第12話:見守る2人
毎月12日は豆腐の日、そして10月12日は豆乳の日です。
つまり今日は豆まつり!
ホタルたちと侵入者たちがいる場所から2キロほど離れたところにある底の見えない穴から2階層目へとノーフに抱えられて連れて行かれた舞はダンジョンコアに映し出される映像をじっと見ていた。先ほどまでホタルを1人残したことについてノーフに散々文句を言っていたのだが、知らない人が入ってきた今はそんなことには構っていられないようだった。
ダンジョンコアには畑の中で侵入者に向けて豆腐を差し出すホタルの姿と戸惑ったようにそれを見る侵入者の姿が映っていた。同じように映像を見ていたノーフが頭に手を当てながら顔をしかめる。
「粗豆腐って、何考えてるんだ、あいつは?」
「たぶんおもてなししようとしたんじゃない? ほらこのダンジョン、今はお茶なんてないし」
ノーフの突っ込みに律儀に舞が答える。舞としてもホタルの行動は予想外ではあったがなんとなくホタルが相手をもてなそうとしているようには感じた。その証拠と言ってはなんだが、しっかりと人数分、一口サイズに豆腐が分けられていることを舞は気づいていた。
「いや、それにしても豆腐をそのまま出そうとするあの神経がわからん。しかも皿にも盛らず手づかみだぞ。そんな物食べる奴が……」
ノーフの言葉が途中で途切れる。侵入者の先頭を歩いていた男がゆっくりとホタルに近づき始めたのだ。2人の距離が縮まっていく。ホタルはいつも通り表情を変えることなくじっと豆腐を載せたその手を突き出したままだ。距離が縮まるにしたがって、いやが上にも緊張感が高まっていく。ごくりと舞は喉を鳴らした。
近づく男の腰には銃が備え付けられている。今は手に持っていないがすぐに取り出すことの出来る位置だ。それにその背後には銃を構えた5人がいるのだ。戦いになってしまえばホタルが無事に済むはずがない。
男が手を伸ばせば触れる程度の距離まで近づいて止まり、その手が腰の拳銃へ向かって動いていく。
「っ!」
舞の体に力が入る。自分の安全のためにホタルが1人で残ってくれたのだ。それがわかっているからこそ映像のホタルを見つめる舞の目は真剣でそこに余裕はなかった。
ノーフもまた自分の容姿のことを十分に理解しての行動とは言えホタルに任せてしまう事に責任を感じていた。舞の願いである人類との共生を考えればここはホタルに対応してもらうのが正解だと判断したわけだが、まさかホタルが豆腐を差し出すなんて言う想定外のことをするとは思っていなかったのだ。ノーフの読みでは子供で天使の姿をした者に手を出すことはないと思っているのだがノーフ自身もこの世界の常識については詳しくない。それが不安要素として残っていたのだ。
男が銃の少し上の辺りで手を止めて少し目を閉じた後、なにかを決意したかのように意志のこもった瞳を見開く。思わず舞がダンジョンコアへと身を乗り出し、そのせいで映像の見えなくなったノーフがコアから聞こえてくる人間たちのざわめきに慌てて舞を掴んで引き起こす。そこでノーフが目にしたものとは……
「なぜこやつは普通に豆腐を食べているのだ!」
「いたたたた、ノーフ。食い込んでる、指、指が食い込んでるから!」
思わず力の入ったノーフの手が舞の豆腐ボディを掴み上げ、舞が悲鳴をあげながらプランプランとその体を揺らす。しかし舞の声はノーフには聞こえていなかった。ダンジョンコアの中の映像に心が囚われていたからだ。
ダンジョンコアに映し出される映像にはぎこちなく笑顔を浮かべながらもホタルがさしだした豆腐を口に含んで咀嚼しているものものしい装備を付けた男とその様子を無表情ながらどこか満足げに眺めているホタルの姿が映っていた。
ノーフが苦悩する。この世界の常識は自分には理解しきれないかもしれないと。もしかしてホタルの行為はこの世界では普通の行為であって、自分の常識の方がおかしいのではないかと。
その考えに思い至ったノーフに戦慄が走った。
「なんて恐ろしい世界に来たんだ、俺は」
「……」
驚きに顔を染めるノーフに舞は応えることはなかった。その代わりにダンジョンコアに映し出されていた映像がプツンと音を立てて消える。
「おい、どうして消すんだ。今からが重要なところだろう」
「……」
ノーフが視線を舞へと向けた。そこにはノーフに持ち上げられた体をぐったりとさせ、体から液をぽたぽた滴らせながら微動だにしない舞の姿があった。その垂れ豆腐とでも言わんばかりの舞の姿に慌ててノーフが呼び掛ける。
「まさか気絶しているのか。どうして……まさかダンジョンの壁を外部の者に食べられると精神的にダメージを受けるとでもいうのか!? しかし魔力の揺れはない。どういうことだ。おい、起きろ。何があったというのだ! あちらの状況はどうなっている?」
ノーフがたれ豆腐状態の舞をプラプラと揺らして起こそうとするが、舞が意識をとりもどすことはなかった。ノーフは自分の手の圧によって舞の意識を奪っているなどとは全く想像してもいなかった。
「戻りました……何をやっているのですか、ノーフ?」
「舞が突然意識を失ったのだ。ダンジョンの壁を侵入者に食べさせたからかもしれん」
「そんなことはありえません。舞を貸してください」
ホタルの言葉に、焦った顔をしながら舞をぶんぶんと振り回して起こそうとしていたノーフが動きを止める。舞の体は振り回された影響のせいか若干縦に伸びており垂れ具合を増していた。舞を受け取ったホタルはすぐに事情を察知する。
「ノーフの馬鹿力のせいで舞の頭が潰れそうになっています。舞が気がつかない原因はノーフが掴み続けていたからではないかと考えます」
「いやいやいや、そんな訳……」
ホタルが無言で指さした先を見たノーフが言葉を失う。そこにはくっきりと先ほどまでその場所を掴んでいたノーフの手形が残されていた。逃れようのない証拠である。
「舞が突然意識を失ったのだ。ダンジョンの壁を侵入者に食べさせたからかもしれん」
「うっ!」
ホタルの言葉にノーフが顔を赤くする。
「舞を心配するとはノーフは良い悪魔ですね」
「からかうつもりか!」
「いえ、本心です。頭は悪いと思いますが」
「うるさいわ!」
物理的に全力で突っ込んでくるノーフをひらりとかわしたホタルの顔には明らかに慣れていないとわかるような不器用な笑顔が浮かんでいた。しかしそのことを気絶している舞はもちろん、かわされてから顔を隠すように頭を抱えてうずくまってしまったノーフも気づくことは無かった。
たっぷり10分程かけてノーフが復活してくるのをホタルはじっと見つめていた。いや、ホタルの視線によるプレッシャーのせいでこれだけ時間がかかってしまったともいえるかもしれないが。
「しかし起きんな」
「ええ、頭も元に戻っていますしダンジョンマスターはダンジョン内ならば回復力も高いので問題はないはずなのですが……。舞、舞、起きてください」
ホタルがゆさゆさと舞の体を揺する。舞の体は先ほどの垂れ豆腐状態からほぼ元通りに戻っており、豆腐特有の弾力あるプルンとした動きで揺れていた。
「……ふん」
「なんだ!?」
小さな舞の声にノーフとホタルが耳を近づける。
「後……5分……くぅ」
そののんきな舞の言葉にノーフががっくりと肩を落とす。しかし同時に少しほっと安心してもいた。もしこのまま舞が目を覚まさなければという考えがずっとちらついていたのだ。そんな自分の気持ちを誤魔化すようにノーフががしがしと頭をかきながら舞へと手を伸ばす。
「おいっ、お前……」
「待ってくださいノーフ。この場合、普通に起こそうとすれば長引くと言うのが定番です。いくつか対処法を知っていますのでそれを手伝ってください」
「そうか。なら頼む」
ホタルの自信満々な言葉にノーフがその手を引っ込め、ホタルに言われるまま舞を持ち上げる。もちろん舞を潰さない程度の力加減だ。一方のホタルは2人から距離を取っていた。
「では、行きます」
「ああ」
そう言った瞬間ホタルが消えたかのようなスピードで飛び2人へと迫る。ノーフには十分見えているが普通の人類であれば消えたと錯覚するのではないかと思うほどの速さだ。そして脇を締め内角をえぐりこむようにしてその拳をぶら下げられた舞の中心へと放った。
「舞、朝ですよ!」
舞の豆腐ボディが真っ二つに折りたたまれながらはるか彼方へと飛んでいきそのまま地面をずさささと滑っていった。その様子をホタルとノーフがじっと眺めている。いつまでたってもぴくりとも動かない舞の姿にしだいにノーフの額から汗が流れ始めた。
「おい、大丈夫なのか?」
「おかしいですね。これで気持ちよく目覚めるはずなのですが」
「いや、普通に考えて無理だろ。どこの知識だ!」
「もちろん神です」
当然と言った様子で答えたホタルの言葉にノーフが頭を抱えて深いため息を吐く。そして怒りに顔を赤く染めた。
「あいつめー!!」
「あといくつか候補があるのですが……」
「やめておけ。あいつの知識は当てにならん」
2人が舞の元へと駆け寄る。せっかく元に戻ったはずの舞の体はかろうじて原型を留めながら汁を地面へとしみこませていた。
内角を狙って、打つべし!