第18話:交渉終わり
「ええっと彼女たちは……」
「放っておけ。どうせ話し合いの役には立たん。交渉役は俺だ」
「……そうですか。それでは始めさせていただきます。まずこのダンジョンのように人類と共生を望む他のダンジョンについて……」
豆腐談義に盛り上がりを見せている舞と絵麻、そして食事に夢中になっているホタルをよそにノーフと佐藤が交渉を始める。ノーフが用意された資料を見ながら真剣な表情で佐藤と対峙する。一方で佐藤はそのプレッシャーを受けながらもスラスラと説明を続けている。しかしその背には冷たい汗がだらだらと流れていた。
一方そのころの3人はといえば……
「へー、絵麻さんは佐賀出身なんですね。佐賀といえばざる豆腐ですよね。最近ワインや日本酒のお供で人気のある」
「そうだけど私の実家は普通の豆腐しか作ってなかったのよ」
「舞、それは美味しいのですか?」
「うーん、私も1回しか食べたことがないけど大豆の甘みと旨みが凝縮していて、食感がチーズに近い感じかな」
「そうね。確かにそんな感じ。ホタルちゃん、口に味噌がついているわ。拭いてあげる。……でもこの上のお店のお豆腐も美味しいわよ。もしかして舞ちゃんって上のお店のお豆腐だったりする?」
「そうなんですよ!」
お互いに名前で呼ぶ程度には親しくなっていた。舞とホタルは当初のおもてなしという目的を彼方へと放り投げて豆腐トークへと集中してしまっている。警護の局員がそんな3人を見守る中、用意されていた豆腐料理は3人によって食べ尽くされてしまった。
すべての料理を食べ終え、ホタルと絵麻のお腹が満たされて満足気な顔で3人が笑い合っていると3人の肩をそれぞれ叩く者がいた。なんだろうと振り返った3人がそれぞれ凍りつく。
「随分と楽しそうだな」
「おもてなしの食事は美味しかったですか?」
そこにはこめかみに血管を浮かび上がらせながら犬歯まで見えるくらいに笑っているノーフと、にこやかな笑みを浮かべながらその瞳は氷のごとく冷たい佐藤がいた。舞とホタルはとっさに逃げ出そうとし、絵麻は気を付けの姿勢へと瞬時に移行した。
「ノーフ、これは違うんだよ。ほらっ、当初のおもてなしをした結果って言うか」
「そうです。美味しい料理を美味しく食べただけです」
「ホタル、しっ!」
「お前ら、言いたいことはそれだけか?」
逃げようとした舞とホタルを即座に捕まえていたノーフがその手にぎりぎりと力を込めていく。舞とホタルが必死に抵抗しようと体をブラブラと動かしているがびくともしない。ノーフの手の圧によって舞から汁が流れ始め、ぽたぽたと床を濡らし始めた。
「舞、こんな時にお漏らしですか?」
「いたたたた、違うよ! 豆腐は圧をかけられるとその水分が……」
「おうおう、余裕だな、2人とも」
「「痛ー!!」」
2人の悲鳴が畑に響き渡る。
その一方で絵麻は直立不動のまま佐藤からの説教を受け続けていた。そういえばこの人は説教が長いことでも有名だったと今更思い出しても意味のないことを思い出しながら。
「それではノーフさん。ご検討のほどよろしくお願いします。明日以降はこの者をこちらに常駐させますので、舞さんとも仲が良いようですからご自由にお使いください」
「わかった。方針が決まればこいつに知らせる。カズマとか言ったな。お互い苦労するな」
「いえ、これが仕事ですので。それでは失礼します」
佐藤が警護の局員を連れてダンジョンから梯子を登って出ていく。気を付けの姿勢のまま魂を半分空へと投げ出している絵麻を残して。警護の局員のうち数人が残ろうとしたのだが佐藤の指示で全てが引き上げていた。
そんな佐藤が去っていく姿をノーフは見送っていた。ノーフと佐藤の間には奇妙な連帯感が生まれていた。そして佐藤の姿が見えなくなるとノーフは地面に転がって汁を垂れ流している舞とその汁が染み込んだ地面に『ノーフ』と書いた姿で倒れているホタルを見る。
それを見たノーフは大きくため息を吐き、そしておもむろに足を上げるとホタルへ向かって踏み下ろした。その足が当たる直前に地面と水平に移動したホタルが何事もなかったかのように立ち上がる。
「死人に鞭打つとは悪魔の所業ですね」
「俺は元々悪魔だけどな。というか死んでないだろうが、お前は」
無表情で見返すホタルにノーフが深い溜息を吐く。そして持っていた書類をホタルの方へと差し出した。
「見ろ」
「いえ、大丈夫です。おおよその話は聞いていました」
疑わしげな目で見るノーフに、ホタルが差し出された資料を一瞥すらせず話し始める。
「共生を認める代わりに定期的なギフトの提供ですか。ずいぶんと他のダンジョンは人間に優しい契約を交わしていますね」
「本当に聞いてやがったか。まあ手間が省けてちょうど良い。ギフトはスキルのスクロールのことだよな」
「ええ、話の流れからするとそうだと思います。舞が起きたらどの程度のポイントで何が確保できるのか確認しなくてはいけませんね」
ダンジョンコアが反応するのはダンジョンマスターである舞だけだ。ホタルは機能等についての知識やある程度の概要については知っているがあくまでそれは一般的なものでしかない。舞用にカスタマイズされたこのダンジョンのコアで何がどのくらいのコストで出来るかというのはホタルでも把握していなかった。
今回2人が話していたのはダンジョンの機能であるアイテムを作り出す機能のことだ。これを宝箱の中などに設置し人を誘い込んでそれを倒すというのがダンジョンの1つの目的であったりする。ノーフのいた世界ではダンジョンに宝箱があることは普通であったし、この世界でも種族の繁栄を脅かそうとする人類を撃退することでポイントが稼ぐことができるといった利点があった。
その中にはゴミのようなものから高価な宝石まで様々なものがあるのだが、その中でも一際希少と言われているものがスキルのスクロールである。
このアイテムを使用すると、スキルと呼ばれる特殊技能を身につけることができるのだ。通常であれば生まれつきであったり、並外れた修行の末に手に入れるようなその特殊技能が何の苦もなく手に入る破格のアイテムである。
スキルと呼ばれる技能は通常の技能とは桁が違い、剣術であれば数十年修行を続けた剣士がスキルを手に入れた素人の一般人に破れるほどの差が出る。それほどのものだった。
「諸刃の剣でもあるしな」
「そうですね。スキルを手に入れた程度で早々に負けるつもりはありませんが。舞が心配です」
「だな」
2人が地面に倒れている舞を見る。ノーフの手の形に凹んでいた部分がだいぶ元に戻ってきているのでもうすぐ目覚めるのだろう。ピクピクとその白い体を動かしている。
人がなぜ強力なスキルを必要としているかは言われずともわかっていた。もちろん突然現れたダンジョンに対抗できるようにということだろう。それは当たり前であるのだが、その牙が自分たちには絶対に向かないと考えるほど2人は甘くなかった。ノーフは人の醜さを、ホタルはダンジョンマスターになった者たちの嘆きや憎しみを見ていたのだから。
だからこそ豆腐という変な姿をしているが舞の邪気のない素直さに2人は好感を持っていた。自然と守りたいと思える程に。
「で、あいつはどうするんだ。燃え尽きているようだが」
「ええ、特に害はありませんので私たちの監視名目でここで働いてもらえばいいかと。畑を管理する人手は多い方が良いでしょう」
「まあな。そうするとこいつ用に畑も作ったほうが良いのか? まあ今ならどうとでもなるか」
「悪い人間ではなさそうですしね」
「馬鹿だけどな」
燃え尽きている絵麻を見ながらノーフが皮肉げに笑う。ホタルもかすかに表情を緩めた。2人が目覚めるのはそれから約1時間ほど経った頃だった。
犯人は……ヤス……