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魔術師と法術師  作者: 柏木 冬霧
第2章 任務開始
79/90

それぞれの休息日 ~宏也&聡子編~

先週に引き続き、投稿致します。

前回のお約束通り、週末にまた投稿予定です。

前・中・後のお話になりますので、3部続けて投稿出来ればと

考えております。

 東京都品川区東五反田某所・長峰荘8号室

 8月7日 金曜日 午前7時57分


 《ビー・ビー・ビーーーーッ》


 インターホンどころか呼び鈴とも言えないブザー音が、すでに暑くなりかけている朝の空気を震わせた。

 建屋の2階にも関わらず、やけに日当たりが悪く穴倉の様な長峰荘の8号室。言わずと知れた、宏也の自室であるこの場所を訪れたのは、涼子と日課のランニングを終えた聡子であった。

 今鳴らしたブザーが既に2回目、中からは何の反応も無く静まり返っている。聡子は溜息を吐きながら3回目に挑むべく、細い人差し指で力強くブザーを押し込んだ。


 《ビーーーーーッ・ビーーーーーーッ・ビーーーーーーーーーーーーーッ》


 流石に家主も今回のブザーには気が付いたようで、ドッタン、バッタンと激しい音がした後、ガチャガチャと鍵を開ける音が続いた。


「うっせーなぁ。誰だよ! こんな朝っぱらから、家に押しかけてくる傍迷惑なヤツは?!」


 あからさまに不機嫌な様子で、開けたドアから顔だけ出した宏也は、来訪者が聡子であると解ると慌てて不機嫌さを引っ込めた。


「なっ、何だ、聡子かよ。どうした? こんな早い時間に、めかしこんで」


 宏也である事を差し引いても、お洒落をして訪ねて来た女性に対して、何ともデリカシーの無い一言である。


 確かに彼の言う通り、今日の聡子は普段のそれとは見違えるくらいお洒落な恰好である。トップスであるレモンイエローの7分袖コットンシャツは、デザインこそシンプルなものだが嫌みのない可愛らしさを醸し出しているし、ボトムスは動きやすそうなデニムのマキシスカート、足元は夏らしいデザインのミュールという出で立ちである。

 ちなみに想像に難くないが、対応している宏也は当然寝起きであり、世の独身男性にありがちなヨレヨレのTシャツにハーフパンツという何とも残念な格好である。


「おっ、おはようございます! いえっ、宏也さんもしかして暇かな~、なんて思って……」


 少し頬を赤らめながら、ドギマギとした感じで答えた聡子に、申し訳なさそうな声で宏也が答えた。


「いやぁ、今日はちっと部屋の片づけでもしようかと思ってるんだが……」


「そっ、そうですか…… すみません、突然押しかけたりして…… 私、帰りますね……」


 傍目から見てもその落胆具合が解るくらい俯きながら、とぼとぼとした足取りで階段に向かおうとする聡子の、珍しく下ろした長い髪から甘いシャンプーの香りが漂う。


「ちょっ、ちょい待て、聡子。折角来たんだし、コーヒーくらい飲んでけよ。なっ?」


 その芳香に後ろ髪を思いっ切り引かれた宏也は、慌てて聡子の手を掴むと、強引気味に自室へ招き入れた。


「相変わらず散らかしてて、悪りぃな。まあ、適当な所に座ってくれや」


「はい、お邪魔します……」


 声を掛けつつコーヒーの用意をする宏也に、呟くように返事をした聡子は部屋を見回す。今日で2回目の来訪になるが、片付けようと考えるのが当然と思えるほど、本当に雑然とした酷い部屋である。


「ここんとこ、久世の家に厄介になってるから、たまには帰ってきて空気の入れ替えくらいはしねえとって思ってたんだが、それよりも汚さが目立っちまってな」


 マグカップを手渡しながら、言い訳のように宏也が話す。


「そうですね…… このままじゃ、カビが生えそうですもんね」


 日当たりが悪くジメジメした感じから、そう聡子は言いながらコーヒーを含んだ。


「あははははっ、全くだ。独身男の1人暮らしはダメだな。何でも面倒くさくなっちまって。全部片付けたら、どれくらいかかるんだか解ったもんじゃねえ」


 始める前から、げんなりとした表情を見せる宏也。そこへ、パッと俯いていた顔を上げた聡子が勢いよく尋ねる。


「あのっ、片付けが早く終われば、その後の予定は無いんですか?!」


「おっ、おう。特に何するって事はねえけど……」


 そんな彼女に驚きつつ宏也がそう答えると、聡子はスクッと立ち上がって言い放った。


「じゃあ、パパッと終わらせちゃいましょう! まずは、洗濯からですね!!」


 聡子は、部屋の隅で山になっていた、どう考えても洗って無さそうな衣類に近づくと、ガバッと抱え上げて洗濯機の方へ歩いて行く。


「おっ、おい、聡子……」


「宏也さんは、お布団を畳んで押し入れに仕舞ったら、空き缶とか空き瓶を分別しながら袋に入れてまとめて下さい! その後は、散らかった燃えるごみを纏めて下さいね」


 聡子を止めようとした様子の宏也だったが、逆に彼女に指示を出されてしまい、何も言えず指示された事を始めるしか術がなかった。


 約2時間後────


「よし! これでお終いっと。結構、時間掛かりませんでしたね」


 乾燥機をかけた洗濯物の最後を箪笥に収めた聡子は、やりきった満足気な表情を見せた。

 一方、疲れた表情の宏也は、


「いや、ホントに助かったよ。ありがとな、聡子」


 感服した声で、彼女に礼を述べる。彼の良い所は、素直に躊躇なく礼が言える所なのかもしれない。


「いえ、殆ど自分の為にやった様なものですから。これで、この後の予定は無いんですよね?」


「ああ、そうだな。早く終わった事だし、どっか出掛けるか?」


 流石の宏也も、おめかし・お手伝いと続けば、聡子が何を求めているのかくらいは、察する事が出来るだろう。


「はいっ!! じゃあ、これと、これに着替えて下さい」


 満面の笑みを浮かべた聡子は、箪笥からカジュアルなカッターシャツとチノパンを出すと、宏也に手渡した。


「おっ、おお。解った……」


 既にぐうの音も出ない宏也である。今日の主導権は、完全に聡子が握ったと言って良いだろう。

 10分後、高くなった日の光を眩しそうに目を細めながら、長峰荘を後にした。


「朝飯食って来たか?」


「いえ、まだですけど」


「んじゃ、取り敢えずブランチでもすっか。片付けのお礼に、いいとこ連れてってやるよ」


 1区画離れた駐車場に止めてあった、宏也の愛車シルバーのレパードに乗り込むと、すぐに交わされたそんな短い会話で、彼は行先を決めた。

 学校が夏休み期間中とはいえ、一般的には平日の昼前である。渋滞に捕まる事もなく、運転席の宏也は助手席の聡子をチラチラと伺いながら逗子方面に向けて、滑らせるように車を走らせていく。

 ぽつぽつと脈絡のない会話をしながら1時間半ほど、さほど大きくない港町を抜け、防波堤が続く海岸通りのカーブを曲がると、地中海のブリュターニュ地方を想わせるような白壁の小さな建物がポツンと現れた。

 道沿いにそれらしき看板もなく、一見すると町外れにある好事家の別荘とも思えるその場所に、宏也は車を停めた。


「さあ、着いたぞ」


 そう言いながら車を降りる彼に(なら)って車を降りた聡子は、後に付いて建物の入り口に進む。ドアには、店の名前らしき〈fruits(フリュイ) ()de() ()mer(メール)〉の文字が書かれており、〈ouvrir(オープン)〉の板が下がっていた。


「宏也さん、フリュイ・ド・メールってどんな意味なんですか?」


 行きつけなのだろうと感じた聡子は、ドアを開けて中に入ろうとする彼の背中に尋ねる。


「ああ、フランス語で海の幸って意味らしいぜ。まあ、魚介類だけじゃなくて、何食っても美味いけどな」


 そう答えた宏也は、チラッと彼女の方を振り返りながら嬉しそうな笑顔を見せた。


「いらっしゃいませ。なんだ、宏也じゃないか」


「なんだはねえだろう? ひっでえなぁ!」


 レジ前に居た店主らしき男性が掛けた声に、宏也は抗議の声を上げるが、男性は意にも返さない。


「いらっしゃい、お嬢さん。景色の良い海側のテラス席が空いてるから、そこにしようね」


「あ、ありがとうございます」


 宏也を置き去りに、聡子をテラスの方へ案内し始める男性。


「俺も客なんだけど……」


 そう言いながら後に付いて行く宏也は、やれやれと言った表情を見せた。


「本日は、ご来店ありがとうございます。メニューをどうぞ。今、お冷とおしぼりをお持ちしますね」


 2人が席に着くと、男性は笑顔でメニューを手渡し、カウンターの方へ戻って行く。その後ろ姿を横目にしながら、聡子はメニューを開いた。


「宏也さん、お勧めは何ですか?」


 様々な料理名が並ぶメニューに、視線を落としながら聡子が尋ねると、彼は苦笑いを浮かべながら答えた。


「お勧めって言ってもよぉ、何食っても美味いからなぁ……」


「じゃあ、今日は宏也さんの奢りですから、オーダーは任せますね」


「おう、分かった。何か食えないもんはあるか?」


「特に苦手な物は無いです」


 メニューから顔を上げ聡子がニッコリと宏也にほほ笑むと、彼もニンマリとした笑みを浮かべ返す。どうやら宏也には、聡子に食べさせたい物があるようだ。


「お待たせしました。お冷とおしぼりですね。御注文は決まりましたか?」


 良いタイミングで、先程の男性が戻って来た。先程、宏也に投げかけた『なんだ~』に比べ、聡子に気を遣ってくれているのが分かる、丁寧な対応である。


「うーんと、ランチコース2つと、ブイヤベースは出来てる?」


「ああ、出来てるよ」


「じゃあ、ブイヤベース2つ。あと、今日のピザは?」


「自家製のアンチョビと夏野菜、お好みでパンチェッタを追加トッピング」


「あっ、それ美味しそうですね」


「じゃあ、それ。セットのアイスティーは食前で良いよな?」


「ええ良いですけど、ミルクティーにしてもらえますか?」


「はい。1つは、ミルクティーでね」


「それと、食後に自家製レアチーズケーキと、ホットコーヒーを2つね」


「了解。少し時間掛かるけど、大丈夫かい?」


「ああ。特に予定も無いし、のんびりさせてもらうよ」


 一通りの注文が終わると、男性は笑顔で「ごゆっくり」と言って厨房の方へ向かって行った。


「いい雰囲気のお店ですね」


 聡子は、店内をぐるっと見渡す。広めのテラスには、自分たちが座っているテーブル席のみであり、中も2人掛けのテーブルが2席のみしかない。その分、間隔が広くとられているので、他の客を必要以上に意識する事なく、のんびり出来そうだ。


「ああ。ここは、さっきのおっさん、宮下さんっていうんだが、おっさんがオーナーシェフで料理も配膳も全部1人でやってる店なんだ。景色を見ながら、ゆっくりと食事をして欲しいからって理由で、お客は同時に3組6人までしか入れない。俺は、おっさんと古い知り合いなんだが、この景色と雰囲気が好きで、少し前までは良く通ってたんだ。最近は、ちょっと足が遠のいちまったけど……」


「でも、1人で全部を賄うって凄いですね」


「そこが、おっさんが一番こだわってる所なんだけどな。年取ったせいか、最近は昼1組、夜1組にしようかって考えてるみたいなんだ」


「ちょっと、残念ですね」


 ついさっき見た、宮下の嬉しそうな笑顔を思い出しながら、聡子はポツリと呟く。向かいの宏也も、どことなく切なげな様子だ。2人の席から、少し沈んだ雰囲気が漂い始める。


「なんだいお2人さん、そんなしんみりしちゃって。折角のデートなんだから、もっと楽しそうにしなきゃ」


「いっ、いえ。これは、デートじゃなくて……」


 アイスティーを持って来た宮下に、突然そんなことを言われた聡子は、顔を赤くしながら否定しようとするが、先程の宏也と同じく宮下は意にも返さない様子で話を続ける。


「ブイヤベースは、コースのスープで出すね。ピザは少し時間が掛かるから、メインの料理と一緒に。食べ終わった頃に、デザートを持って来るからね」


 アイスティーの配膳をしながら、ニコニコと笑顔を見せた宮下は、そう言い残すとサッと厨房へ戻って行った。宏也の連れだからなのかそれとも素が出たのか分からないが、オーダーの時より砕けた話し方をした宮下に、聡子は少なからず親しみを覚えた。


「ったく! 余計な事言いやがって……」


「クスクスクスッ」


 宮下の後ろ姿を目で追いながら、照れくさそうに悪態を付く宏也に、聡子から笑いが漏れる。『笑うなっ』と宏也が言おうと彼女の方へ向き直ると、2人の視線が交わった。


「なあ、聡子。今日、どうして俺の部屋に来たんだ?」


 暫し沈黙が続いた後、宏也は唐突に尋ねた。


「それは、宏也さんに予定が無かったら、一緒に出掛けたいなって思って……」


 聡子は、やや伏し目がちになりながらも、はっきりとそう答えた。

 それは、今こそ自分の気持ちを、ちゃんと彼に伝えようと心に決めた聡子の決意のあらわれであった。


「そうか……」


 一言だけそう言うと、宏也は何も言わずにアイスティーを口に含む。

 そして、彼はいつも以上に真剣な眼差しで聡子を見つめると、自らの心に秘めた想いを彼女に告げた。


 3時間後───


「ありがとうございました。今度は、ディナーに来てみて」


 宮下に見送られながら、2人は車に乗り込み帰路につく。

 途中、涼子から届いたLIGNE(リーニュ)を見て、宏也は自宅とは反対の方向へハンドルを切った。


 ぽつぽつと光り始めた街灯の灯りを反射しながら、シルバーのレパードは黄昏色の湾岸線を走り抜けて行く。

 その日、2人が久世家に戻る事は無かった。


不定期更新です。

いつも、ありがとうございます。

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