特訓と調査 6
天候がやや回復して来ましたが、みなさん体調は、いかがですか?
私は、長く続いた不安定な天候のせいか、夏風邪を引いてしまったようで……。
昨日、更新予定でしたが、今日にずれ込んでしまいました。
晴れ間が続くと、暑くなるそうです。
お互いに、体調管理には気を付けましょう。
東京都港区白金台某所・久世家・地下訓練場
7月9日 水曜日 午後2時32分
午前中の期末考査を終えた沙希と紫苑は、久世家に帰宅していた。
日中の早い時間に、2人が帰宅しているのは、調査の続きを諸事情により2日ほど中断する事になってしまったからだ。
渡辺は、中断している間に、行方不明になっている人達のリストの用意と、その家族への聞き込みが出来るようにしておく手筈になっている。
予定の変更によって、余裕な時間が出来た2人は、その時間を特訓に充てる事にしたのである。
ちなみに、特訓の状況は、一昨日の晩から変わっておらず、相変わらずライトの魔法を1つだけ制御する状態が続いていた。
この日、沙希の様子を見に訪れた百合子は、それを見ると
「まさか、基礎中の基礎を特訓してるとは思わなかったわ」
大きな溜息を付きながら、項垂れるように肩を落とした。
「そう、気落ちする事は無いと思いますよ。俺の予想ですけど、これが完璧にマスター出来れば、後の特訓はスムーズにいくはずですから」
そんな百合子の姿を隣で見ていた紫苑がそう声を掛けると、
「紫苑くんがそう言うなら、大丈夫だと思うんだけどねぇ……」
そう呟いた百合子は、沙希の方へ視線を戻す。今の沙希は、合気道の道着を身に纏い、形の練習をしている。その頭上、約30cmの所にライトの魔法が輝いていた。
(結構慣れて来たみたいだな。この調子なら今の特訓は、今日で終わりにしても良いかもしれない)
長い髪をポニーテールに結った沙希が、それを揺らしながら次々に動き回るのを見て、紫苑がそんな事を考えていると、百合子が、
「紫苑くん。沙希は、あの状態を1日でどのくらいやってるの?」
視線を沙希に向けたまま、紫苑に問い掛けた。紫苑は、同じように沙希の姿を見つめながら、
「寝ている時以外は、ずっとあの状態ですよ。出かける時は、リュックに入れたクッキーの空き缶に発動させて、維持させてます。昨日も、任務の調査に行ってきたんですけど、忘れずに維持出来てましたし、そろそろ、次の段階に進んでも良いかもしれませんね」
そう答えると、百合子は紫苑の方へ顔を向け、
「調査の方は、順調?」
軽く笑みを浮かべそう尋ねると、
「それが、昨日、事件を担当している刑事さんに試験期間中だって話をしたら、『学生の本分は勉強だ、協会の人間でも、学生である事には変わりないんだから、試験に集中しなさい』って試験が終わるまで、調査は中断になってしまいました。本当は、日中の早い時間に調査するつもりだったんですけどね……」
渡辺とのやり取りを思い出したのか、紫苑は苦笑いを浮かべながら答えた。2人が、そんな会話をしていると、形稽古を終えた沙希が、額に玉のような汗を浮かべながら2人の所へ戻ってくると、
「紫苑、形稽古終わったんだけど、次は何しようか? あれ? お母さん、いつの間に来たの?」
並んで立っている2人に、そう声をかけた。
「20分くらい前かしらね。どう? ご迷惑かけてない?」
(あら、私よりも紫苑くんの方が先なのね)
百合子が微笑みながらそう言うと、
「うん。セリーヌさんもお手伝いの康子さんも優しいし、良くしてもらってるよ。賢斗さんは、いつも忙しいみたいで、帰ってくる時間が遅いから、あんまり話とか出来てないんだけど、迷惑はかけて無いと思うよ」
沙希はそう言うと、紫苑に手渡されたタオルで汗を拭きながら、笑顔を浮かべる。
「それなら良いけど。特訓も頑張ってるみたいじゃない」
「うん、でも基礎の基礎だから、まだまだなんだけどね」
百合子の言葉に、沙希は難しい顔になりながらそう言った。2人の会話を聴いていた紫苑は、
「沙希、百合子さんも来てくれたし、そろそろ3時だからお茶にしようぜ」
「えっ、ホント! 紫苑、今日のお菓子って何だか知ってる?」
紫苑の提案に、沙希は嬉しそうに目を輝かせる。紫苑は含み笑いをしながら、
「ああ、今日はセリーヌが、スコーンを焼くって。ブルーベリーのジャムと生クリーム付きって言ってた」
と、天井の方を仰ぎ見て、記憶を辿りながらそう答えると、沙希は両手を胸の前で組みながら遠い目をすると、
「ス、スコーン! ブルーベリージャムと生クリーム……」
そう呟いた沙希の目は、まるでハートマークが浮かんでいるようだ。その様子を見た百合子は、
「沙希。あなた、このまま紫苑くん家に居続けたら、絶対太るわね」
沙希にそう突っ込みを入れると、沙希は百合子に向かって必殺の《ハムちゃん顏》をすると、
「そ、そんなことないもん。食べた分、ちゃんと運動してるし、昨日だって調査に行ってたからお茶してないし、大丈夫だもん。お母さん、変なこと言わないでよね」
そう切り返すと、その言葉に反応した紫苑は、
(家でお茶はしてないけど、ランチで2人前くらいあるフルーツどっさりパフェってやつと、遊園地でシナモン味のチュロス2本食ってたけど……)
昨日のデートもどきを思い出しながら、クスクスと笑い始めた。沙希は、紫苑の様子を見ると、
「紫苑! そこは、笑う所じゃないからね」
と、怒り調子の言い方で突っかかると、紫苑は沙希に顔を近づけ、
「昨日のパフェとチュロスの事は、黙ってってやるから、機嫌直せよ」
彼女の耳元で小さく呟くと、はっとした顔になった沙希は、
「……そうだった……。すっかり忘れてた……」
と、まるで死んだ魚のような目になると、弱々しい声で呟きながらフリーズしてしまった。それを見た紫苑は、勝ち誇ったような表情になると、
「百合子さん、先に行きましょうか」
「ええ、そうね……」
百合子は、一瞬、不思議そうな顔で沙希を見ると、階段の方へ促す紫苑の後に続いて階段を上り始めた。
その後、着替えを済ませた沙希が、一同が談笑しているリビングに現れたのは、10分ほど経った頃だったのだが、彼女の姿を見て、
「沙希ちゃん、お疲れ様。沙希ちゃん、いつも頑張ってるから、スコーンもジャムも生クリームも大盛りにしておいたからね。今日は、いつもより上手に焼けたから美味しいわよ」
とても嬉しそうな表情で、手招きをするセリーヌのそばには、山盛りのスコーンとジャム、そして生クリームがたっぷりと添えられた皿が置かれている。それは、皿の大きさも盛られた量も、他の人の倍はあるだろう。
その量を見た、沙希が困惑した表情を見せると、
「沙希ちゃん、もしかしてスコーンは好きじゃないの?」
セリーヌが悲しげな表情になりながら、確認をすると、
「そ、そんなことないですよ、スコーン大好きです。うわ~、美味しそう。嬉しいなぁ……」
(ここで、最近、甘い物食べ過ぎてるから、食べられないって言ったら……。セリーヌさんが泣く! 絶対に、断れないよ)
やや引きつったような笑顔を浮かべながら、ソファーに座る。
1人だけ、沙希の心境が解っている紫苑は、意地悪そうなほほ笑みを浮かべながら、山盛りのスコーンを食べ始めた沙希を見つめていた。
小一時間ほど、談笑しながらお茶を楽しんだ一同だが、掛け時計が16時を告げると、
「ごちそうさまでした。ずいぶんと長居をしてしまいました。今日は、電車で来ましたし、夕飯の買い出しもありますので、そろそろお暇させていただきます」
そう言った百合子が、ソファーから立ち上がると、キッチンにいたお手伝いの康子が、
「セリーヌ様、今日は水曜日ですので、食材の買い出しに参りませんと。菅沼さんに話しておきますので、百合子様と一緒にお買いものされてはいかがですか?」
冷蔵庫の中を確認しながらそう言うと、
「そうね! 百合子さんがご迷惑でなければ、ご一緒したいわ。百合子さん、どうかしら? 買い物が終わったら、お家まで送りますから」
笑顔を浮かべながら確認をするセリーヌに百合子は、
「ええ、私は構いませんけど。却ってご迷惑なのでは?」
そう言い淀むと、セリーヌはにこにこしながら、
「康子さん、百合子さんが一緒でも良いそうよ。あなたも行くでしょ? すぐに、菅沼さんに車を回すようにお願いして」
「はい。解りました」
康子はそう返事をすると、苦笑しながら玄関の方へ歩いて行った。
程なく、百合子と康子を伴ってセリーヌが出かけると、玄関先まで3人を見送った沙希と紫苑は、そのまま訓練場へ下りて来た。
紫苑は、相変わらず、沙希の頭の上で輝いている魔法を見ながら、
「沙希、魔法1つでの制御は、もう大丈夫そうだな。予定よりも、ちょっと早いけど、次の段階に入ろうと思う。良いか?」
沙希にそう尋ねると、
「うん。紫苑が大丈夫って判断だったら、私は何時でも良いよ。それに、早く進んだ方が良いもんね」
と、沙希は笑顔で頷いた。それを見た紫苑は、
「じゃあ、いよいよ魔法を2つに増やしてみようぜ。感覚は、1つの時と同じで数だけ増やせばOKだ」
そう指示を出した。沙希は、特訓初日の事を思い出して、やや緊張した面持ちになると、ふーっと細長く息を吐き、
「ライト」
と、魔法を発動させた。すると、沙希の目線よりやや上の辺りに、3つの光の玉が浮かび上がった。それらは、特訓を始めた頃の沙希が、苦労して制御していた魔法に比べ、揺らぎや振動などの不安定な動きを見せる事無く、静かに浮かんでいる。
それを見た沙希は、
「あれ? 3つ出来ちゃった?」
そう言いながら紫苑の方を向くと、小首を傾げながらきょとんとした顔をした。その表情を見た紫苑は、
「俺は、“2つ”って言ったはずなんだけど……。まあ、少ないよりも、多い方が進歩してるんだから、問題は無いんだけどな。って、まさか、2つのつもりが、3つ出来ちまったわけじゃ無いよな?」
そう問い掛けると、沙希はちょっと照れたように、
「うん。2つ発動したつもりなんだけど、3つ出来ちゃった。えへへへへっ……」
ちょっと笑ってごまかすと、紫苑は盛大な溜息を付いた。
(制御が安定してきたと思ったら、今度は発動の方が、怪しくなってきやがった……。こいつ、一体どうなってんだ……)
紫苑は、めまいのしそうな脱力感を感じながら、
「沙希、複数個の魔法でも制御出来るみたいだから、今度は、俺が言った個数を、きちんと発動出来るように特訓だな」
笑顔の沙希にそう提案すると、彼女は、ごまかし笑いを続けながら、
「あはははは。そうだよね。やっぱり、知らないうちに増えてちゃ、ダメだよね……」
そう言うと、溜息を付きながら項垂れた。
その後、夕飯までの約2時間半、地下訓練所には、1から5までの数を言う紫苑の声と、それに合わせて『はい』っと合いの手を入れるような沙希の声が響いていた。
7月9日 午後11時42分
「いっ、いやぁ~~~」
夜も更け、各々が平穏な時間を過ごす中、それを切り裂くような悲鳴が久世家に響き渡った。悲鳴の主は、明日の試験勉強を終え、風呂に入っていた沙希である。
リビングにいた、紫苑とセリーヌは悲鳴を聴きつけると、慌てて脱衣所に向かった。久世家の脱衣所は、秘書のエマやお手伝いの康子も使用するため、中から鍵が掛けられるようになっている。
紫苑とセリーヌが脱衣所のドアの前に着くと、案の定、ドアには鍵が掛けられていた。
「おい! 沙希! 何かあったのか?」
ドアを目一杯叩きながら、紫苑が怒鳴り、
「沙希ちゃん、大丈夫なの? お返事して!」
セリーヌが、おろおろしながら普段出さないような、大きな声で呼びかける。
しかし、脱衣所の中は、しんと静まり返り、沙希の声は聴こえてこない。2人は、それから5分ほど呼びかけを続けたが、時折、ガサガサと何かが動いているような音はするものの、中から沙希の声が聴こえて来る事は無い。
痺れを切らせた紫苑は、
「ダメだ、返事が無い。セリーヌ、非常用のキーでドアを開けよう!」
「でも、もしかしたら、今の沙希ちゃんは、あられもない姿かもしれないのよ?」
「そんなこと言ってる場合かよ! もしかしたら、命に関わる事になってるかもしれないんだぞ!」
中にいる沙希の様子が解らないため、外からドアを開ける事を躊躇するセリーヌに、紫苑はあからさまに焦った表情でそう訴えた。
滅多に見せた事のない表情の紫苑を見たセリーヌは、
「わかったわ。キーを取って来るから、あなたは、ここで沙希ちゃんを呼び続けてて」
そう言い残すと、キーの置いてある、賢斗の書斎に向かって走って行った。その間も、ガサガサ音はするが返事のない状況は続いた。
程なく、
「紫苑、持って来たわよ」
やや荒くなった息を整えながら、セリーヌがキーを紫苑に手渡す。紫苑が受け取ったキーを鍵穴に挿そうとしたその時、
『カチャン』
という音と共に鍵が開けられると、ゆっくりとドアが開かれた。そこには、くまさん柄の入ったピンク色のパジャマを着た沙希が、虚ろな目をして立っていた。セリーヌは、すかさず沙希の前に屈みこむと
「沙希ちゃん、大丈夫なの? どこか痛い所は無い?」
そう言いながら、肩や腕を触り怪我が無いか確認をする。セリーヌは、彼女に異常が無い事が解ると、紫苑の方を向いて、
「大丈夫。怪我とかは無いみたいね」
そう言って安堵の表情を見せる。紫苑が、ほっとした表情を見せると、セリーヌは沙希を優しく抱きしめながら、
「心配したのよ。急に悲鳴を上げてどうしたの?」
相変わらずぼーっとしている彼女にそう尋ねると、
「……じゅうが増えてたの……。……3キロも……」
沙希は、蚊の泣くような声でそう答えた。
「えっ、何が増えたの?」
よく聴き取れなかったセリーヌは、沙希から離れ、もう一度、尋ねると、沙希は、
「体重が増えてたの……。3キロも……」
恥ずかしさから俯き加減になると、顔を赤くしながら、やや大きな声でそう答えた。それを聴いた紫苑は、
「なんだぁ~、焦らせるなよ」
そう言うと、脱力したのか、へなへなと床に座り込んだ。セリーヌは、目をパチパチさせると、ほほ笑みを浮かべながら、
「そう、ちょっと太っちゃって、びっくりしたのね? じゃあ、元に戻るまでの間、少しお菓子は、控えるようにしましょうね。私たちが、外で騒がしくしちゃったから、恥ずかしくて、出て来難くくなっちゃたのね……」
そう諭された沙希は、コクリと頷くと、
「おっきな声出して、心配かけてごめんなさい」
そう謝ると、セリーヌに抱き着いて、しゃくり上げ始めた。
その様子を見た紫苑は、バツが悪そうに頭を掻きながら、
「特訓の時に、少し接近戦の訓練も加えるようにするか……」
そう呟くと、改めて、ほっと胸を撫で下ろした。
セリーヌは、久世家に来て、初めて自分に甘える沙希の背中を、愛おしそうな眼差しで、いつまでも優しく撫で続けるのだった。
特訓の様子と、ちょびっと沙希の恥ずかしい話でした。
女子高生に限らず、女性は、色々と大変そうですね。
体型、お化粧、ファッション、ダイエット……。
でも、女性として生きるのは、とっても楽しいみたいです。
ちょっと、羨ましいですね。
次回更新は、週末を予定しております。
よろしくお願い致します。




