4 救難ロケットをゲットしたのである
その日の午後のことである。
緑川家の長女、キヨ子ちゃんが小学校から帰って来た。照明器具から見守る我輩の真下で幼女はランドセルを自分の部屋に放り込むと、すぐに家を飛び出そうとした。
「キヨ子どこ行くの?」
その小さな背中に向かってママさんが止める。
「マイボちゃんとこ」
「また北野さんの家に行くの? 博士の邪魔したらだめですよ」
「じゃまなんかしてないよ。キヨコね、はかせのおてつだいしてるの」
「もう。それが邪魔って言うのよ。あなたは小学校に入ったばかりなんだから、大人の仕事場に出入りしたら……」
キヨ子はそんなママさんの小言など右から左へスルーさせ、「行ってきまぁす」と可愛らしい声で告げると、玄関から飛び出して行った。
ママさんは溜め息混じりの口調で独白する。
「小さいうちから工学博士のお家に出入りしていたら、少しは将来の役に立つかもね」
まるで我輩に語るかのようであった。
「うむ。子供のうちは何でもやらすにかぎる。なかなか結構なことだと思うがな」
こちらも聞こえるはずのない周波数で屋内配線の電圧を揺らがして答えた。
そしてその晩。
とうに帰ってきていたキヨ子は、粘り気のある褐色の液体をぶっ掛けた餌をママさんから与えられており、JAXXAの打ち上げを告示するにゅうすを見ながら、皿と口をスプーンで往復させるという作業を黙々と繰り返していた。
我輩はやるせない空気に我慢できなくなり、気の抜けたような声でつぶやく。
「またJAXXAを見ておるのか。よほど好きなんだな、キミは……」
この声が彼女には届かないことが、なんだか少し悔しかった。
そこへパパさんも帰宅。明るい色のネクタイを片手で緩め、ワイシャツの腕のボタンを開放させながら、キヨ子の皿の中を覗き込んだ。釣られてキヨ子も丸い目玉をパパさんに向ける。
「お。今日はママ特製のカレーか。キヨ子の大好物だな」
「致し方ありませんわ。子供はこういうモノのを好む生き物なのです」
「へっ?」
誰だ?
そのような尊大に語る女性はこの家にいなかったはずだぞ。
まさかキヨ子?
しかしここにいるヒューノイドの数は知れておる、どう考えても今のはキヨ子であり、その口調が大人びていることはパパさんも気づいたらしく、小さく肩をすくめてママさんへ視線を振った。
「今日も北野さん家へ行ってきたのか……」
「うん。あそこから帰ってくるとしばらくこの口調になるのよ」
ママさんのほうはあきらめムードである。
「昔はこんなこと無かったのにな。キヨ子?」
「原因は北野博士がスピリチュアルインターフェースを強化させたからです」
「ねぇママ。今の日本語?」
キッチンでマナ板の音を響かせながら答えるママさん。
「知らない。でもなんだかキヨ子が賢そうに見えて、あたしは悪い気はしないわ」
ちょっと待ってください、パパあんどママさん。
スピリチュアルインターフェースって言うのは、BMIの新化版であるぞ。そんな技術がこの地球に存在するのですか?
たかが小象型のロボット掃除機程度の技術力で満足するような地球にであるぞ。無人ロケットをかろうじて大気圏外に送り出すのが精一杯のこの国の技術力では作り得ない最新テクノロジーであるところの、スピリチュアルインターフェースだぞ?
もしそうなら、キヨ子ちゃんとは呼ばずキヨ子さんとよんだほうがいいのでは。いやここは親しみを込めて、やっぱりキヨ子と呼び捨てにさせてもらおう。我輩のほうが年上だからな。
とか考えていたが、
「んな。ばかな」
慌てて否定した。
馬鹿らしい。アニメの話であろう。SFな。
少々興奮してしまった我が身を自嘲する。しかしここは異国の地である。用心に越したことはない。
我輩は懐疑的な気分で、パパさんは同じ吐息でも疲れを滲ませつつキヨ子の隣に座った。
「キヨ子はこのロケットの打ち上げが好きなんだね」
と尋ねた幼女は丸いドングリ目玉をパパさんに向けてこう言った。
「実は打ち上げが延期になった理由なんですが、単なるバグではない気がするのです」
「…………」
その言葉に我輩もパパさんとそろって石化した。
「ママ。バグって何?」
「知らないわよ。犬の種類でしょ」
キヨ子は情けないモノを見る眼差しになって、
「それはパグです」
キッチンに向かって毅然と答え、スプーンに載っていた大きなジャガイモをぱくりと口に放り込んだ。
今朝までの幼げな顔つきは消えており、大人げに対応するその姿は居丈高くもあり、尊大でもある。
いったいどうしたのだ? キヨ子……。
きつつきにつつまつれた……、ちがうな。なんか『つ』が多すぎるよな。
日本語は難しいのだ。
あ、そうそう。思い出した。
狐につままれた気分である。
それとも地球の幼女とはこのような二面性を持つものだろうか?
バグとパグの違いを明確に説明できる小学一年生など存在するのか?
これはさらなる調査の必要がある、と首を捻っていたらキヨ子がもう一度スプーンの先でテレビ画面を指した。
「どちらにしてもいい機会ですから、こんど打ち上げシーケンスのソースコードを検証してみますわ」
なんだかすごいのだ。ソースがどうたら言っておるが、意味が解らないのだ。
パパさんも同じ気分なのだろう。
「キヨ子はカレーにはソースをかける派なのかい?」
しばらくキヨ子はキラキラした目を瞬かせ。
「そのソースではありません。プログラムのソースコードです。コンパイルする前にコーディングした言語ファイルのことです」
今のは地球語ではないような気がするのは、パパさんがスプーン片手に固まったままだからである。
次の刹那。風もないのにキヨ子のサラサラへやーが波打ち、
「ママ~。おかわり~」
小さな手で空になった皿を高々と持ち上げた。
「キヨコ。ママのカレーだぁぁいすき」
パパ、ママあんど我輩は目をパチクリ。
「「元に戻ったね」」
パパたちの言葉に我輩だけは、
「……?」のままである。
その晩、緑川家ではJAXXAの打ち上げのにゅうすが5回繰り返された。
「そうそう。お隣の北野博士といえば……」
ママが桜色の頬をもぐもぐと動かして咀嚼させ、ごっくんと飲み下してから、
「今度の土曜日。東高でロケットの打ち上げがあるそうよ」
ぬあぁに?
またもや蛍光灯を数度瞬かせてしまったが、仕方あるまい。
パパさんが蛍光灯を睨みながら答える。
「北野博士の孫、アキラくんが行ってる桜園田東高校だろ。なんだかあそこ、科学に関しては異様に燃えた学校だからな。キヨ子も少しは勉強して、あの子ぐらいの頭脳になってくれればいいんだがな」
「でもロケットなんて危なくないのかしら?」
「北野博士が特別顧問の科学部だろう。大丈夫さ。町内会のニュースにもなるぐらいなんだよ」
おぉぉ。あそこの特殊訓練校であるか。
これ以上興奮して蛍光灯を砕いてしまっては迷惑を掛けることになるので、我輩はカウンターキッチンに置かれた電気ポットに素早く移動。お湯のロックボタンに点灯していた赤色LEDから外の様子をうかがった。ここならいくら興奮しても水が沸騰するだけである。
しかしさすがであるな。地球外生命からの侵略に備えて日々訓練する学校だけのことはある。そのロケットに忍び込めば、やっと宇宙へ帰ることができる。
「それで? 土曜日というのはいつだろ?」
辞典を見るが『ウィーク』と出るだけ。
人類はマンネリ化する日々を曜日という単位で分割して暮らす、という愚かな方法でメリハリを付けておるようだが。今日が何曜日にあたるのか、その情報はどこで仕入れてきたらよかろうか……。
思案することコンマ5秒。
光の速度で思考を巡らせる我輩である。コンマ5秒でもあくびが出るほどの時間なのである。
キヨ子が見ている二次元アニメを表示する受像機に潜り込めば、何かしらの情報が得られるであろう。すぐに我輩はポットからテレビに移動した。
「あぁぁん。ママぁ」
我輩がリアルタイムで流れる『にゅうす』へ受像機の映像を切り替えたもんだから、すぐにキヨ子が小さな口を尖らせた。
「まどかちゃんがきえたぁ」
はいはい、キヨ子ちゃん。すぐ済むからね。ちょっとおとなしく待っててね。
テレビの操作権はもはや我輩のものである。
「ん? 切り替わらないぞ」
パパさんがコントロールパッドのひとつのボタンを連打するが、我輩の手に掛かればこんなオモチャ、無効にすることなど『赤帽』の手を捻るより簡単である。
ふむ。何か?
今間違ったことを言っただと? そうか? まぁ気にするな――何? 説明を求めるとな?
ふむ、よかろう。
よく聞け、青年。生まれたばかりの人間の子を赤帽というのであろう?
そんな子の手を捻るのはいとも簡単だという比喩表現であるな。
それよりあまり長い時間テレビを占領するとまずいので、すぐに操作権を返却することに。
しかしこれは嬉しい。また新しい情報が手に入った。にゅうすではなくニュースと言うのか。やっぱりだめだなこの辞典。説明だけでなく語彙もところどころ間違っておるし。となると『赤帽』の件も怪しいもんであるが――もう知らん。
我輩は辞典のにゅうすと描かれた欄を『ニュース』に、『赤帽』の欄を疑問符に書き換えながら、
「辞書の訂正も明後日で終わるのである」などとつぶやき、ほくそ笑むのであった。
時は流れ――土曜日。
我輩が地球を去るときがやって来た。落下から6日目である。
短いあいだだったが、緑川家の皆さんには世話になったな。さらばである。今度こそ我輩は宇宙へ帰るのである。
「ママさん掃除機壊してごめんね」
心からの謝罪の言葉は届くことは無いだろう。でも地球製の製品はモロイな。あれからヤツは蘇ることがなかったのである。押し入れの奥で今も伸びておるはずだ。
気分も新たに、桜園田東高へ瞬間移動した我輩は、高鳴る胸の鼓動を抑えて校内を彷徨っておった。
休校日なので人影は少ないが、運動場に大勢の女子高生が集まっているからって……。それが鼓動を高鳴らせる理由ではないぞ。勘違いしないでほしい。やっと宇宙へ帰れるので胸が騒いでおるだけだ。我輩にはカリンちゃんがおるのでな。悪く思うなよ。
しかしどうやって校庭のど真ん中まで移動するかだ。
屋上に設置された時計台を照らす照明装置から運動場を見下ろす。電力供給の送電線はどこでも張り巡らされておるのだが、あそこまでたどり着く方法が思いつかない。
「なんだあれは?」
人ごみの中にキラキラする物体を見つけた。
初めはそれがロケットかと見紛ったのだが、よく見るとすべての毛髪が抜け落ちた人の頭だった。その人物が周りの生徒に指示を出すところを見ると、たぶん教育者であろうな?
「あ、ラッキー」
校舎からそこへ向かって送電線が延ばされていたのを発見した。小躍りしながら我輩はその先端まで移動する。
校庭の真ん中では女子生徒が5人、男子が4人、朗らかな雰囲気でテカテカ頭の老人を囲んで談笑をしていた。
「ふむ……」
またあの辞典はウソを書いておったな。地球人は強暴だと言うのは誤りだな。こんなのんびりした連中はおるまい。
「では今から打ち合わせをしよう。カメラの電源は校舎から引っ張っておるかな?」
ツルツル頭のクセに顎にだけ伸びる白く長い毛髪……ふむ。『髭』と言うのか。毛髪とどこが違うのであろう。
なるほど……。引力に逆らって生えるほうが毛髪で、引力に従って生えるほうがヒゲというのか。
「ところで――信じていいのだろうか?」
この辞典に関してはもはや疑心の塊である。
「博士。バッテリーの充電が完了しました」
と、一人の女子。
「博士はよしてくれ。高校では北野先生でよい。で、キミ……胸囲は?」
「うぁぁぁ。ジイちゃん、やめてよー」
白ヒゲの爺さんに飛びつく男子生徒。こっちはどこかで見たことがある青年だった。
「アキラ。これは挨拶だ。気にするな」
ほう。メモしておこう。『女性と挨拶するときは胸囲を聞くこと』と。
教科書を10回読むより、現場に1回訪れるほうが勉強になるのである。これは辞典にも書かれていない地球での挨拶なのだろう。
で? ほんとに胸囲はいくつだろう。少し気になるほどに豊かである。
「ゴホンッ」
電磁生命体でも咳払いぐらいはするぞ。
まぁそんなことはどうでもよい。我輩はこの惑星にもう用は無いのである。
「恭子くんはどこへ行った?」と爺さん。
「藤本ならグランドの隅で発射時の計測をしています」
遠くへ視線をやる男子生徒の先に、大きく手を振る女子が見えた。
「よし。準備万端じゃな」
いよいよであるか。では我輩も移動の準備をしなければならないな。
しかし――。
さっきからバッテリー充電器に取り付けられたトランスの隅で様子をうかがっているのだが、どこにロケットがあるというのだ?
きょろきょろするがそれらしいものが無い。
ヒゲの爺さんは組んでいた腕を解き、振り向くと、後ろでワサワサする生徒の集団に声をかけた。
「科学部の部長はおるかの?」
「はい先生」
強化ガラスで作ったと思われるフィルターで視覚器官を覆った生徒が半歩前に出た。
うむ。感心である。至近距離で爆破を受けたときの衝撃から目を守るためにゴーグルを掛けておるのだ。男子たるもの勇ましくなくてはいかんな。いや感心感心。
男子生徒は鼻に掛かったゴーグルを指で押し上げながら――ふむ。『メガネ』と辞典では書かれておるが、これは防爆ゴーグルに間違はない。以前別の星で見たことがある。
「カメラの録画状況は良好です。バッテリーも完全充電されていますし、いつでも発射可能です」
おぉ。この子が船長であったか。なるほど凛々しい顔立ちをしておる。自分の乗る宇宙船が発射される勇姿を記録しようとカメラを持ち込んだのだ。つまり初任務ということか……。
となると――、
我輩は敬意をもってヒゲの爺さんを見やる。
「この御仁が艦隊の提督であらせられたか。今回は世話になるな」
まぁ我輩の声は伝わるはずがないのである。それより、
「宇宙船はどこだ? 船長がここにウロついてるということはまだ格納庫の中か?」
なるほど。ここか――。
充電器のLEDの隙間から顔を出して校庭を注視する。
これは我輩の想像だが、まもなく校庭が真っ二つに裂けて、中から船がせり上がってくるのであろう?
格納庫が地下にあるのだ。もったいぶらずに早く見せてくれ。
我輩もいろいろな宇宙船を見てきたが……。そうだな、これだけの広さがあればちっぽけな偵察艇タイプの宇宙船なら収めることができるな。戦艦級だと、この桜園田の街全部の広さがあっても格納できぬだろうけどな。小さくてもよい。我輩がこの惑星の大気圏を抜けるまでの辛抱だ。たとえば救命ポッド並みの船でもよいぞ。
「では秒読み1分前から始める」
え? 提督?
まだ船影すら見えておらんのに1分前からカウントダウンは早くないのか?
ちょっと……。
何んで目を細めておるのだ。あなたの見つめる先にあるのは、救命ポッドどころか、漁船、いやイカダよりもまだ小さいモノであるぞ?
なんですと?
どう見ても逆さになったペットボトルにしか見えないぞ。
ん?
ペットボトルぐらい我輩でも知っておる。ツアーで火星に寄ったとき、地球製のペットボトルが干からびた海の跡に何本も埋まっておった。あのゴミはどこまでも流れていくから始末に悪い。たぶん宇宙ステーションから捨てられたゴミが、火星に流れ着いたのだろうと添乗員は説明していたが。ゴミは持ち帰るのがマナーである。
あぅ――。
「ゴミの話しなんぞをしてる場合ではないのだ」
まさか、提督どの? あのペットボトルがロケットだと言うのか?
あれを宇宙船だと言い切るのか?
ほほぉ。地球人は冗談が上手な。
「あははのはー」
いちおう笑っておいたから。はいはい。いいから出して。早く宇宙船を出してください。
懇願する我輩を無視して、生徒たちは緊迫していた。
「発射30秒前です」
ありゃ?
船長が宇宙船に乗らずして……いいのか?
怪訝に見つめる我輩の前で、事態は進行していく。
「29、28、27……」
マジっすか。まじであのペットボトルを?
一同は先に尖った物が付いたペットボトルを見つめておるが?
それともこの星では尖っていれば、ゴミでもロケットだと申すのか?
もう一度念を押して。
「マジっすか?」
目を丸める我輩の前で、
「水圧は?」と訊く提督。
「じゅうぶんあります」
船長の横に座っていた、さっきの胸囲がありそうな女子が答えた。
水圧って?
おいおい。推進エネルギーが水だというのか?
水惑星だけに燃料には事欠かないと?
「あはははは」
山田くん。科学部のみなさんに座布団を一枚ずつやってくれんかね。
てぇ――っ、マジかよ!
バッカじゃね~の。水の圧力だけで引力圏から脱出できると、本気で思っておるバカなのか!
「この、うつけ者ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
目の前で空を睨んで突っ立つペットボトル。それを録画するためにスタンドに固定されたカメラ。そして喉が切り裂けるほど大声で叫ぶ我輩。その声は誰に聞かれることも無く、秒読みだけが時を刻んでいた。
「15、14、13……」
「もういい。帰る」
言葉を失くした我輩は、重い足を引き摺りながら校舎に接続された電源ラインをたどった。水の噴射音と共に湧き上がる歓声を背中で受けながら。
「何がロケットの発射実験だ! ゾウリムシの脳ミソしか持ってねえじゃんか……地球人」
捨て台詞を残して、我輩は居候先の緑川家へと帰ったのである。
ちなみに、深夜まで泣き暮れたのは言うまでもない。