5 ネットワーク万歳、なのである
地球に落ちて10日目の朝。
毎日が淡々と過ぎて行く。単純極まりない時間を垂れ流していいのだろうか。
「さ、ミケ。ごはんよ」
「にやぁ~」
単純といえばこいつだ。食う、寝る、出す、だけで生き続けるのだから不思議なものである。
それより、あれから何度もこいつとのコンタクトを試みておるが、我輩がヤツのテリトリーに少しでも近づくと、烈火のごとく怒り出す。ほんとヤツの怒り方は我輩の手には負えんのだ。ヒステリーを起こした珪素生命体みたいに取り付く島がない。
玄関に戻った我輩が離れたところにいるのでミケは機嫌がよい。三和土へ小さな尻を下ろして食事が出されるのを待っていた。
「はいどうぞ」
「ぬぁぁ~ん」
そいつはママさんから手渡された鰹節ぶっ掛け御飯に、鼻面を突っ込みながらひと鳴きした。
「そぉ。美味しいの。よかったねぇ」
しかしママさんはいろんな能力に長けておるな。小動物とも上手くコミュニケーションが取れるようだ。テレビや冷蔵庫と会話をするのを目撃したこともあるし、たいした女性である。
ママさんは飯を頬張る猫の頭をひとしきり撫で回すと、すっと立ち上がり、
「献立のメニューを考えなくちゃ」
重複表現めいたフレーズを漏らしながら部屋へと戻った。
我輩も玄関に設置してある3連の照明スイッチの端子からいつもの所定位置、カウンターキッチンの蛍光灯へと戻る。
ママさんは途中で薄水色のエプロンを引き剥がし、リビングの中央に置いてあるテーブルの脇に腰掛けると、見慣れぬプレートを上下二つに開いた。
アジの開きでもなさそうだ。どう見ても口に入れるものではない。
「何であろうか?」
思案することコンマゼロ2秒。
ふむ。東高の科学部の誰かが小脇に抱えていたのと同じものだ。確かパソコンとかいうモノ言わぬマシンだ。
我輩が持参した地球辞典にも載っておるが、あれがコンピューターだと言うのだから笑っちまうよな。モノも言わねば理解力も無い。どこが人工頭脳だ。せめて不特定話者音声認識と音声合成ぐらいができるのが普通であろう。歌えとまでは言わぬが、せめて会話を交わせないと人工頭脳とは言わないぞ。
オモチャみたいなコンピューターを開いたママさんは、表示部を自分に向けてキーボードを打ち始めた。
なるほど。語れない代わりに手動で文字を打ち込むのか。
「文字は理解するのか?」
それより時々右手に何かを持ち替えて操作するようだが、なんだあの丸っこいモノは。
勉強家の我輩はすぐに辞典を紐解く。
「ネズミ……か」
この家ではネコだけでなく。ネズミも飼っておるのか……。
ママさんもたいへんであるな。
それにしても何をさっきから熱心に眺めているのであろう。天井から吊り下げられた蛍光灯の位置からでは画面がよく見えない。
さっと電気ポットまで移動してみるが、こちらからは真逆になり人工頭脳の裏側しか見えなかった。
あれもマシンと名が付くのであるから電力を要するはずだが、屋内配線と接続されていないため我輩もこれ以上近づくことができない。つまりあのマシンはバッテリー駆動なんだろう。ということはバッテリーとて永久電池ではないのであるから、いつか力尽きることがある。すると必ず屋内配線から電力を吸い取るはずである。そのとき侵入すればママさんが何に頭を捻るのかが解る。
チャンスはすぐにやって来た。
「あん、もう」
妙に色っぽい声と共に、ママさんは引き出しからパワーパックを取り出してコンセントに差し込み、その片側を人工頭脳に繋いだ。
「それっ」
人工頭脳への潜入は瞬時に終わる。
何だこの簡単な構造。二値表現だけで動く超初期型のコンピューターではないか。それもデータ線が32本とは……これだけで何ができるのだ?
ふむふむ。
一個の演算装置(CPU)による時分割方式のマルチタスクか。なんと効率の悪い。
「人類はこの程度でコンピューターとか呼んでおるのか?」
せめて量子コンピュータ並みの完全な並列処理ができないと……。
「これでは電卓と大差ないぞ……いや電卓か。これが電卓と呼ばれるものか?」
そう言えば人間が移動に使う乗り物もそうだ。
自動車とか呼ぶらしいが、車輪を転がして地面の上を移動する限り、牛車となんら変わらん。牛がエンジンになっただけの話である。
ま、未熟な文明を嘆いていても仕方がない――。
それで?
ママさんは何を見ていたんだ。
「ほぉ。一週間の献立か……主婦もたいへんであるな」
ま、このマシンではそんなモノであろう。
それよりこの献立表はどこから送られて来るのだ?
「なんだこの信号は……」
我輩は電源ラインとは別の回線を見つけたのである。屋内配線から入り込んで来る低い周波数ではなく、極端に高い周波数の粒々した電流の流れがまるでホースの先から飛び出す水の勢いで動き回っている。
「これはパルス性の電圧変化だ」
我輩の身体にもその感触が伝わってくる。とても心地よくリズミカルな揺らぎだった。
ほぉ。規則性がある。この流れは何らかの意味を持っておる。
「ふ~む。ネットワーク通信というのか」
我輩の持つ辞典に書いてあった。
なるほど。子供のオモチャ並みのマシンだが、流れるデータはなかなかのものだな。
宇宙旅行と水遊びを履き違えるような地球人が、こんな面白い情報収集を裏でしていたとは……。賢いのかバカなのか、掴みどころの無い生命体であるよな。ほんと。
我輩は電荷からウロコ(ホール:電子が抜け落ちた孔)が落ちる思いだった。
これを利用すれば、7900光年彼方から持参したこの胡散臭い地球辞典など使わなくてもすむ。この辞典はどこまで信じていいのか迷っておったのだ。
「ちょっとママさん貸してくれ」
我輩は居候の身であるということを忘れてマシンを操った。
「あ、きゃぁ。独りでページが開いていくわ……どうしたのこのパソコン? そっかウイルスが入ったのね」
「ママさん、我輩を病原菌扱いにしないでくれ……」
心配無用。少し貸してもらいたいだけです。
OSの処理内を彷徨い、ママさんには悪いが、エラーメッセージウインドウが出るように操作してやった。
『ネットワーク パスが見つかりません』
こんなのは我輩からすれば楽勝なのだ。
ちなみにオペレーティングシステム(OS)という言葉も流れ去るデータ内から拾ったのだ。これは便利なものを見つけたのである。
エラーメッセージに戸惑うママさんの目を盗み、しばらくネットワークを彷徨ってみた。
このネットワークの媒体は光であるため、電気が主体の電磁生命体である我輩にとって、光ファイバーもただの絶縁物になってしまい、直接ネットワークには入り込めない。つまり光アイソレーターから噴き出す電圧の変化をデータとして読み取るのが精一杯である。
それでもじゅうぶんな成果が上がった。
「インターネットというのか……」
高尚なサイトから低俗なものまで、あらゆるものが集まり混沌とした状態でひしめき合っている。この中からほしいデータを抜き出さねばならないとは、まだまだ発展途上ではあるな。
しかし、ある意味おもしろい。
「ふむ。今年はサンマが不漁か……。サンマ? 不祥事でも起こしたのか……?」
もう一度、データ内を彷徨う。
「なんだ魚の話しか、我輩にはどうでもよいな…………で、このページは?」
うおぉぉ。えっちな絵が……。
慌ててアドレスを変更して取り繕う。
「――ふむ。DVDレコーダーもだいぶ安くなったな……」
電気屋さんのページで落ち着いていおると、
「ああぁ。ママさん、我輩が見ていたページを消さないでくれ」
おいおい。せっかくかき集めた『お気に入り』を勝手に削除して……。
「よし、こうしてやる」
『このプログラムは不正な処理を行ったので強制終了されます』
「もう、どうしたのよ。あたしは何もしてないって……もう一度起動……っと」
またですかママさん。ただいま我輩が使用中なのですよ。しょうがない、えいっと。
『問題が発生したため、インターネットエクスプロ★ラーを終了します』
「またぁ?」
『お使いのウィンドウズシステムはただいま留守にしております。しばらくお持ちになっておかけ直しください』
「なんでパソコンが留守番電話になるのよぉ」
むふふ。最後のはチトやりすぎたかもしれない。
でもママさんはパソコンの使用を放棄。電源を入れたままどこかへ行ってしまった。
これは良いものが手に入った。我輩がフルで活用すれば地球辞典の三倍は情報収集ができるであろう。これで我輩は地球オタクとして故郷へ帰ることができる。
むむ……。調べてみるとオタクとはあまりいい言葉で使われていない。なぜだ?
ひとつの事柄に対して並の人間より秀でておる専門家なのに、なぜ白い目で見られるのだ?
「文化の違いか? よくわからん……」
オタク化した我輩は情報をむさぼるようにして、地球に関するデータを読みまくった。
「お散歩JK?」
ふむ。困ったもんだな最近の女子高生は……。
「糞の始末は飼い主の責任であるぞ」
えっ……?
犬の散歩をする女子高生と違うの?
女子高生が犬?
うぜ。なんだそりゃ?
意味がわからんぞ日本人。
「困ったもんだと言えば……」
足が地についていない厨二野郎の年齢が上がってきておるな。何なんだ、この遊戯機器は……。大人向けのゲームか? それとも子供向けのゲームを大人が楽しんでるのか?
ほぅ。CO2問題が解決されるどころか、原子力発電所の停止が影響して悪化の兆しだと?
「人間自身が二酸化炭素製造機のクセに……」
おっと……。
居候の身でありながら言葉が過ぎた……これは失敬。
たった半時間ほどで俗世間にドップリ浸かってしまった自分が怖い。ネット中毒になる若者が続出するのも理解できるな。
しかしあまりにパソコンを独占してしまったため、ママさんも痺れを切らしたのである。すまんな。
夜分、再びママさんとパソコンを取り合っていると、
「パパ……このパソコン、ウイルスが入ったのよ。へんなページばっかり開くの」
パパさんはカウンターで飲んでいたビールのコップをかたりと置いて、部屋の中央に歩み寄るとママさんの肩越しに画面を覗いた。
「ヤフーニュースじゃないか。へんなページじゃないぞ」
なかなか理解力のあるパパさんである。
「だってさ、キヨ子の遠足の献立を探してるのに、すぐに世界経済とかニュースのページに跳んじゃうのよ」
キヨ子の餌などどうでもよいではないか。ママさん……。
ん?
ところで遠足とはなんだ?
「ほら。やっぱりおかしいよ。今度はウィキペディアの遠足のページに切り替わったわ」
「ほんとだな。ちょっと貸してみろ」
パパさんはパソコンを再起動させるが、別にこの低知能なマシンが壊れたのではない。我輩がコントロールしておるだけだ。
「これでどうだろ?」
もう一度インターネットエクス★ローラーを立ち上げ直したパパさん。ママさんの席を占領してどかっと座りこんだ。
もう、パパさんもしつこいな。しち面倒臭い。こうしてやる。
「あっ。『メモリ不足のため、このプログラムを実行できません』っていうメッセージが出たわ」
頓狂な声をママさんが上げるが、パパさんは平然と言い放つ。
「もうだいぶ古いもんな」
パパさんは、隣で丸い目を広げてパソコンの画面を覗き見ているキヨ子のさらさらヘアーを撫でながら、
「よし明後日は祝日だから、キヨ子を連れて新しいのを買いに行こう。どうだキヨ子? ヨドノバシカメラ連れてってやるぞ」
「うん。パパいく。それからね。キヨコね。グルグルのおスシたべたい」
なんだろ、グーグル寿司って?
大手ネット会社も寿司を握る時代になったのか?
「あっ、パパこの画面見て、『グルグル寿司』で検索が始まったわよ」
「ふぇ? 誰が入力したんだ?」
「あたしじゃない……」
「このパソコンは音声認識ができない古いタイプだろ? おかしいな?」
パパさんは首を捻っていたが、それにしてもネット検索は便利なものである。何でも出てくる。
ハァ?
くっだらない。回転寿司のことか……。はっ、疲れた。今日はもうやめだ。
「あっ、画面が消えたわ」
「壊れたんだよ」とパパさん。
我輩が電源を切っただけである。
パパさんもパソコンの横っ面をペンペン叩いていないで、残りのビールでも飲んでさっさと寝なさい。
――そして休日前夜のこと。
ママさんの顔色がすぐれない。
「どうしたんだろう?」
居候としてはとても気なる。
直接聞き出すことができずに、アレコレ思案に暮れているとパパさんが帰宅。その第一声である。
「ママ。明日仕事が入ったんだ。ヨドノバシカメラはキヨ子と二人で行ってくれないか?」
ママさんも浮かない顔をして、コメカミ辺りを押さえながら答える。
「あたしも体調最悪。風邪っぽいの……」
「えぇぇぇ。キヨコ、ヨロノバシいくぅぅ」
二人の会話が聞こえたのだろう。キヨ子がすっ飛んで来ると駄々をこね始めた。
「あのさ、今度にしようよ。ママはご病気だし。パパはお仕事なんだ」
「いやだぁあ。いくのぉぉ」
こうなると子供はどうしようもなくなる。仰向けにひっくり返り、床の上で全身を使って主張する姿は全宇宙で共通の振る舞いである。
「仕方がない。お隣のアキラくんに頼んで連れてってもらおう。北野源次郎博士のお孫さんだからパソコンにも詳しいだろうし」
北野?
なんだ水ロケットを作った提督の家がお隣だったのか。そうかあの家か……。
そう。実は最近非常に懸念することがある。
送電線を使えばどの家にでも簡単に入り込める我輩であるのに、唯一侵入できないお宅が隣の北野家なのだ。
その家は電磁性のノイズに対して万全の対策が施されており、我輩も同じ電磁生命体であるため侵入できない。見たところ何の変哲もない家屋なのだが、ずっと首を捻っていたのである。
そうか、提督は物理工学博士である。なるほどな。そりゃあ普通の家ではないはずであるな。
しばらくして足取りも軽くパパさんがお隣から戻って来た。
「キヨ子を連れて、ヨドノバシカメラまで行ってくれるそうだ」
「よかったわ。これであたしもゆっくり寝ていられるし」
ヨドノバシカメラと回転寿司か……。おもしろそうだから我輩もお供するかな。お店までの道順(電柱配置図)はネットで調べるとして……。
「キヨコもうれしい。おにいちゃんといくのすき。マイボちゃんもこないかなぁ」
「よかったなキヨ子。アキラお兄ちゃん好きか?」
「うん。キヨコね。おにいちゃんとケッコンするの」
「え? キヨ子……」
おいおいパパさん。何を渋い顔しておるのだ。その子はまだ6歳ではないか。男親の情けなさは全宇宙どこへ行っても同じであるな。
「パパ。これ充電しておいてくれる? 明日キヨ子に持たせるから。GPSも起動させておいてね」
「うん。わかったよ……」
心なし肩を落としたパパさんは、ママからキヨ子専用の黄色い携帯を受け取ると、カウンターの隅にあった充電器に差し込んだ。
それにしても今からその落胆ぶりとは情けない。実際にキヨ子が嫁ぐ時の姿が想像できるぞ、ったくな。
「ほらパパさんしっかりするのだ」
女の子を持つ父親はほんとうに世話が焼けるのである。
「そうだ」
寂しそうな肩越しから、充電器に突っ込まれた携帯を見た瞬間、グッドアイデアが光速で駆け巡った。
キヨ子の携帯に忍び込めば、明日みんなと一緒に移動が可能である。これは日本を観察する上でまたとないチャンスではないか。携帯電話は完全にアース(大地)と分離されているし、こんな安全なシェルターはないのである。
「ちと狭いがな……」
充電器のコンセントから侵入してその装置の中枢部へと潜りこんだ。息を止めて静かに探る。象型掃除機を壊した経緯を持つ我輩である。そこは慎重にな。
うむ。パソコン以下ではあるが……ほぉ。パパさんも贅沢させておるな。よほどキヨ子が可愛いのであろう。黄色い携帯はスマホであった。
スマホ。わかるな? スマートフォンであるぞ。
ふむ。パソコンと違って画面は消えていてもCPUは動いておるか……。
おほ。これはいい。狭苦しいことを抜きにすればバックグランドでネットし放題だし、カメラもあるから外の様子が見られる。しかも我輩が入っておれば充電無しでも使える。これは好都合なのである。我輩って天才な。
続くぞー。