第17話:新人担当者 立花絵麻
「立花 絵麻。特殊空間及び生物対策局 共生ダンジョン対策チームへの転任を命じる」
「はい」
きびきびとした動作で20代中盤ほどの女性、立花絵麻は特殊空間及び生物対策局の局長である本間が差し出した辞令書を受け取り右手へと提げ、そして回れ右をして元居た位置へと戻った。
「君たちの働きにこの国の未来がかかっていると言っても過言ではない。そのつもりで心して働いてくれ」
「「「はい!」」」
これから上司となる2人の後に続いて絵麻は局長室を後にする。そして軽い打ち合わせをした後それぞれの職場へと戻るため別れた。絵麻も一切隙を見せないさっそうとした姿で廊下を歩いていきそして途中のトイレへと入り個室へ向かうとしっかりと鍵を閉める。
その途端先ほどまでの凛々しいと言ってもよかった姿は鳴りを潜め、どこか不安そうに眉を下げながら壁に頭をコテンとつけ大きなため息を吐いた。
「ううー、なんで私? 私変なことしてないよね。完全に私だけ浮いてるし」
絵麻が嘆くのも無理は無かった。今朝いつも通りに出勤し、さあ頑張ろうかなと思っていたら上司に局長室へと向かうように言われ、何があるのかと内心びくびくしながら待っていると新規に設立されたチームへの辞令を渡された。さらに上司となる2人は噂などにあまり詳しくない絵麻でも知っているような局内でも切れ者、有能と評判の人たちだった。
この人員配置からして局長の言葉の通りこのチームにかかる期待を表していると言える。局に配属されてまだ2年、やっと自分の担当部署の全員に顔と名前を覚えてもらったくらいで特に人の噂になるようなことをした覚えのない絵麻がそのチームへ異動するというのは他人から見ても本人としても不可思議な人事だろう。
「仕方ないか。辞めて田舎に帰りたくはないし、せっかく難関試験をクリアして入れたんだし」
先ほどよりか幾分軽いため息を吐いて絵麻が個室から出て職場へと戻る。絵麻が戻る前に上司から説明があったのかざわざわとした空気の広がる中、絵麻は仕事の引継ぎをしていった。とは言え絵麻の仕事自体が引き継いだばかりのものであるため元の担当者へと戻されるだけなので大した手間ではない。
その日のうちに仕事の引継ぎを終えた絵麻にちょうど良いとばかりに更なる業務が課された。現地へと行きチームが働く事務所を整え、監視業務を続けている局員と情報共有を行うというものだ。今後の勤務は現地が基本になるため引っ越しの準備をしたり現地の確認、事務所の整理、そして打ち合わせと忙しく過ごしているうちにあっという間に5日が経過していた。昨日からは引継ぎを終えた絵麻の上司2人もこちらへやってきており、絵麻自身もしかして身軽の動ける小間使いのような人員として配置されたんじゃないかと考え始めていたのだが……
(なんで私はダンジョンへ入っているんだろうなー?)
きりりとした表情を崩さないまま豆腐店の台所の床下収納から伸びた梯子を下りて絵麻はくだんのダンジョンへと入っていた。豆腐店横の通路を抜けるときに漂ってきた厚揚げを揚げる懐かしい音と匂いにお腹がきゅーっと鳴る。朝からバタバタしていて昼食として食べることが出来たのはコンビニのおにぎり1個だけだったからだ。昼はがっつりと食べる派の絵麻としては物足らないどころの話ではなかった。
今回絵麻たちがダンジョンに入った目的はダンジョンマスターと呼ばれる存在との契約交渉だ。とは言え絵麻が交渉するはずもなく上司と相手の話し合いの内容を記録するのが仕事である。レコーダーはもちろん用意しているがその場その時でないとわからないものを記載するある意味で重要な仕事だった。とは言え上司の後をついて行くだけなので絵麻はそこまで緊張していなかった。
ダンジョン内の映像やその奇妙な生物については報道のみならず動画サイト、そして局の資料でもさんざん見てきた絵麻であったがこのダンジョンはそのどれとも違っていた。開けた明るい階層、そしてそこには畑らしきものが碁盤目状に並んでいる。ダンジョンならば当たり前にいるはずの特殊生物、世間一般で言われるモンスターもおらず天使と悪魔と奇妙な白い物体がせっせとその畑を作っている。実際に目にしていなければ本当にダンジョンなのかと疑いたくなるような光景だった。
そんなダンジョンとは思えない光景が絵麻から緊張感を失わせる一助となっていたのかもしれない。
先行した護衛の局員に続いて絵麻が梯子を降り切り、そして上司が、続いて残りの護衛の局員が降りてきた。先に降りた絵麻の目の前には無表情にこちらを見る天使の少女と少し不機嫌そうにしながら鋭い瞳でこちらを見る悪魔の男がいた。あの白い謎の物体がいないことが気になったがペットのようなものなのだろうと絵麻は結論を下す。というより2人から放たれる謎の圧力に圧倒されていた。
「お初にお目にかかります。特殊空間及び生物対策局の佐藤 一馬です。今後の折衝担当となります」
「同じく立花 絵麻です」
上司である佐藤の挨拶に、なんとか絵麻も合わせることが出来た。もう少し我を取り戻すのが遅れれば不自然な間が空いていたはずだ。そうならなかったことに絵麻は内心胸をなで下ろす。
「ノーフォリア・キシュレハウザーだ。ノーフと呼べ」
「ホタルです」
「よろしくお願いします。ノーフさん、ホタルさん。ちなみにこのダンジョンのダンジョンマスターの方はどちらなのでしょうか?」
「あぁ、それは……」
ノーフが答えを言いよどむ。そのことを絵麻が不思議に思っているとホタルがつかつかと絵麻の方へと歩み寄ってきた。突然の行動に緊張感が高まる。しかしホタルはその途中で立ち止まり、そして足を上げると手前の地面を踏み抜いた。
カチッと言う機械的な音が鳴る。その音に護衛の局員が警戒心をあらわにした。絵麻も知識として知っていた。この音がダンジョンの罠を発動させるものであることを。
(やっぱり共生したいなんて嘘で罠にはめる為だったんだ。あぁー、ついてないな)
あきらめにも似た境地で絵麻は呆然と立っていた。わざわざ誘い込んで罠にはめるようなダンジョンだ。このまま無事に帰ることの出来ると考えるほど絵麻は楽天的では無かった。
絵麻たちの前の地面が蓋のようにぱかっと開く。そこから何が出てくるのか全員の視線がそこへと集中した。
そしてゆっくりとその穴から地面が盛り上がりそれが姿を現す。その様子を見ながら誰も言葉を発することは出来なかった。それがあまりにも異常だったからだ。
「じゃっじゃーん。いらっしゃーい。おもてなしの豆腐料理です。難しい話し合いをする前にいかがですか?」
盛り上がってきた地面には舞が乗っていた。その目の前には言葉の通り厚揚げやら田楽やら数種類の豆腐料理が載っている。舞の現状で出来る精一杯のおもてなし料理だ。
「ええっと、こちらは?」
「ああ、これがうちのダンジョンマスターだ。頭が痛いことにな」
佐藤の問いかけにノーフが頭をガシガシと掻いて頭痛を堪えるように表情を歪ませる。その言葉を聞いた全員が驚きに目を見開き、そして盛り上がってきた台の上で白いボディをぷるぷる揺らしている舞を見た。
「あっ、申し遅れました。ダンジョンマスターの舞です」
「豆腐?」
「そうそう、豆腐なんですよ。しかも……絹ごしです!」
思わずつぶやいた発言を聞きとられ絵麻は動揺したが、舞は全く気にしていないどころか楽しそうに体を揺らしていた。局員全員が衝撃の事実に動きを止めていた。豆腐が話すと言う異常な状況もそうだが、それがダンジョンマスターであると言う予想だにしない現実をすぐに受け入れられなかったのだ。
そして、彼らは心の中で突っ込んだ。なぜ絹ごしを強調したのかと。
「あれっ、皆さんお昼食べてきちゃいました? お姉さん、1ついかがです?」
「えっ、私?」
「はい。味見しましたけど結構自信作ですよ」
(味見って共食い?)
舞の魔法の手が厚揚げを1つとり、そんな疑問で頭がいっぱいになっている絵麻の目の前へと持ってきた。立ちのぼる湯気はそれが出来たてであることを示しており、厚揚げの香ばしい匂いが絵麻のお腹をきゅーっと鳴らした。それは思ったより大きな音で周りにも聞こえてしまい、皆の視線が絵麻へと集まった。絵麻の顔が羞恥で赤く染まる。そんな絵麻を見ながら舞は嬉しそうにぷるぷると体を揺らした。
「お腹が減っていてちょうど良かったです。はい、あーん」
「えっと、あーん」
何となく流れに乗ってしまってそのまま口を開いた絵麻に舞が厚揚げを放り込む。外のパリッとした部分と中の温まった豆腐の滑らかな食感、そしてじんわりと流れ出る豆腐の旨みに正体不明の物体からもらった物であることも忘れて絵麻は咀嚼し続けた。
確かに自信作というだけあって美味しかった。美味しかったのだが……
「んっ、豆腐がちょっと失敗してる?」
「あっ、お姉さん。すごいですね。そうなんですよ、ちょっと豆腐的にはあまり出来は良くないんです。一応それをカバーするように調理したつもりだったんですが。良くわかりましたね。」
「あっ、うん。私の実家、豆腐屋だから」
「へー、奇遇ですね。私も豆腐屋でした」
和やかに会話を交わし続ける2人を見ながら局員は思っていた。何で普通に豆腐と会話しているんだ。そしてお前は豆腐屋じゃなくて豆腐だろ、と。
豆腐屋の娘、2人目です。
いつか3人になって豆園の誓いをするときが……