2人の呼び名
今日、ギリギリで更新します。
何とか、間に合ったぁ〜。
東京都千代田区神田神保町・アンティークショップHydeAndSeek
7月1日 午後6時30分
支所長室での細かい打ち合わせを終えた沙希と紫苑は、添島達に帰る旨を告げると、帰り際、添島に、
「紫苑、ちょっと遅くなったから、月ヶ瀬さんを送ってあげてくれ」
と言われた紫苑は、そこでまたひと悶着起こしたが、結局は不承不承ながらも頷かざるを得なかった。
さらに、事務所のカウンター前まで来ると、受付をしてくれた洋子が、慌てた様子でカウンターから出て、
「久世さん、あのっ、これ、私の携帯番号とLIGNEのIDです。よかったら、今度、ご飯でも行きましょう。連絡、待ってますね♡」
頬を赤く染めながら、二つ折りの紙をやや俯き加減で紫苑に押し付けると、足早に自分のデスクに戻っていく。つむじ風のような洋子の言動に、紫苑が唖然としていると、紫苑の方をチラッと見た洋子が、胸の辺りで小さく手を振っているのが見えた。
我に返った紫苑は、手を振る洋子と、渡された紙を交互に2・3度見ると、引きつった笑顔を浮かべながら小さく手を振り返した。
2人のやり取りを見ていた沙希は、
(さっき、支所長室で落ち込んでたのは、これが原因だったんだ)
そう心の中で結論付けると、肩を震わせクスクスと含み笑いをしながら、事務所の玄関へ向かった。
そんな紆余曲折を経て、2人が約2時間ぶりに、ショップのバックヤードから店舗へと戻ってくると、
「あっ、沙希ちゃん、お疲れ様」
「久世さんも、お疲れ様です。お品物、ご用意出来てますよ」
笑顔で2人を迎えてくれた小夜子に、
「ありがとう。それと、今度から、俺の事は気軽に名前で呼んでもらっても良いかな? あと、敬語も使わなくていいよ。堅苦しいの好きじゃないし、俺も小夜子さんって呼ぶから」
紫苑が苦笑しながらそう頼むと、軽く頷いた小夜子が、
「うん、そうするね。で、早速で悪いんだけど、お会計させてもらってもいいかしら?」
「もちろん。確か、カードOKだったよね。じゃあ、これで。一括でお願い」
紫苑は、そう言いながら財布から黒いカードを取り出すと、小夜子に手渡す。受け取った小夜子は、一瞬、硬直するも、気を取り直してレジへ向かいながら、
「お支払いは、一括ね。それにしても紫苑くん、かなりのお金持ちなんだね。まあ、上位部門でSランクだもん、お給料もいいはずだよね?」
協会での紫苑の立場を思い出しながら、小夜子が紫苑に質問すると、
「どちらかと言えば、給料よりも危険手当の方が、報酬としては高額になる事が多いかな。でも、みんなよりも給料が良いのは確かだよ」
「そっか、危険な任務が多いんだね。変なこと聴いちゃってごめんね」
ちょっとバツが悪そうに答えた紫苑に、小夜子は、デリカシーの無い事を言ってしまった事を謝ると、
「大丈夫、別に気にしてないから」
そう言うと、紫苑は小夜子に軽く笑いかけた。そこへ、レジからちょっと離れた場所にある、アンティーク家具を眺めていた沙希が、紫苑達の所へ戻ってくると、重たくなったその場の空気を祓うかのように、
「久世くん、お会計終わった? 小夜子さん、あっちにあるドレッサーすっごく可愛いですね。でも、お値段見てびっくりしちゃいました」
嬉しそうに話しかけてきた沙希の表情に、2人は顔を見合わせながら笑うと、
「ごめんなさい、沙希ちゃん。お会計、これからなの。もうちょっと待っててね。それと、商品はお取り置き出来るから、欲しかったら言ってね」
小夜子は、沙希に笑いかけながら、カード支払いの手続きを始めた。
沙希は、小夜子の言葉に、何やらブツブツ言いながら指折り数えていたが、
「はあぁ~、無理だあぁ~」
と、溜息を付きながら小さく呟いた。本気でがっかりしている沙希の様子に、
「……ぷっ、あははははっ。月ヶ瀬さんって、ホント面白いヤツだよな。あははははっ……」
腹を抱えながら、意地悪そうにケラケラ笑う紫苑に、
「あ~っ、馬鹿にしてるでしょ。もう!」
一瞬で、頬を膨らませた怒り顔になった沙希は、グーにした右手を肩口まで振り上げると、紫苑に詰め寄る。迫ってくる沙希に、両手を突き出しながら、
「わかった、わかったって(笑)。悪かった、悪かったって(笑)」
ツボに入ってしまい、堪えきれない笑いを、必死に堪えながら謝る紫苑に、
「今度やったら、許さないからね!」
両手を腰に当て、フンッと鼻息を荒くした沙希の態度に、堪えていた笑いが再び戻ってきた紫苑は、苦しそうにしながら首を縦にうん、うんと頷いた。
しばらく、〈はぁはぁ〉と荒い息を整えていた紫苑が、やっとの思いで落ち着きを取り戻すと、スカートのポケットからスマホを取り出した沙希が、
「そういえば、久世くん、スマホ持ってる? パートナーとして調査の予定立てたり、待ち合わせするのに連絡取れた方が良いと思うんだけど、番号交換しない?」
「そうだな、学校で打ち合わせとか出来ない可能性あるし、何かあった時、連絡が取れるようにしておいた方が安心だな。赤外線で良いか?」
ズボンのポケットからスマホを取り出し、操作をしながら答えた紫苑に、
「うん。赤外線で良いよ。じゃあ、先に私が送るね」
そう言いながら沙希がスマホを、紫苑のスマホに近づけると、≪ピロリ~ン≫という電子音が響いた。画面を見た紫苑は送られた連絡先を確認すると、
「よし、こっちはOKだな。じゃあ、今度は俺が送る」
トントンとスマホを操作した紫苑が、沙希のスマホに近づけると、≪ピロリ~ン≫とまた電子音が響いた。画面を確認した沙希は、
「うん、こっちもOKだよ。もし、私が電話に出ない事があったら、LIGNEしてくれる?。後で必ず返信するから」
スマホをポケットに入れながら、紫苑にお願いすると、不思議そうな顔をした紫苑が、
「なあ、さっき事務所で受け付けしてた関谷さんだっけ? 彼女も言ってたけどLIGNEってなに?」
沙希にそう尋ねると、
「えっ、久世くん、LIGNE知らないの!?」
にこにこしながら2人の会話を聴いていた小夜子と尋ねられた沙希が、同時に大きな声を上げた。紫苑は、2人の勢いに驚きながら、
「知らない……」
と、ポツリと呟いた。沙希は、ありえないといった表情で、
「LIGNEは利用者数No.1の無料メールアプリで、使ってない人ほとんどいないと思うよ。私も使ってない人に会うの、久世くんが初めてだもん。ストアから簡単にダウンロード出来るから、今すぐやった方がいいよ。設定のやり方とかは、帰りながら私が教えるから」
「あっ、ああ。分かった。すぐダウンロードする」
LIGNEは、人類の必須アイテムだと言わんばかりの沙希に、紫苑は焦ってスマホの操作を始める。少しして、
「ダウンロード始めた。ちょっと時間がかかるみたいだな」
画面から顔を上げた紫苑がそう言うと、小夜子が、
「今どきの高校生でLIGNEを知らない子がいるとは思わなかったわ。はい、紫苑くん、カードとレシートのお返しね。ありがとうございました」
黒いクレジットカードとレシートを紫苑に手渡しながら、深々とお辞儀をした。紫苑は、受け取ったカードとレシートを財布にしまうと、商品の入った紙袋を手に、
「ありがとう、小夜子さん。また、良い品物が入ったら教えて」
「ええ、わかったわ。良いのが入ったら取っておくようにするね」
紫苑が、小夜子に苦笑いしながらそう言うと、小夜子は、嬉しそうに笑いながら頷いた。
2人の話が済むと、
「じゃあ、久世くん、帰りましょう。小夜子さん、また来ますね」
沙希が、紫苑をそう促すと、紫苑は沙希に、
「なあ、月ヶ瀬さん、悪いんだけどさ、今度から任務の時は俺の事、“紫苑”って呼び捨てで呼んでくれるか?。いざって時に、苗字とか“くん”付けだと反応が遅くなるし、言いにくいだろ?。俺も、任務中は月ヶ瀬さんの事を“沙希”って呼び捨てにする。ちょっと、嫌かも知れないけど、俺にとってこれだけは譲れないんだ。学校とかは、何でもいいからさ」
有無も言わせないような、威圧感を感じた沙希は、紫苑の顔を見つめると、
「わかった。今すぐはちょっと無理かもしれないけど、慣れるようにするね」
しっかりと頷いて答えた沙希に、紫苑が、
「無理言って悪いな」
小さな声で謝ると、沙希は、首を横に軽く振ると、
「気にしないで。なんとなくわかる気がするから。さぁ、遅くなっちゃったし帰りましょう。し、紫苑」
緊張感からか、ちょっと、どもり気味になりながら、紫苑に改めて帰ろうと促した。
「ああ、そうだな、沙希。」
沙希の言葉に、満足そうな顔で頷くと、紫苑は、沙希と連れ立ってショップの出口へ向かって行く。
(あの2人が、パートナーかぁ……。これからどうなるか、ちょっと楽しみね)
小夜子は、レジから2人の後ろ姿をぼんやりと見つめながら、穏やかな笑みを浮かべ、そんな事を考えるのだった。
本文で出てくるリーニュと言うアプリですが、皆さん良くご存知のあのメールアプリをフランス語にしたものです。
興味があったら、調べて見て下さいね。