第9話:豆腐ダンジョン誕生
「さてノーフおすすめのダイズ23号も買ったし、後は待つだけなんだよね」
「そうですね。およそ10分で地表部分に穴が開きダンジョンが接続されます」
やるべきことを終えた舞たちはダンジョンの開通を待っていた。土の状態を見たノーフおすすめのダイズ23号を残りのHPで購入(眷属召喚)し既にノーフは地面に線を引いて畑を作る準備を始めている。舞たちも手伝おうとしたのだがノーフのこだわりがあるらしく断られていた。
当初の目途が立てば手伝うこともあるし、作り方も教えてくれるという事だったので舞はとりあえずノーフに任せることにしてホタルと共にダンジョンの開通を待つことにしたのだ。
舞の胸の内は複雑だった。人間から豆腐に生まれ変わってしまったし、突然ダンジョンマスターなんていう訳のわからないものにされてしまったのだから当然だ。しかし死んだはずなのに父親の姿を再び見ることができたし、ダンジョンが開通すれば弟の司に会えるかもしれないのだ。だから不安でありながらも舞はこの開通を楽しみにしていた。
そしてふと思い出す。自分が人間として死んでしまった時の状況を。舞が普通に歩いていたらいきなり地面が崩れ直径2メートル、高さ5メートルほどの穴が開いたという事を。
舞が体から少し液体を流しながらホタルへと向く。
「えっとホタル、開通するときってどんな感じになるの?」
「そうですね。何もしなければ舞が死亡した時と同じように穴が開きます。豆腐の舞が地面に落ちた場所へと」
「ええっ、それは困るよ。あそこは豆腐を作る機械がいっぱいあるし、衛生上そんな入口があったら豆腐も作れなくなっちゃう。入り口って動かせないの?」
「動かせないこともありませんが5メートル程度しか無理ですよ」
「5メートルね。ちょっと待って」
舞が必死に頭を回転させる。16年住み続けた家だ。その姿は目をつぶっていても思い出すことが出来る。
(お父さんが豆腐を切断する直前に落ちたから場所としては調理場の中央付近のはず。調理場は駄目だし南は店舗が、北は冷蔵庫があるから無理。西はお隣の山口さんの家だし東しかない。東は豆腐屋の部分と通路を挟んで住宅用のキッチンと居間があるけれど床下なら大丈夫? でも家の基礎の部分とかに穴が開いても大丈夫なの? というか……)
「このダンジョンって家の重みとかで潰れないよね? それにこの1階層なんて壁もなくしちゃったけど大丈夫だったの?」
「はい、ダンジョン内は別次元になっていますので実際に地中にあるわけではありません。出入り口部分だけが地球と接続されていると考えてください」
舞が少し安堵する。家の重みで地面が崩壊するという事はとりあえずなさそうだと。と言うより事前にそのことに気付かなかった自分に呆れていた。もし本当に地中にダンジョンが出来ていたら1階層の壁をくりぬいた段階で地表の家の重みに耐えられずに大きな被害を出していたかもしれないのだ。
動揺していたからと言って家族だけでなくご近所の知り合いにも被害を及ぼしていたかもしれないと舞は少し落ち込んだ。しかし今はそんな時間はないとすぐに気を取り直す。
「じゃあ東に4メートルくらい移動させて居間の隅の床下に……」
「出入り口部分にすぐに出入りできないような障害物があるとダンジョンの機能により吹き飛ぶようですが大丈夫ですか?」
「誰よ、そんな無駄な機能付けたの!」
「神です。封鎖されては面白くないからと言っていました」
ホタルの返答に舞ががっくりと肩を落とす。ホタルが嘘を吐くはずはないし、無表情の中に若干憐れむような色を感じるのでそれは真実だと舞は判断した。居間が吹き飛んでしまえば大惨事だ。それは回避しなければならない。
いっそのこと家の外にとも考えたが、舞の家があるのは商店街の一角なので庭は無いし店舗前はこの商店街に来るお客さんや駅に向かう人がいるのでなかなか人通りが多い。そんな場所にいきなり穴を開けるのは危険だ。舞の脳裏に常連の3人が穴に落ちていく光景がありありと映し出される。それをぶんぶんと体を横に振ってかき消した。
「被害が出ない家の中で出入り口が封鎖されていない場所……」
「舞、あと2分です」
「ええっ、ちょっと待って!」
「無理です」
ホタルの非情な通告を聞きながら舞は考え続ける。
(出入り口が封鎖されていない場所だよね。店舗スペースに余分な場所はないし、通路はそこまで広くないし、やっぱり床下しかない。でも床下に行けるような通路なんてうちには……)
そこまで考えて舞がはたと気付いた。通路は確かにないけれどシロアリの駆除の点検とかで床下に業者の人に潜ってもらう時に使う場所があることを。
「ホタル、南東の台所の床下収納の真下に入り口を設置して! そこならそれをどければ簡単に出入りできるはずだから吹き飛ばされないよね?」
「わかりません」
「うー、仕方がないしやって。調理場に穴が出来るよりはましだと思うから」
「わかりました。接続場所の設定を変更。接続まで5、4、3、2、1。接続します」
「お願い!」
舞が魔法の手を合わせて神に祈る。ダンジョンの入り口を吹き飛ばすかどうかを決めたのは神なので本当の意味で神頼みである。
舞の見上げる天井に向けてダンジョンコアから魔法陣が飛んでいきそこに張り付くと2メートルほどの大きさになり回転を始めた。そして一際強い光を放つとまるでその部分だけが切り取られたかのように豆腐の天井がかき消える。そこには正方形のプラスチック出っ張りと床板の裏側があった。
舞とホタルがじっとそこを見つめる。
1秒、2秒、3秒。
何も起こらず時が過ぎていった。
しばらくして舞がほっと胸を撫で下ろした。安心感とともに見えている四角いプラスチックの床下収納に懐かしさを感じ始めた。母親のいない舞の家では小学校高学年あたりから料理などの家事は舞の担当だったのだ。もちろん他の家事は父親や弟の司も手伝ってくれていたが、台所関係の家事に関しては舞も好きだったのでほとんどこなしていたのだ。
あの床下収納には舞が特売で買った醤油や酒、みりんなどの調味料の他に常連の南のおばあちゃんに分けてもらった……などと懐かしく舞が考えている時だった。
ポフン!
「えっ?」
気の抜けるような音に思考を中断した舞が見たのは先ほどの床下収納が落下し始め、その上にあったはずの蓋が消えてぽっかりと穴が開いてしまっている光景だった。その穴の向こうにはテーブルの裏側に赤と青のペンで書かれた見覚えのある落書きが見えていた。
「小規模な爆発を確認しました。安心してください、舞。被害はあの箱とその蓋だけのようです。」
「ううっ、家族に被害が出なかったのは良かったけど、複雑な気分……」
なまじ一度大丈夫だと思ってしまっただけに舞のショックは大きかった。しかし吹き飛ぶと言う物騒な表現のわりにこの程度で済んで良かったとも心のどこかで理解してもいた。
そんな2人の元に落下してきた床下収納の箱を見事にキャッチしたノーフが近づいてくる。
「なんの騒ぎだ? そしてこれはなんだ?」
床下収納を持ち上げるノーフに舞とホタルが経緯を説明していく。何度もうなずきながら聞き、神が吹き飛ばす機能をつけたと知ったノーフは嫌そうな顔をする。舞はそれを苦笑いで見ていた。若干ノーフの気持ちがわかった気がしたのだ。
「まあ、無事繫がったと言うことだな」
「そうだね」
「ではこれはお前の家のものという訳か」
ノーフの言葉に舞がその箱を覗き込む。記憶にある調味料の買い置きの中で黄色のふたのバケツが一際異彩を放っていた。それを見て舞が微笑む。そしてその視線にノーフとホタルが気づいた。
「これはなんですか、舞?」
「これはぬか床だよ。中にキュウリとかが漬かっていて取り出して食べると美味しいの」
「美味しいのですね」
その言葉を聞いたホタルか即座にその蓋を開けた。ぬかと少し酸っぱい匂いが辺りに漂いノーフが顔をしかめる。
「これを食べるのか?」
「違う違う。これはぬかだからこの中から……」
湿り気のある茶色の土のようなものの中に魔法の手を躊躇なく突っ込んだ舞の姿にノーフが一歩退いた。逆にホタルはそこから何が出てくるのかと身を乗り出して見ている。
しばらくぬかをかき回していた舞がその中から細長い緑のものを取り出し、それに付いていたぬかを手で落とす。
「はいっ、定番のきゅうりのぬか漬けだよ。食べる?」
「いや、俺は……」
「いただきます」
尻込みするノーフをよそにホタルはきゅうりのぬか漬けを受け取るとそのまま口へと運びもぐもぐと食べ始めた。
「おい、大丈夫なのか?」
「変わった味ですがなかなかです」
「そうだよ。食べず嫌いは良くないよ。それにぬか漬けって毎日かき混ぜる必要があるし、雑菌が多い手で混ぜると腐る……はっ!」
「なんだ? やはり腐ってるのか?」
言葉の途中でなにかに気づいて次の言葉を止めた舞に2人の視線が集まる。そんな2人に舞は重大な真実に気づいてしまった哲学者のような顔で口を開いた。
「……魔法の手はぬか床を混ぜるのに最適かも」
「なにもったいぶってんだ、お前は!」
「いったー!!」
ノーフのデコピンをくらいのたうつ舞をホタルがきゅうりのぬか漬けをかじりながら無表情で見下ろしていた。
ダンジョンで豆腐によるきゅうりのぬか漬けですよ。




