特訓と調査 5
長いお休みをさせていただきました。
皆様は、どんなお休みでしたでしょうか?
私は、お天気のせいもありますが、実家でゴロゴロな生活でした(笑)
東京都文京区某所・帝都医科大学・解剖室
7月8日 火曜日 午後6時12分
法医学教室を出た沙希・紫苑・渡辺の3人は、久保田の案内で、解剖室というプレートが付けられたドアを潜った。
そこは長く広い廊下になっており、一番手前が準備室、次に手前から順番に第1から第5までの解剖室が並んでいた。その先、一番奥の部屋が遺体安置室で、廊下の突き当りにある大きな扉が、搬送されたご遺体の搬入口になっているようだ。
「田所朋子さんのご遺体は、第5解剖室に準備してある。中に入る前に言っておくが、ご遺体に対して敬意を払うようにしてくれ」
先行して第5解剖室のドアの前に立った久保田は、3人の方を振り返ると、厳しい表情でそう言った。
3人はそれぞれ、『わかりました』と答えると、久保田はドアを開け、中に入るよう促した。
室内に入ると、さまざまな器具や薬品棚などが並べられおり、一見、普通の手術室と同じような感じである。解剖するというイメージから、沙希は、もっと暗い感じを想像していたが、思っていたよりも明るく、空調設備もしっかりしているのか、重苦しい雰囲気は無かった。
部屋の中央には、ステンレス製の解剖台があり、銀色のシートが掛けられたご遺体が横たわっている。
久保田は、解剖台の一歩手前まで来ると、3人に横一列で並ぶよう指示をした。3人は、素早くそれに従うと、久保田がやや小さめの声で、
「黙祷」
と言う号令で、一同は軽く俯きながら目を閉じると、被害者の冥福を祈った。
時間にして約60秒ほどだろうか、
「では、早速、ご遺体を見てもらおう。その前に、この手袋をしてくれ。それと、ご遺体に触れるときは、丁寧に扱うように」
久保田のその声で3人は黙祷を止めると、渡された手袋をはめて準備を整えた。
「気分が悪くなったら、すぐ手を挙げてくれよ。特に、月ヶ瀬さん。失礼は承知の上で言わせてもらうが、私の予想だと、ご遺体を見るのは初めてじゃないか?」
沙希の方を見ながら久保田がそう確認すると、少し緊張した沙希が、
「はい。研修で、写真とか映像は見ましたけど、実物を見させていただくのは初めてです」
そう答えると、予想があっていた久保田は難しい顔をして、
「やっぱりな。ここに来た時から、妙に緊張した顔してたから、そうじゃないかと思ってたんだ。資料よりもショッキングだと思うから、我慢したりしない様に」
そう言うと、ご遺体に掛けられたシートを、ゆっくりと丁寧に捲っていった。
白い蛍光灯の光に照らされて、一糸まとわぬ姿を見せた少女のご遺体は、まるで精巧に作られた、等身大の人形のようだ。
彼女は、肩まで伸びた黒髪に、可愛らしい顔立ちをしていた。生きていればニコニコと笑い、はつらつとして元気を振りまいている、そんな年頃だろうが、今は全身が青白くなり精気を感じられない。表情は、穏やかな感じを見せているが、沙希にはそれが、理不尽に命を奪われた悲しみと怒りを表しているように思えた。
沙希は少女の姿に軽く俯き、居たたまれない気持ちになると、次第に視界が歪み、溢れ出た涙が自然と頬を伝い始めた。
そんな中、すっとハンカチが握られた左手が、沙希に差し出された。沙希は、ハンカチを受け取ると、涙を拭いながら、
「紫苑、ありがと。ごめんね、泣いてちゃダメだよね」
そう言うと、紫苑の方を見る。彼は、沙希が今まで見た事が無いような厳しい表情を浮かべ、真っ直ぐに下ろした右手を固く握りしめている。
沙希は、紫苑の様子に少し驚くと、ハンカチをポケットにしまい、気を落ち着かせてもう一度、少女を見つめた。
胴体には、解剖の痕が残っており、やや膨らみ始めた胸の、中心よりやや左側に穴が開いてた。沙希がその穴を見つめていると、
「沙希、こういう場合、この穴がどうやって開けられたか確認をするんだ」
紫苑は、静かにそう言うと、右手を穴の開いている部分の5cmほど上にかざした。程なく、
「沙希もやってみろ。ご遺体には、直接触れない様にな。目を閉じると分かりやすいかもしれない」
紫苑は、かざしていた右手を戻して、沙希に同じ事をやるように促す。
「わかった」
沙希はそう返事をすると、同じように右手をかざし、軽く目を閉じた。するとその手に、ぞわぞわとしびれるような感覚が伝わって来た。ためしに、右胸で同じようにやってみるが、なんの感覚も無い。そこへ、不思議そうな顔をした渡辺が、
「あんたたち、何してるの?」
藪から棒に、2人に尋ねてきた。紫苑は渡辺の方を見て、
「この傷が魔法によって出来たものか、調べてるんです」
そう答えると、渡辺は、
「……“魔法”ねぇ……」
と呆れたような表情で呟いた。紫苑はその表情を見ると、
(この人は井上さんから、大まかな説明しか受けていないようだな。まあ、にわかには、信じられないのも当然か)
そんな事を考えると、視線を沙希の方へ戻し、
「どうだ? わかっただろ。これからも、この確認は、何度もする事になるからな。忘れるなよ」
そう沙希に言うと、沙希は小さく頷いた。続けて紫苑は、
「久保田教授、ご遺体の背中を見せてもらいたいのですが、うつ伏せにしてもよろしいですか?」
久保田の方を見ながら確認をすると、
「ああ、良いだろう。慣れていないだろうから、私が動かそう。ナベちゃん、ちょっと手伝ってくれ」
久保田は、そう言いながら渡辺に手伝いを頼み、ご遺体をうつ伏せにさせた。紫苑は、背中に開いた穴を見ると、沙希に目配せをした。それを見た沙希は、軽く頷くと、仰向けの時と同様に手をかざし始めた。
その手は、仰向けの時よりも、ぞわぞわした感覚が強く、ピリピリとした痛みが走る。沙希は、痛みで顔を歪めると、すぐにかざした手を引っ込めた。その様子を見みて紫苑は、同じように手をかざして確認をする。
沙希よりも長く、ゆっくりと確認をした紫苑は、はっきりと確信を持った声で、
「この傷は、間違いなく魔法によって出来たものです。後ろからしっかり狙いを定めて、一発で彼女を殺している。距離は、おそらく5mから7mくらい離れた所からだと思います。もっと近い位置から撃った魔法なら、もう少し残留魔力が強いはずですから」
そう言うと、それを聴いていた渡辺が、
「さっきから、黙ってれば、好き勝手な事してくれるじゃない! “魔法”ですって! ゲームの世界じゃあるまいし、そんなもので人が殺せたら、銃なんていらないじゃない。これは、れっきとした殺人事件なのよ! 第一、これが本当に“魔法”による殺人だとして、あんた達みたいなガキに何が出来るって言うのよ! ふざけるのも大概にして欲しいわ」
怒りの表情を浮かべ、怒鳴るようにそう捲し立てた。久保田と沙希は、その声に驚いた表情を見せたが、真正面からそれを受け止めた紫苑は、
「見た事が無いんでしょうから、信じられなくて当然ですよ。ちゃんと、証拠はお見せします。久保田教授、人目に付きにくい場所はありますか?」
冷静な表情で渡辺の言葉に答えると、久保田に向かってそう確認をする。
「この建物の裏庭なら、検証実験に良く使ってるから、関係者以外は来ないし、人目にはつかないはずだ」
久保田は、うつ伏せにしたご遺体を、沙希と共に仰向けに戻すと、シートを掛けながら答えた。その答えに、紫苑は頷くと、
「銃の貫通実験に使うゼラチンはありますか? 出来れば、人体に近い硬さの物が良いんですけど」
追加で要望を出すと、久保田は頷きながら、
「ああ、用意出来るよ。准教授に準備させておこう」
返事をすると、壁際に歩いて行き、内線電話で実験の準備をするように指示をした。
渡辺は、不機嫌そうな表情を浮かべ、
「どんなものを見せてもらえるのか、楽しみね」
少し小馬鹿にしたような言い方をしながら、部屋を出て行く。
久保田が見守る中、紫苑はもう一度、ご遺体に手を合わせながら祈ると、
「魔法を使って、君をこんな目に合わせたヤツを、俺は絶対に許さない。君の無念は、必ず俺が晴らしてやるからな」
そう言いながら手を下ろすと、しばらくの間、物言わぬご遺体を見つめた。沙希は、紫苑が握りしめた手が、激しい怒りのために、小刻みに震えているのを見て、
(……怖い……。紫苑が怒ってるの、初めて見た)
背中にぞくっとした感覚を感じながら、紫苑に習ってご遺体に手を合わせ、冥福を祈るのだった。
帝都医科大学・別館B棟・裏庭
7月8日 火曜日 午後7時28分
暗く、うっすらとそよ風が吹く裏庭に出た一同の前には、すでに設置が終わった実験台が、スポットライトに照らされていた。
木製の台に、20cm角のゼラチンが固定されている。紫苑は、それの感触を確認すると、満足そうに頷き、
「沙希は特訓中だから、俺がやる。万が一もあるから、2人の事、頼むな」
沙希にそう言うと、実験台から7mくらいの位置に立ち、深呼吸し始めた。
沙希は久保田と渡辺の2人を、実験台が見えやすい安全な場所に待機させ、
「紫苑、こっちはOKだよ」
と叫ぶと、紫苑は頷きながら、実験台を指差すようにゆっくりと右腕をあげた。真剣な表情で見守る2人に
「よく、見ていて下さい。一瞬ですから、瞬きしないで下さいね」
沙希がそう言うと、2人は無言で頷く。
張り詰めた緊張感の中、紫苑が良く通る声で、
「行きます」
そう言った直後、実験台を差す人差し指に眩い光が灯る。次の瞬間、
「ライトバレット」
そう発動キーを言い放つと、10cmほどの光の線が、一直線に実験台へ向かって飛んで行き、音も無くゼラチンを貫通すると、さらに1mくらい先に進み、その姿を消した。
紫苑の魔法に見入っていた沙希が、並んで立っている久保田と渡辺の方を見ると、渡辺は目を見開き、唖然とした表情で実験台を見つめ、久保田は、実験の結果が気になるのか、苦笑いを浮かべながら沙希の許可を待っているようだ。
紫苑は、早足で実験台の所まで来ると、ゼラチンの様子を見て満足そうな表情をすると、
「沙希、2人と一緒にこっちに来てくれ」
離れた場所にいる沙希に声を掛けながら、手招きをした。
「もう、大丈夫みたいですね。さあ、結果を見に行きましょう」
紫苑の声に、沙希は実験台の方へ2人を促すと、後に続いて実験台へ向かった。3人が紫苑のもとへ着くと、
「見て下さい、久保田教授。穴の大きさに多少の誤差があると思いますが、貫通の状態はご遺体と同じはずです」
「ああ、間違いない。侵入側・貫通側どちらも同じ形状の穴が開いているし、貫通箇所が抉り取られているのもご遺体と一致する。久世くんの言うとおり、今回の犯行は、魔法よって行われたと考えて良いだろう」
紫苑に指摘された貫通部分をじっくりと観察しながら、久保田は納得した様子でそう答えた。
渡辺は、久保田と入れ替わりに穴の状態を確認すると、
「そっ、そんな……。化学が発達した現代で“魔法”だなんて……」
そう呟いた声を聴いた紫苑は、
「みなさん、初めて見た時は、渡辺さんと同じ反応しますよ。でも、これが現実なんです。解剖室で、俺達みたいなガキに『何が出来るんだ』と言ってましたね。見ての通り、俺達みたいなガキでも、協会に所属していれば、これくらいは誰にでも出来ますし、知識に関しても、井上さんを含め、お2人よりも俺達の方が詳しいはずです」
そう渡辺に話しかけると、彼女は真面目な顔をして紫苑の方を向いた。紫苑は続けて、
「だからと言って、井上さんや渡辺さん達、警察の事とか、久保田教授の法医学を馬鹿にしている訳ではありません。捜査になれば、誰よりも刑事の渡辺さんが、ご遺体の状態や死因、死亡推定時刻の割り出しに関しては、法医学者の久保田教授が、俺達よりも知識も経験値も上です。今回の事件は、それぞれの得意分野を出し合っていかないと、犯人には辿り着かないと思うんです」
諭すように語ると、渡辺は俯きながら黙ってそれを聴いていた。そんな様子の彼女に沙希は、
「渡辺さんが、私達の事を良く思っていないのは、解っています。でも、私達だけじゃ調査するのにも限界があるし、必要以上に時間もかかってしまいます。その間に、犠牲者が増えてしまうかもしれません。早く事件を解決するには、どうしても渡辺さんの協力が必要なんです。お願いします。力を貸してもらえませんか? 私も紫苑も、魔法を使う人間が、罪も無い人達を、傷つけたり、苦しめたりする事を絶対に許せないんです」
そう言いながら頭を下げた。俯き加減だった渡辺は、顔を上げて沙希の方を向くと、
「先ほどは、何も知らないとはいえ、失礼な発言をしてしまい、申し訳ありませんでした。私で出来る事であれば、何でも協力いたします。いえ、ぜひ協力させて下さい。よろしくお願いします」
素早く姿勢を正し、頭を下げると、今までの態度が嘘のような敬語でそう答えた。沙希は笑顔を浮かべ、頭を上げた渡辺に右手を差し出すと、すかさず渡辺は沙希の手を握り返した。
そんな3人のやり取りを、少し離れた所で見ていた久保田は、
(最初のうちは、どうなるかと思ったが、意外と上手くまとまった感じだな。まあ、犯人が許せないっていうのは、ここいる全員に共通している感情である事は間違いないからな……)
そんなことを思うと、3人に向けて、
「そろそろ、時間も遅くなってきた事だし、今日の所はここまでとしよう。最終結論は、実験結果を詳しく分析して、後で報告する。それじゃあ、私は先に戻らせてもらうよ」
そう言うと、教室の方へ向かって歩き始めた。
「教授、今日は色々とありがとうございました」
沙希は、その後姿にそう声を掛けると、久保田は振り返らずに右手を軽く上げ、そのまま立ち止まること無く建物の中に入って行った。
久保田の姿が見えなくなると、沙希は、星が浮かぶ真っ暗な空を見上げながら、
(私達で、必ずこの事件を解決しなくちゃ)
いつの間にか、強くなった風に流される髪を押さえ、そう決意を新たにするのだった。
久々の更新になりました。
お待たせしてごめんなさい。
今回は、少々長めですがキリの良い所まで書きました。
次回更新は、21日の予定です。




