助けられ、第二撃へと移る。
足を枝に貫かれ姿勢を崩したベッファンが二本ある剣に手を伸ばす前に足の短剣を盗み、そのまま腹に刺そうとした。
それはベッファンが中に着ていた鎖帷子に阻まれたが、
「くそ」
周は悪態をつきながらも、そのまま短剣を上に滑らせ、そのまま喉を一刺しにした。
それだけでは留まらず、周は喉の中で短剣を捻る。
「こげ」
すると間抜けなベッファンの声が漏れると同時に何かを抉った感触が手に伝わり、血がどくどくと傷口から溢れた。
周はその血を頭から被り真っ赤に染まる。
鉄臭い匂い、いつもの周なら不快な顔をするものだ。だがこの時の周は血で汚れることも、その匂いも感じていなかった。
支配するのはなんとも言えない高揚感。
(ああ、これだ。これだよ)
自分の場所、どこにいるかとか、残りの一人の敵の事など頭から消え失せた。
この為に来たのだと、錯覚するような情念のような想い。人を殺したからではない。勝って生き残ったからだ。頭の中がただ凄く熱かった。
(堪らん、楽しい!)
対等ではない勝負だった。
十回やれば九回は負ける戦いだ。
しかしそれを乗り越えた時、これまで味わったことのない全能感が周を包み込む。
(なんだって出来る気がする、スカーレットとやったらこんなもんじゃないんだろうな)
いつまでも心地よいそれに溺れていたかったが、ざっという土と靴の摩擦音で残りの男の事を周は思い出し再起動した。
(駄目だな。トリップしていた。危ない、危ない)
全能感は消え、頭は冷える。
これからどうするか、と周は考える。
相手はベッファンよりも弱い。
だが、同じ手は使えない。
ペテ子の事はもう気づかれているからだ。
一人でも次はやられるかもしれない。そう思った周は危険を犯さない。
ニーズが襲ってこないのは、今の攻防を見ていた為。
殺されるかもしれないという恐怖の種はニーズの頭に勝手に植え付けられている。
だから別の方法で追い払うことにした。
残りの敵一人。
ニーズの重心が後ろに傾いているのは逃げたがっている証拠だった。
(あとは背中を押してやるだけだ)
人間の特性は不可思議で、ゆっくり相手が動くとなぜか自分もゆっくり同じように動く。
襲撃の切っ掛けを作らないように、周はわざとゆっくりと動き、ベッファンの瞼の中に指を入れた。
瞼の内は暖かくヌメッとしていた。眼孔の中は狭く、簡単にはそれを取り出す事は出来なかったが、指を引っ掛けるようにして力を入れて摘みながら抜くとプチっとした音がした後、周の手の中にはベッファンの眼球が掴まれていた。
周が考えたのは恐怖による行動のパターン化だ。
(引かせるには異世界も俺の世界も変わらない、理解不能である事と恐怖感を煽って混ぜてやればいい)
周はゆっくり振り返り、ニーズに見せつけるようにして眼球を齧って飲み込んだ。
そして、呟く
「俺はさぁ、人間の目玉が好きなんだ。噛むとドロっとした苦くて塩っぱい味がしてね。この眼球は75点といったところだ」
それからニーズに剣を向け、
「さて、お前の眼球の味は何点かな?」
と声を掛けた。
「なんだよ、なんなんだよ。やめろ、やめてくれ、俺は何もしてない」
「だから、どうした?ほら逃げろ。追い掛けて体温を上げてからの方が目玉は美味くなるんだよ」
「うわぁぁぁぁぉぁ」
剣を向けられたニーズは尻餅をついた後、震えながら立ち上がり、背中を向けて一目散に逃げて行った。
(はぁ疲れた。でもなんとかなったな)
これにて初陣は終了。
周は逃げていくニーズの姿が見えなくなったのを確認して、自分の喉に手を突っ込む。
「うぼぉぇぇぇぇ」
そして飲み込んだ眼球を胃から追い出した。
森の中には吐瀉物の匂いが広がった。
「こうするしかなかったとは言え人間を食うなんて気持ち悪い、最悪の気分だ」
「好きでやったのでは?」
周が袖で口を拭いていると、ペテ子が近づいてきた。
「そんなわけないだろ、すげぇ頑張って食レポしたんだ」
「てっきり好きなのかと」
「俺は人間を食べません。にしてもよくやったなペテ子、ナイスタイミングだったぞ」
「ありがとうございます。おー、褒められました」
周が褒めると、ペテ子は喜んでピカピカする。
「連れてきて良かった。お前がいなかったら死んでたかもしれない」
「付いてきて良かったです」
「これからもその調子で頼む」
こんな目に何度もあっては堪らないので周は早々にこの場を後にしようとする。
「主様、死体は持って帰らないのですか?」
「意味あるのか?」
「たぶんですがDPになりますよ」
「持って帰ろう」
周はこの戦いで命をかけた勝負が甘美な事と、眼球は不味いという事、そして死体は重いという事実を知ったのだった。




