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我輩はゴアである  作者: 雲黒斎草菜
第三巻・ワンダーランド オオサカ
63/100

11 北野家のいちばん長い日・眠らない街、大阪(後編)

  

  

「にしても……もう夜中だぞ。この人間らはいったいどこから湧いてくるのだ?」

 クララが驚くのは無理もない。死ぬことのないゾンビの如く、深夜の町を大勢の人々が行き交う映像を見ておると、よく言う、眠らない街って本当にあるのだと思った。


 だが……。

「この人ごみではメルディウスは姿を現さないな」

 そのとおり、いくら待っても発見できなかった。


 しかしほどなくして、

「あー。こっちで顔認証が一致したわ」

 人混みの途切れた川岸をトボトボ歩いている姿をNAOMIさんが見つけた。


「赤や青の火が川面に反射して……って、ここはカミタニさんと時々食事へ行くところだ」

「道頓堀でんがな。さすがプロデューサーや。中でも高級店が並んどるとこやデ」

「そうなのか?」

 ま、宇宙人であるからして、大阪の食通界隈(しょくつうかいわい)など理解不能なのだろう。

「どうりで出てくる料理が口に合うと思った」

「美味しいモノばかり………ふあぁぁ。食べていると、あふぅ。太るよクララさん」

 アキラはすでにダウン寸前。食堂の隅っこの椅子にふんぞり返って大あくびである。


「進展したら起こしてあげるから、アキラさんはそこでしばらく寝てなさい」

 優しげなNAOMIさんの声に手を振って応えたアキラは、さっそく座席の背もたれに体をまかせて力を抜いた。


 よく座ったまま眠れるものだな。

「心配事が無い証拠や」

「我輩はあの姿を見ておるだけで、心配でしょうがない」

「あたしも同感なのよ……」

 犬と宇宙人に心配されていたら世話無いのだ。



 クララはふっと鼻で笑い、アキラに振っていた視線をディスプレイに戻し、

「このまんま川岸を歩いて行くと、例の有名な橋に出るぞ」

「通称引っかけ橋や。日本の男女の出逢いはここから始まったんやで。知らんけどな」

 出雲大社みたいなことをいうが、それは大きな嘘。あり得るとしたら、大阪芸人の発生場所とでも言えばいい。

「ゴキブリみたいに言わんといてんか」


「大阪と言ったら、必ずこの橋周辺と通天閣ばかりでないか」

「そんなことあるかい、新地やろ、心斎橋、それから……」

「オマエら。真面目にやれ!」

 逸れそうになる話をクララは引き戻し、

「メルディウスはあまり人混みを好まないぞ」

 クララの言うとおり、キャップ帽姿の少女は人でごった返していた橋をしばらく見つめていたが、思い立ったように踵を返した。


 だが、

「あかんでほれ、後ろから年配のおっさんが声を掛けとるがな」

「しかし彼女は会話ができぬぞ」

 クララの懸念はなぜか払拭される。

 身振り手振りのボディランゲージのおっさんにうなずいているメルディウスの姿が。


「どういうことでんねん。会話が成立したみたいでっせ……あー。あかんがな。あのおっさんについて行きよる」

 まるで家出少女の追跡ドキュメンタリー番組を見るようだ。


 年配男性とミニスカートの少女。一見不釣り合いなのだが、最近よく見る『むむむ』の関係にしか見えない。


「あの男の顔をプリントアウトしておいてくれ。もし手を出したら、ぶち殺しに行く」

 暗黒軍団の女王様のお言葉である。即行で実行されるであろうな。



「ともかく、尾行を続けてくれ」

 科学捜査もここまで来ると大したもんである。現実に後ろから追うことなく、街中の監視カメラを切り替えていくだけで二人の行方が分かる。ある時は路地を右から左へ横切る映像。ある時は角を曲がって真正面から捉えた映像だ。


 ようやく男性の容姿容貌が明らかになった。

「なんだ? かなりの年寄りではないか。いい年して若い子に声を掛けるとは、恥ずかしいヤツめ」

 と吐き捨てるクララだが、白いテンガロンハットに長いあごひげ。小ざっぱりとしたスタイリッシュな男性。そう。我輩は何も言えなくなってだんまり。

「どっかで見たことあるオッサンやねんけどな……」

 ギアは首をかしげ、

「あちゃぁぁぁ……」

 と目を逸らしたのは、NAOMIさん。


「なんだ? オマエらの知り合いなのか。ならば、ぶち殺す時が来たら探す手間が省けるな」

「いや。あのね、クララさん……それがさ……」

 言い出しにくいだろうな。NAOMIさん。


「あ――――っ!」

 叫んだギアのカメラの視線と罰悪そうにしているNAOMIさんとが合った。


「今日、北野博士はどこ行ったんでっか?」

 と訊くギアにNAOMIさんは目を伏せたまま答える。

「学会のはずよ……」

「あっこにおりまんがな。源ちゃん!」

 今ごろ気付いたのか、ギア。


「あの助平ジイさん……どないしょ」


「さっきから慌てておるがどうしたんだ、オマエら?」

「あんな。クララはん。メルディウスと一緒に歩いとるのは。この家の(あるじ)や。北野源次郎博士や」


「なに! あの実用型量子コンピューターや、スピリチュアルインターフェースを拵えた、あの物理学者。北野博士。アキラの爺さんか!」

 長い説明ありがとう。


 クララは、ヨダレを垂らして椅子に座ったままで爆睡中のアキラと映像とを交互に見比べ、吐息と一緒に呆れかえる。

「どっちも能天気……隔世遺伝の典型的な例だな」


「ありゃぁ。なんかのお店に入ったわ」

 さらにまずい雰囲気に――。


 商店街の天井から写した映像に切り替わり、少し距離があってよく見えないが、博士に背を押されてメルデュウスは店内へと消えた。

「これで、ますます放っておけなくなったじゃない」とNAOMIさんはつぶやき、鮮明な画像への変換作業に入った。


 拡大鮮明画像が出力されるまでの時間の長いこと。

「何事も無いことを祈りまっせ」

 ギアの願いは我輩の願いでもある。こんな身近でキャザーンと北野家の戦いが始まったら我々はどちらの味方に付けばよいのであろうか。


「また焼肉屋さんよ」

 呆れ口調のNAOMIさんが出力した静止画によると、鶴の端駅周辺で入ったチェーン店と同じ店であった。

「やっぱり腹が減ってまんのやで」

「と……とにかく、いかがわしい店でなくてよかったな」


「命拾いしたな……ジジイ」

「この手のお店には店内カメラがあるから切り替えるわね」

 舌打ちをするクララと、安堵の気配を言葉に滲ませるNAOMIさん。


 深夜二時を過ぎているのにもかかわらず、満員の焼き肉店の中は煙が充満しておりよく見えない。


 座席を映す店内カメラに切り換わり、パラパラと入れ替わるが、

「いたわよ」

 二人を斜め上から映した鮮明な動画が北野家の食堂のテレビに映し出された。



 キャップ帽を深めにかぶり、胸元を大胆に広げた青と濃紺のチェック柄シャツの少女に鼻の下を伸ばし、テンガロンハットを片手で外して壁に掛けながら、スキンヘッドと笑顔を振りまくという、何とも恥ずかしげな姿がアップになる。


「オツムがテカテカに脂ぎってまんがな。男子力未だ衰えずでんな。あやかりたいもんや」

 お前は電磁生命体だ。精力など要らん。

 にしても元気な爺さんである。これでは北野博士のスケベ度を暴露する実況中継である。でも当の本人は何も知らない。


「アキラには見せたくない光景や」

 つい小声になるギアの気持ちが痛いほど分かる。その孫は部屋の片隅で爆睡の最中である。


 しかし――。

 よりにもよって二人座席は個室である。ヤバイことをするには好都合……。あ、いや。静かに会話をするにはちょうどいい。にしておこう。


「あたりまえだろう。ワタシもカミタニさんとこのような部屋で打ち合わせをするぞ」


 カミタニさん。冷静に行動を起こすことを切に願うのである。相手は星間連邦軍と互角に戦ったキャザーンの女王様だ。手を出したが最後、あんたの命は無いと思ったほうがよい。


 博士はやって来た店員へにこやかな笑みを振り撒きつつ、壁に張られた生ビールの絵を指差し、指を一本突っ立てた。ひとまず少女にアルコールの飲酒は進めてはいない。後は開いたメニューの数ヵ所を突っついてその場を終わらせた。


 出されたおしぼりを不可思議な目でじっと見つめる少女に、博士は自分の手を拭いて見せ、その仕草を少女にもまねさせる。

 おしぼりで手を拭くネコ……。長靴ではないな。


 やがて博士は少女に向かって何か語りだした。

 もちろん何を喋っているのかまでは聞こえてこない。


「量子物理学の講義でも始めたんとちゃいまっか?」

「メルデュウスには理解できん」

 真面目に受けるクララに、

「ちゃいまんねん。博士の場合は催眠術に利用しまんね」

「恐ろしい奴だな……」


 やがて注文の品が届き、大皿にたくさんの牛肉が乗せられ、照りのいい美味そうな山盛り料理にメルデュウスは小さく驚いて仰け反り、博士は生ビールのジョッキを楽しげに傾けた。


「おい。我々はジジイの浮気現場を盗撮する探偵ではないぞ。あああああ。煙で画像が見えない」

 肉好きにもほどがあるだろうと言いたくなる。

 脂身の多いカルビを次々と金網に並べたおかげで、もうもうたる煙が漂い、カメラの映像が真っ白になった。


「この煙何とかなりまへんの。煙幕でっか」

「まさか。我々の尾行に気付いて逃げ出す気か?」


 それは無いであろう。


 一同の心配は煙と共に消え去り、高笑いをするスキンヘッドの博士がジョッキをどんとテーブルに置き、その体面では――。


「どないしたんでっか。あの子、血だらけでんがな」

 メルデュウスの口の周りが真っ赤になっていた。


「な、何であるか? あれは血だぞ」

「やっぱ吸血鬼なんや。月夜に変身するんや。バンパイヤやがな」

「変なことを言うな。何度も言うが、ジュノン・アカディアンは猫だ」


「ほなあの真っ赤な血はなんでんねん?」

「知らぬわ」


 我輩はあまりの偶然性に息を飲んでおった。

「しかし……世の中は広いようで狭いとはよく言ったものだな」


 まさか北野家から遠く離れた繁華街の焼肉屋さんで、得体の知れない少女に食事をご馳走するこの家の(あるじ)を見つけたのだ。言葉を失くしていても仕方がない。NAOMIさんなど、さっきから口をあんぐり開いたまま固まっておる。


「NAOMIさん。北野博士に電話はできないだろうか?」

「できるわよ……あそっか。あんまりにもびっくりしちゃって我を忘れてたわ」


 さすがは量子コンピューター製だな。吃驚してロボットが我を忘れるのである。それともロボットを唖然とさせる北野博士のほうがとんでもないのか……だな。


「ここから電話して源ちゃんに捕まえてもらって、家まで連れて帰ったらいいのよ」

 明るく言い放すNAOMIさんである。そのとおり、急転直下で解決に繋がるかもしれない。

 しかもその一部始終をここからモニターできるのである。これなら楽勝だな。


 NAOMIさんの視線が天井に向いた。モバイル回線に接続を始めた様子。何しろこの人はどんな場所であってしても直通回線を探し出すことができる。なんならアメリカ大統領のプライベート回線であってしても簡単に接続するぞ。恐ろしいだろ?


 数秒後、ディスプレイの中では北野博士が何かに気付いたらしく、ワサワサしだした。もちろん自分の携帯が鳴り出したからである。


 傾けていたビールジョッキをテーブルに戻し、対面の少女に一言告げてから、携帯電話を胸から出し、表面をちらりと見てテーブルの上に伏せて置いた。

「あかーん。NAOMIはんやと分かって、しかとする気や」


「まかせて。学会の回線から呼び出してみるわ」

 今度は電話に出た。緊急呼び出しだと思ったのであろう。


「ちょっと源ちゃん。こんな夜中にお肉なんか食べたら体にさわるでしょ。あなたはもう60才を過ぎているのよ」

 NAOMIさんの口調はまるで古女房なのだ。


 声は聞こえてこないが、映像の中で源次郎博士は唾を飛ばして何かを訴えていた。

「そんなに怒鳴らないでよ。え? なぜ分かったのかって? あのね。源ちゃんの前に座ってる女の子を追って、日本中の監視カメラの映像を調べていたの。そしたら、あなたがそこにいたんじゃない」


 すぐに博士は右側面の天井に設置されたカメラに気付き、手を振った。

「いま手を振ってるでしょ。『見えるかー』じゃないわよ。あのね、のんびりしている場合じゃないの。その子バンパイヤかもしれないわ。口のまわりが血でべっとり濡れてるじゃない」

 博士はカメラに向かって白い歯を見せて笑った。


「え? 生肉ユッケなの? 血の滴る生肉が好きだって言ったの? その子が言ったの?!」

 NAOMIさんはさっとクララに視線を戻すと、

「あの子、喋れるみたいよ」

「そんなはずは……」

 自信無さげに首を捻るクララ。


「それより源ちゃん。すぐにその子を捕まえて家に戻ってちょうだい。え? 何。これから楽しむって? ば、バカなこと言わないの! その子はね、下宿人のクララさんの……えっと」


 ちらりとクララに助けを求め、

「親戚だとでも言っておけ」

 クララの助言に、

「遠い親戚なのよ……。え――? 信じられるかって?」

 憤然とするNAOMIさん。

「あのねー。夜中にカルビ食べ過ぎなの! すぐに帰りなさい」

 NAOMIさんと北野博士の関係はどうなっておるのだ。意味不明なのである。


 お茶目な博士は白ヒゲをしごきつつ立ち上がり、変顔をカメラ前に曝け出し、アップになったまま赤い舌を出した。

「ちょっと、恥ずかしいからやめなさい。いい年して子供みたいに……あ、こら。切らないで!」

 電話を切ったのであろう、手に持った携帯を上着の内へ入れ、座席に腰掛けると同時に辺りをキョロついた。


 改めてカメラに向き直ると、『おい、見てみろ』的なジェスチャーと共に自分の対面席を指差した。

 そう。もぬけの殻になっていたのだ。


 博士はしばらく。座席の下や引き戸から外へ顔を出して探したが、少女の姿は無く、逃げられたのであろう、我輩たちの見ているカメラに向かって、両手のひらを上に広げて肩をすくめて見せた。


「逃げられたみたいやで」

「また見失ったわ……」

 NAOMIさんとギアはそれぞれに脱力し、

「アキラの爺さんは噂どおりのスケベなんだな」とクララ。


 まったくもって、元気な人であるな。



 いつまでも呆れているのではない。まだ続くぞ――。

  

  

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