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 やはり速い。瞬きほどの間にノラは私との距離を詰める。だが肉薄はされない。

「…」

 無言のまま、私は槍を突き出した。狙いは心臓。それを見たノラは顔をゆがめて笑った。

「ヒハッ!」

 グニャリと、ノラの右手が動く。軟体動物を思われる動きでノラは私の槍の動きに合わせて剣をそえる。それは私が父にやってみせたことと全く同じで、だから私はとっさに槍を引き戻し、再び突き出した。

 ガァン、ガァン、ガァン。衝突の音は三度。私は三度槍を突き出し、ノラは三度槍を斬り払った。静寂が修練場を満たす。聞こえるのは鋼のぶつかった残響だけ。


 ジッと私はノラの目を見つけた。目つきの悪い目。だがその奥の色はまだ濁っていない。

 今まで何を思って過ごしてきた。どうやって暮らしてきた。お前を置いてしまった私を恨んではいないのか。聞きたいことは絶えない。だが今は言葉ではなく刃を交わす時間。戦いの時だ。


 グンとノラの体が沈みこみ、真横に飛ぶ。地面と水平に動き回り、私を攪乱しようとする。

 それを黙って見ていられるほど、私は優しくない。ノラの動きを見取り、ここだと言うところで一歩踏み出す。上から下へ槍を振り下ろした。

「ぬおっ」

 ノラの軌道上に突如現れた槍に驚いたのか、ノラは声を上げつつ俊敏な動きで槍を躱す。


 その動きを待っていた。槍を片手持ちにしてノラが移動した方向に蹴り出した。

「がはっ!」

 私の蹴りはノラの腹に直撃し、弾性の強いボールのように飛んでいった。飛んでいった道にはところどころ赤いものが落ちていた。


「っつ。容赦ねぇ…ってか騎士の戦い方じゃねぇ…だろっ」

 惜しい。距離を詰め、踏み下ろした足をノラは首をひねって避けた。

「真っ向勝負が騎士じゃねぇのかよ」

「生憎と私の師は手段にこだわるなと言っていてな!」

 サギタ師は槍の名手で誉れ高い騎士団長であるが、意外と搦め手や狡い手を使うことをためらわない。金的、目つぶし、毒。必要で可能なら、ありとあらゆる手段を使えというのが師の教えだ。

 戦場では最後に立っていた者が勝者。手段を選んで殺されるより、手段を選ばずに生き残る方が大事だ。サギタ師の教えてくれた騎士道にも反しない。


「っこんの…なら!」

 肌を撫でる感覚。精霊が動いた。動いた先はノラ。精霊術を使う気か。私もすぐさま精霊を集める。


「エザク!」

「ウジム!」

 至近距離でノラの生み出した風と、私の生み出した水が衝突した。風と水は互いに食らい合い、絡み合い、消滅する。その隙にノラは体勢を立て直し、私も槍を構え直した。


「こっからはぁ!騎士戦といこうかぁ!エザク!エザク!エザク!」

 風の塊が三つ。私は精霊を集めて陣を描きながら三連突き。風の塊を貫いてかき消す。

「ウジム エタナウ!」

 突きが終わると同時に水を撃ち出す精霊術を行使。大地を抉る一撃をノラは走って回避する。私もノラに向かって走り出した。

 無色の精霊による肉体強化。それを私は効率度外視で使っていた。ノラは速い。彼もまた無色の精霊で肉体強化をしているのだから当たり前だが、特にノラは速さに特化している。

 限界まで肉体を強化して、初めて速度はノラと互角だ。


「エザク!」

 だからそれ以上の加速をされると対処できない。風に押し出されたノラが私の眼前に飛び出る。持った剣が煌めく。躱しきれない。


「ぐっ」

「ようやく一撃か」

 振り抜かれた剣が私のわき腹を鎧ごと切り裂く。傷は浅いが真っ赤な血が修練場の大地を汚した。


 痛みをこらえ、私はまた槍を突き出す。ノラは槍を下にいなして受け流す。

「エザク エバク」

 体勢の崩れた私に対し、ノラは風の壁を作って私に飛んでくる。首狙い。だがそれは読めていた。槍でノラの剣を受ける。


「ウオシウス エタナウ」

「イオロイ オン エザク」

 水の槍を作って攻撃した私に対し、ノラは全身に風を纏う精霊術を使った。読みを外した。鋭く飛ぶ水槍を、ノラはフワリとかわす。

 そこにできた空隙。流れるような動きでノラが空中の足を蹴り出した。

「がはぁ!」

 足の先端から出てきたのは小振りなナイフ。仕込みナイフだ。ナイフは私の膝に深々と刺さる。


「足は潰したぜ」

「イマ オン ウジム」

 ならばこちらは動きを封じさせてもらう。滞空しているノラを包み込むように水の網を生成。ノラを包み込んだ。


「んなっ!」

「ウオシウス エタナウ」

 素早く次の精霊術を行使。放たれた水槍は今度こそ、ノラの腕を貫いた。


 *


「ぐ…」

「あがぁ」

 水の網が消える。ノラが地面に落ちると同時に私の膝からも力が抜けた。少しの小休止。私もノラも苦痛に喘ぐ。


 幸か不幸かナイツナイツ家の人間も、アンメルン家の人間も私達の戦いに割って入ってくる様子はない。というよりも割って入る余地がないのだろう。それほどまでに私たちの実力は家の者たちと隔絶している。


 サギタ師の元で一年間鍛え続けた私と、ノラの実力は切迫している。そのことに対する驚きはない。

 天性の勝負勘と勝利を狙う嗅覚。ノラにあって私には無いものだ。本能で最適解を判断する。それができない私は、極限の状況下ではわずかに判断が遅れてしまう。ミスを犯してしまう。


「くっ…ひひ」

 荒い息を吐くノラが嗤った。思わずゾッとする。ノラの周囲からおぞましい何かが漂っている気がする。


「ノ…」

「やっぱりつえぇなぁ。兄貴は。俺も大概強くなったつもりだったけど。『このまま』じゃ勝てねぇな」

 ドクドクと水槍で貫かれた腕から血が流れ出ている。だがそれは膝を壊された私も同じだ。治癒の精霊術を使えない以上、この戦いではもう走って動き回ることはできないと考えてもいい。


「ウレアノト アロン」

 だが、そんな思考を吹き飛ばすような詠唱をノラは始めた。「ウレアノト」。その言葉に私は耳を疑う。

「馬鹿な…」

 その単語は精霊たちに対する宣誓だ。これから自分にしか使えない精霊術を使うと、己の名を以って、精霊たちに伝える言葉だ。


 固有術式。「ウレアノト」から始まる精霊術をそう呼ぶが、これはごくごく限られた者しか使うことの許されない精霊術だ。私には扱えない。サギタ師でもその領域には至っていない。王国でも固有術式が使える精霊術士は一人いるかいないかだ。

 初級、下級、中級、上級を超えた固有術式。詠唱の中に新たな単語を組み入れて使う固有術式は、効果が読めない上にそのほとんどが強力だ。

 発動すれば勝てない。だが動揺した私は精霊術を編むことも、槍を使うこともできずにただノラの詠唱を聞いているだけだった。


「ウニアロン アウ エロ ウレオウ イアウ オウ イト…わんわん」


 詠唱が終わる。一陣の風が吹き抜けた。同時に私の体にいくつもの赤い線が走る。

「これは…がはぁっ!」

 私の全身が切り裂かれ、私の周りに血だまりができた。寒い。意識が朦朧とする。なすすべなく、私は崩れ落ちた。


「わんわん。ぐるぅぅ」

 ふざけたような声が聞こえた。暗くなる視界をそちらに向ければ、当然の如くそこにいるのはノラ。だがその立ち振る舞いは異様だった。


 ノラは二足歩行することを止めていた。両手足の四本足で立ち、舌をダラリと垂れさせている。

 その目は血走り、瞳孔が細長くなっていた。大地を踏みしめる力は強いようで手足の爪は地面にめり込んでいた。

 負傷した右肩の剣を口で咥え、左の剣を二本の指で持ったノラの姿はまさしく獣。野生に生きる獣そのものだ。


「がるる」

 グラリと、私の体が傾く。ノラの姿が消えた。何も見えなかった。速すぎる。風が吹き抜けた。痛みが後からやってくる。鎧ごと胸を深く斬られた。


「っ…」

 意識を保つのももう限界だった。倒れる私が最後に見たのは。


「…わん」

 救いを求めるかのような目をしたノラの姿だった。



 ***   ***



 ***   ***



「…とまぁ、ここまでが私の見合い話の半分だ」

「何と言うか、すごい話ですね。それ」

「だろうな」

 一息つくために器を口に運ぶ。

「む」


 気づけば酒がなくなっていた。器を座卓に置くと、二杯目を女将が持って来てくれた。

「ありがとう」

「いえいえ」

 酒の隣には秋ごろ咲く綺麗な藍色をした花が置いてあった。6枚の花弁がピンと立ち、淡い青色の「夜の海」とよく合っている。


「さすがだ」

 いつの間にかに客は随分と減っている。今いるのは私たちと、話の途中で店に入ってきた体格のいい男とその連れの女だけだ。

 そちらからは目を逸らし、改めて冷えた「夜の海」で口を湿らせる。


「ふぅ」

 しばらく話していると、腹が減るな。そう考えていると、いつの間にかに女将の隣にいた店主が新鮮な野菜を使ったつまみを出してくれた。

「これは」

「サービスです。いつも来てくれるから、そのお礼に」

 私がつまみを食べないのは、その味で酒の味が濁ってしまうように感じるからだ。しかしこれならば酒の味を邪魔することはないだろう。野菜のさわやかなうまみを堪能する。


「その後はどうなったんですか?」

 私がつまみを食べ終わる頃合いを待って、トコイルが口を開いた。


「別にどうもしないさ。目を覚ました私は傷の手当てを受けて、私が騎士団に入った三か月後に、弟が家を捨てたことを知った。全く愚かだったよ。たった一人の弟が勘当されたというのに、兄である私は槍術の稽古に夢中だったのだから」

「そんなことはないでしょう。お客さんの父親はそのことを伝えもしなかったんだから。責められるべきはそちらです」

 と店長が言う。その隣では彼の妻である女将もうんうんと頷いている。


 残った客はいいのだろうか。…別にいいのだろう。特に何かを注文する様子もないのだし。だがこの二人に話を聞かれるのは少し恥ずかしい。

「そうだ。せっかくだから何か作ってきますよ」

「お酒も持ってきますね」

 どうやら本格的に居座って話を聞くらしい。二人の顔には悪戯げな表情が浮かんでいた。


 厨房の奥を見れば、店長が片手だけで実に器用に料理を作っていた。店長は昔とあることがきっかけで片腕を失っている。そんな身でありながら店一つ経営しているのだ。頭が下がる。

 すぐに女将と店長は戻ってきた。女将は冷えた水と口当たりのいい、度数の低い酒をいくつか持って来て、店長は魚の刺身とサラダを作ってきた。


「まだまだ夜は長いんです。じっくり話しましょうよ」

 そそくさと女将が店の看板を下ろして言う。私はわずかに苦笑して話を続けた。



「そうだな…。波乱はあったが結局縁談は潰れなかった。ケチこそついたが元々両家の結びつきを強めるための縁談だ。私とフーラは月並みに手紙交換から始まり、月に一度ほど会うようになった」

 ナイツナイツ家の悪習に気づいたが、家を出ようとは思わなかった。理由は自分にも分からない。家名が惜しかったわけではない。サギタ師は家名如きで師弟関係を解消するような人ではなかったし。ただもしナイツナイツ家を出てしまえば、二度とノラと会えなくなるような気がしていたのかもしれない。

 ノラはナイツナイツ家を嫌っていたが、同時に執着もしていたから。


「2年ほどそんな関係が続き、私は16になった。そろそろ結婚するにもいい時期だ。ついに婚約が結ばれたのだが、私はフーラから愁いを感じていた」

「まぁ!」

 口に手を当てて、女将が上品に声を上げる。


「どうにも心あらずというか、私に心が傾いていないというか。私に心が傾いていないのはいいのだ。私とて、騎士としての力を磨くことばかりに気をとられていたからな。深く気にしてはいなかった」

「そ、それでいいんでしょうか」

 小さな声でトコイルが言う。私はその言葉に頷いた。


「いいだろう。家の方針の結婚で、情がある方が稀だ。それに共に過ごす中で育つ情もある」

 私とフーラの場合は古くからの知り合いだったが、色恋の情が芽生えることはなかった。だがそれも夫婦になればまた変わるのではないかと、漠然と考えていた。


「それに当時の私は強くなることにひどくこだわっていたからな。ノラの固有術式。あれは私を強く打ちのめした」

 いくら積み重ねても届かない領域がある。それを思い知らされた気分だった。強くなりたいという望み。ノラへの情。焦燥にも似たその二つが、私の武技を急激に高めていった。

 騎士としての職務とフーラとの縁繋ぎ。最低限の食事と睡眠以外は全て修練につぎ込んだ。絶え間なく、終わることなく。サギタ師もそれに付き合ってくれた。今思えば初老の彼にとっては堪える生活だったはずだ。

 今は亡き師に深い感謝を、だ。



「話が大きく動いたのはフーラと婚約して、結婚という段になった時だな」

 その時はすでに騎士団の中でエクスの名前は広く知られていた。騎士団長サギタの弟子にして、サギタに次ぐ実力の持ち主。

 だがその武は騎士団に広く響いていても、功績がなかった。元より小国で戦争など滅多にしない国だ。武功を立てる機会がない。


「はずだったのだが、最近王都を騒がせる犯罪組織がいてな。組織の名は『犬小屋』。リーダーの名前は『野良犬』だった」

 本来ならば犯罪組織の壊滅は騎士団の仕事ではない。だがリーダーの野良犬が尋常ではなく腕が立つということで、騎士団に要請が来たのだ。

 武功を立てる機会だ。ナイツナイツ家はそう思ったらしい。それでエクスに白羽の矢が立った。


「野良犬、ですか」

 トコイルは目を伏せ、考え込んでいる様子だ。一つの予感が彼の頭をよぎっているのだろう。それは間違ってはいない。


 秋の夜に語る昔話は終わりに向かって転がり出す。

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