第4話:農夫と天使
ノームではなく農夫であったことは残念だけどまあ大豆を育てるなら農夫でも問題ないよね、と舞が心の中で決着をつける。どちらにせよ話を聞かなければ何をしていいのかさえわからないのだ。
「ところで農夫さん」
「だから農夫ではないと言っているだろうが。俺にはノーフォリア・キシュレハウザーと言う名が……」
「ノーフォリアさんですか。あっ、名前までノーフなんですね。じゃあノーフさんって呼んでもいいですか? ちょっと長いですし」
「貴様、あまり調子に乗るなよ!」
ノーフォリアが舞に向かって手を掲げるとその手の先から紅蓮の炎が出現し、その炎が渦となって舞へと襲い掛かる。ごうごうと音を鳴らしながらたっぷり数十秒そこにとどまった炎はノーフォリアが腕を下ろした瞬間に幻だったかのように消えた。
その空間にあるすべての物は焼き尽くされ灰1つ残っていないはずだった。しかしそこには寸分たがわぬ真っ白な四角い豆腐が立っていた。もちろん舞だ。
「うわっ、焼き豆腐になるかと思った。すごいですね。でも水切りもせずに絹ごし豆腐で焼き豆腐は作れないですよ」
「貴様、なぜ生きている!?」
「えっ、わざと避けてくれたんじゃないんですか?」
舞からしてみれば自分の周囲を炎が包み込んでいたが自分には届いていないし熱くもなかったのでてっきり自分を避けてくれたんだと思い込んでいたのだ。当然ノーフォリアにはそんな気は全くない。消し炭さえ残さないつもりの全力で炎を放ったのだから当たり前だ。
『使い魔は主人には危害を加えることは出来ません』
「俺が使い魔だと!? ふざけるな!」
『ふざけていません。事実です』
ノーフォリアが舞に向かって拳を振るう。そのあまりの速さに舞は目で追うことなどできず、目の前数十センチで拳が止まっているのを見て初めて殴られそうになったのだと気付いた。その拳はプルプルと震えているがそれ以上前に進むことは出来ない。
「ちっ、本当のようだな」
ノーフォリアが拳を引き憎々し気に天を見上げる。それを見て何となく舞は申し訳ない気持ちになった。勝手に呼び出されて勝手に使い魔にされて、それに反抗することさえ出来ないのだから。
「なんかごめんなさい」
身動きのほとんどとれない体を精一杯曲げて舞が謝る。ノーフォリアの顔が舞の方を向き怪訝な表情で見下ろしてきた。
「なぜおまえが謝る?」
「よくわからないですけれど、使い魔としてノーフを選んだのは私ですし、そのせいでノーフォリアさんを使い魔にしてしまったから……本当にごめんなさい」
ノーフォリアの腕が舞に伸びてくる。危害を加えられることはない、そう理解はしているが舞は思わず頭を下げて目を閉じた。しかしいつまで経っても何も起こることはなく、舞が薄目を開け少し頭を上げる。その瞬間ノーフォリアのデコピンが舞を痛打した。
「いったー!!」
「ふむ、この程度なら問題は無いようだな」
「えっとノーフォリ、アさん?」
あまりの痛さに涙目になりながら舞がノーフォリアを見上げる。それに気づいたノーフォリアは一瞬優しい笑みを浮かべ、そしてすぐにそっぽを向きそして舞に向かって手を差し出した。
「ノーフで良い。どうせお前も神の犠牲者なのだろう。誰もいない神の畑で永遠誰にも食べられない野菜を作るのにも飽き飽きしていたところだ。暇つぶしにお前の使い魔になってやろう」
ノーフォリアの不器用な優しさを感じ取り舞は笑みを浮かべ、そして魔法の手でノーフォリアの手を握りぶんぶん上下に振った。
「ノーフさん……じゃあ私のことも舞って呼んでください」
「それは断る」
ノーフがうっとおしそうな顔をしつつ、舞の魔法の手を反対の手でつかむとぺいっと放り投げる。魔法の手ははるか彼方へと飛んでいき最後のきらめきを残し星になって消えていく。その光景を舞は唖然としたまま見ていた。
「何するんですか!?」
「俺は俺が認めたやつ以外は名前で呼ぶつもりはない。お前などお前で十分だ」
「ノーフさん、考え方が古いです!」
「知るか!」
ギャーギャーと豆腐と頭から角を生やした長身の男が言い争うという他から見ればシュールを通り越して意味が分からないやりとりがしばらく続いた。そして一歩も譲らない両者の争いに終止符を打ったのはいきなり光を放ち始めたディスプレイだった。
『無事使い魔を選択でき良かったですね』
「えっと、ごめんなさい」
言葉とは裏腹の冷たい声色に瞬時に舞は頭を下げて謝った。最初は機械みたいだとかキャリアウーマンみたいだとか思った天使のことが舞には少しずつわかって来ていたからだ。一方でノーフは腕組みをしながら不服そうにそのディスプレイを見つめる。
『冗談です。最後の仕事で面白いものを見せていただいたので真似してみました。面白かったですか』
「ええっと、まあ」
乾いた笑いを浮かべながら舞は言葉を濁した。そして何か話題を変えられるものはないかと考え、そして気づいた。
「あれっ、天使さんのお仕事ってこれで終わりなんですか?」
『はい、あなたが最後の対象者です』
へー、とのんきな声を上げる舞とは対照的にノーフの目が細く鋭くなる。そしてその表情にはどこか憐れむような感情が見て取れた。
「では貴様は消えるのだな」
『はい』
「えっ、どういうこと!?」
舞が驚きの表情でディスプレイとノーフの間を交互に視線をさまよわせる。
『天使は神の一部なのです。仕事を与えられた仮初の存在に過ぎません。仕事が終わればまた神の元へと戻る、それが摂理です』
「ふん、愚かで哀れな存在だ」
『かもしれません。でもそれが摂理です。だから悲しまなくて良いです』
「でも……せっかく仲良くなれたのに……」
舞の豆腐ボディの表面からはとめどなく液体が流れ、それが地面に水たまりを作っていた。天使の今までになく優しい声がそれはまぎれもない事実だと告げていた。短い時間でしかも交わした言葉は少なく、相手の姿さえ見えなかったが舞は天使が自分のことを気遣ってくれたことに気づいていた。
豆腐に生まれ変わるという異常事態の中で普通に会話してくれる天使の存在に舞は確かに救われていたのだ。
『今回私は様々な生き物と接しました。怒り、悲しみ、憎しみ、諦め、様々な感情を見てきました。その中でも舞、あなたとのやり取りは楽しかったですよ』
「天使さん……」
初めて名前を呼ばれたことに気づいた舞が涙を流しながらも顔をしっかりと上げる。それと合わせるかのようにディスプレイのから光の粒が飛び始め、それは上空へと昇っていく。それはまるで舞の門出を天使が祝福しているような美しい光景だった。いや実際そうなのかもしれない。
『さよなら、舞。使い魔によく説明を聞き後悔のない選択をしなさい。あなたのダンジョンマスターとしての新しい生が良きものであることを願っています』
「うん」
その言葉を待っていたかのようにディスプレイがパンっと弾けて消え失せ、今までと比べ物にならないほどの光の粒がその場に溢れた。そしてその光の粒は舞の前へとやってくると女性の人型を取り、ぎこちなくおぼろげではあるが確かに舞に微笑んだ。舞も顔を合わせ笑顔で返す。天使との最後の別れが笑顔で終わるようにと。
天使はコクリとうなずくとその背の光の翼を広げ、天高く飛び上がろうとし……
「ちょっと待て。ダンジョンマスターとは何だ?」
「えっ!?」
『えっ!?』
ノーフのそんな言葉で止められた。
「あれっ、使い魔から説明してもらえるんですよね?」
『少々お待ちを。使い魔の知識不足を確認、報告。えっ、そんな、あっ、あっ、アッ……』
「大丈夫ですか!?」
壊れたレコードのように言葉を繰り返す天使の様子に舞が声を上げて心配する。天使を形作っていた光の粒がぐるぐると回り始め、そして1か所に集まると丸い卵状になり、それがぴしぴしと音を立てながらひび割れていく。
そしてそのひびが最後まで達すると卵状の殻が再び光の粒となって天へと昇って行った。消えた卵の殻のあとには10歳くらいの白い翼を持つ金髪の少女が地面にうずくまり眠る猫のように丸くなっていた。
いよいよ、やわらかダンジョン始動です。
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