第五章01/違法ドラッグ(後編)ー覚せい剤“メタンフェタミン”ー
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私は、渡された覚醒剤を、パケの上からブロンの空き瓶でゴロゴロ転がし潰していた。
それはそれは、粉末にしか見えないほどに。
やがて、覚醒剤がパウダー状になったのを確認した私は、普通のストローよりも細い、百均で購入したストローで、粉を差して掬いとった。
この細いストローがなければ、他にも耳匙を使ったりカードを曲げてその上に粉を乗せ傾けて中身に入れたりする方法もあるが、やはり細く色の着いているストローのほうが注射器の内筒に入れやすいのである。
普通のストローでは、内部までストローが入っていかない為、少し手元が狂ってしまえば、粉が床に吹き飛んでしまう。それは耳匙でも同じだ。
当時の自分の信条は、一つまみのシャブですら命に代えがたい、であったからこそ、この内筒に全て入り掬うのに適している細長いストローを選んだのだ。
注射器の中棒ーー以下、押し棒(あるいは押し子)とするーーを一旦引き抜き、粉状にした覚醒剤をストローで救い、内筒に入れる。
よくドラマなどで見かける『スプーンの上で炙ってから吸う』という方法は、ここ近年、十年~二十年前くらいからやるひとはいなくなった。
なぜなら、注射器が変わったからだ。
昔はガラス製の針だけ付け替えるガラポンと呼ばれる注射器が流行っていたが、ここ十数年は、インスリン用の使い捨ての注射器しか出回っていない。
ガラポンは、タバコのフィルターなどに溶液を浸して、それに針を刺して吸い込む等といった方法が主流であったが、使い捨て注射器の場合は、そんな手順は不要なのだ。
また、コカインやヘロインは水に溶けにくいがために炙って溶かす必要があるが、覚醒剤は水に綺麗に溶けるため、それらは不要な手順なのである。
中に粉を入れたら、押し棒を差し込み、強く、ぎゅうぎゅうと粉を圧迫する。
その位置のメモリでだいたいの量が推測できるらしい。
1ml=1gであり、インスリン用の使い捨て注射器は1mgの40メモリ50メモリ100メモリと多種多様の物が存在している。
私が不思議に思うのは、糖尿病の患者がインスリンを自己注射するための道具に、随分昔から、これらは使われなくなっているということだ。
それなのに、なぜか裏社会でこれらの注射器は品切れしない。切れることがない。
つまり、未だに製造しているということだ。
誰の為に製造しているのか些か疑問に感じるが、その話は陰謀説染みてくるので今回は控えよう。
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0.03mlまで入ったから、0.03g(※1)だな?
つまりは、初心者使用量ぴったりだ。
私は白い粉が入った注射器のキャップを開き、水でいっぱいになっているブロンの空き瓶に針を浸した。
押し棒を引き水を0.1mlまで入れ、ネットに書いてあったとおり、ネタ1対2水、に近い割合にする。
水から針を離し、押し棒を0.5mlほどまで空気を入れた私は、ひたすら手を上下させて注射器をシェイクさせる。
次第に覚醒剤と水が混ざりあい、メタンフェタミン水溶液が完成した。
針を上に向け、器用に空気だけを……気泡が残るな……残る……ええい! かまわん! 多少の空気くらい気にすんな!
なかなかヤケクソ気味であるが、経口や炙り、スニッフといった方法では満足、いや、効かなくなってきていた私は、とにかく早く注入したいという気持ちでいっぱいいっぱいだったのだ。
右手で注射器を持ちーー小指と薬指、親指で注射器本体の真ん中辺りをつまみ、中指と人差し指で押し棒を引けるように挟みーー、左腕を消毒綿で拭い清潔にした。
消毒は、乾いてようやく完了する。
乾くのを待ちながら、俺は注射器を握りつつ、右手で太く・真っ直ぐな・弾力性のある静脈血管を探した。
肘内側のど真ん中にある太い場所ーー肘窩ーーにある静脈血管に狙いを定め、学んだとおり、斜め二十度以下くらいの角度で差し込んだ。
しかし……。
「あれ? 逆血が起こらないぞ? なんでなんで?」
グイグイ針を動かしても、血管には当たらない。
仕方なく抜くと、抜いた瞬間、内容液に血が混ざり、傷痕から血が滲み始めた。
「はぁ!?」
仕方ない。
次は左腕肘窩付近の体側に通っている血管を狙おう。
血管に到達すらせずーー
ーー失敗。
し、仕方ないなぁ、外側だ!
なんか痛いからやめてーー
ーー失敗。
手の甲と肘の真ん中から、少し抹消側にある太い血管ならどやっ!?
痛い痛い、怖いからやめとこーー
ーー失敗。
と、十数回にもおよぶ失敗を繰り返し、気がつけば、私の左腕は赤い点々まみれだった。
まるで、血管を走る斑点が渋滞しているみたいじゃないか……。
諦めて、その日は針先を口内に向けて発射。
血の鉄味と覚醒剤の苦味がブレンドされた、なんとも表現し難い二度と味わいたくない風味が口に広がるのであった。
『ねぇ……今ならまだ、引き返せるよ? 意地でも注射する気? その先には、地獄しか待ってないのに? ねえ、一応、砂風が望んだからこそ生まれたわたしだから、間違った道に行くまえに引き留めてあげる。もう、注射はやめて、薬物はトイレに流して、道具はゴミ箱に捨てなさい』
(は? 珍しいじゃん、俺の心配なんて……。平気平気、案外、やめようと思えばやめられるもんだからさ)
『その認識が間違ってるのに……もういいよ……知らない……』
なぜか、瑠奈が泣いているような気がした。
暴言ばかり言ってきていた瑠奈が、初めてまともに会話をしてくれた内容……それは、自身の薬物乱用をやめろという忠告だった。
既に、瑠奈はこうなる未来を知っていたのかもしれない。
自身の脳内友達、妄想でしかない存在が、自分の行いに対して嫌悪を抱き拒絶する。
この辺りから、瑠奈が単なる脳内にいる空想のお友達でしかない、といった考え方が変わっていき、瑠奈は実在する、といった思考に変わっていくことになる。
奇遇にも、このとき薬物をやめなかったからこそ、それに気づけたのかもしれない……。
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※1/正確には、0.08gで0.01mlである。つまり、1ml=0.8gなため、目視での量より実際に入っている量は少ないと考えてもよい。
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数十回の練習により、ようやく初めて逆血なる現象を目の当たりにした。
その日、何故だか注射しているのを瑠奈に見られたくなく、私はトイレに引きこもって何回か注射をしていた。
通常、針は4、5回も使えば、先端が歪み刺す際に強い痛みが伴うようになってしまう。
新品なら、肘窩近辺であれば痛みなどほとんど感じない。感じるのは、血管外漏出したときだけだ。
左手で注射器を握り、右腕の肘窩から5センチほど末梢に向かった辺りにある、腕の内側から外側へと斜めに走る血管へ、針を中枢に向けて穿刺した。
そう。最初の数十回は大切なことを忘れていたのである。
それは、注射する向きだ。
今まで自分は、なぜか針先を手のひら側に向け、注射器本体が二の腕に傾くという、中枢から末梢へと針を刺していた。
しかし、静脈血管の流れは末梢から中枢である。
そりゃ逆血しないはずだ。
改めて理解した私は、前述の場所に刺して、意外と深くにあることも学んだ俺は、素早く、なおかつ冷静に針を進めた。
針が皮膚から2mmしか見えないだろう位置に到達した瞬間、内容液に赤い液体が、びゅっ、と入り、茸雲みたく、もわっと広がったのである。
ーーきたぁあああああああ!!
私は注射器の角度を無くし、少し針を進めてから、再び押し棒を引いた。
すると、再び血液が液に飛び込む。
そこからは慎重に、針を動かさず、力を抜かず、ゆっくり、ゆっくりと押し棒を押してきて、内容液を血管に注いでいく。
やはり成功すれば痛みは皆無らしく、むしろ次第に強まっていく噛み締めと震えーー震戦ともいうーーが気がかりだった。
全て注ぎ入れた私は、針をサッと引き抜き、患部に清潔なティッシュを当て、針が刺さったであろう血管のある位置を親指でやや強めに圧迫する。
息が荒くなり、額や頬、手足からまでダラダラと汗が溢れていく。
「かはっ! な、なんだよこれ? 今までのはなんだったんだ!?」
経口や舌下、スニッフや炙りなんかでは比べ物にならないくらい、強い爽快感と高揚感。
曇っていた目の前が、瞬時にクリアに空ける心地のよさ。
手足は冷えるが、身体は暑くなり汗が止まらない。
今まで乱用していた覚醒剤はーーそれも、0.03gなんかよりも余程多量に使っていた筈なのにーーいったい何だったのだろう!?
それほどまでに、静脈注射とそれ以外の方法では、得られる薬効が違っていた。
経口が1なら、静脈血管は8、いや、10とまで言っても過言ではないかもしれない。
凄まじい快楽に、しばらく身を浸した私は、急いでトイレを出てベッドに向かった。
なぜか唐突に、抱き枕カバーを整理整頓したくなったからだ。
『はぁ……ぅぅ』
(ん……? まあいいや、今さら瑠奈のことなんて)
抱き枕カバーの整理整頓ーーこれが、覚醒剤の厄介な効果のひとつ、カタにハマるという現象である。
覚醒剤乱用者は、得てして意味のない行動に精を燃やしてしまう。
きちんと整理してある100枚近い萌え系の抱き枕カバーを全て棚から取り出した私は、一枚ずつ、開いては畳み直して、開いては畳み直してーーを繰り返し、元どおりにするという、なんとも無意味かつ無駄な奇行に走ってしまった。
ちなみに私は、この『抱き枕カバー整理整頓』のほかに、『医薬品箱整理整頓』『覚醒剤の知識探求』『自慰のオカズ探し(だけで毎回薬効時間が切れて後悔する)』『ベッドの清掃』などを何度も行ったことがある。
人によってかたはまりは異なり、部屋の掃除や、耳掻きや爪切り、髭抜き、パズル、ゲームなど、様々な種類がある。
注射だと、いきなり覚醒剤が最大血中濃度に到達するため、この集中する方向が一瞬で決まりやすいのかもしれない。
とはいえ、最初からやることを決めていればそうそう陥らないが……。
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この日から、私は覚醒剤の注射を、何日かに一度、トイレで行うことになった。
日に日に瑠奈は活力がなくなっていき、話しかけてくる言葉が穏和になるという変化を遂げたものの、なぜかもの悲しそうな雰囲気を醸し出しつづけていた。
その原因に気がつくのは、覚醒剤を毎日打つようになったあるとき。
瑠奈の我慢が爆発し、盛大に泣きながら怒鳴ってきて、ようやく理解に及んだのだ。
その瞬間まで、しばらく覚醒剤依存期はもうしばらくつづく。
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次は、覚醒剤をやめようと決意した日までについて書こうと思う。
また、睡眠導入剤に依存する前触れがこの辺りにあったことも記載したい。