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我輩はゴアである  作者: 雲黒斎草菜
第四巻・反乱VR
78/100

 5 テーマは人類滅亡なのだ

  

  

 足の裏が地面に縫い付けられた理由は一つである。朝もやが薄く漂う町内。間もなく午前7時になろうかという桜園田町が、森閑と静まり返っていたのだ。


「誰もおらへん……」

 夏が終わった海水浴場へ海パン一丁でやって来たような孤独感である。


「今日は木曜日だろ? 通勤や通学の人が誰もいないとはどういうことだ?」

「祝日ともちゃうし」

 呆然と立ち尽くし、町内の奥を遠望するものの誰一人として見当たらない。


「もっと早朝でも、イヌの散歩とかで必ず誰か歩いておるぞ」

「マジやで。車も走ってないがな」


 色濃くなる不気味な空気に堪え切れず、我輩はギアが羽織るハッピの袖を引いた。

「おい、サクラさんの家に行ってみよう。この時間ならあそこのお婆さんは必ず庭掃除をしておる」


 ビーサンを引き摺りつつ、アキラの家からキヨコの家を通り越し、進むこと数十秒。庭から松の木が道路の上にまで伸びたお宅。通称サクラ婆さんが住む家がある。御年(おんとし)85才で英会話を始めた、少々まだらボケの面白いお婆さんなのだ。


 しかし――。

 青々とした松はいつもの通り風に遊ばれてさわさわと揺れ、広い庭に心地よい影を落としていたのだが、

「誰もいない……」

「死んだんちゃうか?」


「縁起でもないことを言うな。昨日も電信柱相手に人生を熱く語っておったわ」

「ほな日課となってる庭掃除してまへんがな。亡くなりはったんやで」

「だから死人にするなって」

 とは言っても、気にはなる。


「ちょっと見てくるぞ」

 動こうとして思わずつまずいた。そう、いつものように送電線から見下ろす気分で、そのまま屋内配線へ移ろうとしてひっくり返ったのである。


「アホぉ。ワテらは今ヒューマノイド化しとんのや。電磁生命体とはちゃうデ。簡単に家の中には入られへんねん」

「そ、そうか。そうだわな。さてどうする。呼び鈴でも押してみるか?」


 ギアは自分の姿と我輩の容姿をマジマジと見て言う。

「あかん。この格好では、ここらの高級住宅地に不向きや。しゃあない。駅のほうへ行ってみよか。あそこなら誰かおるやろし、この姿でも文句言われんやろ。それよりオマはん……」

 と我輩の下半身を指差し。

「白衣がはだけとるデ」

「あうっ」

 慌てて前を閉じた。白衣でビーサンならまだギリギリの線なのだが、その中が裸だと悟られると我輩の人格すべてが葬り去られるのである。




 いつもの大通りへ出たが、車一台走っていない。

 続いてそろそろ一年になろうかという、キャザーンのシャトルクラフト(小型艇)が着陸した公園の砂場を通り越し、もうすっかり見慣れた商店街へ入った。その途端、あり得ない光景に遭遇した我輩たちは、急激に怖くなって駅近くまで逃げるようにして一気に駆け抜けたのだ。


「おいゴアよ、こりゃぁ、どう考えても変や」

「我輩も同意見だ。いったい今のは何である?」

 商店街の方を振り返って、唸ってしまうのにはワケがある。


「おっかしぃやろ、誰もおらんのに全部営業中やったで。何でや? 全員が同時にトイレに駆け込んだっちゅうことはないやろ。せやのに商品だけ並ぶってどういうことや?」

 全長数百メートル。連なる店舗は数えたことは無いが相当な店が軒を並べておる。それらがすべて開店休業中なのだ。


「ぎ……ギア。ちょっと落ち着かないか?」

「慌てとるのはオマはんや」


「まず確認だ。我輩たちは博士のおかげでヒューマノイド型として実体化できたのだよな?」

「せやで。せやさかいこうしてホレ、」

 ギアは野球帽をさっと脱ぐと、ツルッピカの頭を平手打ちして、

「見てミィ。ツルツルや」


 我輩は苦笑いを浮かべつつ訊く。

「ならここはどこだ?」

「せやがな。おかしな現象やけど、ここは現実やろ。よう見てみぃ、桜園田の町に間違いない。なんぼVRやゆうても……雲は流れて風が吹いとる。太陽は温かいし……クンクン」

 ギアは慣れない鼻を使って辺りの匂いを嗅ぎ、

「知らんまにラブジェットシステムは完成しとったんやろな……クンクン。現実世界で実体化できとるんや。こりゃ快挙やで。どや? このまま政府官邸に乗り込もか?」


「この格好ではマズイだろ。乗り込む前にしょっぴかれるぞ」


「せやな……。はぁー、それよりさっきから漂っとるこのエエ香りは何や? 腹の虫がグーって鳴きよるデ」


 我輩も鼻から深く息をした。

「ほんに、いい香りである。たぶんこれはカレーだな。キヨコんちで何度かこれと同じ電磁風を感じたことがある」


「ほーか。匂いまで再現できるVRはないからな。ほなやっぱり屋外までラブジェットフィールドを拡張することに成功したんや。北野博士はテンサイやな……」

 ギアは途中で言葉を閉じ、辺りを窺うとハッピの襟をそろえて小声になった。

「夢の実体化や、ちゅうのになんや寒々してきたデ、いやホンマ。なんでみんなおらへんねん。住民はどこ行ったんや? せっかく人類と正面切ってファーストコンタクトや思ったのにな」


 震え声でギアが訴えるのも当然である。

 八百屋さんにはみずみずしい野菜や果物が並んで煌々と照明が当てられているのに無人なのだ。魚屋さんもお肉屋さんもすべて営業の形態を取るにもかかわらず、誰一人として店の人がいない。あまりに不気味な光景を目の当たりにして、その場に留まるのが怖くて、駅の方へまで逃げてきたのだ。


「ぎ……ギア?」

「なんや?」

「我輩、怖くなってきたぞ」

「ワテもや。まるでSF映画やな」

「い、いや。もっと現実的にだな、伝染病で人類だけが死滅したとかではないのか」

「バイオハザードかいな?」

「原因はいろいろあるが、その(たぐい)が濃厚だな」


「ディープインパクトとかアルマゲドンみたいに隕石が落ちてきたらこんなもんちゃうし……」

「そうだ。静かなもんだ。やっぱり伝染病、もしかして地球外生物の侵略があって全員が一網打尽にあったとか」


「プレデターでっか?」

「インディペンデンス・デイかもな」

「宇宙戦争もありやろ。連中はずっと前から準備をしてたんや」

「おーあれは怖かったよな。監督は誰であった?」

「スチーブン・スピルハンバーグやがな」

「そうだっけ? 何かが多い気がするが。まぁいい。そうその人だ。あの人が作るとあそこまで怖く見せるんだ。さすがであるな」

 我輩が言うのもなんだが、ほんとに我々は宇宙人だよな。


「つまりだ。そういうことが起きて、やがて誰もいなくなったのだ」


「やっぱしそうか……」

 ギアは深い溜め息を吐いた。

「せやからゆうたんや、SFをバカにしたらあかんって。危険はすぐ隣にあるんや。せやのにだーれも耳を貸さんからこういうことになるんや」


「誰に言ったのだ?」

「道行く人にや。ポケラジの中からずっと説いとったんやデ」

「そりゃぁ誰も耳を貸さないだろう。ラジオの宗教番組ぐらいにしか思ってないぞ」


「サクラ婆さんは熱心に聞いてくれたデ」

「あの人は特別なお方なのだ」




 てなことを言いながら、無人となった桜園田駅構内に足を踏み入れてみた。

 ビーサンを擦って歩く音が怖いぐらいに響いていた。


「誰かいまへんか――っ!」

 ギアの大声だけが渡る。だがそれに対して何の反応も返らないのがマジで恐ろしかった。


 その時。異音が聞こえた。

「何だ? あの音」

 と言うより鼓膜を通して聞こえる音の弱々しいこと。これまでの電磁風による音の聞き分けの何十分の一かも知れないが、その異音は徐々に大きくなって、

「ゴア! あの音は電車や!」

 ギアがホームへ走りだし、我輩もその後を追う。

「切符は?」と訊く我輩だったが、すでにギアは改札を通り抜け、ホームへ続く階段へ差し掛かっていた。


「ゴア、急げ。電車や、電車が入って来たデ!」


 走るという事がひどく苦痛だと初めて知った。息が苦しくて心臓が爆発しそうだ。いつだかアキラがマラソン大会を嫌っていた理由が今ならよく解かる。


 ホームに駆け上がると、ちょうど梅田行きの電車が止まり、扉が開いたところだった。

 切符も持たずにホームに入る後ろめたさは、元々それを買った経験が無いだけに気まずくも感じないが、それよりもさらに深みを増した異様さのほうが強かった。


「誰もおらんがな……」

「ではだれが運転してるんだ?」

 二人でそろって先頭車両を見遣る。と同時にドアが閉まった。

「ヤバ!」

 ギアが締まっていく扉を止めようとしたが間に合わず目の前でぴしゃりと閉じ、続いてゆるい加速感をともない電車が動き出した。


「どないなっとんや。運転手もおらん」

 ギアの視線の先、隣の先頭車両の先端、運転席がガラス越しに見えたが人影がなかった。


「神急電鉄に無人車両なんか無いデ」

「ああ。神戸の埋め立て地を巡回する列車ぐらいしか我輩も知らん」


 平然と速度を増して行く電車の車窓を眺めていた我輩は、複雑な心境に陥っていく。

 無人で電車が動くはずがないのだ。これには何か裏がある。人類死滅説も捨てきれないが、謎の色は濃くなるばかり。我輩は怖くなって自分自身を抱いた。暖かな日差しが窓から射すのに背筋が凍えそうだ。

「ギア。これが恐怖で体が震える現象なのだな」

「せや。ワテも立ってられへん。足に力が入らへんねん」

 と漏らして、がらんとした座席に座ったので、我輩もその隣に腰掛けた。


「白衣の前、閉じときや」

「誰もいないのだ。どうでもよかろう」

「あかんで、どこで誰が見とるか分からんデ。それよりSFではこの先どうなると思う?」

「そうだな、物語的に『起承転結』で言えば、『起』は済んで『承』に移る頃だろうな」

「せやろ。ワテもそんな気がするワ」

 妙な雰囲気を肌で感じつつ窓外へ視線を移した。


「着いたようだぞ……」

 軽快に走行していた電車はゆっくりと減速して次の駅に止まって扉を開けた。アナウンスも何も無かった。


「いったい、どないなっとんや?」

「人類はどこへ行ったのだ?」


 その時――。

 不気味に静まり返ったホームからひんやりとした風が舞い込み、チェック柄のミスカートを翻した少女が車内に入って来た。

「ねえ。そろそろ種明かししてあげようか?」


 数秒間は息が止まっていたが、何とか声を絞り出す。

「だ……誰だキミは!」

「おほぉ。可愛い子ぉやな」

 どこかで見たことがある服装だと思ったら、恭子ちゃんと同じ、桜園田東高の女子の制服であった。


「ちっとも進展しないから退屈なんだもん」

 セミロングで少し栗色かかった柔らかげな髪の毛を背中になびかせ、我輩たちの前に立った少女は、とんでもなく美人だった。


「種明かしとは? 進展とはどういうことだ?」

 あまりにも唐突な登場であったので、白衣の前が大きくはだけていることに気付きもしなかったのだが、

「ちょっと、キミ。ヘンタイなの?」

「ゴア。前がおっぴろげや」

 慌てたギアに指差され、

「あうっ」

 急いで股座(またぐら)を閉じた。電磁生命体人生で初めての内股である。


 少女は驚きもせずに吊り革に身をゆだね、ぷら~んと子供みたいにぶら下がると、ポンと飛び降り。

「この世界はね。あたしの頭の中なんだよ」


「え~~~~~っ!」

 と叫んだのは我輩だけで、

「ほーでっか」

 ギアはほとんど聞いていないで、少女の整った顔立ちを見るのに夢中だった。


 我輩は少々強張った口調で訊く。

「なら。ここはSFでよくある精神世界なのか?」

「オマはん、可愛いやんか。名前は?」


「いわゆる、精神の中を我輩たちはさ迷い続けるワケだな?」

「年はいくつなん? どこに住んでまんの?」

「こ、こら。せっかく我輩が緊迫しておるのに、こんなところでナンパを始めるのではない」


「あははは。あたしの名は量子(リョウコ)。身長160センチ、バスト90。ウエスト50、ヒップ92」

「うぉぉぉ。ダイナマイトボディやがな。ほ、ほ、ほんデ、年はナンボなん?」


「オマエのほうがチカンみたいだぞ。それ以上喰らいつくな。何か怖いぞ」


「年は16才。高校一年生」

「桜園田東校にオマはんみたいな生徒はおらんかったデ。恭子ちゃんは知らんか? いっこ先輩の藤本恭子ちゃんや」

「こら、ギア!」


「知ってるよ。藤本さんでしょ。メカ女子でボードコンピュータとか、最近アンドロイドアプリに手を出してるんでしょ」


「ほぉ。よう知っとるがな。そのとおりや。理系のべっぴんはんや」

「あたし、アキラくんも知ってるんだよ」

「ほーか。そりゃぁ、話が早い。アキラはワテらの知り合いや」


「こら――っ! 一旦落ち着けぇっ! ギア! そこから離れろ。ちょっと可愛い女の子だからって、くっ付き過ぎだ!」

「なんやねん。せっかくの女子とのダベリに割り込んでくるなや」

 ダベリって……オマエはいつの時代から日本にいるのだ。


「そ、ん、な、こ、と、よりもだ!」

 あいだに割り込んだ我輩に対して、ギアは露骨に嫌な顔し、

「無粋な奴やな、オマはん。白けてもうたやんけ。なぁ? リョウコちゃん」

「いいよ。気にしてないから」

 少女は吊り革越しに爽やかにな笑みを注いでくるが、

「まぁ。立ち話も何や。ワテの横に座りぃな。それかどこかそこら辺のサテンでも入って茶ぁシバこか?」


「だから。ナンパをするな!」


「あははははは」

 屈託無く大声で笑う少女。とてつもなく不可思議な事が起きているのに、このバカ(ギア)はニコニコしやがって。

「ナンパちゃうやん。会話や。関西人は会話を楽しむ民族や」

 確かに日本民族から逸脱した路線を突っ走る傾向は認めるが、

「この状況を理解しろ、ギア。よく見るんだ。さっきから電車は止まったままだ。しかも扉が開けっ放しなんだぞ!」

「終点の梅田に着いたんちゃうんかいな」


「ちがーう。まだ途中だ。こんなに長く停車する駅は無い。途中の十三(じゅうそう)でも1分と止まらんぞぉ……むはっ」

 いったん息を吸う我輩。ここでも新たな発見をした。長く喋ると息が続かないことを。

「あのなギア。この子は言ったんだ、ここは自分の世界だとな」


 ギアは自分の膝をポンと打ち、

「なるほどな。この神急電鉄は自分ちのモンやと。ほーかぁ。電鉄会社の社長はんの娘かー。こりゃどうもお初にお目にかかります。ワテの名はリチャード・ギアっちゅまんねん」

「また悪い癖を出しよって。可愛い女の子の前に出るとすぐその名前になるな。だいたいリチャードと名乗る人が『ワテ』とか『ワシ』とか言わんだろ」


「おっもしろいねー。キミたち」

「ホンマでっか? おもろかった?」


「うん。面白い、面白いよー」


「ほな、もっとおもろいことゆうたろか?」

「うん」

「だからギア。我輩の言うことを聞け。この子は電鉄会社の愛娘(まなむすめ)だとは一コトも言っとらん。自分の頭の中の世界だと言ったのだ。しかも我々しか知らないことを知ってるんだ。おかしいと思わぬのか!」


 やっと、ギアはマジな顔に戻った。

「何ちゅうたっけ? なーんも聞いてなかったワ」

 本当にこいつは無駄な生き方をしておるのな。


「あのな。恭子ちゃんがメカ女子だということは内密な話なのだ。あの子は自分が理系女子なのをひた隠しにしておるのだ。それを知るのは我々北野家関係者だけだ」


「そんなこと分かるかいな。塚本くんあたりが言いふらしたんかも知れへんがな」

「坂本くんの口が堅いのは、あのコミュニケーションネットワークが崩壊しないで維持されることが実証しておる。だからみな、彼には本音を伝えるのだ」


「それより。マジで茶でもシバかへんか? 喉が乾いてきたデ」

「それだけペラペラ喋っていたら乾くはずだ。我輩もそうだ。なるほどな。喉が渇くとはこういう感じなのだな」


「じゃあさ。駅の構内にある喫茶店入ろうか。ついておいでよ」


 少女はためらうことなく先頭に立ち、ホームへと下りた。

 後を追う我輩たちが電車から降りるや否や。エアー音が響き扉が閉まると、じっと停車していたはずの電車が滑り出し、轟音と共に走り去った。


「ワテらが降りるのを待ってたみたいやな」

「待ってたんだよ」

 と制服のスカートを翻して少女は平然と告げた。


「どうなっておるのだ? きつつきにつつかれた……なんか違うな?」

 あ、そうだ。『つ』が多すぎて動物が変わってしまうのだ。以前学習したのをすっかり忘れておった。


「まるでキツネに憑かれたようであるな」




「こっちだよ」

 階下と繋がるエスカレーターに飛び乗った少女の黒髪が、徐々に沈んで行くのを見とどけた後、辺りを窺って再び仰天である。

「お。おい。ここは桜園田駅だぞ。我輩たちは一駅向こうにいたよな」


 慣れないエスカレーターにまごついているギアは見向きもせずに、

「そーやったか? よう覚えてないワ」

「オマエは生きてるのか? 今、我輩たちの置かれてる状況を考えてみろ、とてつもなくおかしな事が起きつつあるのだぞ」

(わめ)くなや。とにかくリョウコちゃんと話をしようや。そしたら謎が解けてくるやろ。それより階段から行こうで。エスカレーターは素人が手を出したらあかん、難しすぎるワ」

 手ではなく足が出せないのだが。


 でもって悔しいがギアの言うとおりである。この現象は『リョウコ』と名乗った少女が鍵を握っているのだ。


 ホームから下に広がる構内にはたくさんの店舗が並んでおり、お食事処から本屋さん、百円ショップに薬品店『ヤマモトキヨシ』などあり、すべて営業状態ではあるが、無人なのは何も変わっていなかった。


 十数メートル前を行く少女が小さな人工池のある広場を目指して歩む先は察しがつく。アキラの胸ポケットに入れられて何度か来たことのある場所だ。この周辺で喫茶店と言えば、あそこしかない。


 案の定。少女はその店の扉を開け、

「ここにしようよ」

 躊躇のない態度で店内に入って行った。


「この喫茶店、『マロン』ちゅう店やろ?」

 とギアが言うとおり、アキラと坂本くんがたまに入ってくだらん話をする隠れ家的なところでもある。だから我輩たちも何度か入っており店内の設えも記憶にある。

「どうする? 入ってみるか?」

「入るに決まっとるやろ。ホンマ、どんならん奴やで」


 くぬっ……ヤロウ。


 どんならん奴とは――前回でも説明させてもらったが、ここで復唱するぞー。いいか、青年。太鼓はドンと鳴らなければいけないのに、それが鳴らない。つまり、『なにも役にたたない、どうしようもない奴』と言う意味である。

 な? ナニワ言葉は奥が深いだろ?



 ところで、この格好で店内へ入ってもいいのだろうか?

 扉の前に立つステテコのおっさんと、白衣いっちょうの姿が黒っぽいガラスの扉に浮き上がっていた。

  

  

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