第36話:豆腐工場
滑りにくい清潔な緑色の床の上をペタペタと舞が歩いていた。ここに入る前に舞自身もクリーンルームでしっかりと汚れを落としているため汚れることもない。
舞は感動していた。目の前に燦然と輝く銀色の機械。そこに書かれている「マメスター」の文字に。
「ついに、ついに手に入れたよ」
「そんなに感動するものか?」
抗菌用の真っ白な服に身を包みマスクをした格好のノーフが呆れたように言うが、打ち震える舞の様子を見ればそれは一目瞭然だった。
「だって、ま、ま、マメスターシリーズだよ! しかも最新式! しかも巨大な冷蔵庫のついたこんな工場まで作れるなんてダンジョンってすごいよ!」
「わかった、わかったからまず落ち着け!」
ぐいぐいと迫ってくる舞をノーフが掴んで止める。しかし興奮した舞はそんなことにも気づかずにプルプルと体を揺らして喜びを表現していた。
「良かったですね、舞」
「うん」
ノーフと同じ白い抗菌服から羽だけを出したホタルが工場内の見回りを終えて戻ってきた。とは言え工場の広さは大豆畑2区画分つまり縦100メートル、横200メートルの巨大な建物であるのに対し、入っている機械はマメスターシリーズ全てとは言え一式のみであるためがらんとした印象は拭えないのだが。
ちなみにこの工場は、ダンジョンの施設としてあった食品工場(中)という施設である。サイズが極小から極大まであったのだが、説明に具体的な大きさが記載されていなかったため中を選んだ結果、こんな巨大な工場が設置されたのだった。
最初は驚いていた舞だったが、食品工場らしく衛生的な造りをしており、巨大な冷蔵庫や冷凍庫に加えて休憩室やシャワー室まで設置されているこの工場を今では気に入っていた。1階層の階段付近に設置されているため、休憩室などは現在ダンジョンで働いている局員の人達の休憩所としてしっかり活用する予定だった。
当初は1階層だけで始まったダンジョンの畑の貸し出しであったが、その効果が実証されるとより広範囲、そして大人数による畑の貸し出しを舞たちは打診され、そしてそれを受け入れていた。現在では10階層までが貸し出されており、多くの局員が日々大豆の育成に汗を流している。そのため3階層に作られた海は11階層へと移されており、現在は山岸を中心として豆腐に合う究極のにがり造りが行われていた。
人類のレベルが上がることの危険性についてノーフは危惧していたが、それでも限られた人数では畑を耕せる範囲も限られてしまい、目標とするポイントを貯めるためには仕方がないと妥協したのだ。
今の豆腐ダンジョンは舞たちが耕さなくても勝手に局員が大豆を育てるので結構な勢いでポイントが貯まっていっていた。だからこそ舞は工場を建て、豆腐作りへと専念しようと決めたのだ。
「ありがとう、ノーフ。じゃあ私とホタルはここで豆腐作りを頑張るから、司のことをお願いね」
「ああ、任せろ。まだまだひよっこだが根性だけはあるからな」
「舞、知っていますか。ノーフは弟子が出来たのが嬉しくて夜にニマニマ笑いながら育成計画を立てているのですよ」
「ええっ、そうなの!?」
「嘘を吐くな、嘘を! 俺は舞の頼みで仕方なく教えているだけだ」
いつも通りノーフがホタルを掴もうとし、ホタルがそれを察して即座に逃げようと体を動かした。しかしその動きが進むことは無かった。
「食品を扱う場所でバタバタしない!」
「あぁ、悪い」
「すみません、舞」
2人が動き出す気配に即座に反応した舞が一喝したからだ。豆腐作りに関してはかなり厳しいことを知っているノーフとホタルが即座に頭を下げて謝った。この状態の舞を怒らせると面倒なことになることを2人とも重々承知していた。
「では俺は行く」
逃げるようにして去っていくノーフを見送り、舞とホタルが豆腐作りを始める。先ほど怒ったことが夢であるかのように上機嫌で豆腐作りをしていく舞を手助けしながら、ホタルは完成するだろう豆腐を想像し、ごくりと唾を飲み込むのだった。
豆腐作りは簡単なようで奥が深い。同じ種類の大豆だけで豆腐を作るということもあるが、味の調整や品質を一定に保つためにいくつかの種類を混合して作ることもあるのだ。その割合や混合する種類などを考えればその条件は無限と言っても良いくらいだった。実際に東風豆腐店で今まで作られていた豆腐はいくつかの種類の大豆を混合した豆腐であった。修の長年の研究により決まったレシピではあるが、ダンジョン産の大豆と出会ったため修自身も楽しそうに研究の日々を過ごすことになった。
当初は舞と修2人一緒に豆腐作りをする予定だった。しかしダンジョンで豆腐が作れると知った修が別々に作ることを提案したのだ。店を営業しながら研究を続ける修と一緒に研究しようとすれば舞がそのフォローするように動くことを修は知っていた。そして舞が豆腐にかける情熱も知っていた。
だからこそ修は我が子を千尋の谷へ落とす覚悟で突き放したのだ。獅子ではなく豆腐なのだが。
そう言われた当初はショックを受けた舞だったが修の瞳の奥に自身を心配する色を読み取り、そして納得した。修が自分のことを考えてそう言ってくれているのだということを。だとすれば自分に出来ることはその気遣いに応えるために修よりも美味しい最高の豆腐を作ることで返すのだと舞は決意したのだ。
「まずは1種類ずつそれぞれの味を確かめながらベースとなる大豆を決めていこうかな。出来た豆腐は局員さんたちに配れば無駄にもならないしね」
「舞、私たちの分はないのですか?」
舞の言葉に少し不安そうな表情をするホタルを見て舞がプルプルと体を揺らす。
「私とホタルは味見をするし、ちゃんとご飯に使ってみんなの感想を聞くつもりだからしっかり食べられるよ」
「そうですか。それを聞いて安心しました」
「じゃあ頑張ろっか」
舞とホタルが豆腐作りを始める。この行為が更なる波紋を広げる結果になろうとはこの時2人は予想だにしていなかった。
その異変に気付いたのは舞たちが豆腐を作り始めて10日ほど経った時だった。絵麻が舞たちに相談をしたことから始まった。
「レベルの差が出始めただと?」
「はい。今までは同じ広さの畑を耕していて同じようにレベルが上がっていたんだけれど、ここ最近それにばらつきが出始めたんだそうです。佐藤さんが何か心当たりがあれば教えて欲しいと言っていました」
「へー。ノーフ、心当たりある?」
「いや、ダンジョン内では大豆の出来はほぼ一定だからな。そんなにばらつくとは考えづらいのだが……」
お昼を一緒に食べていた絵麻からされた質問にノーフが顔をしかめる。通常の畑であれば土地ごとの栄養の違いや気候、害虫被害などにより差が出ることは当たり前ではあるのだが、ダンジョン内での耕作に関してはほぼ一定の条件が整っているため出来もほとんど変わりがないはずなのだ。ノーフ自身、ダンジョンでこれまで大豆を育ててきてそれは正しいと考えていた。
「大豆の出来に変わりはないんだな」
「はい。報告をもらっている限りは今まで通りのはずです」
「不思議ですね。舞、そちらの豆腐のお代わりをお願いします」
「にーさんの方だね。ホタルはにーさんが好きだね」
「はい」
パクパクと豆腐を食べていたホタルが舞に向かって皿を差し出す。半丁ほどの冷ややっこを皿に乗せて舞が差し出すと、受け取ったホタルは醤油を少しだけかけ再び食事を再開させた。
「お前、ちっとも不思議に思っていないだろうが」
「いえ、思っていますよ。豆乳を絞った後のおからの色味を気にする程度には」
「例えがわかりにくいわ!」
「えっ、そう?」
舞の言葉にノーフが周りを見る。わかっていない顔をしていたのはノーフと絵麻の2人だけだった。状況に気づいたノーフに向かってホタルが小さく鼻を鳴らした。微妙ではあるが勝ち誇った笑みさえ浮かべている。
「チッ、まあ良い。傾向はないのか?」
「それがわかればわざわざ聞かないでしょう。畑だけでなく自分の頭まで耕してしまったのですか、ノーフ?」
「喧嘩を売りたいならすぐに買うぞ」
「そんなつもりはありません。思ったことをそのまま口にしただけです」
「なおさら悪いわ!」
今にも飛びかかりそうなノーフを舞が魔法の手で抑えながらホタルを叱る。そして落ち着きを取り戻したところで再び話し合いが始まった。
「特異な奴とかはいないのか?」
「1名、磯谷が突出してレベルが上がっていますが本人には自覚はないそうです。周りからの報告でも特に気になる点は……」
「磯谷さんって手紙をくれた磯谷さん?」
「うん、そうだよ」
その名前に聞き覚えのあった舞が思わず声を上げる。それに対して絵麻が笑いながら普段の口調で返した。
舞は先日、絵麻経由で磯谷から手紙をもらっていたのだ。その内容は差し入れの豆腐に対する感謝であり、舞だけでなくホタルも一緒に読んで喜んでいた。親しい人以外から感謝をされることなど久しかった舞は嬉し涙を流したのだ。
「良い手紙でした。豆腐が好きだという気持ちが伝わるような」
「うん、嬉しかったよね」
ホタルと舞がワイワイと楽しそうに話すのを聞きながらノーフは考えていた。豆腐が好きだからレベルが上がるなど常識では考えられないがこのダンジョン自体が常識外の存在なのだ。可能性としてはあるのかもしれないとノーフが考え始めたその時、司が手を上げた。
「その磯谷さんってダイエットと食事代節約のために姉ちゃん達の豆腐をバクバク食べてた人だよね。もしかして豆腐をいっぱい食べたからレベルアップしたとか?」
食卓を沈黙が支配した。
工場見学可能な今話題の工場です。試食もあるよ。




