11 恋は盲目
「ジイちゃん……」
「こら、寝ぼけんなや。それより何で電磁生命体が寝とんのや?」
「だ、誰だ! お前みたいな地球人に知り合いはおらんぞ」
「アホ、でかい声出すな。ワテや。ギアや」
「な……なんで?」
目を疑った。あー大いに疑ったぞ。スマホのデジタルカメラが霊的現象を映すとは思えないし。
だが目の前に立っておるのはスキンヘッドに長い白ヒゲ、間違いなくジイちゃん、北野源次郎博士その人だった。
「ジイちゃん、ジイちゃん言うなや。ワテや。本モノの博士は花園から帰って来て、自分の部屋で高イビキや」
「花園? 学会じゃないのか?」
「アホ。ほっぺたにキスマークを付けて帰って来る学会があるかい。初めに言うといてくれたら、ワテもご同行させてもらっとったんや。学会と言う名のキャバレーや」
「さすがエロ工学博士であるな。そのようなところに出入りするとは………というより、どうしたんだギア、その格好」
「せやがな……。ワテも驚いてんのや」
「ラブマシンを停止したら元に戻ったのであろう?」
「それがな。元に戻ったんやけど、まだ感じが消えんかったんで再現してみたんや。したら……ほれ、どないや? ちゃんと形になっとるやろ?」
確かキヨ子どのが言っていた。我々電磁生命体が作り出す電磁フィールドが量子物理学的なんやらで作られた立体画像を維持させると。つまりギアの記憶にあるフィールドをかたどれば、ジイちゃんを再現できるわけだ……。
「うーむ。なんとなくそれらしくはあるが、最初に見た時より博士っぽくないな。全体的に雑になっておるぞ」
「せやねん。気ぃ許したら形が崩れるんや。ちょっと気張るさかいに見とってや」
さっと細部まで鮮明になり、北野博士が現れた──が、十秒も経たないうちに、力の抜けた餅のように変形し、最後はどこが輪郭か分からない状態にまで変化した。
「10秒が限界か……。ウルトラマンでもそんな時間だと怪獣をやっつけられないな」
「アホっ! 怪獣退治に行く気は無いワ!」
もう一度、北野博士が出現。我輩を持ち上げてディスプレイに向かって言う。
「どや。スマホかて持てまっせ。すごいな、ラブジェットシステム」
満足げに胸を逸らす姿は、もはや本物の地球人である。10秒間だけな。
北野博士と化したギアはニヤリと口ひげをもたげ、
「これでスミレちゃんに会いに行けるやろ。もっかい拝みたいねん。ゴア、行こうデ」
「なぜ我輩を誘うのだ?」
「同じ仲間やろ」
かたりとテーブルに我輩の入るスマホを置いて、またもや突き立ての餅、あるいは形の無い原生動物に変形。ぐにゃりと床に広がった。
「アメーバーに仲間はいない」
「しゃあないやんけ。10秒か、ようがんばって15秒や。そやけどなあの子は目を患っとる。何とかなるやろ」
「だからなぜ我輩を頼ると訊いておるのだ」
「アホ! こんな格好で高楼園浜まで行ってみぃ。あっちは人気の少ない海岸やからエエけど、それまでの道中で大騒ぎになるやろ。そやからバギーで行くんや」
「行けばいいだろ」
「ホンマ頭の回転が悪いヤツやな。北野博士の実体化にはごっつい電力を使うんや。まんがいちを考えて、おまはんにバギーのパワーをお願いすんねんや」
ギアの言うとおり、途中で立ち往生すると新聞沙汰になるのは目に見えておる。下手をするとまた見世物小屋に逆戻りである。
「で、いつ行くんだ?」
「今からや。この時間から出発すれば、向こうに着くころには夜が明けてるやろ。暗いうちに町を突っ切れば目立たんデ」
「仕方がない。手伝ってやろう」
「おぉし。行こうでデ」
しかし変なところだけはマメなギアである、見舞いに行くのに手ぶらではまずいと、アキラの母上が大事に育てている庭の花、バーベナとマーガレットを失敬すると言い出した。
「ほな。ちょちょっともろてくるわな」
庭に下りたのはいいのだが、慣れない指を使ってそれらを花束にするのに手間取り、出発したのは辺りが薄明るくなってからだった。
「すんまへんな。えらい時間が掛かってもうた」
「それより母上ががっかりするぞ。大事にしておったのに」
「あれだけ咲いとんのや。2本や3本、どーってことなやろ。……せやけどゴア、どないや。実体化すると地球人と変わらへんやろ?」
「いや。今のはアメーバーが花をかっ喰らおうとしたんだろ?」
「えー。指の動きなんか完璧や思ってんけどな」
「あれは指ではない。アメーバーが触手、いやこの場合は仮足と呼ぶのが正しいな──それを伸ばしたのかと思ったぞ」
「初めての指遣いや、しゃあないやろ」
そういう時に使う言葉ではないような気がするのだが。まいっか。
バギーの走行は快適で、トラックの真下に潜りこみ追従して行けば、誰からも見られることは無く、バギーもそれぐらいの速度で走ることができたのだが、いかんせん進行方向が異なる場合は、いきなり公道の上に剥き出しになる。なので、途中。新聞配達の青年が腰を抜かしたことと、コンビニの前を掃くおばさんを仰天させてしまい。そこからはやむなく隠れながらの走行を強いられたため、電車とバスで40分のところが3時間も費やしてしまった。
「ほやけど。面会時間にはちょうどええがな。はよ着いたら公園かどこかで時間を潰さなあかんとこやもんな」
とギアは能天気にもそう言いのけた。機嫌がすこぶる良いようだ。
我輩は異なる部分で感心していた。
「それにしたってこのモーターはよく焼き切れないな。さすがメカ女子の恭子ちゃんが作っただけのことはある」
「アホ。駆動部分はキヨ子博士の設計や。放熱効果を最大限生かして、えーと……何とかって言うとった。なんかむずかしい説明しとったワ」
ギアは小さく丸まっていた体をにょきにょきと伸ばし、
「さぁ。この建物の305号室や」
その姿は手足が無くなったマネキン人形。しかもぶっつぶれた北野博士の面立ちだ。ダンプに二度ほど轢かれたらこんな感じになるだろう。
「ギア……きしょいぞ」
誰が見てもまるっきりSF映画の謎の宇宙人だ。それが松林の奥にそびえる保養施設を指差し、
「忍びこむデ」と言った。
「おい。見舞いに来たのだぞ、我々は産業スパイではない」
「オモチャのバギーと大型アメーバーが受付の前に立つんかい!」
「……………………」
アメーバーと言ったのは我輩だからして、何も言えぬが。
「チャンス到来や! 行くで!」
見知らぬ地球人が自動扉を開けて入って行った。その数秒間、扉が閉まる寸前にバギーを滑らし込み、そばに突っ立っていた石柱の陰に向かって突進。そして急停止。
「ほらみてみぃ。立派な建物やで」
「こら、身体を伸ばすな安定が悪いだろ」
とぼけた感想を述べているギアを咎める。
カッ、カッ、カッ
白い制服を着た女性が靴音も高々に目の前を通過。そろりとバックして、石柱に沿って裏へ回ったところへ、別の男性職員が歩み寄って来た。
「や、やばいぞギア」
「階段の裏側や。急げ!」
二階へ通じる階段裏の暗闇へ飛び込んだ。
「ひぃぃぃ」
「ドロボーってこんな感じなんやで、きっと……」
「し、知らん。お前はしたことがあるのか」
「おまっかいな」
詐欺まがいは平気でするくせに。
「だいたい我々は電磁生命体なのだ。屋内配線を伝われば一瞬で目的の部屋に行けるし、誰にも見つからないぞ。どーしてこんなに神経を擦り減らさなければイカンのだ?」
「スミレちゃんにもう一度会うためや。正体を明かすワケにはいかんやろ。電磁生命体のままやと、あの子に触れることができひんだけでなく。もし接触したら感電死するデ。おまはん、ワテに殺人者になれっちゅうてまんのか」
「別にそんなことは言ってないが。その場合は事故死だろな」
「のんびり構えとる場合ちゃうデ。エレベーターで三階まで行くんや」
階段は?
と訊こうとしてやめた。このバギーでは階段は登れない。次に来る時があれば戦車のオモチャにしてもらおう。
「しかしどうやって扉を開けるのだ?」
「何のための実体化や。何のためにキヨ子はんがラブジェットシステムを作ってくれたんや、アホ」
お前のためではないことだけは、はっきりしている。
んなことより、なぜに関西人はアホを連呼するのだろ?
「アホ。『あほ』は挨拶代りや、アホ」
「人をけなしておるとしか思えんぞ。」
「アホ。そんときは『ど』をつけるワ。ドアホ!」
「か……関西人め…………」
ギアは散々我輩をアホアホと連呼しつつ、実体化させた北野博士の腕だけを伸ばした。
立ち上がったアメーバーから突起物が伸びて、それがエレベーターのボタンを押す。なんとも不気味な姿であった。
「まるでSF映画のワンシーンだな」
「ほんでも、やっぱ人の形をすると便利なもんやで。ほれ。乗り込みまっせ」
一階に下りてきたエレベーターの扉が音も無く開き、
「ひぃぃぃぃぃ!」
乗っていた看護師さんが目を剥いて奥の壁に張り付いた。
「やばい! 完全実体化するんだギア!」
ヤツはフラッシュのような閃光と共にジイちゃんに変身。
「こ、これは驚かせましたかな。ここでマジックショーを披露する予定のリチャードでんがな……で、です。誰もいないエレベーターで、人間消滅のマジックの練習をしようと……ね」
看護師は心臓の鼓動が聞こえそうなほど激しい呼吸をしながら、
「こ、こ、こんなところでマジックの練習などしないでください。ここは保養所です。心臓の悪い方もいらっしゃるんですよー!」
ぷりぷり怒ってはいたが、一応一礼して出て行った。
扉が閉まると同時に、謎の宇宙生物Xに戻るギア。
「ぶひゃぁぁぁ。おったまげたでぇ。人が乗っとるとは思わんかった」
エレベーターとは、人が乗っているものである。
「とにかく三階のボタンを押せ」
長い突起物でボタンを押させる。
「いいか。扉が開く前に実体化しておけよ。外で誰が待っておるか分からんからな」
「わ、分かったがな。そやけど実体化って結構しんどいで……」
「だから言っただろうが。この計画には無理があると」
「ここまで来たんや。絶対スミレちゃんに会う!」
「やれやれ。恋は盲目なのだ」
だが一難去ってまた一難である。エレベーターが途中の二階で止まりドアが開いた。
「きゃぁぁぁぁぁ!」
絹を引き裂く悲鳴という言葉があるが、その見本みたいな叫び声を残し、バンザイ状態で逃げて行った看護師さんの姿は、まるで古臭いマンガそのものであった。
「だから言っておるだろ。完全実体化しろと」
「してまんがな」
確かにそこに立っていたのは北野博士の姿であったが──。
んがっ!
「ば、バカ! 頭が前後ろ逆だ。顎ヒゲの下に背中が来る人間がおったら、万国びっくりショーに出演できるぞ」
「ようそんな古い番組知ってまんねんな」
まずいな。騒ぎにならなければよいが。
そうこうしていると扉が再び閉じ、エレベーターは三階へ移動。停止寸前、白ヒゲが腹に向かって垂れた正式な北野博士が出現。
扉が開いて数歩先に進んで左右をキョロつかせた後、ギアはアメーバーに戻る。
「ええで、ゴア。誰もおらへん」
エレベーターから出てきたバギーの荷台へ、球体になったギアが転がり込んで来た。
「あー。丸まっとるんが一番楽や」
「ポケラジの中に入ったらどうなんだ?」
「あかん。電磁生命体の姿に戻ったら、もう二度と実体化できひん気がすんねん。スミレちゃんと握手するまでこのままでいてるワ」
何だか別の欲望が湧いておらんか?
最初は会うだけだと言っていたはずだが。