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我輩はゴアである  作者: 雲黒斎草菜
第四巻・反乱VR
80/100

 7 商売繁盛で銭もってこんかーい

  

  

 ギアが目をつむった次の瞬間であった。

 ドンと風が大きくうねると白衣の裾がバタバタと揺れ、その上をとてつもない騒音が突き抜けて行った。


「ぐわぁぁぁ! うるせえ!」

 我輩は反射的に両耳を押さえた。


 ギアが目をつむって思案したコンマ何秒後、喫茶店の窓ガラスの向こうを満席の大型観光バスが通過。その後ろをクラクションも高らかに荷物を満載にしたトラックが通り、続いて乗用車の列が瞬時に現れた。

 誰もいなかった交差点の信号機からオルゴールが鳴り響き、大勢が蠢く雑踏の波がわっと湧き上がった。そこをすかさず神急電鉄の電車が轟音と共に頭上を何台も通過。


「うぉぉ! ぬあんだこれ!」

 いきなり店内が満席に。

 客はすべてがオヤジである。競馬新聞片手に耳には赤鉛筆。テーブルではラジオががなり立て、オヤジたちはそれぞれに大声で会話をする。


「せやけどなー。なんであそこで失速したんやろな、トキノヘタレ。あれが差しに入ったら3-4で一発逆転ブイブイやったんや」

「アホ―。オマエらまだましや! 上がり3ハロンから追い込みかけてきた穴馬に、ワシの賭けた馬がケツ煽られたんや。あーくやし! くやしカルカルやーっ!」

「ボケーっ! ワシなんかなー。賭けとった奴がカラ馬になったんや! どなしてケツかんねん!」

「ぎゃひゃひゃひゃ。それは『太鼓のオイド』やないかい」

 全員がギア口調。我輩は圧迫感に息が詰まり、両手で耳を押さえた。鼓膜が破れそうなのだ。


「何なのだ、この騒々しさ!」

「なんでやねん。景気良さげな話しとるやんけ。こういうのを活気があるちゅうねん」とはギア。

「ところで太鼓のオイドとは?」

「太鼓の音の『ドン』と、オイドは尻や『ケツ』のことやろ。せやからドンケツ。ビリのことや」

 なるほど。勉強になるな。



「ネェちゃん。ビールお代わりおくれー」と立ち上がったのは、ニッケン競艇新聞でウエイトレスを呼ぶ白髪頭のオッサン。

「あ。はーい」とウエイトレス。

「こっちは。ホルモン二人前とハムカツ一丁や!」


 こうなると喫茶店ではなくて、もう居酒屋である。



「ほんでワレ。今日はどないやってん?」

「あかーん。さっぱりや。ネーちゃんのふんどしや!」


「ネーちゃんのふんどし……食い込む、つまり赤字やった、ちゅうことや」

 とギアからの説明が入らなければ、卑猥な光景を思い浮かべるところである。


 連中には常用語なので会話はスムーズに、かつガラ悪く。

「ほんで、ワレ、なんぼの赤やねん?」

「3000万やぁ。ぎゃははは」

「なんやそんなもん。ワシなんか5500万やで。うひゃひゃひゃ」


「大損害ではないか。よく平気で笑っていられるな」

「前もゆうたやろ、大阪では通常の会話で十万をこえる金額はめったに出えへん。こういうときは『万』を抜くんや。赤字は3000円ちゅうことや」


 そんな説明より。

「りょ、リョウコくん。ちょっと止めてくれ。我輩には我慢ならん」

 途端。動きが止まった。

 完璧な無音とはこのことだ。先ほどまでの騒々しさを瞬間冷凍したような光景を目の当たりにして、我輩は腰が抜けそうになった。


 反対に訪れた静寂の中で、タバコの煙とオヤジたちの吐き出す怒号みたい会話が一時停止しておった。

 空になったビール瓶を高々と掲げて固着するオヤジ。灰皿でタバコをもみ消す動作のまま顔は対面の男と向けあって大口を開けて停止。

 映像のトリックではない。我輩たちの回りで確実に時が止まっていた。



「こっちのキミは元気がいいね」

 とギアを視線で示して少女は言うと、指をパチン。

 空気が渦を巻く気配がしたかと思うと、それまで情景が瞬時に消え。再び元の静かな喫茶店に戻った。

 我輩は確信したのである。この子がこの世界を牛耳っておるのだ。


「ふぅ……」

 我輩は肩の力を緩め、ギアは面白くなさそうに、

「あー。寂しいなぁ。今ぐらいのほうが性におうとんやけどなー」

 静かなクラッシックが流れる店内を一巡させて、冷水をじゅじゅじゅと(すす)りあげた。


「お待たせしました」

 爽やかな笑みと一緒に、ウエイトレスがアイスコーヒーの入ったグラスを我輩たちの前に置いて引き下がった。


「せやけどなんやな……」

 ガサガサ。

「これがVRとは……な」

 カラン、カラカラカラカラ。

 さっきまでの騒々しさが消えて、ギアがアイスコーヒーをストローでかき混ぜる音がやけに大きく聞こえる。


「ここで暮らすといいよ」


 予想外な言葉に、ギアは「へ?」と顔を上げた。

「あ、いや。我々はちゃんと住まいがあるので、この喫茶店に住む気は無い」と我輩。

「あははは。ここは喫茶店だよ。マンションじゃないよ」

「そんなことは解っておる」

 ぞんざいになるのは仕方が無い。だんだんと腹が立ってきたのである。


「キミたちは何してたの?」

「我輩たちは実体化の……えっと。て……テストかな?」

「うっぷ!」

 さも笑いを堪えるかのように、固く唇を閉じてピンク色のほっぺたを膨らまし、

「実体化? うふふふ。アレはダメだよ。あはははははは」

 何がおかしいのだろう、この子、頭は大丈夫か?


 超スーパーコンピューターに対して、頭大丈夫かと言うのもおかしな話だが、

「天才とアホは紙一重と言いまっからな」

「あははは」

 今のは笑うところか?


 チャリン。

 50円玉が一枚追加。これで700円になった。


「あれは成功しないよ。だってあたしがジャマしてるからね」

「ジャマ?」

「そう。成功させたくないの」

 どうりで……天才的な二人が毎日首を捻るはずだ。


「なぜそんなことするのかね?」


「だって、あたしの楽しみが奪われるんじゃん」


「楽しみ?」


「あたしの趣味はね。ペットを飼うことなんだよ。あははははは」

「それは良かったね。あははははは」

「何がおもろいねん。ゴア?」

「いや、ぜんぜん笑えないが、フリをしただけだ」

「アホちゃうか」


 ズズズ――っ。

 チュゴゴゴゴゴ、ゴッ。ズッズッ、カラカラカラン。


「はぁ。美味かった。喉乾いてる時のレイコーは最高やな」

 ギアは満喫感を露わにして、飲み干したグラスをテーブルへコンと置いた。その振る舞いをニコニコした表情で見ていたリョウコくんは、自分のグラスをかきまぜていたストローを抜いて、その先で我輩たちを指し示し、

「わははは。楽しいー、嬉しいよ」

 大笑いをした。


 この子は何を喜んでいるのか意味不明である。一体全体どうなっておるのだ?


「ちょっと訊きたいのだが?」

「なーに?」

「ここがVRだというのは何となく理解したのだが、となると我輩たちの身体はどこにあるのだ? もしかしてまだラブジェットシステムの筐体の中なのか?」

「そーだよ。一歩も動いてないんだよ」

「せやけど。アキラの家から桜園田駅までだいぶ歩いたデ。なぁゴア。けっこう汗かいたもんな」

「そのとおりだ。時間にして15分ほどだ。うっすらと額に汗が出たし、足の裏にも結構な刺激があった。なにしろほら、安物のビーサンであるからな。まだ慣れないので足の親指の股が擦れてちょっと痛いし」


「これらはすべてハーレムクラスオブジェクトのアルゴリズムに従った処理なの」


「ちょ、ちょっと待て。途中でカレーの香りも嗅いでおるぞ。それどころか住民が一人もいなくて肝をつぶした我輩は、初めて冷や汗と呼ばれるモノも経験したぞ」


「そうだよ。感情、それに伴う生体の変化。連鎖する環境の変化。特に重力の変化。対象物とは無関係なところに起きる自然現象もそうだし。すべてを完璧に再現してあげてんのよ」


「そう言えば電車に乗った時に感じた加速と減速。あれって今から思えば完璧やったデ」

「そうだ。我輩は本気で梅田へ向かっているとばかり思っておった」


「すごいでしょ。ここにいたら実世界に戻るのが嫌になるよ。これがハーレムクラスオブジェクト。北野博士が拵えたシミュレーテッドリアリティなの」


「うぉーっと。ここに来て突然賢そうなことを言いだしたぞ」

「何や、しみゅれーてっどりありてぃって?」

「だから平仮名で言うな。何と言っているのか解らなくなるぞ」

「ちゃうねん。『Simulated reality』って何やねん」

 英語で言っても意味不明だ。


「リョウコくん。ヴァーチャルリアリティとどう違うのだ?」


「VRは本物そっくりに作られているけど、それは似てるだけで別物。疑似世界って言うでしょ。で、シミュレーテッドリアリティは本物の世界を本物そっくりにシミュレートするもの。そして……」

 少女は立ち上がった。スカートの裾を両手で少し摘み上げて、自己をアピールするように可愛らしく会釈する。

 白い太腿が生々しく目の前に展開。それは見たこともないスタイルの良さ。滑々とした綺麗に伸びた若々しい長い生足だった。


「本物以上にシミュレートするのが、あたしなの。ハーレムクラスオブジェクトよ。よろしくね」

 息を飲む我輩たちへ意味ありげに見せつけると、ぱさっとスカートから手を放し、離れようとしない我々の視線を無視して再び着席した。



 しばらく呆然としていたが、今の説明を聞いていてハタと思い出した。

 銀河の中心部にある進んだ文明を持つ惑星でよく耳にする技術だ。

「BMI(Brain machine Interface)で論理的可能世界をシミュレートするのであるな」

「せやけど。それは人間の脳とシステムを繋いで、作られた世界に存在するようにするもんやろ? ワテらヒューマノイド型とちゃいまっせ」


「う~む。ヒューマノイド型ではない生命体が『ちゃいまっせ』と言う辺りが妙に説得力が無いが、確かに我々は電磁生命体である。ヒューマノイド型の脳と構造も仕組み全く異なるものだぞ?」


 少女は胸元を飾るリボンタイの形を気にしつつ、

「思考できればいいの。高度な思考をするものならアメーバだってオーケー。あ、そうそう。生命体でなくてもいいんだよ。ロボットだってアンドロイドだって。なんだっていいのよ。ようは思考力次第ね」


「この子、何ゆうてまんのん?」

「よくその思考力でここにシミュレートしてもらえたな」

「どういう意味やねん?」

「バカはここに入れないと言ってるのだ」


「あはははは。おもしろーい」


「ほんま? おもろかった? もっとおもろいことゆうたろか?」

 おい。振り出しに戻っておるぞ。

「たぶんワテは、特殊な考え方をしているから、この子に選ばられたんや」

「うむ。特殊能力は認めよう。オマエみたいな電磁生命体はおらんからな」


 ひとまず、特殊能力者のギアは無視しよう。一向に話が進展せん。

「なら、リョウコくんはサーバボッドなのだな?」

「ちょっとちがうよ。サーバボッドはプレイヤーの代わりに相手になってあげるロボットでしょ? でもあたしは相手になんかならないよ。だってここはあたしの世界なんだもの。キミたちがあたしを楽しませてくれたらいいの」


 今のセリフを聞いて我輩が抱いていた不安がさらに色濃くなった。

 さっきからこの子は、我輩たちを(とりこ)にした的な上から目線で接してきておる。これはまずいのである。


「さあて。ギア。そろそろアキラも学校へ行く時間だ。部屋に戻らぬか?」

「へ? なんでや?」

 このバカ。何を能天気に丸い目をして我輩を見つめるのだ。


「いやだからな。ラブマシンのメンテナンスはもういいから停止させろと言ってるのだ」

「へ~へ……へ?」

 屁が好きな奴だな。


「キミたちはあたしのペットなの。あはははは。もうインポートしたからね」

「そうでっか、うひゃひゃひゃ……って。笑ってる場合とちゃうがな」

「そうだ。笑ってる場合ではない。リョウコくん、今のセリフはあまり行儀がよくないのではないかな?」


「冗談なんか言ってないもの」

「それは我輩たちに自由は無いと言う意味に聞こえるのだが?」

「そんなことは無いわ。自由よ。これまで通りなの。何も変わらない。どこでも行き放題。なにしたっていいわ。ただ一つ。あたしを退屈させないで」


「むぅ……」

 遊び相手になれと言っておるのか?

 そんな暇は無いのである。


「ギア! マシンを止めろ。VRはもういい。現実の世界に戻ろう」

「どうやって?」

「我輩に訊くな。知らぬワ」

「ワテも知らんで」


「あははははは。面白いよー。うん、気に入った。キミたち気に入ったよー」


「あ、いや。気に入られてもダメだからね。また遊びに来るから、今日はおじさんたち帰らないとね。このバカも良い子のアニメショーへ行く仕事があるし。ほらギアさっさとマシンを止めろ」

「せやから、止め方なんか知らんちゅうてまんねん」


「うきゃきゃきゃきゃー」

 うるさいな、この子。


「知らんて。じゃあどうするつもりだったのだ」

「たぶんNAOMIはんが気付いて止めてくれると思てた」

「他力本願な奴だなオマエ」

「うっきゃ~。あははは。おもしろーい」

「ちょっと、リョウコくんは黙っててくれないかな。おじさんたちはちっとも面白いことは口していないよ」


「はっひゃぁー。うけるー」


「それまではこのままということか?」

「せやね」

「せやねって。軽い奴だなお前って奴は」


「うっひゃぁ~、面白すぎて死ぬー」


 死ねよ、もう。

  

  

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