11-2 リチャードさん お見舞いに行く
305号室──。
バギーの車体を前後させバンパーを扉に当ててノックする。
時刻は午前9時50分だった。スマホの時計だから間違いはない。この時間なら面会も問題無いであろう。
「はい……?」
部屋の中からあの子の声が。
「す、す、す、す、す、す、す、す、」
す、しか言っておらんぞギア。
「スミレちゃんや」
すぐさま突起物を伸ばして扉を横にスライドさせる。とても軽いドアなのだろう。カラカラと小さな音を出して入り口が開いた。
中から漂う何とも言えない芳しい香り。病院とは一風異なる保養施設であるからして、消毒臭いとか薬品の臭いはしない。
ついでに申すが、電子の微妙な歪み具合で鼻も利くからバカにするのではないぞ。
「スミレちゃん。ワテや」
「あ……その声は……リチャードさん?」
窓際のオシャレなテーブルの前で腰掛けていた純白の少女。まさしくスミレさんであった。
何の色にも染まっていない、眩しいまでの純白のワンピースで身を包んだ華奢なボディの割りに、メリハリのあるプロポーション。部屋の隅に恭子ちゃんと並べて飾りにしておきたいほどである。ただ彼女の目に巻き付いた包帯がとても痛々しい。
「ほんとうに来てくださったのですね。リチャードさん」
スミレさんは拝むように手を合わせると、椅子から立ち上がろうとした、その姿の愛らしいこと。もう奇跡の美少女と言ってしまおう。
「あー。動かんといて。ワテのほうからそっちへ行きまっさかいに」
「ゴアさんもご一緒なんですね」
そっとバギーの車輪を回したはずなのだが、漏れたモーター音は消すことはできない。やはり聴覚が研ぎ澄まされておるようだ。
小鳥みたいに首をかしげてスミレさんが尋ねる。
「何の音なのですか? あ、ごめんなさい。音なんか気にしていないんですが、目が見えないとどうしても音を探ってしまうもので」
「あ、いやこれは申し訳ない。じ、実は……。わ、我輩も電動車イスに乗っておる身で……」
頭の中は真っ白けである。
スミレさんは小さく口を丸めて「あ」と「お」の中間を発音すると、
「ご……ごめんなさい。とんでもないことを訊いてしまって……ほんとにゴメンなさい」
「気にせんでエエ。こいつのはな。女風呂を覗いてて逃げる時にこけて足の骨を折ったアホなんや」
「まぁ……それは災難でしたわね」
と言って、スミレさんは白く滑々の指を口元に添えて微笑んだ。
我輩は確信したぞ。天使の微笑とは今みたいな仕草を言うのであろうな……にしてもギアの奴め。何で我輩が女風呂を覗いて怪我をしなけりゃならんのだ。ノゾキはお前の専門ではないか。
睨み合う我輩とギアには全く気付くことは無く、スミレさんは赤く熟したラズベリーみたいな可愛らしい口元からやけに気になる言葉をのたまわれた。
「今日はお友達がたくさん。嬉しいわ」
お友達が……たくさん?
「先客がおりはったんでっか」とつぶやいたギアが、我輩に向かって、(こりゃあ、マズイな)と囁くや否や、別室から渡ってきた声に凝然とした。
「あらま。女風呂を覗いて骨折とは、お気の毒ですわね」
「あぐぁっ! そ、その声。その口調……」
我輩たちの背筋が凍りつきブリザードが吹き荒れたのは、ワザワザ説明するまでもない。
「おやおや。凍りつく背中があなたたちにあったとは驚きです」
な、無い……。
わ、我輩たちは電磁生命体である。背中もお腹も無い。だから腹が減っても背中とくっ付くことも無い。
「それよりさ。あんたのフルネームがリチャード・ギアとはね。ハリウッドスターと同名なんて初耳じゃない」
この甘い声音は、女のようでオンナでない、ベンベン。
呼吸もしていないのに息の根を止められ、
「NAOMIはんと……キヨ子はん!」
謎の宇宙生物Xが絶句した。
「遅かったじゃん。待ちくたびれたよ」
「アキラ!!」
「なぜにここにいる? どこから出たのだ?」
「幽霊みたいに言うのはおよしなさい」とキヨ子どの。
「朝早くからマイボに叩き起こされてさ。いい迷惑だよまったく」
「私もそうです。お父様と朝の散歩に出ようとした途端、スピリチュアルインターフェースが起動されて、お父様は出撃するスカル隊のパイロットを見守るような目で私を見送りましたわ。朝、我が娘と散歩をするのが唯一の楽しみな方なのに……気の毒なことをしました」
色々な方面、主に超時空要塞系の方らに迷惑をかけてすまない。
キヨ子どのはさらに付け加える。
「アキラさんがすべてを打ち明けました。この施設の事やこの女性の事」
「脅されてだよぉ」ぽつりとアキラ。
カツアゲを食らった厨坊みたいな目をするなアキラ。相手は小一であるぞ。
「な、なんでわかったんや!」
ギアはそう言うのが精一杯。
「今はね。どんな些細なことでもツイッターたちがつぶやいてくれるからよ」
とNAOMIさん。続いてキヨ子どのが、
「この方は24時間ネットを監視しています。しかもすべてのリンクをね」
1秒間に4000万モバイルデータチャンネルに同時アクセスであったな。
「花束を積んだオモチャのバギーが国道を走ってるって、たくさんのツイートが飛び交ったのでピンと来たわ。しかもツイートの位置が高楼園浜方面へ移動していたのよ。アキラさんなら理由が解ると思ってね」
「そう……私が締め上げましたわ」
「あ。あぁ。あのスミレちゃん。お見舞いの花でっせ」
ギアは渾身の力で実体化して花束を渡すと、スミレさんは嬉しそうに受け取り、
「まぁいい匂い。きっと綺麗なお花なんでしょうね……」
と応えて、キヨ子どのはふんと鼻を鳴らす。
「目を患っている人に花を持って来るとは……なかなか空気の読めたことで」
「あ──っ。ほんまや」
だな。キヨ子どのに言われるまで、ちーとも気付かなかった。
「あぁあ。これお母さんが大事にしていた……」
「なっ。ちゃうちゃう。来る途中で買ぉたんや」
スミレさんの手から受け取った花を花瓶に移しながら、キヨ子どのは、またもや「ほぉ」と訝しげな反応を示した。
「夜明け前から花屋さんが開いていたとは……殊勝なフラワーショップもあるものです」
彼女の言葉はいちいち胸中にクサビを打つのだ。
その時、外から切迫した声が、
「ウソじゃありません看護師長さん。あれは絶対に先月亡くなられたお爺さんの亡霊ですよー」
「看護師がそのような非科学的なことを口にするのではありません。他の患者さんが動揺するでしょ」
「でも青白い顔してエレベーターに乗っていました。アタシこの目で確かに見たんです」
キヨ子どのはギラリと怖い目で、アメーバーと化した北野博士を串刺しにした。
「そこの壊れたハリウッドスターさん! もう騒ぎになってますね」
「そうよ。それだけ歪んだ実体化はまずいわ」
そりゃあ、薄ら透き通った北野博士の輪郭なのだ。幽霊と見間違えられても、いや、幽霊そのものである。
「あの~。実体化とは?」
包帯姿のスミレさんが首を捻る。
「あー。いやなんでも無いねん。こっちの話や。それよりキヨ子はん。ちょっと話しがおまんねん来てくれまっか?」
ゆらゆら揺れるゼリー状の博士が北野家のメンバーをひっ掴まえて部屋の隅へと移動し、我輩は急いでバギーをテーブルに寄せて語りかけた。
「大勢で押しかけて申し訳ない」
とりあえずこっちは時間稼ぎをするのである。
「とんでもありません。いつも独りっきりで寂しかったの」
「それならいいのだが……で、お加減はどうであるか?」
「あ、はい。今日はずいぶん楽です」
「そ……それはよかった」
こっちの当たり障りのない会話よりも、ギアのほうが気になる。ちょっと失礼してバギーを連中のそばへ近づけた。
「ジイちゃんが気味悪いよ~」と言うアキラの頭をひと叩きするコンニャク博士は、キヨ子さんとNAOMIさんにペコペコ腰を折りつつ説明していた。
「頼む。あの子の夢を壊したないねん。生きる気力が風前の灯火なんや」
「そうかしら?」
「そうや。もう寿命が無さそうな言い方ばっかりするんや」
「まあ。人助けなら協力しないわけにはまいりませんが……ちょっとアキラさん。こっちに来ていなさい」
興味の無い話となるとすぐに抜け出し、女の子に鼻の下を伸ばすのがこの少年の悲しい習性である。
部屋の隅でゴソゴソするギアたちに不信感も持たず、可憐なスミレさんは涼しげな声でアキラに尋ねる。
「あの……緑川さんは……おいくつぐらいの方ですか?」
「あ、この子? まだ6さい……あでででででで」
「私はもう18歳です。電子工学を専攻しておりますのよ」
「ウソだよ……痛でででで」
「まだお若いのにむずかしそうなお勉強を……。でもしっかりした口調ですからもっと大人の方かと思っていました」
続いてプヨプヨした体をテーブルにもたれさせて、かろうじて転倒を免れているギアへ、疑問符をもたげるスミレさん。
「リチャードさんのお年は……おいくつぐらいでしょう?」
「ワテは1053才……どぉあっ!」
キヨ子どのに足蹴にされて壁にぶっ飛んだ。
そんな年齢を平気で口にするのは、デーモン閣下とお前ぐらいだぞ。
スミレさんは何も感じていないようで、キョトンとしておられるあたり、もしかしてこの子は天然なのかもしれない。
「ところでその目、何のご病気なのです?」
ズケズケ入って行くな。キヨ子さんは……。
少し困ったふうに、スミレさんは銀の流星にも似た髪の毛をふありと背中に振り払い、
「病気というよりか、」と切り出し、
「先生は治らないと言います。でもお姉さまはだいじょうぶだって……」
「ひどい先生もいたもんですわ。患者に直接伝えるなんて」
「緑川先生。診ていただけませんか?」
「私は電子工学が専門で、医者ではありません」
博士級の知識があり、先生と呼べないことは無いが、なにぶん年齢が足りん。
「いいじゃない。診てあげたら? 切り替えるからさ」
NAOMIさんは平然と変な言葉を発言し、
「何を切り替えるのさ?」と首を傾けるアキラをよそに、
「医療系のチャンネルに切り替えたらのいいのよ」
「キヨ子はテレビじゃないよ?」
ここがスピリチュアルインターフェースの優れたところでもある。工学系の知識を医療系に切り替えれば、緑川医学博士も夢ではない。
ぶるっとNAOMIさんは尻尾を振るわし、キヨ子どのはサラサラおかっぱヘアーを逆立てた。
ムチャクチャな展開になってきたが、気にせず続けるぞー。
 




