第21話:害虫
舞たちが畑仕事を終え、絵麻が腰を押さえながらノタノタと去っていくのを見送る。ノーフと佐藤は既に大方の話し合いを数時間前に終えており、佐藤はその内容を報告するために既にダンジョンから去っていた。
ノーフから契約の概要を説明され、それを食事を作りながら聞いていた舞がへー、と生返事したことで握りつぶされそうになると言うハプニングもあったが何とか穏便に済みそうだと舞も理解して3人は食事を食べ、眠りについた。
その晩、深夜……
2階層の料理部屋の隣で3人で並んで寝ていた舞が妙な胸騒ぎを感じて目を覚ます。嫌な夢でも見たかとも思ったが全く覚えておらずそして胸騒ぎが静まることもなかった。
「なんだろう、これ」
「んっ、どうした?」
「舞、トイレですか?」
「違うよ! って言うか豆腐がトイレなんてしないよ!」
「いや、普通の豆腐は動かないし、話さないだろ」
肌を赤くして憤慨する舞にノーフがすかさず突っ込む。しかし夜であるせいかその突っ込みにはいつもの切れがなかった。
「うーん、わかんないなー。ごめんね、2人とも。起こしちゃって」
「気にするな」
「子守唄でも歌いますか?」
「うーん、ホタルの歌は聞いてみたい気がするけどまた今度ね。おやすみ」
舞が謝りそして3人が再び横になる。舞の胸騒ぎはそれからしばらくの間落ち着くことは無く寝苦しそうに舞はコロコロと転がるのだった。
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同時刻、1階層。
疑似太陽も外の時間に合わせて落ちダンジョン本来の薄暗闇が1階層を支配する中、1つの人影がそろそろと梯子を下りてダンジョンへと入ってきた。金髪に頭を染めたその男はきょろきょろと周りを見回し何かを探すようにライトで辺りを照らし始める。
「どこだよ。くそっ、ようやく見張りが消えて入れたってのに!」
男は憎々し気に悪態をつきながら辺りを探していく。数時間1階層を探し続けたその男は結局何も取らずに険しい表情のまま梯子を上ってダンジョンから出ていった。
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「舞、起きてください。大変です」
「んー、もう食べられません」
まだ5時を回らない早朝、ホタルが舞をゆさゆさと揺すり起こそうとしたが舞はその体をぷるぷると震えさせるだけでなかなか起きそうにもなかった。ノーフが少しうっとおしそうに2人に背を向ける中、ホタルは自身の中の知識から最適な行動を選択する。
「……とうっ」
舞から少し離れて背を向けたホタルが地面から2メートルほど浮かび、そして体を270度後方回転するようにジャンプし、さらに何度かひねりまで加えて落下していく。落下エネルギーに加えひねりのエネルギーまで加わったホタルの体が舞の体の中心へと叩きこまれた。
「ぶはぁ!」
「おはようございます、舞」
「うん、おはようって違うよ!」
「お前らうるさいぞ。朝ぐらい静かにしろ!」
跳ね起きた舞がホタルに抗議するがホタルはそんなことは全く意に介した様子もなかった。あまりのうるささに無視して寝続けようとしていたノーフが頭をガシガシと掻きあくびしながら不機嫌そうに起き上がる。
「なんでいきなり……あれっ、何かあった?」
ホタルを問い詰めようとした舞がホタルの表情から少しの変化を見て取りその言葉を止める。はた目にはほとんど変わっていないように見えるホタルの無表情の中に舞は焦りの感情を感じていた。
「大変なんです。にーさんが、にーさんが大変なことに!」
「えっ、にーさんが!! すぐに行かないと!」
「おい、ちょっと待て。何だ兄さんって。お前の兄がいるのか? って引っ張るんじゃねえ!」
頭に疑問符を浮かべたままのノーフを引っ張るようにして舞とホタルが慌てて1階層へと向かっていく。そしてたどり着いた先の光景を見て全員が言葉を失った。
出入り口付近の舞とホタルの畑には40センチほどにまで成長した青々とした大豆の苗があるはずだった。昨日2人が丹精込めて世話していたのだから当たり前だ。しかしそれらは茎の途中から折れ、ノーフによって綺麗に作られた畝も踏み荒らされていた。まるで憎しみをぶつけたかのように念入りに。
「にーさん!」
舞が折れてしまった大豆の苗を抱きかかえる。昨日まではあんなに元気だったのに、そんな思いが胸の中から溢れその体からはとめどなく液体が流れ始めていた。その隣でホタルが涙を流さないまでもどことなく悲しそうな表情で惨状を眺めている。
「ふっふっふっふっふっ」
地の底が震えるような声に2人が振り返る。そこにいるのはもちろんノーフだ。しかしノーフを見た2人は先ほどまでの悲しさを忘れてしまったかのように固まってしまう。
ノーフは笑っていた。抑えきれないほどの怒りをその背に背負い、口を限界まで開け鋭い犬歯を覗かせながら。それはまさしく怒りに震える悪魔の顔だった。
「良くも俺の作った畑を荒らしてくれたもんだな。害虫は駆除しないとな」
ノーフが出入り口へと視線を向けゆらりと足をそちらへと進ませる。舞とホタルは動くことが出来なかった。今のノーフの目の前に立てば自分たちでさえどうなるのかわからない、そう思わせる姿だったからだ。
しかしノーフがもうすぐ梯子までたどり着くという時になって舞が思い出す。この出入り口は自分の家の台所に繋がっている。2階には弟の司が眠っているだろうし、時間的にもう父親が朝の仕込みをはじめているはずだ。今のノーフのまま外に出してしまったら2人がどうなるか……そしてノーフ自身にも人を傷つけるなんてことを舞はして欲しくなかった。
「豆腐メンタルー!」
「舞!?」
いきなり叫んだ舞に同じく固まっていたホタルがビクッと反応し体のこわばりがとれる。舞がホタルへと視線を向けた。
「ノーフを止めるよ」
「はい」
舞の声に力強くうなずきながらホタルが返事をし、2人がノーフへと向かって走っていく。そして梯子へと手をかけたノーフの体を舞の魔法の手とホタルが掴んで止めた。ノーフがそんな2人をギロリと睨む。体が再び震えそうになる2人だったがそれでもそれを止めることは無かった。
「邪魔をするな」
その声はどこまでも冷たかった。今までは面倒くさそうだったり、怒っていたりしてもどこか温かさを感じていたノーフの言葉がまるで別人かのように感じられた。だからこそ舞はなおさらノーフに元に戻って欲しいと強く思った。くじけそうになる心を魔法の言葉を思い描いて跳ね返す。
「ノーフ、だめだよ。そんなことしないで」
「害虫は駆除する主義だ。それがたとえなんであろうともな」
「ノーフ、舞が嫌がっています。やめないと言うのなら実力を行使してでも止めます」
「ほぅ、やってみろ」
ノーフから黒いモヤのようなものが立ち上り始め、それと同時に距離をとったホタルからも白い蒸気のようなものが立ち上り始める。2人の間では紫電が走り、今まさに天使と悪魔による聖魔大戦の火蓋が切られようと……
「2人の、馬鹿ー!!」
舞のフライングボディアタックが睨み合っていた2人の顔へとぶつかる。豆腐特有の湿り気のあるボディと独特の柔らかな食感が2人を包む。それは2人の頭を冷やし、間に立ち込めていた震えるほどの緊迫感を雲散霧消させた。
「舞……」
「お前……」
ノーフとホタルの視線がぷるぷると震える舞へ向かう。2人の表情は先程までの厳しいものではなく驚きを含んでいるもののいつも通りに戻っていた。
「ダメだよ。人を傷つけるのはもちろんだけど2人が争うなんてもっと嫌。にーさんだってそんなの望んでない!」
その言葉にホタルがハッと目を見開いた。そして舞へと頭を下げる。
「すみません、舞。私は間違っていたようです。確かににーさんはそんなことを望まないでしょう」
「ホタル、謝る相手が違うよ」
「そうですね」
ホタルが舞からポカンとした顔をしたノーフへと向き直り頭を下げた。
「ノーフ、すみません。止めるためとは言え、暴力に訴えようとしたのは間違いでした」
「いや、俺も頭に血が回っていて冷静じゃなかった。悪いな。しかしさっきからお前たちが言ってる兄さんってもしかして……」
「うん、ダイズ23号だからにーさん。良い名前でしょ」
「はい、素晴らしいネーミングセンスです。どこぞの悪魔には真似できない……」
ノーフの手がホタルと舞の頭に置かれる。瞬間的に何が起こるか察した2人が逃げようとしたがそれをノーフが許すはずもなかった。
「五十歩百歩じゃねえか!」
「「いたたたたー!!」」
ダンジョンに2人の悲鳴が響き渡る。それでも豆腐ダンジョンは平和だった。
Q 初めての事件らしい事件が畑あらしなんですが?
A 仕様です。




