8 ちょっとはばかりさんへ
ようやく落ち着いて砂浜に座ったアキラは、ショートパンツ風の海パンに着替えていた。しかし泳ぐでもなく、砂遊びをするでもない。正座をしてただひたすら浜辺の天使を鑑賞するだけ。海水浴とは女の子の水着姿を見ることなのか?
「なんや。海パン穿いとったんか。どーでもええけどな」とだけ言って、ギアはバギーの向きを反転させた。
相手が男となると、こいつはとことん冷たいのである。
ギアの視線の先には、冷たい海水に驚き、きゃっきゃっと可愛い声を上げて足踏みを繰り返す恭子ちゃんの姿があり、銀の水滴を弾く肢体が超眩しいのである。
「あー。やっぱええしの子(家柄が良いお嬢様)は純白のビキニがよう似合いまんなぁ。うほぉぉぉぉ。パレオで隠されとって見えへんかったけど、腰のとこに赤い花の柄があるんや。うっはぁー。めっちゃ色っぽいがな。ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょ。パレオをこう、ひらっとさせてぇーな。なー、お願いや。一生のお願い。ぴらっと……あがががが!」
キヨ子の手によって、バギーがひっくり返されたのは、言わなくてもお分かりであろう。
「これからお弁当を頂く時に、ったく見苦しい」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「しゃけのおにぎりおしいねぇ。おねーちゃん」
「うん。おいしいねー」
食事の時ぐらいスーパーキヨ子を相手にしたくない、とNAOMIさんに懇願した甲斐あって、キヨ子どのではなくキヨコちゃんは待望の鮭オニギリを頬張っていた。
パレオ姿のまま横座りの恭子ちゃん。至高の色っぽさである。
「たまりまへんな……」
まだそう言っているのは、砂の上でひっくり返されたバギー。
スーパーキヨ子に不躾野郎めと、さっき裏返されて砂に埋められたのであるが、ポケラジのカメラレンズだけはアキラの手によって外に出されていた。
「あんたもスマホの録画アプリを起動させたら埋めるからね」
とNAOMIさんに散々脅されておるので、我輩も脳内レコーダーに記憶するのみである。すまんなアキラ。
「ところで……おかずは何でんねん?」
いちいちうるさいヤツだな。なぜこうも関西人はすぐ首を突っ込もうとするのであろう。というか、ギアは関西人ではないが、たぶん浪花の商人の霊が憑いたとしか思えないのである。電磁生命体に憑依するとは、恐ろしいな、関西人。
恭子ちゃんに剥いてもらい、キヨコが持ち上げる白い楕円形の物体は。
「ゆでタマゴでーす。キヨコ、プリンのつぎにこれがすきなの」
はいはい。キヨコのプリン好きはよく知っていますよ。
「ほぉ。ニヌキでっか。そうやなぁ。お弁当には欠かせんからな。塩かけるだけで済む手軽さもエエからなぁ」
NAOMIさん以外、全員がキョトンとした。
「ニヌキって何さ?」と訊くアキラ。
「はぁ? 関西人のくせにニヌキ知りまへんの?」
お前も関西人ではない。誰かの霊が憑依しているだけだ。
「ゆで卵のコトを関西ではニヌキちゅうまんねん。こういう関西弁は忘れたらアカンで。エエ言葉がぎょうさんおまんねんからな」
お前は宇宙人だ。関西人ではないと言っておろうが。
「ニヌキなんて、もう誰も言わないよ。ね、恭子ちゃん?」
「そうねぇ。そういえば大阪弁を喋る子も少ないわね」
「あかんなぁ。方言は文化なんや。どんどん使わな大阪らしさが薄れるやろ」
おーい、関西人たち。宇宙人に言われておるぞ。
「ほんなら……カシワも使わんやろ?」
「お菓子のことでしょ?」と恭子ちゃん。
「はぁぁぁ。ほんまあかんな」
大仰に溜め息を吐き、
「カシワちゅうたらな。鶏肉のことや」
「なんで鶏肉がカシワになるのさ?」とアキラが訊いたもんだからギアの勢いに火がついた。
「まさかと思うけど、モミジとかサクラ、ボタンとかも知らんのとちゃうやろな」
「なにそれ?」
「かー。情けないで。あんな。大阪は昔の言葉を残そうとする風習が根付いとんのや。カシワもそのひとつや。昔は全国的に使われとったんや。モミジ、サクラ、ボタンもおんなじや。全部植物の花の名前なんやけどな、大昔の話や、食肉の名前で直接呼ばれへん時代があったんや」
「うっそー?」
「仏教が国教と決められてから食肉禁止になったんや。せやけどそれまで食べてたのにいきなりは殺生やろ。ホンで昔の人は獣肉を隠れて食べるために、よく似た色の植物名にしたんや」
「ほんとうなのですか?」
と恭子ちゃんも興味そそられたようで前のめりになった。
「せやで恭子ちゃん。たとえばさっきゆうたカシワや。あれはな当時食用にしてた鶏が、いまとちごて薄茶色をしとってな、『柏』ちゅう植物が紅葉した時の色に似ていたから、カシワや。馬肉の色はキレイな赤味をしとんのや。それが桜の花に似てるからサクラ。鹿の肉はモミジが高揚した時の色に似てるからモミジや。イノシシの肉を薄切りにしてずらっと丸く並べてみぃ。赤身と周りの白い脂が囲む様子がボタンの花と瓜二つや、せやから猪はボタンや。ようおぼえときなはれや。関西はそういう古いことでも大事にするええトコなんや」
お前は大阪観光大使か。タダの宇宙人だろ。
「ちょ、ちょっと、ギア……」
まだ喋り足りなさそうなギアを砂の中から掘り起こすと、アキラはキヨコたちに背中を向けて語りかけた。
「お前さー、大阪弁講座はそれぐらいにして、いつ実行に移すんだよ? 何かいいアイデアがあるって言ってたろ?」
「え? 何やった?」
やっぱりこいつ何も考えてなかったな。
ギアはラジオの音量を極限まで下げて、
(アホ……考えとるワ。プールへ行く口実やろ? ほな作戦開始や。ワテに合わせるんやで)
アキラの手の中でバギーの車輪がギュリーンと回転。慌てて地面に下ろすと、勢いよく砂の上を走り、ぐるっと回ってお弁当を食べている女性たちの前で停車。
「ちょっと。すんまへん。ハバカリさん探してきますワ」
「はばかりって何さ?」と訊くのはアキラ。
「トイレのことや。おまはんほんまに関西人か?」
「へぇ。そう言うの?」
(アホ。そんなとこ感心してどないすんねん!)
ギアは小声で怒鳴ったあと、バギーのフロントバンパーをアキラの足にこつんと当て、
「さっき、おしっこに行きたいゆうとったやんか。ほら、ちゃっちゃと立たんかい!」
高らかに巻くし立てた。
「あー。なるほどね。そうだったよ。忘れてたなぁ」
棒読みもはなはだしい。三文役者以下である。
「ワテも行きますワ。連れションや、連れション」
「ちょっとおしっこ行ってきまーす」
明るく言い放すと、アキラは我輩の下宿先であるスマホを握りしめ、ギアもその後を追う。
なぜか大阪人はトイレへ行くときにいちいち申告して行くから、特別におかしな光景でもないのだ……って、お前は電磁生命体だ、おしっこはせんだろ。
──まぁいいか。誰も何も言わんからな。
とりあえず我輩たちは食事の輪から離れた。
「ほれみてみい。簡単やろ。スーパーキヨ子でないときは、なーんも怖いコトあらへん。ワテはこのタイミングを待っとったんや」
「すごいじゃない。ギア」
作戦と言うほどのもんではないが……まあ、結果オーライだからいいか。
アキラとバギーは、熱々の砂上をひたすら河口のあった方向へ進んだ──進むのはいいのだが。
「アキラ……。砂の付いた手で我輩を握りしめないでくれないか。ザラザラした音をマイクが拾ってうるさいのだ。それにそこらで落とされた日にはたまったもんではない」
「うるさいなぁ。ゴアは」
「うるさくもなる。お前は何事に対しても雑なのだ」
「もう。だんだんマイボに似てきたよ」
「似てきたのではない。アキラがそういう性格なので言わざるを得ないのだ。まったく……。NAOMIさんの気持ちがよくわかるぞ」
アキラはわざとらしくスマホに息を吐き、我輩をバギーに載せた。
溜め息を吐きたいのはこっちである。
「ジャマするぞ、ギア」
「ジャマすんねやったら出てってや~」
「静かにしておるから気にするな」
「おまはん、ほんま笑いのセンス無いな。オチも無いんかい」
何にでもオチを求めるな、関西人。
数メートルほど進んで、ギアはバギーを止めると前輪を左右に切った。
「ほんで?」
「なに?」
「マリンプールってどこにおまんの? どっちへ行ったらええんやろか?」
「僕は知らないよ」
「えー。おまはんがまっすぐ行くから知ってるもんやと思ったやろ。どこへ行くつもりやねん。アキラ?」
「いや。ギアが行くからさ……」
「ほんま……。どこまで他力本願やねん。自立しなあかんで、もう高二やろ。自分の考えって無いんか?」
ギアは親戚の叔父さんみたいな小言を漏らし、アキラは平然と肩をすくめる。
「無いねぇ」
「はぁ? あかんわこいつ……最低や。ほんまにあの北野博士のお孫はんでっか?」
我輩も僭越ながら文句を言わせてもらうぞ。
「ほんと、無駄な動きをしておるな、お前ら」
「ワテに言うなや。ワテは電磁生命体やマリンプールなんか知りまへんで」
「大阪をそこまで知り尽くしていて、プールの一つも知らんのか」
「知らんもんは知らん。そやけどプールちゅうもんは、交通の便のエエとこに作るやろ。となると、あの川の向こうか、バス停のある近所や。どっちにしても、海沿いのどこかやろ。マリンちゅうんやからな」
「お前の推測は間違ってはおらんだろうが、もしこの先に無ければ反対方向になる。そうすると食事中のキヨ子たちの前を通過することになる。トイレへ行っといて、素通りするのもおかしかろう」
我輩たちがバギーの上で議論を交わしている間、アキラは辺りを見渡しており、唐突にある一点を指差した。
「あ。ほら。遊歩道のあった川の向こうに綺麗な建物があるよ」
「ワテらの位置からでは、堤防の上から突き出た松林しか見えへんワ」
「松のあっちにカッコいい建物があるんだ」
とにかく行ってみようと、砂上の行進が再開した。
高楼園浜の入り口となる西端を流れる川の対岸は、堤防付きの道路が海岸に沿って走っており、消波ブロッが積み上げられた浜辺が続いていた。
海水浴客は遠浅のこっちの砂浜に集まっており、対岸は数人の釣り客が竿を振るだけで、泳ぐ人は誰もいなかった。その背後に広がる松林の奥に洒落た形の屋根が見える。
「何かの施設だよ、あの形は……」
何の根拠も無いアキラの言葉なので、とても信憑性に欠けるが、ひとまず行ってみることに。
「向こう岸に行くには、だいぶ戻らないと橋が無いね。メンドイな……やめよっか?」
「2秒で信念がぐらついてるやんか。何モンや、おまはん……。もうエエ! 黙って付いて来なはれ」
さすがのギアも苛立っていた。
対岸に渡るにはバス停のあった方向へ少し戻り、架けられた橋を渡ってから、もう一度海へ戻らなければいけない。ギアはその道順をたどるようにバギーを走らせていた。
地面を這う松の根っこで何度か跳ねて通過。小石でさえも大きくバウンドするオモチャのクルマであるからして、サスペンションも硬く、決して乗り心地のいいもんではないが、この野性味あふれる乗り物が意外と面白くなってきた。
「ギア?」
「なんでっか?」
「ずっとバギーを走らせていて腹は減らないのか?」
「これぐらいどーってことないデ。よい子のアニメショーの時はボーダーライトとフットライト、ステージサイドライト、全部で250ボルト40アンペアーや。それを半日供給するバイトをしてまんねんで。こんなオモチャのバギー何ぼのもんやねん」
「ならいいが……」
「帰ったら研究室の屋根裏から壱号機の電源くすねたらええねん」
それを聞いていたアキラが渋そうな顔をする。
「気を付けたほうがいいよ。あのおっぱいマシンはなんでも吸い込むクセがあるからね。取り込まれたら最後だよ」
「そうでっか。気ぃつけますワ。おおきに」
バギーと語り合いながら歩いていたアキラが、ふと人影に気付き視線を据えた。
「あ、ほら、橋を渡って来る人……クララさんじゃないの?」
「ほんまや。こんなとこで……あ、なるほど。PVの様子を見に来たんやデ。さすがクイーンやな。細かいところまで配慮がいっとる」
紺色のタイトスカートとスーツ姿はこの浜辺にはふさわしく無いが、KTNプロモーションの社長という出で立ちとしては見事に似合っている。
「クララさーん」
手を振るアキラ。
絹にも似た細く繊細で長い金髪ストレートに、ボディラインを強調させた超ミニのレディーススーツ姿である。カミタニプロデューサーがメロメロになるのもよくわかる。
アキラを見つけたクララは、橋の中央で長い脚をクロスしたまま立ち止まった。
「どうしたアキラ……。あぁ、今日は海水浴だと言ってたな」
海風に暴れる金髪を振り払い、凛然と姿勢を正す姿は会社社長であり、滲み出る風格は暗黒軍団キャザーンの女王そのものである。
「こんな時間にどないしたんでっか。重役出勤でんな」
クララはすぐにバギーに気付き、地面に視線を落とした。
「重役出勤? なんだそれ。同伴出勤のことか?」
「同伴? 何でんのそれ?」
互いに中途半端な地球語を使うもんだから、疑問どうしが重なって、にっちもさっちも行かない様子だ。
「二人してフリーズしていないで……。それよりクララどのは何故にこの橋を渡っておる? タクシーで来たのなら浜辺の入り口まで行けばよいのに」
「あぁ。ちょと寄る所があったのでな」
「ほーか。早よ行ったほうがええで。娘子軍はいま暴走中や。撮影は中断しとる」
「おおかた海を見て興奮しておるのだろう」
「図星やがな」
「はは。生まれて初めてなんだ。誰でもそうなる。どれワタシもひと泳ぎしてみるか」
クララは今日の青空に負けないほどの明るい笑顔を陽に晒し、足早に橋を渡って行った。
「あのスーツ姿で泳ぐ気かな?」
立ち去るクララの背中に向かって、アキラが気になるコトをつぶやいた。
「まさかと思うけど……海岸で服を脱ぐ気とちゃうやろな?」
「そんなことをしたら、完全に撮影は中止になるであろうな」
「ねえ。見に行こうよ」
「アホ~! クララよりプールやろ。ワテはキャザーンよりプールが見たいんや」
「ウソ吐け、『プールで泳ぐ女子』が見たいと言え」
ギアは咳払いと共に、
「せやで。ワテは水着の女子さえ見れたら本望や」
開き直りやがったな。スケベ野郎め。
「でもさ。宇宙船で見たキャザーンの制服姿もかっこよかったよねぇ」
「そりゃそうや。星間連邦軍の隊員をメロメロにした連中や。宇宙一、ベッピン(美人)さんの集まりやデ」
ギアはポケラジのカメラレンズを澄んだ青空に向け、
「──やっぱりキャザーンは宇宙空間がエエな。いっそのこと宇宙船で暴れ回る娘子軍をビデオクリップにしたらどないやろ。そのほうが人気出るんちゃうか?」
それはいいアイデアかも知れぬ。大きなフェーザー銃を撃っていた時のイレッサは美と勇の両方を兼ね備えておった。その姿は今の風潮にぴったり合っておるしな。
いやいや、少し懸念が残る。
「でもギア。あいつらのことだ。実弾を使いたがるぞ。そうなったらドキュメンタリーだ。記録映画になる」
「それも、ええんちゃうの……」
カミタニさんがその道に走らないことを祈りつつ、我々は橋を渡ると対岸の堤防に沿って、再び海を目指した。




