第3話 御用件は?
ずずず、とお茶を飲む音が部屋に響く。
ちゃぶ台の上には湯呑が二客、それとお茶請けには石が置かれていた。
なぜ石が置かれているのかというと、猫が持ってきた手土産の中身は手の平サイズの石がぎっしりと詰め込まれていたからだ。
周はそれを確認した後、感心を返せ、と言わんばかりにそのまま猫に石を出したのだった。
ちなみに2日前の手土産の中には菓子がきっちりと入っていた。入れ替えられたのは猫の怒り故か。
「この家では、ちゃんとしたお茶請けも出ないのね」
「お茶漬けなら出してやってもいいぞ。意味がわかるならな」
「私は話があるのよ」
「だから聞いてやるって言っただろ?菓子は諦めろ。お前は石でも舐めていればいい」
沈黙が部屋に響く。
諦めたのは猫の方だった。
大きく息を吸い、吐いて、そうして平常心を取り戻した猫は仕切り直してから本題に移る。
「じゃあ聞いて貰うわよ。私はあんたをヘッドハンティングに来たって話はしたわよね」
「ああ、覚えているよ。猫の国にだろ?」
「違うわよ、それはあんたがその場の勢いで言った事でしょ?私の話は、ある仕事をあんたに持ってきたって事。それであんたには私の、そうね。部下?臣下?家臣?配下?になって欲しいのよ」
「自分が理解していない事を他人が理解できると思うなよ。言っている意味がわからん、お前って戦国時代からタイムスリップでもしてきたのか?第六天猫魔王なの?戦っている相手は犬将軍ですか?」
「まぁ聞きなさい。仕事の内容はダンジョンマスターよ」
こいつはいきなり訳の分からん事を、と周は溜息を吐いた。それから誰かコイツに構成というものを教えてやらなかったのかと、気の毒そうに猫を見る。
周は言葉の使い方が不自由な猫の為に一応頭を動かしてみた。
ダンジョンという言葉で周が思い描くのは、部屋の其処彼処に積んである本やゲームの事だ。この時の周の頭の中では、そういえばゲーム機に電源さえしばらく入れてないなぁ、などという関係ない事が巡った。
「異世界のダンジョンマスターねぇ」
だから口から出たのは、オウムのような繰り返すだけの言葉だった。
「驚かないのね、異世界よ?意味分かっている?」
猫は首を傾げて周に尋ねる。
「異世界もダンジョンも、昨今ではありきたりだからなあ」
事も無げに周は言う。その様子に次は猫が困惑した。
「え?こっちの世界にも時空ゲートが!?ダンジョンも!?いつの間に出来たの?そんな話、私は知らないんだけど………」
「いや、ゲームとか本の中でだよ」
「私がしているのは現実の話なの!」
何を言っているんだ、こいつは。と二人は同時に思ったがその内実は互いに違った。
猫は虚構と現実は違うのよ、と心の中で憤り。
周は現実なのは分かってる。喋る猫がいるんだから異世界くらいあってもおかしくないだろ、と思っていた。
「はいはい、お前は異世界から来たんだな。OK OK、了解」
「本当にわかってる?これは現実の話なのよ」
「だからそんなの分かってるって言ってるだろ。だってお前喋る猫じゃん。そいつがこの世界の猫です。実は猫って全員喋られるんです。よろしくにゃんとか言い始める方がよっぽど恐いわっ!」
「なら、もっと驚きなさいよ、異世界って何!?とか無様に混乱なさい!」
「無茶苦茶だなお前、ここで俺が素直に受け入れた方が話も先に進みやすいだろ」
「なんか負けた気がするのよ」
なんか負けた気ってなんだよと周は心の中でツッコむ。
「よく考えてみろ。例えばもしお前がこっちの世界の猫だったとする。その猫一匹が喋り出したらあと何匹喋り出すか分かったもんじゃないだろ。猫が喋るだけならまだいい。もし牛とか豚とか鶏が喋り出したら?もう俺は肉とか食べられる自信がないよ。もっとその枠が広がって野菜まで喋り出したら?次は椅子やこのちゃぶ台が喋り出して、荷物置かないで下さいよ。重いんですよ。とか言い出したら?暮らし難くなること山の如しだろうが。だからお前が異世界の猫ってのを俺は直ぐに信じる事にしたんだよ」
お前が異世界の猫ならそんな心配しなくて済むからな。と周は付け足した。
それを聞いて、
「あんたってやっぱり変だわ。普通はもっと驚いて話が進まないのに。証明する為に魔法を使ったりするのよ。その度に驚いて、老いも若きも、【これ何?攻撃】して来て子供みたいになるのよ。その時間たるや鬱陶しい事、鬱陶しい事。この上ないくらいにね。まぁ、あんたはいきなり私を追い出すくらいだから、変なのは当然かもね」と微妙に周を変人扱いしながら猫は一匹で納得していた。
「でも、驚かないのはつまらないけど、話が早いに越した事はないわ。あんた異世界に来なさいよ。そのふてぶてしさ、あっちで生かせるかもしれないし」
「なんで俺が異世界に行くことになっているんだよ。決定事項みたいに語るな」
「というと思ってたわ。だからこっちに来ると良い事があるってのを説明してあげましょう。こっちの水は甘いのよ。物事を無駄に引っ張っても碌な事が無いし、答えてあげる。あんたが欲しいものなら知っているしね」
この会話の流れは予定調和だったのか、嫌らしい笑顔を浮かべる猫。
「当ててみろ」
周はなんとなく不気味な感覚を察知したが、そのまま進むことにした。
「あんたが欲しい物の一つは時間でしょ?それを与えてあげる」
猫はそう言いながら、ある場所に視線を飛ばした。
誘導されるように猫の視線を追い掛けた周の目に映るのは、積まれた本や数々のゲーム。
テレビの下まで視線を伸ばせば置いてあるのはレコーダー。その中を覗けば未視聴の番組が3桁を超えるのも直ぐにわかる。
周は猫如きに本質を理解されている事を悟った。
悔しいが猫の言う事は的を得ていたからだ。
周が二番目に欲しいものは時間だった。
それも何をしてもいい自由な時間。
最近、減り続けているそれ、潤いと言い換えてもいい。それこそ周に圧倒的に足りないものだった。
他人にとってはどうでもいい事かもしれない。
でも周にとっては違った。
だからこう言葉にすることになる。
「話を聞こう」
今まで聞く気がまるで無かった周の目の色はすっかり変わっていた。
現金なものね、という猫の勝ち誇った顔だけが癇に障った。