紫苑の受難
いよいよ梅雨入りしましたね。
暑かったり、寒かったりコロコロと変わる気温にグロッキー状態です。
兵庫県神戸市中央区某所・魂の守護者たち日本支部・支部長室
7月19日 日曜日 午前11時48分
一通り泣きつくした沙希が落ち着くのを待って、涼子は上京するための準備を始めた。
協会幹部からの要請とはいえ、何もせずに出かけるわけにはいかないのが支部長としての立場である。テキパキと支部幹部を会議室に呼び出した涼子は、経緯の説明と自身が不在の間の指示を行って支部長室に戻って来たのは、15分にも満たない時間であった。
〈なんだかんだ言っても、仕事が出来るタイプの人なんだよな、涼子さんは……〉
平然とした表情で部屋に帰って来た涼子を見ながら、紫苑は実戦以外で初めて見る彼女の仕事ぶりに感心するのであった。
そんな紫苑をしり目に、会議室から戻って来た涼子は、自分のデスクにある私物をいくつかバックに詰め込むと、
「よし。これで必要な事は済んだし、のんびりしてると東京へ着くのが遅くなっちゃうから、そろそろ移動し始めましょう」
そう沙希と紫苑を促して、支部長室を後にした。
部屋を出てすぐ、秘書の杉山聡子がいるはずのデスクがあるのだが、彼女の姿はそこには無かった。
「あれ? 杉山さんがいない。奥にいるんですかね?」
接触した時間はわずかでしかなかったが、お世話になった彼女へお別れの挨拶をしようとしていた沙希が、そう涼子に尋ねながらデスクの内側を覗き込むと、通路側から見えないように仕切られているパーテーションの向こう側から、ゴソゴソと何やら怪しげな音がしていた。
沙希は紫苑と涼子の方を振り返り、
「何か、ゴソゴソ動いてるみたいだよ……。ふっ、不審者じゃないよね?」
引きつった顔をしながらそう言うと、もう一度、恐る恐るパーテーションの方へ顔を向けた。
「あれっ、もうお出かけですか? 思ってたよりも早いですね。ちょっと待ってて下さいね。すぐ準備できますから」
そこには、パーテーションの端から頭だけをひょっこりと出しながら、にこやかにそう声を掛ける聡子の姿があった。
彼女はそれだけ言うと、再びパーテーションの陰でゴソゴソと何かを続けていたが、程なく、
「お待たせしました。さあ、参りましょう」
笑顔を見せながらそう言って、パーテーションから出て来た彼女の手には、大きめのボストンバックが握られている。さらに、彼女の姿は、支部長室にお茶を持って来た時とは明らかに違い、胸元まである長い髪をサイドテールに縛り、いかにも秘書といったデザインのブラウスを動きやすそうなゆったりとしたブラウスに、タイトスカートをデニムのロングスカートにそれぞれ着替え、パンプスもヒールの低いものに履き替えていた。
それを見た涼子は、額に手を当てながら天井を見上げると、
「聡子さん。もしかして、一緒に行くつもりじゃないわよね?」
そう問い掛けた。それに対して聡子は、
「もちろん一緒に行きますよ。私は涼子さんの秘書ですから。いつも出張の時は一緒に同行させていただいてるじゃないですか」
と、さも当然の事であると胸を張って主張した。それまで注目していなかったのだが、彼女は沙希とほぼ変わらない背格好である。にも関わらず、少し得意げに逸らした胸は、ゆったりしたブラウスでもわかるくらいの大きさと整った形が自己主張していた。それを目にした沙希は、
〈くっ! 気が付かなかったけど、聡子さんもしっかり巨乳なんだぁ~。どうして、私の周りはみんな巨乳ばっかりなんだろう……。〉
落ち込むようにガクッと俯いた沙希の目には、一応それなりには膨らんでますよぉ~的な感じの胸が目に入った。
そんな沙希に気が付くことなく、聡子の言葉を聴いた涼子は、ズイッと彼女の前に歩み寄ると諭すように説明を始めた。
「あのねぇ、あなたも解っていると思うけど、今回はいつもの会議とか視察とは訳が違うのよ?」
「ええ、解ってますよ。東京のS級封鎖施設で沙希さんの特訓のお手伝いをするんですよね?」
「そうよ。それだけ危険も多いし、一筋縄ではいかない可能性だってあるじゃない。そんな所へ、あなたを連れて行くわけにはいかないでしょ?」
「えっ、どうしてですか? 危険な事は百も承知の上ですし、私これでも支部長と同じAランク守護者ですよ。それに、さっき支部長室で『あとは、守護師と治癒師が必要』って言ってましたよね? それなら、治癒師の私が同行するメリットはあると思いますけど?」
そんな押し問答を涼子と聡子は、お互いの顔を突き合わせながら言い合っていた。そんな2人の様子を、紫苑は苦笑しながら楽しそうに、沙希はおろおろしながら止めようか止めまいか迷ったように、手を上げたり下ろしたりしていた。
そんな中、ふっと何かに気が付いた涼子は、
「第一、あなたS級封鎖施設への入場許可を取ってないじゃない」
懸命に自分の有用性を話す聡子に、勝ち誇ったような声でそう言った。
聡子はその言葉に対して、一瞬たじろいだかのような表情になったが、すぐに俯き加減になって涼子から視線を逸らすと、
「さっき、紫苑さんと沙希さんの入場許可申請をした時に、私の分も一緒に申請しておきました」
と、今までの勢いが嘘のように小さく呟くようにそう答えた。その答えに涼子は唖然とした表情をしながら呆れたような声で、
「まったく……。準備が良いというか、抜け目がないというか……。私は、あなたの分まで許可した覚えは無いわよ?」
そう言うと、はぁ~っと溜息を付くように大きく息を吐いた。
「勝手な事をして申し訳ありません。ただ、お話の様子から、治癒師が必要だと感じましたので、私も何かお手伝いが出来たらと……」
少し顔を上げながら、怯えたような感じの声で言葉尻を濁しながらそう答えた。
そんな様子の聡子に助太刀したのは、今までのやり取りを傍観していた紫苑だった。
「まあ、いずれしても治癒師は必要なんだし、準備が出来てるんだったら手伝って貰えば良いんじゃね? Aランクって事は、実力もあるはずだろうし、わざわざ他の人を探す手間も省けるじゃん」
そう言って、彼はやや不機嫌そうな涼子を宥めた。
「それもそうね。聡子さんもここまでするからには、それなりの覚悟も出来てるだろうしね。納得は出来ないけど、紫苑がOKなら良しとしましょう」
涼子はそう紫苑に返事をしながら、
「本当に危険な所なんだから、絶対に無茶な事はしちゃダメよ! 何かあったら、必ず報告する事! わかった?」
そう聡子に促す。聡子は、パッと顔を上げて真面目な顔になると、
「はいっ! お約束いたします。無茶な事は絶対にしません。支部長、紫苑さんありがとうございます。沙希さん、一生懸命お手伝いしますので、よろしくお願いします」
そう言って、深々と頭を下げた。そんな聡子に涼子は、
「支部を出たら、あなたは同じチームの仲間なんだから、私の事を支部長って呼ぶのは止めてね」
そう声を掛けた。それに合わせるように紫苑と沙希も続けて声を掛ける。
「そうそう、俺と沙希の事もさん付けじゃなくて、君とかちゃんの方が良いな。聡子さんよりも年下なんだし。あと、チーム内では敬語は止めようぜ」
「うん。そうだよね。紫苑も私も堅苦しいのは好きじゃないし、敬語だと余所余所しくなっちゃいそうだよね。同じチームの仲間なんだから気楽に何でも話せた方が良いな。あっ、聡子さん、私のためにありがとうございます。よろしくお願いします」
沙希はそう言って、笑顔を浮かべながら聡子に右手を差し出した。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
頭を上げた聡子は、沙希に笑顔を返しながら差し出された手を握り握手をする。
「おいおい。言った傍から敬語になってるじゃん」
笑顔で握手をする2人を見ながら、紫苑は苦笑しながらつっこみを入れる。
「あれっ、ホントだ。あははははっ……」
つっこまれた沙希はそう言って、ごまかし笑いをする。
そんな沙希の様子が可笑しかったのか、一同に笑いが広がっていく。4人のいる空間は、それに伴って和気藹々な雰囲気に包まれたのであった。
一悶着あったものの、落ち着きを取り戻した一行は、支部を出るため一階に下りるべく階段を下り始めていた。
「とりあえず、支部を出たら、一旦、涼子さんのマンションへ寄ってから駅に向かう感じで良いんだよな?」
先頭で階段を下りる紫苑が、後ろを振り返りながらこの後の予定を確認をした。
「ええ、着替えも必要だしメインの魔導具も部屋にあるからね。ちなみに、聡子ちゃんも同じマンションだから」
涼子は歩みを止める事なくそう答えた。紫苑は、ジーンズのポケットからスマホを取り出して、時間を確認すると、
「今、お昼ちょっと過ぎだから、遅くても1時後半か2時ちょっと過ぎの電車には乗れそうだな」
そう後から下りてくる3人に伝えた。それを聴いた涼子は苦笑しながら、
「そう上手く行くかしらねぇ……」
と紫苑には聴こえないくらいの声で、ぽつりと呟いた。涼子と並んで階段を下りていた沙希には、その呟きが聴こえていた。
〈紫苑の言ってた時間って、結構余裕があると思うんだけど……〉
声にこそ出さなかったものの、どうして涼子がそんなことを言うのか、沙希は不思議に思っていたのだが、その答えは、それから3分後に発覚することになる。
階段を下りきった一行が、事務所へ続く扉を開けて進んで行くと、受付のカウンターの前に10人ほどの女性が集団になっていガヤガヤしているのが目に入った。
相変わらず一行の先頭は紫苑であったのだが、それが災いするとは彼を含め、誰も考えていなかった。
カウンター前の集団の一人が、先頭を歩く紫苑の姿を捕らえると、
「来たっ!」
という声を上げたと同時に、一斉に紫苑の方を向いた女子集団は、間髪入れずものすごい勢いで駆け寄って来たのである。
集団は、紫苑にまとわりつくかのように周りを囲むと、
「紫苑君、久し振り! 私の事忘れてないよね?」
「紫苑君、一緒にランチしに行きましょ」
「ちょっと、私の紫苑君に気安く触らないでよ!」
「今日は泊まりなんでしょ? 美味しいイタリアン見つけたから、夜は私とディナーに行こうよ」
「なに勝手に決めてるの! 紫苑君はこの後、私とデートするんだから、あんたなんかとディナーに行くわけないじゃない!」
「あなたこそ! 勝手に紫苑くんの予定、決めないでよ。ねぇ、紫苑君」
「あっ、あの……。紫苑君、これ良かったら使って……」
「やだっ。どさくさに紛れて、なにプレゼントとか渡してるのよ!」
「やめてよちょっと! 引っ張らないでよ! 紫苑君とゆっくりお喋り出来ないじゃない!」
「ギャアギャアうるさくていやぁねぇ~。紫苑君、こんな野蛮な人達はほっといて、お姉さんと静かな所でゆっくりランチでもしましょ」
「誰が野蛮人よ! 抜け駆けしようとしてもそうはいかないんだからね!」
と、次々に思い思いの言葉で紫苑に迫り始めたのである。当の紫苑は、女子集団が造り上げた輪の中心で、青い顔をし頬をピクッピクッと痙攣させながら硬直していた。
ちなみに、紫苑の後ろを歩いていた沙希達は、集団の勢いに負け少し離れた所でその様子を見ていた。
「あれ、なんとかならないんですか? あれじゃあ、紫苑くんが可哀相ですよ。って言うか、何でこんなことになってるんですか?」
聡子が状況の凄まじさに驚きながら涼子に尋ねた。
「あれはね。紫苑が無駄に見た目が恰好良くて、必要以上に女の子に優しくて、気のあるような態度を無意識に取った結果ね。あそこにいる女の子は、みんな紫苑のそれに落とされちゃった子たちよ。問題は、残念なことに紫苑は集団女性恐怖症なのよね。ああやって囲まれちゃうと、硬直しちゃって身動きが取れなくなっちゃうみたい。私も助けてあげたいけれど、今の状況じゃ、彼女たちを止めるのは無理ね。紫苑だけ、駐車場の方から出て貰えばよかったわ……」
涼子は、事務所の壁にかかっている時計を見上げながら、そう聡子に答えた。
聡子は、涼子が視線を向けた方へ同じように視線を向けると、時計を見上げた。そして、
「ああ、なるほど……」
そう呟いて、わいわい騒いでいる集団の方へ視線を戻した。
2人が見上げた時計は、現在12時10分を過ぎた所を示している。折しも事務所は昼休みに入っており、彼女たちは自由な時間を過ごしているにすぎないのである。さすがの支部長でも、休憩時間の行動を制限する事は出来ないのだ。
沙希は、目の前の状況を見て、神田支所にいる受付の関谷洋子を思い出していた。
〈そういえば、紫苑は洋子さんにも迫られてたよね。恐るべし! 無意識年上キラー!〉
そんなことを考えていると、集団あからさまなアピールに、
〈って言うか、なんか、無性に腹立たしいんだけど!!〉
徐々に嫉妬心をふつふつと湧き上がらせた沙希は、すでにイライラの限界に達していた。そして、それは当然、彼と同棲だの結婚だのを考えている涼子にも起こっていて不思議ではない。
2人は、何故かお互いに見つめ合うと、相手を理解したかのように頷き合いながら集団の方へゆっくりと歩み寄ろうとしていた。
「ちょっ、ちょっと2人とも何やってるんですか?! 今、2人があの集団に混じったら、それこそ納まりつかなくなっちゃうでしょ!」
聡子は慌てて2人の前に回り込むと、右手で涼子を左手で沙希を押し止めた。
それでも2人は、
「でも、紫苑が……」
「私が紫苑を……」
などと呟いて、一向に留まる気配を見せない。いい加減、痺れを切らした聡子は、
「待て! 動くな!」
と鬼のような形相で叫ぶように言った。今まで、清楚とか温厚といった感じの似合う聡子の恐ろしい形相を目の当たりにした2人は、さすがにビクッと体を震わせるとおとなしくその場から動かなくなった。
2人が落ち着いたのを確認した聡子は、さらに踵を返すと、ズン、ズンと音がするかのような勢いで集団に囲まれている紫苑の所へ向かった。そして、彼の左腕を掴んで勢いよく引っ張り集団の囲いから脱出させると、ギャアギャア騒ぐ女性集団を睨みつけた。
すると、騒いでいた彼女たちはピタリと騒ぐのを止めた。
本部の人間で、支部長秘書をしている聡子を知らないものはいない。当然、睨まれた女性陣も涼子や沙希と同じ印象を彼女に持っていたため、その恐ろしさは効果覿面であり、中には涙ぐむ者までいたが、それが聡子の恐ろしさからなのか、紫苑から引き離されたショックによるものなのかは定かではない。
聡子は、そんな女子たちを気にも留めず、自分の後ろへ避難させた紫苑の方を振り返った。
彼は、真っ青な顔を俯かせながら、その場にへたり込むようにつぐんでいた。聡子は、立膝を付いて紫苑と向かい合うと、いつもの柔和な表情で覗き込むように彼の様子を窺いながら、
「紫苑君、大丈夫?」
と声を掛けた。
すると、ゆっくりとした動作で、紫苑が顔を上げ始めた。
紫苑の顔色は、相変わらず青いままであり、目も虚ろな感じである。
あまりにも悲惨げな彼の様子に、周囲の女性陣はやり過ぎたといった感じを見せながら俯き始めた。
数秒前まで騒がしかった事務所は、今や水を打ったような静けさの中で、普段は聴こえる事のない壁に掛けられた時計の秒針だけがチッ、チッ、チッと規則正しい音を立て続けているのだった。
更新いたしました。
以前予告しましたが、今回の更新をもってしばらくお休みさせて
いただきます。
早ければ、来月下旬には更新できるのではと思っております。
よろしくお願い致します。




