最終話:やわらかダンジョンよ、永遠に
わらわらとダンジョンの穴から這い出してくるのは蟻の群れだ。しかし蟻とは言ってもその大きさは人の2倍ほどあり、ぎちぎちと歯を鳴らしながら出てくるという話だけを聞けば安物のパニック映画のようだがそれが現実ともなるとその威圧感は圧倒的だった。
そんな蟻たちに向けて銃弾が飛んでいくが当たり所が悪ければその表面ではじかれ、たとえ貫通したとしても簡単には倒れるようなことは無かった。物量作戦で押しとどめてはいるがほどなくその前線が崩れることはこの場にいる誰もがわかっていた。
『くそっ、増援はまだなのか!?』
『抜かせん、ここを抜かせはせん! この町には俺の家族がいるんだぞ!』
この蟻のダンジョンを警備していたアメリカ陸軍の軍人たちはみな必死の形相で対抗していた。しかし少しずつ、少しずつ、味方の屍を乗り越え蟻たちは包囲網へと迫ってくる。
『避けろ、酸だ!』
『うわぁぁあ!!』
『衛生兵、衛生兵!』
『あぁ、神よ!』
蟻が尻から噴射した酸を腕にくらい転げまわりながら悲鳴を上げる男を仲間がひきずっていき担架に乗せて運び出した衛生兵が応急処置をしていく。包囲網は次第に薄くなり、そして誰もが崩壊の二文字を頭に浮かべた。
そんな時である。ふらっと黒髪の少年がその現場へと現れたのは。
『えっと、貴方が、ここの責任者、で良いんですよね』
『どうしてここに少年がいるんだ。曹長、なぜこんな死地に連れてきた!』
『この少年が日本から派遣された勇者だそうです』
『なんだと!?』
屈強な古強者と言った感じの軍人が驚きに動きを止める中、あまり英語の得意ではない黒髪の少年は首を傾げていた。何となくブレイブという言葉は聞き取れたので自分の事を話しているのだろうとは想像がついたのだが、少年自身ブレイブと呼ばれることを恥ずかしく思っていたので視線を2人から逸らし戦況を見た。
「あっ、まずい」
『おい、少年!』
軍人が注意しようとした時には既にその少年はそこにはいなかった。飛んできた酸をくらいそうになっていた者を引き倒し、そして銃弾が飛び交う戦場へと身を投げ出したのだ。その信じられない行為に一瞬動きを止めた指揮官は、先ほどまで銃でも倒すことが困難だった蟻たちがまるで紙切れのように折られて動きを止めていく姿に開いた口が塞がらなくなってしまう。そこで行われているのは圧倒的強者による蹂躙。それ以外の何物でもなかった。
「うわっ、結構多そうだな。しかも蟻かー。やっぱりダンジョンマスターは女王蟻とかなのかな。話し合いが出来ればいいんだけど」
少年はそんなことを呟きながらダンジョンの出入り口へと向かって歩いていく。そしてふと気づいたように指揮官の方を振り返り、ちょっと買い物へ行ってくると言うような気軽さと笑顔で告げた。
『ちょっと、話し合い、をしてきます』
『あ、あぁ』
指揮官の半ば放心したような返事を聞き満足した少年はためらいも無くダンジョンの中へと入って行った。残されたのは先ほどまで必死に防衛をしていた軍人たちと無数の巨大な蟻の死体だけである。
『あれが勇者ツカサですか』
『日本にはとんでもない奴がいるな。銃も弾くようなモンスターを素手で倒していくとはあれがカラテというのか?』
『噂では気の力で敵を遠くから倒すとか』
『そいつはクールだな。さて俺たちも今のうちに態勢を立て直すぞ』
『サー、イエスサー』
軍人たちが再度の蟻たちの侵攻に備えて態勢を整えていく。しかし司が侵入してから少量の蟻たちが出てくることはあったが当初のような大群が出てくることは無くなっていた。
そして18時間後、ずたぼろになったダンジョンマスターである女王蟻を引きずり司がダンジョンから出てくると周囲は大きな歓声に包まれたのだった。
所変わって日本のある地方都市、ダンジョンが出現したことで一時期はゴーストタウン化した町は活気を取り戻し始めていた。少年や少女が楽しそうに笑い、老人が日向ぼっこをしながら世間話に花を咲かせていた。
ウゥー!!
そんな平和を破るかのようにサイレンの音が突然響き渡る。しかし誰もそんなことを気にしている様子はない。いや、数人の学生たちがサイレンが鳴った瞬間にある方向へと向かって走り始めていたが。
「おいっ、どっちが多く倒せるか競争な」
「今のところ5勝4敗3分けだから、突き放させてもらうぜ」
「うわっ、覚えてるのかよ」
笑いながら駆けていく少年たちが向かうのはこの町にある通称ネズミダンジョンだ。先ほどのサイレンはそのダンジョンからネズミのモンスターが出現したことを知らせるものだった。このダンジョンはネズミだけに繁殖力が高く定期的にこうしてモンスターが外に出てくるのだ。
その大きさは人の大きさほどもあり、瞬発力なども桁違いであるため他国であれば軍人たちが対応するような事態である。しかし現在の日本ではちょっとしたイベント程度の扱いになっていた。
ダンジョンで作られた豆腐を食べるとレベルアップすることが判明した政府は安全性を確認し、即座に全国民にその豆腐を食べるようにと舵を切った。豆腐が好きではない者ももちろんいたが、レベルアップが出来ると言う魅力、そして他国の危機的な状況に政府の判断を批判はしても食べないというものはごく少数だった。そしてその豆腐のあまりの美味しさに虜になる者も多数現れた。
毎日無料で配給される豆腐を食べることで日本国民のレベルはぐんぐんと上がっていき、現在では並みのモンスターであれば小学1年生でも抵抗できてしまうある種異常な状況になっていた。
またそのあおりを受けて潰れてしまう豆腐店などもあったが、豆腐を作れる人材は貴重であるため豆腐ダンジョンへと勧誘され、渋っていた者達も食べた豆腐の美味しさに納得はしていたので結局多くの豆腐屋の人材がダンジョンへと行くことになっていた。そして更に生産性が上がり、レベルアップも進むと言う好循環を生み出していくことになる。
現在日本は名実ともに世界で最も安全な国となっていたのである。
外の世界が劇的に変化していく中、豆腐ダンジョンでは……
「お父さん、やっぱりダイスキダイズの豆腐を超える豆腐って難しいね」
「ふむ、しかし厚揚げなどにするのであれば混合したものの方が出来は良い。可能性はある」
「うん、そうだよね」
ダンジョンの最下層である500階層に作られた食品工場の中で舞と修が出来上がった豆腐の味を確かめながら議論を交わしていた。2人が目指す究極の豆腐への道は遥か遠くであるが楽しそうに豆腐づくりに精を出していた。
その少し離れたところに用意された食卓にはホタルとノーフがおり、出来上がった豆腐へと箸をのばしていた。
「ムグムグ。十分美味しいと思いますが」
「お前は何でも美味しいと言って食べるからな」
「ではノーフは美味しくないと言うのですか?」
「そんなことは言ってない」
2人か豆腐の味に満足しているのはその止まらない箸を見れば誰の目にも明らかだった。
その時、光の粒子が突然現れ空いていた1つの椅子へと生意気そうな少年が現れる。それに気づいたノーフとホタルの顔が不満げに歪む。
「やっほー、舞ちゃん。豆腐を食べに来たよ」
「あっ、神様。どうぞどうぞ」
神に気軽に呼びかけられた舞が手を振り返す。神の出現に驚いた様子は全くない。それもそのはずで最近は週に一度は豆腐を食べに来ているので慣れてしまったのだ。
一方ノーフとホタルの顔は不機嫌さを隠そうともしていなかった。
「そんな顔で食べていたらせっかくの豆腐が不味くならない、ノーフ、ホタル?」
「気軽に名を呼ぶな駄神が」
「近寄らないで下さい。せっかくの豆腐が穢れます」
「ははっ、相変わらず嫌われてるねぇ」
そんなことを言いつつも全く気にした様子もなくテーブルの上に用意された豆腐を皿に取り器用に神が箸で豆腐を食べていく。重々しい空気をノーフとホタルが発しているがかけらも影響はしていなかった。改めてそのことに気づき2人が深いため息をつく。
「はいっ、新作だよ。まだまだ完成にはほど遠いけど」
切り分けられた作りたての豆腐を持って舞がそんな3人の元へとやって来る。舞の登場にホタルが立ち上がりそっとその背後へ隠れた。
「舞、無銭飲食常習者です。追い払ってください」
「うーん、別にお金をとってる訳じゃないし。2人ともいい加減仲良くしたら?」
「ありえん」
「テロリストには屈しないのが国際常識です」
2人のいつも通りの反応に舞と神が苦笑いをしていた。
「ふぅ、ごちそうさま。今日も美味しかったよ」
「いえいえ、どういたしまして」
神が丸くなったお腹をさすりながら満足そうに箸を置いた。目の前にあった豆腐の山は嘘のように消え去っている。明らかに入った量とポッコリと膨れたお腹では釣り合いが取れないのだが舞は全く気にしていなかった。ちなみにノーフとホタルは一緒にいると病気になると言って早々に自分たちの仕事場に帰っていきここにはもういなかった。
片付けを始めた舞が違和感に気づく。いつもなら食べたらすぐに帰るはずの神がじっと自分を見ていたのだ。
「何かありましたか?」
そんな舞の言葉に神は曖昧に笑った。
「いや、何で君は願い事をしないんだろうと思ってね。ポイントはとっくに貯まっているだろう? それで最高の豆腐の作り方を聞けばわかるのに。失敗ばかり繰り返して疲れないのかい?」
そんな問いかけに舞は少し驚き、そしてあっけらかんと笑い始めた。
「そんなもったいないことしませんよ」
「もったいない?」
「はい、だってせっかく自由に豆腐が作れるんですよ。お金の心配もしなくて良いし。そりゃあ失敗が続けば落ち込みますけど、豆腐メンタルで頑張るって決めましたから」
舞のそんな言葉に神は驚いた顔をし、そしてニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「好きだね。豆腐メンタルって言葉」
「はい。豆腐は崩れやすいですけど、どんなに崩れても美味しいですし工夫次第でどんな料理にも変われるんです。諦めなければどんなに凹んで崩れてしまってもやり直しが出来るってことがわかる素敵な言葉ですよね」
「いや、それの本当の意味は……」
神が舞に真実を告げようとしたその時、ドタドタと音を立てながら絵麻が工場へと入ってきた。もちろん舞に怒られるのでしっかりと衛生服に着替えているがほとんど顔の隠れているにも関わらずその焦りは伝わっていた。
「舞ちゃーん、ノーフさんとホタルちゃんが喧嘩し始めちゃったの。助けてー」
「えぇー、またなの。すみません、失礼します。神様もいつでも豆腐を食べに来て下さいね」
絵麻に連れられ舞が工場の外へと去っていきテーブルには神だけが残された。黙々と豆腐を作り続ける修の姿を視界におさめながら神は無邪気に笑った。
「まぁ、いっか。じゃあ僕も見習って豆腐メンタルで頑張ろっかな」
光の粒子が天へと登っていきその姿がかき消える。工場には豆腐を作るマメスターシリーズの音だけが響いていた。
「こらー、ノーフ、ホタル! 2人とも喧嘩しないの。絵麻さんが困ってるでしょ」
「チクリですか。見損ないましたよ、絵麻」
「自ら止める努力もせずにあっさりと他人を頼るからお前はレベルが上がっても半人前なんだ。少しは司を見習え!」
「私? 何で私が責められてるの?」
絵麻が驚き、意気投合したノーフとホタルがそんな絵麻に文句を続け、それを舞がとりなしてたしなめる。いつも通りの姿がそこにはあった。騒がしくも楽しく笑いに溢れた充実した日々だ。
豆腐のやわらかダンジョンは今日も平和だった。
最後までお読みいただきありがとうございます。当初の2倍の文章量になってしまいましたが今回で完結です。
お付き合いありがとうございました。
なお「東風 舞」先生の代表作「豆腐の女王とおからの騎士」も応援よろしくお願いいたします。(大嘘)
とうふ うまい……あなたは気づいていましたか?




