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勝利だけを得ようとすれば、私はすでに二度、ノラを倒す機会を得ていた。一度目はノラの足を蹴り砕いた時。二度目はノラに水弾を当てて撃ち落とした時。だが二度とも私はあえてその機会を見逃した。それどころか挑発して、対策すら練り切れていない固有術式を使わせた。
全てはノラを正道に引き戻すため。ノラを殺すのではなく、生かすためだ。
だが無謀だったか。ノラの固有術式はシンプルであるが故に強力で、対処がしにくい。単純な速度と手数の前には、取れる手段自体が少ない。始めから勝ちの目のない戦いであった。
「ぁ…」
2年前と同じだ。私は傷だらけになって膝をつく。遠くで誰かの声が聞こえた。私を呼ぶ声。だがその声もまともに聞こえない。
「兄貴」
なのにノラの声だけははっきりと聞こえてきた。
「あんたは馬鹿だよ。勝つ機会はいくらでもあっただろ」
そうだ。だが私はお前を殺したくない。
「それで騎士かよ。ナイツナイツ家の人間かよ。自分のことしか考えてねぇ。守るべき相手のことなんてまるで頭にねぇ」
私は不器用なのだ。誰かを守るべき方法など、槍を極めることくらいしか思いつかないのだ。
それに守りたい誰かがいない。騎士として尊敬する相手はいても、槍を捧げたいと思う相手がいない。
「俺はあんたを殺す。そんでここにいる連中は皆殺す。それで終わり。俺の夢も果てにたどり着く」
皆殺す。その言葉が私の心を揺り動かす。背中に感じる王威。私は…。
「エクス」
グランヘルム様の声が聞こえた。
「勝て。そして俺の騎士になれよ。サギタも言ってたぞ?騎士は誰かを守る存在だってな。常に主のそばについて離れず、それでいてどの距離にいる敵も倒せる。それこそが騎士だってな。あいつは若い頃に槍を捧げる相手がいなかったって悔やんでた。でもエクスはまだ若いだろ?ならお前の槍を俺に捧げろよ」
「私は…」
「御託はもういいか?兄貴を殺したら次はお前の番だからな?クソガキ。泣きわめいても知らねぇぞ」
「はっ!泣きわめくのはお前だろ犬っコロ。兄貴の背中しか追えない奴に。流されるだけで流れを作ろうともしない奴にうだうだ言われたくねぇよ」
グランヘルム様の言葉に、ノラはハッと息を飲む。動揺。不可解。そんな感情が伝わってくる。
「…見透かしてんじゃねぇぞガキがぁ!」
ノラの意識が私を離れてグランヘルム様に向かう。殺意と憎悪。二つの感情がノラの中に膨れ上がる。
「エクス」
一流の騎士ですら尻込みするであろう悪意を受けてなお、グランヘルム様は笑う。
「お前の騎士道は何だ」
「私は…」
*
「騎士としてあるべき姿。騎士道についてだ」
「はい」
昔師から聞いた話を思い出す。騎士とは何か。騎士道とは何か。
「騎士とは本質的に守り手だ。万能である故に、如何なる事態にも対応できる。生き抜くことができる。生き抜いて敵を殺すのではなく、己を捧げた主を守ることが騎士の本懐」
「はい」
「と、思うだろう?」
「はっ?」
あっさり前言を翻したサギタ師に、私は間の抜けた声を発した。
「実のところ、騎士道なんてものは人それぞれだ。名誉のために武器を取る騎士道もあれば、家族のために武器を持つ騎士もおろう。あるいは私が先ほど言ったように、主を守る騎士道もあるだろうさ」
「ならば師は、師はどのような騎士道を掲げているのですか?」
「私か」
師は困ったような、あるいは恥じるような笑みを浮かべた。
「私には仕えたいと思う主がいなかった。ただひたすらに、己の武を鍛えること。それが私の騎士道だったよ」
なぁ、エクス。師は呟くように言う。
「騎士道というものはつまるところ、力のあるものがいかに生きるかということに過ぎんのだよ。10人いれば10の騎士道があり、100人いれば100の騎士道がある。お前はどう生きたい?如何なる志を胸に抱いて生きるのだ?それが定まった時、それがお前の騎士道になるだろうよ」
*
私は不器用な男だ。槍にしか心を注ぐことができず、たった一人の弟すら目をかけてやれなかった。
だがそれでも。それでも私は騎士として、己の槍を納めるところを欲した。私は槍。その槍の持ち手を。私は盾。この身をもって守りたいと思える何かを。私は騎士。一人のために我が身を砕けるその時を。
私はずっと探していた。
「ウレアノト ウスケ」
一つの答えを見出して、私は詠唱する。私の騎士道。それはたった一人のために槍を持つこと。例えば救いたいと願うたった一人の弟のために。あるいは守りたいと願うたった一人の主のために。
ならばそのために、私に必要なものは何か。強さだ。私の独善的な願いを叶えるための力。願いを、理想に至るための力を欲する。力の終着点。今の私にとってそれは師であるサギタ・ラン・ヘイナメだ。天性の才を極限を超えて鍛え抜いた彼の槍技は、私が求めてやまないものだ。
しかし、だがしかしそれでいいのか?私の終着点を師においていいのだろうか。否だ。師を理想にするのはいい。だがそれを終着点にしてしまえば、ただの猿真似。師を超えることはできない。
己の内にある確固とした「あり方」を詠唱する。世界の理と比してもなんら遜色ない想い、概念。それこそが固有術式を作るものであり、世界の理を書き換えて生み出す精霊術の極致だ。
騎士道。それが私の固有術式。理想を、己の終着点をその身に下ろす力。たった一人のために具現化するこの精霊術は、今を超えて、師を超えたさらにその先へ。天才非ざる、非才たる私の求めた終着へと至る。
「イラ イン オコク ウオヂシク アガウ」
わが騎士道、ここにあり。私は、私の終着点をここに下ろした。
*
立ち上がる。そして私はノラとグランヘルム様の間に立ちはだかった。
「兄貴…」
視界はぼやけ、ノラの顔はよく見えない。だがノラの驚きが、歓喜が感じられる。
なぜ喜ぶ。そう問おうとしたが、それより先にノラが再び身をかがめ四足で立った。そして私に最高速度で襲い掛かる。
15の刃から繰り出される75の殺撃。さっきは回避できずにこの身で受けた。だが今は違う。
私は槍を構え、突く。空中のナイフの一つの軌道を逸らし、逸れたナイフは別のナイフに当たって、その軌道も逸らす。そしてそのナイフもまた別のナイフの動きを乱して、乱して。ついに全てのナイフの軌道を逸らしきった。
それ確認することもなくもう一突き。ノラに向かって放った一閃を、彼は恐るべき反射神経で避ける。だがパッと赤い血が空を舞った。
「な、んだそれ」
ノラの顔が引きつっているのが分かる。これが何か。私の理想だ。未熟な私の、非才たる私の終着点。無駄のない、それでいて相手の虚をつく実の槍。たった一人。ノラのために。たった一人。グランヘルム様のために。その想いが固有術式を生み出した。
これで終わりにしよう。クルリと槍を回転させる。そしてその槍は。
「あっ…」
ノラの右腕を根元から切り離した。
*
「ノラ」
「あ…がぁ」
勝敗は決した。私は傷だらけでありながらも立ち、ノラは腕を斬られて地に臥している。にもかかわらず血があまり流れていないのは、ノラの纏う風の固有術式の効果と斬撃の鋭さがあったからだ。
「私の勝ちだ。ひとまず、私の元に来てもらう」
腕がなくては戦えまい。少なくとも今までと同じように戦うことは不可能だ。ノラの願いは私に勝つこと。私はその芽を摘み取るためにノラの腕を斬った。
「くそっ俺は…」
「そこで話そう。全てはそこからだ」
槍を納め、私はノラに手を差し出す。その手をノラは忌々しそうに眺めている。
「俺、俺は」
「ノラ?」
様子がおかしい。ノラの目の焦点が定まらず、虚ろに彷徨っている。
「エクス!そいつを止めろ!」
ガタンと音がした。背後からグランヘルム様の声が聞こえてくる。わけが分からず、私はとっさに差し出した手でノラの肩を掴もうとする。
しかし戦いで負傷し、疲弊していた私の動きは遅い。それよりも速く、ノラが落ちたナイフを取り、そして。
「ノラ!」
自分の首筋に向けてナイフを突き出した。
*** ***
*** ***
「…これで私の話は終わりだ」
「えぇと、それでつまり」
トコイルは納得いかない様子だ。当然だろう。私とノラの話は結婚とは全く関係ない。
「あの、それで弟さんは…」
「あぁ、お客さん。顔色があまり良くないですよ。もしかして飲み過ぎでは?」
徐に店主がトコイルに水を差し出す。トコイルの顔は赤い。「夜の海」は度数が高いから、酔ってしまったのだろう。
「す、すみません」
トコイルは素直に水を受け取ってぐいと飲み干す。ふぅと一息つくと、「ありがとうございました」と言って女将にグラスを返した。
「どういたしまして」
そう言って女将がペコリと頭を下げる。彼女の栗色の髪がフワリと揺れた。
「あれ?」
そこでトコイルは何かに気づいたらしい。瞬きをして、隻腕の店主と栗色の髪をした女将を交互に見比べる。
「どうした?トコイル」
「いえ、あの…」
笑みを含ませて言う私に、トコイルが口を開こうとした時。
「あぅ…」
パタンとトコイルが倒れた。飲み過ぎだ。店主の出した水は少々遅かったようだ。
胸はわずかに上下しているが、ピクリとも動かないトコイルに店主は苦笑する。
「全く、お客さんの部下は酒に弱いようですな」
「ああ。有望な副官ではあるが、これでは先が思いやられる」
「夜の海」を口に含んで、二人して笑う。女将がやれやれと言った様子で肩をすくめた。
「…ともあれ、あの戦いの最後で私は深く結ばれた二人を知ったわけだ。ゆえに結婚をしようとは思わなくなったのさ。ノラ」
「やめてくれよ兄さん。恥ずかしい」
顔に苦いものを浮かべて、店主―ノラがポリポリと頬を掻いた。
*
あの時、ノラに向かって伸ばした私の手は届かなかった。しかし手は確かに届いていたのだ。
ノラの手にあったナイフが離れると同時に、ノラは唖然とした顔をして倒れ込んだ。だがそれは私も同じだった。
自害しようとしたノラを止めたのは、横から抱きついてきたフーラだった。
「死なないで…」
ノラを強く抱きしめたままフーラは、震える声で呟いた。
「どういうこった?」
グランヘルム様の疑問の声。同感だ。なぜここにフーラがいる?そしてフーラのノラと関係は…。
「あぁ、そういうことか」
不意に全てを理解した。ノラとフーラは仲が良かった。いつの頃からかは分からないが、二人は恋仲になっていたのだ。だから私とフーラの見合いの時ノラは割って入ることができたし、『犬小屋』も私達の襲撃を予測することができた。
フーラを通じて情報が筒抜けになっていたのだろう。
「どうしたものか…」
「おいエクス」
唖然とした顔のノラと泣き咽ぶフーラ。途方に暮れる私にグランヘルム様が口を開いた。
「何となくだが事情は分かった。後は俺に任せろ」
*
「あの時、確かに王は『任せろ』と言っていたが、まさか料理屋になるとは思わなかったな」
「同感だよ。しかも俺のこれからを話す時、あの人なんて言ったと思う?『野良犬なら鼻とか舌がいいだろ?なら料理人にでもやれよ』だぞ。大雑把にもほどがあんだろ」
「だが現にこうして一流の店としてやれているじゃないか」
「努力したからな」
そう言って笑うノラの表情は柔らかく、濁りなんて一切感じられない。残った左手は皮膚がかさつき節くれだっていて、その苦労をにじませる。
「そうか。…ところでここをトコイルに教えたのは貴方ですね?王」
店に残った最後の客に声をかける。その客は卓の酒を舐めるように飲んでいたが、私の指摘にくくっと笑いをこぼした。
「なんだよ。気づいてたのかよエクス」
「当然です。いくら変装しようが、私が主を間違えることなどありえません」
私の言葉に、その客―国王グランヘルム・レクスティア・オウルファクトは立ち上がる。
見る者全てを魅了する覇気を持つ偉丈夫。その覇気を巧妙に隠し、髪や衣服で素性を隠そうとしても、見る者が見ればバレバレだ。
「そうかい。忠実な騎士を持って俺は幸せだよ」
「なぜトコイルにこの場所を教えたのですか?」
スタスタとこちらへ歩み寄ってくる王。その後ろでは王の護衛(必要かどうかはわからないが)のミーラが、女将―フーラと親しげに話していた。
「いや、捨てられた子犬みたいにあちこち歩くあいつを見かけてな。俺の話をした後に、せっかくだからって教えたんだよ。家にもいない、騎士団長の部屋にもいないってんなら大体お前はここにいるからな」
不敵な笑みを浮かべて王が言う。全くこの人は本当に…。
「王。後でお話があります」
「お、おぉ…すまねぇな」
勝手に人の居所を教えるなど、王の所業ではない。王の一の騎士として後で説教せねば。
「くく…」
横では私と王のやり取りに笑うノラの姿。笑いごとではないのだが…
「ただまぁ、俺もノラ、フーラやミーラも、不器用なエクスの本音を聞けて良かっただろ?」
「はい」
「えぇ」
「確かに」
「君たちは…」
眠っているトコイルを除く、店にいる全員が息を合わせて答える。呆れかえって私は暁の空を眺める。
夜空に飛ぶ蝶はどうしてああも美しいのか。それはきっと蝶と私を重ね合わせて見ているからだ。
唯一の光に向かってフラフラと、不器用に飛ぶ。上に下に、右に左に。滑空する鳥のように真っ直ぐ飛べないし、速くもない。けれど懸命に、柔らかで脆い翼を羽ばたかせて飛ぶその姿は、見る者の心を揺さぶる。
「む…」
見上げた空に蝶が二匹。青色の蝶と緑色の蝶だ。二つの蝶はひらひらと朝日に向かって、隣り合って飛んでいる。
その姿がどうにも嬉しくて、私は薄く微笑んだ。
これで終わりです。読んでいただきありがとうございました。感想などをもらえると嬉しいです。