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 ノラの動きは自由奔放に見えてその実、精密なまでの合理を含んでいる。

「しぃぃぃぃ!」

「ヒィィィアァァァァァァッ!!」

 目まぐるしく変わる攻守。私とノラは廃墟となった倉庫で、激しい攻防を繰り広げていた。


 私の槍は突き出され、跳ね上げ、弧を描き、斬り下ろされ、空を裂く。虚実入り混じった槍だ。槍の全てがノラを捉えているわけではない。むしろ、繰り出す槍の半数は偽りの一閃だ。

 対するノラの剣は揺らぎ、滑るように動く。折れず、曲がらぬ性根を持ったノラの剣はしかし曲がりくねり、折れ動いて私に迫る。変幻自在のようで、その剣の全ては私に向かって放たれている。虚のない、実のある剣だ。


 刺突の半数を捨てた虚実の槍と全てが実の剣。私の槍には虚という「無駄」があり、ならば実の剣が優勢になるように思えるが、戦いを有利に進めているのは私の方だ。


「くそ…」

 目線をあらぬ方向に向けつつ、槍を突き出す。その槍の向かう先は空。二重の虚に戸惑うノラは自ら動きを乱す。その乱れは脆さだ。すかさず繰り出した実の槍を、ノラは辛うじて受け流す。

 無論、ノラもそれだけでは終わらない。全身を使った流動の剣。波打ち迫る右の剣と鋭角を描いて進む左の剣。練度の高い反撃の剣を、私は体さばきで凌ぐ。凌ぐと共に足元の木クズを蹴って跳ね上げる。


 私の一挙一動を見逃すまいとする鋭敏なノラの視線が、一瞬木クズに向く。如何なる異常も見逃すまいとし、それを実現するノラだからこそできた。だがそれもまた隙。槍の柄をノラの腹に叩きつける。

「ぐ…」

 重い衝撃を受け、ノラはうめき声を上げる。しかし体は動く。流れるように動く。槍を叩きつけられた勢いを使って空中で反転。私の頭部に蹴りが飛ぶ。


 躱しきれない。蹴りは額を裂き、こぼれた血が私の右目を潰す。

「ぬ」

 ノラの笑みを左目が捉える。変幻自在の剣が迫る。片目を潰されては距離感がつかめない。極限の戦いだ。わずかな乱れが死に直結する。


「うそだろ」

 ならば目に頼らなければいいだけのこと。残った左目をつむり、肌から伝わる感覚だけで剣を避ける…風に見せかけた。

 回避しようとする初動は虚。本命は抉り上げるような蹴りだ。


 ザシュリとノラの剣が鎧を裂き、我が身も裂く。同時にノラの足に私の蹴りが入る。ゴキリと骨を砕く感触が足を伝って私に届いた。

「ウジム」

 水を作って目についた血を洗い流す。復活した視界には床に倒れたノラの姿があった。立っているのは私。ノラは信じられないといった表情を見せる。


「な、んで」

「私はこの2年間、お前を倒すことだけを頭に描いて修練してきた」

 ノラは天才だ。天性の勝負勘があり、常に最善解を選ぶことができる。その嗅覚は私がいくら求めても手に入れることのできないもので、もう私は欲しいとは思わない。

 奇剣でありながら、ノラの剣は無駄がない。勝利を求める嗅覚が、迂遠に見える最短に道がつながっている。


 ある意味それは、指南書通りの最適を求めるナイツナイツ家の武と似通ったものがある。

 そして最適解を選べるノラは最適解しか選べない。私は2年間修練を重ねながらノラとの戦いを思い出しつづけ、その思考を、癖を、ノラの嗅覚を理解しようとした。

 それは砂粒を一粒一粒積み重ねてかつて見た砂山を作るような作業だ。途方もなく、気の遠くなる試行だった。だがやり遂げた。

 今の私にはノラの攻撃の手順を全て理解できる。その上で私は戦いを組み立てているのだ。私が優勢に戦いを進められるのは当然だ。

 天才の実の剣と、凡人の虚実の槍。軍配は私の方に上がった。


 足を砕かれ、地に臥すノラ。相手が凡人なら戦いはこれで終わりだろう。だがノラには戦う術が残っている。

「ぐ、ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!がぁぁぁあ!!」

 無色の精霊で砕けた足を補強し、ノラは立ち上がった。

「しぃ!」

「エザク」


 すかさず突き放った槍をノラはかわした。真横への水平移動。人間には不可能な軌道だ。

「エザク エザク エザク エザク」

 人間には不可能。しかしノラは精霊術士だ。精霊の力を借りれば不可能も可能にできる。


 風を起こして足の筋肉の代わりとする。繊細かつ精緻な風のコントロールが必要となるが、ノラにはできた。

「エザク エザク エザク」

「はぁっ!」

 一層軌道の読めなくなったノラの奇剣。だがそれを操っているのはノラであり、ノラの嗅覚だ。

 それに精霊術を使うために私の動きへの注意が散漫になっている。


 飛んだ先に槍を突き出す。空中を飛び回るノラは後ろに下がってかわす。


「ウオシウス エタナウ」

 水槍を放つ。ノラはかわす。


「イマ オン ウジム」

 水の網でノラを包む。ノラの剣が網を切り裂いた。


「エザク オイェラヂム」

 風に干渉し、ノラの体勢を崩す。別に私は青の精霊術しか使えないわけではないのだ。あくまで青が得意というだけで、緑の精霊術も当然使える。


「エザ…がぁ!」

「ウジム エタナウ」

 風の流れを狂わされ、無様に回転するノラに水を放つ。直撃をくらったノラは再び地面に墜落した。



「使わないのか?」

「くそ…くそがぁ」

 ノラは私に憎悪の視線を向けてくる。私は槍をノラの喉元に突きつけた。


「それとも諦めるか?」

 濁ったノラの瞳が私の姿を映す。今ノラには私がどのように見えているのだろうか。それは分からない。だが。


「やるよ。やればいいんだろうが! ウレアノト アロン ウニアロン アウ エロ ウレオウ イアウ オウ イト」

 あの日と同じ。ノラは固有術式を詠唱した。ノラの雰囲気が獣へと変貌し、身につけたボロ布がはためく。


 さて、ここからが本番だ。


 *


「ぐるる…」

 ノラは砕けた足を感じさせぬ動きで、四本足になって立つ。両手の内二本の指で剣を持ち、他の指で大地を強く踏みしめている。舌はダランと垂れ下がり、目は鋭く血走っている。その姿はまさしく獣。

 グンとノラの姿勢が落ちる。私はその場を全力で逃げ出した。


 風が吹き抜ける。向かい合っていたはずのノラは、私の背後にいた。鎧が切られ、体から落ちる。だが私の体には傷はついていない。

 ノラは私が無傷であることが不思議だと言わんばかりに、首を傾げている。その動作は人間らしいが、人間の知性は感じさせない。今のノラに、ノラとしての知性が残っているかは甚だ疑問だ。


「がぁっ!」

 ノラが吠える。私はノラのいる方向に向かって、槍の穂先を向けた。風がふく。私の槍にノラが喰らいついた。

「ぬぅ…!」

 槍に食らいついたノラは空中に留まったまま、前へ前へと進もうとする。その勢いはすさまじく、腰だめになって引くまいとしてもじりじりと後退してしまう。

 とてつもない膂力だ。寸の間力を抜いて、槍を横に薙ぐ。ノラは即座に槍から口を離し、地面に着地。また私に対して跳びかかってきた。


「ウジム」

 今度は私の前方に薄く水を張ってみる。水の膜は一瞬で切り裂かれて消えた。そう切り裂かれた。私は槍を振り下ろしてノラを牽制する。


「やはりか…」

 槍を下段に構え、しばしノラとにらみ合う。私とノラは一定の距離を保ったまま、円を描きながら移動する。


 油断なく意識を配りながらも、頭は思考を続ける。ノラの固有術式。その根幹となる単語は「ウニアロン」。意味は野良犬。効果は視認できないほどの速度を帯びることと、斬撃。

 単語の意味と発生する能力。その二つを照らし合わせて固有術式の本質を読み取る。そしてそれは八割方理解できた。


「ぐるぁぁ!」

 風と共に迫りくるノラ。私は槍を取り回しつつ左に避ける。そして振り抜かれたノラの剣をじっと観察する。

 無色の精霊で強化した目がノラの剣の周囲の様子を見抜く。かわしたはずなのに、私の体に傷がつく。実体を伴った剣ではない、形のない空気の剣。


「しっ!」

 傷を受けつつ槍を突き出す。ノラは剣でそれを受け止めた。受け止められた感触は一つだけではない。まるで複数の剣に止められたかのような感覚だ。

「捉えた」


 ノラの固有術式の正体。それは風だ。視認できないほどの速度を生む風と斬撃を伴った風。ノラの持つ剣の周りに爪のような風の剣が作られている。一つの剣に4本の爪で合計5本。単純に考えて手数は5倍。その上、速度自体が上がっている。元々瞬きの間に3度振っていた剣を、10度は振れている。手数も5倍だから触れる数はさらに5倍。

 そこに獣の如き動きと思考を取り込んだものがノラの固有術式。けれど種が分かったところで状況が好転するわけではない。


「ぬぅ…!」

「がるぅぁぁ!」

 上から下へ。振り下ろされるのは二振りの剣。斬撃の数は10。私はそれを槍で受け止める。


 ゴォンと、すさまじい衝撃が伝わってくる。一撃一撃は特別重い一撃ではない。だが数が多い。増えた刃の数は威力に直結している。

 それに手数と速度が増したことで私にかかる負担はさらに増える。上、下、右、左、正面に後ろと獣の俊敏性を活かした多彩な攻撃が私を攻め立てる。攻守のバランスは崩壊し、ノラは攻勢、私は守勢に回る。

 ノラはますます速く、早く、迅く、捷く、目を置き去りに、音を置き去りに、世界を置き去りにして駆け抜ける。


 初めから目では追えず、耳にも聞こえない神速だ。それが勢いづけば反撃はおろか、防御すらままならなくなることは当然。

 元よりノラの固有術式への対抗手段など用意していないのだ。固有術式に対抗するには同じ固有術式。そう思って修練を積み重ねてきたが、ついにそこへは到達できなかった。


「だが!」

 肌感覚のみでノラの猛攻を凌ぎ続ける。獣と化そうが、速度が上がろうが、刃が増えようが、やつがノラであることには変わりない。ノラの嗅覚であることに違いない。

 だからこそ、この極限下でノラと戦い続けていられるのだ。


 ノラは大きくのけぞって剣を振り上げる。ノラの猛攻が寸の間緩む。好機。私はノラの心臓に向かって槍を構え、力を込める。いける。私はそう確信した。その時だ。

 ノラの持つ数多の刃物が目に入った。そして背筋を駆けあがる悪寒。

「…あ」

 その声は吐息だったか、それとも間の抜けた声か。存在を認識していたにも関わらず、失念していた。


 のけぞった際、ノラの腰にあった刃物がそこから離れた。抜き身の刃が夜の光を反射して煌めく。

 刃の数は13本。それら全てが風に乗って私の方に先端を向ける。一つの刃を五つの爪に変える固有術式。ならば宙に浮いた刃はどうなる?


 両手の剣も合わせて15本。私を狙う爪の数は75本。正面から、私を包み込むような斬撃の嵐が迫る。

 私の武器は一条の槍。凌げるはずは…ない。


 私はなすすべなく、ノラの獣爪に引き裂かれた。

次で終わります。

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