教師、異世界へ
勇者になりたい
そう思ったのはいつの頃だったか。
誰かのために勇気をもって戦う。
そんな存在にずっとなりたかった。
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「先生、さようなら!」
「さようなら、気をつけて帰るんだよ」
卒業証書を手にした教え子たちが、晴れやかな笑顔で帰っていった。
春。
それは、出会いと別れの季節。
「今年も一年、無事に終わりましたね」
となりで同じ学年を受け持った先輩が口を開いた。
「そうですね。今年も苦労しましたが、無事卒業できて何よりです」
満開の桜が散る中で、彼らの背中を見送りながら、二人で笑いあう。
生徒の前ではあまり表情を崩さない方だったが、今日ばかりは違うらしい。
「さぁ、のんびりしてはいられません。2週間もすれば、また新しい子供たちとの出会いが待っているのですから」
気持ちを切り替えるように踵を返し、先輩は校舎に戻っていった。
彼の背中を尻目に、遠ざかっていく生徒をじっと見つめる。
別れは必然。
分かっている。
仕方ない。
寂しい気持ちを振り払うように、校舎へと戻ろうとしたところで
「――――――――。」
「え?」
――――――――――――――誰かに呼ばれた、そんな気がした。
周囲を見渡しても、誰もいない。
いないはずの誰かを探す。
……いや、いた。
花びら舞い散る桜の木の下に、金色の髪の少女が立っていた。
「君は……?」
呼びかけても返事はない。
何かを訴えようと口を動かしているのに、何も聞こえてこない。
声が出ないのだろうか?
あるいは、恥ずかしがり屋で声が小さい……とか。
とにかく事情を聞くため近づこうとした俺の足下に
突如、闇が広がった。
「は?」
マヌケな声を出し、遊園地のバイキングに乗った時のようなヘソが引っ張られる感覚を味わう。
落ちる落ちる落ちるっていうか落ちてる!!!
「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!!!!!!!!」
絶叫、そして自由落下。
俺は闇の中へとひたすら落ちていった。
「勇者様、起きて下さい。勇者様」
「んん……」
パチパチと、木が燃えて弾ける音がした。
体をゆさぶられている。
硬く冷たい床が気持ちよい。
頭の下には、何かやわらかいものがある。
ん~?
「……ハッ!?」
「ひゃっ」
どこだ、ここは。
周囲は石壁に囲まれていて、どこかの建物の中にいるみたいだ。
部屋は薄暗く、壁の明かりがかろうじて周囲を照らしていた。部屋には彼女以外に人影は見えない。
明らかにさっきまで俺が居た学校とは違う。
なぜこんな場所にいるのか。
たしか、声が聞こえた気がして。それで少女がいて……足元の闇に落ちた。
穴か何かだったのか?いきなり俺の足元に穴が空くなんてどんなマジックだ。
手抜き工事か?
心配になって床に視線を落とすと、床にはチョークで書いたような白線が引かれてあった。
なんだこれ、模様か?
何やら魔方陣のようにも見えるが……。
「驚かせてしまってすいません」
スカートの裾を軽く手で払いながら、そばに居た人が立ち上がった。
「勇者様!今日という日を私は待ち望んでいました!」
「っ!」
俺の手をとり、満面の笑みで彼女は息巻いた。
近い、近いから。
年の頃は15,6といったところか、まだ幼さが残る顔立ちだ。
白磁のような肌と、この薄暗い部屋でも輝いてみえる、長くサラサラとした金髪。
何よりも、見ていると吸い込まれそうな碧い瞳が印象的だった。
日本人離れどころか、人間離れした容姿だ。
そして、たわわに育った胸部の存在感が俺を圧倒していた。
「ありがとうございます」
「へ?なにがですか?」
「いや、大変立派なものをお持ちで……」
「……?」
ただのセクハラだった。
おまわりさん、コイツです。
そうか、さっきのやわらかい感触。膝枕されてたのか、俺は。
クソッ!もったいない!あまり感触を思い出せねぇ!
……いやいや、今はそんなこと言ってる場合じゃない。
日本語が通じるようで、一安心した。
「ここはどこですか?」
「ここはルイーナ聖王国です」
「ルイーナ聖王国?ここは日本ですよね?」
「ニホン……?それが勇者様の国の名前ですか?」
話がかみ合わなかった。
場所を聞いたはずが、国名が出てきた。
てか、勇者って……ドッキリか?カメラはどこだよ。
とにかく、今自分が置かれている状況を知りたかった。
「君、悪いけどお父さんかお母さんを呼んできてくれないか?」
「!……そうですね!まずは父上と母上にご報告です!勇者様、参りましょう」
少女に手を引かれ、部屋の出口へと向かう。
頑丈そうな金属の扉を開け、彼女に導かれるまま外に出たその先の光景で、
俺は呆気に取られた。
そこは屋外だった。
今まで居た部屋は建物の屋上にあったようで、遠く眼下には街と海が見える。
冷たい夜風が頬をなでる。
予感はあった。
屋外で倒れた俺のそばに、同僚ではなく少女がいたこと。
俺のことを「勇者」と呼ぶこと。
そしてこの景色。
そう、いくら建物が高いからと言っても、俺の居た場所は内陸県だ。
海など見えるはずがない。
ましてや、空に月が二つ浮かんでいるはずがない。
間違いない。
ここは漫画やゲームやアニメに出てくるような『異世界』だ。
「勇者様、申し遅れました」
あまりにも非現実的な風景を前に呆然としている俺の前で、美少女は「そういえば」と、立ち止まって手を離しこちらに振り返った。
「自己紹介がまだでしたね。私はルイーナ聖王国第三皇女、リース・フォン・ルイーナと申します」
スカートの裾をつまみ、優雅なしぐさであいさつしてみせた。
「どうか、この世界をお救いください」
春。
それは教師にとって、出会いと別れの季節。
俺は、異世界でリースと出会った。