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我輩はゴアである  作者: 雲黒斎草菜
第二巻・ワテがギアでんがな
38/100

 3 暑は夏おまっせ

  

  

「暑いな~」


 ごそごそ。


「タルいよ~」


 がさがさ。



「アキラー。鬱陶しい。ごそごそしないでほしい。できたら我輩をテーブルかどこかに置いてくれ。マイクに衣服が擦れてうるさいんだ」

「えーメンドクサイなー。そんなこと言うのなら早く僕のスマホから出て行ってよー」


「我輩だってキヨ子どのの許可が下りたら、男が所持するケイタイなどからさっさと逃げ出したい。でもなにしろほれ、居候の身であるからして……しかたなかろう」

「何言ってんの。下宿代払うんだから堂々と主張したらいいんだよ」

「あそうか。そうであったな。月に720ギガジュールも払うんだからな」


 なんだか晴々してきたぞ。

「にしたって鬱陶しいなぁぁアキラ。何という恰好してるんだ?」


 汗ばんだ手で我輩を胸ポケットから出し、半そでシャツの襟を大きくはだけさせたアキラは、それをバタバタと左右に振って風を送っていた。下着は来ておらずアバラ骨が浮き彫りになったガリガリの胸を曝け出して。

「だって暑いんだもん」

「ほんとうに人間と言うのは暑さに弱いな。プラスマイナス50℃の温度差も耐えられんとは、情けない生き物であるな」


「ゴアはどうなのさ?」

「我輩か? 我輩は絶対零度ちょい上からプラズマになるまでだな」


「絶対零度? 何それ? よく解からないよ」

 アキラは物理の成績が最悪だからな。


 ひとしきり首を捻るが、アキラは調べようともせず、くいっと顎を上げて柱時計に目を据えた──ここが良くない習性である。疑問が出たらすぐに調べる癖をつけないといかんな。

「あ、そろそろ恭子ちゃんのバイトが終わる時間だ」

 女の子に対する努力の10パーセントでも物理に費やすれば、絶対零度が何度か知るのにな。


「よし、作戦決行だ」

 我輩の溜め息など気にもかけずアキラはそうつぶやくと、シャツのボタンをきっちりと留めて、手櫛で前髪を整え、我輩が居候しているスマホを引っ掴んで玄関へと走った。それから木の突っ掛けに足を通し、派手にカラコロと音を鳴らしてから数歩。慌てて引き返すとゴムぞうりに履き替えた。


「今、何で履きかえたんだ?」


 我輩の質問に、

「音を立てずに忍び寄らないと、この作戦は失敗に終わるんだ」

「作戦?」

 何だか分からず、首を捻る──いや我輩に首は無いが、ヒューマノイドと暮らすようになってから、首や肩があるような気がしてな、ついそう言う表現をしてしまうのは『郷に入れば虎児を得ず』だな……。

 ん。なんだ? おかしなことを言ったか?


 話を元に戻すぞ。




 首をかしげつつカメラをアキラに向けると、青年は真剣そのものの表情で、広い庭の飛び石ではなく、芝生の上を歩んで行く。

 よほど音を出したくないらしい。

 ほとんど忍び寄る体勢で松の木に挟まれた門扉の裏側まで行くと、背中をそれに当てて耳だけを外の様子へと傾けた。


「エエ天気でんなー。どないでっか。おたくのボン。宿題やってまっか?」

 ギアの声がでかでかと響いていたが、それに対する返事は皆無である。

「なんや。やってないんかいな。はよおケツ叩かなあきまへんで。夏休みはあ~~という間に終わりまっせ」

 家の前を行き来する人は比較的多いのだが、ギアの声しか伝わってこない。


「奥さん買いモンでっか? 晩御飯何しまんの? え? 何? 悩んでマンの? そうやな、暑いからなスズキの洗いなんかどうでっか? さっぱりして、ほれダンナはん元気モリモリでっせ。あはっははははー。今晩たいへんや~。頑張りなはれや」


 通りに向かって赤面しそうなコトを平気で言っておるが、ギアのヤツはいったい何をやっておるんだ?


 門扉の裏側に潜むアキラに小声で尋ねる。

「どうして門柱にギアがぶら下がっておるのだ?」

「ヒマになるとあーやって近所の人をからかってるんだ。いい迷惑なんだけど、通る人は本物のラジオ番組だと思って誰も気に留めないんだよ」

「なるほど。関西のラジオ放送はこんな感じで大阪弁を垂れ流しておるから、閑静な住宅街にギアの声が響いていたって誰も不審に思わぬのだな。なるほど納得だ」


「しっ、恭子ちゃんが出てきた」

「ところで、なんでお前はコソコソしておるんだ?」


「あのね。僕は恭子ちゃんに用事があるけど、キヨ子には用は無いし、スーパーキヨ子とは絶対に会いたくないんだ」

 アキラは手に持ったスマホの画面に、しっ、と唇に指を当てて見せた。今の仕草も近所の人には見せたくないな。友達がスマホだけと言う悲しい青年のようだ。


 錆びた軋み音を上げて金属製の門が開いた気配を感じた。こちらではなく隣の緑川家のモノだ。そしてそれよりも甲高いキヨ子どのの声がこちらにまで渡ってきた。


「ほんとに、あなた! 何度言わせるのです。PNPとNPNトランジスタでは電圧が反対になるのだと教えましたでしょ」

 キヨコちゃんではなくキヨ子どのであった。

 NAOMIさんはどこにいるのか知らないが、スピリチュアルインターフェースを切り忘れておる。


 まったく。我輩たちの電力なのに無駄使いしおって……。


「すみません。すっかり忘れていました。ごめなんさい」

 恭子ちゃんは恐縮して平謝りをし、ギアは半笑で死語を使う。

「あんたらの会話はさっぱり意味ワカメでんなぁ。いやほんま。せやけど小一と高二の会話ちゅうよりも、どっかの電機メーカーの開発部室長とそこの部下でっせ」

 恥ずかしげもないでっかい声……。


「あ、ギアさん。こんにちは。今日もまた叱られちゃったわ」

「叱りもしたくなりますわ。だいたい……本来は私のお勉強を見るのがあなたの務め。それがアルバイト条件でしょう。何故に私があなたの勉強に付き合わないといけないのです」


「すみません。キヨ子ちゃんの夏休みの宿題はとうに終わっていましたし……」

「当たり前です。あんなくだらない問題を拵えた教師の気が知れませんわ。全教科10分もあれば十分です。ついでに来学期の単元構成と学習指導要領も書き込んでおきました。たぶん二学期はその流れで授業が進められると思います」


「……学校の先生も大変やな。クラスの生徒に指導書を突き付けられまんのやからな」


「ところであなた。なんで門柱にぶら下がっているのです?」

「暇やったから、通る人と世間話でもと思ってな」

「いい迷惑でしょ。ラジオから語られては?」

「いーや、ほとんどの人は番組や(おも)て素通りや。でもサクラ婆さんはちゃんと会話に付き合ってくれましたで」

「あの方はだいぶボケてますからね。このあいだはポストに向かって、病院を勧めていましたわ。顔色がおかしいって」


「ほんまでっか? しっかりしてましたでサクラはん。なんや英会話始めたそうでっせ」

「ふん。あのセールスマン。なかなかのやり手ですわね。しかしサクラ婆さんもどこで英語を使う気かしら?」

 ワルイがこの会話は別の話の中で書かれておるのだ。すまんね、青年。




 と、そこでわずかな間が空き。

「──ところで後ろに隠れてる、アキラさん! 何用ですか!?」

 門扉の向こうから傲岸不遜(ごうがんふそん)に怒鳴るキヨ子どのの声。

 アキラは目を丸めてきょろきょろ。

(お前のことを言っておるぞ。名前まで忘れたのか?)

 最低音量で囁く我輩に、きつく睨みを利かせて、

(黙っててよ)

 片目を瞬いて見せた。


「アキラー。キヨ子はんにバレバレやで。この子、前髪が立ってまっせ」

 表のギアから忠告にも似た報告が──。

 そう、スーパーキヨ子のサラサラヘアーは静電気にとても鋭敏で、後ろに隠れる我輩の気配を敏感に察知するのだ。すまんなアキラ。


 アキラは「もぉぉ」とかこぼしながら扉の前に出ると、表情を一変させる。

「恭子ちゃーん。アルバイトお疲れ様」

「あ、北野くん。こんにちは。何でそんなところに隠れていたの?」

「いや、玄関の掃除をね」

「ウソおっしゃい。自分の部屋も掃除しないで、NAOMIさんにいつも怒られているくせに。どうせ乳デカ恭子が私の家から出てくるのを待ち構えていたのでしょ」


「藤本恭子ちゃんって呼んであげてよ。キヨ子」

「北野くん。わたしはキヨ子先生の弟子なんだから、何て呼ばれてもいいの」

「ちょっと」

 さっと乳、いやバストがやけに目立つ少女へ首を捻るキヨ子どの。

「私は弟子にした覚えはありません」

「でも、助手にしてくれてます」

「それは……あなたほど手先の器用な女子はいないからです。NAOMIさんでは限界がありますから」

 そらそうだ。あの前肢ではニッパーどころか、ドライバーひとつ持てない。


「わたしはそれで満足なんです。キヨ子先生と北野源次郎博士のそばに置いて頂けるだけで幸せです」

 アキラの『ア』の字も出てこないのが、まことに気の毒である。


 がっくりと憮然面を曝して、アキラは言い聞かせる。

「さっ。キヨ子はもうおうちに帰りなさい。ここからは僕たち大人の時間なんだ。子供は少女アニメでも見に帰ったら?」

「くだらないこと言ってないで、そんなことよりアキラさん!」

「あ、はい」

 反射的に直立して背筋を伸ばす。

「あなたの部屋にあるメルルちゃんのグッズ。いいかげん何とかしなさい。17才にもなってみっともない」


 アキラはさっと顔を赤らめるとキヨ子どのではなく、恭子ちゃんに向かって言い訳めいた言葉を並べた。

「あ、あのね。あれはキヨ子のお気に入りだから、仕方なしに置いてあるんだよ。全然僕の趣味じゃないからね」


 ところが恭子ちゃんは──。

「メルルちゃん可愛いからね。いいんじゃないの。北野くん」

「……でしょ。可愛いよねぇ。うん可愛いよ。それじゃぁさー。このあいだの12話見た? 『月に向かってお見知りおきを!』っていうタイトルの……あっ」


 凍りつくような恭子ちゃんの目に射貫かれれ、アキラは冷凍サンマ状態。真夏の夕暮れ前、一日でもっと暑い時間帯なのに寒風が吹きすさぶのであった。


「涼しぃからよろしおますがな」




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




「──で、結局、なんでここに集まるのさ」

 アキラは部屋にあった扇風機を片手で持ち、コンセントを探してうろうろ。

「この部屋は木陰になるから涼しんだけど。扇風機ぐらいは無いと耐えられないよな」

 独りゴチを終えると、コンセントにプラグを差し込み、風量を中、首振りにセット。そして回り始めた羽根に語り掛ける。


「あ゛────」


 案の定、ギアが疑問を浮かべた。

「なんでいつも扇風機に話し掛けるんでっか? なんぼ友達がおらんちゅうても、ちょっとマズおますで、どっか病気でっか?」

「変なこといわないでよ。これはね、宇宙人の言葉でね……あ」

 アキラは恭子ちゃんの寒々した視線で脳天を撃ち抜かれ沈黙。それをキヨ子どのが横取りをした。


「それは呪文です。日本人のほとんどの人が信じている。(まじな)いの一種ですね。扇風機に宿る精霊に語ることで、部屋がより一層涼しくなるのです」


「ほんまかいな……」

 ウソに決まっておるが、キヨ子どのが言うとマジに聞こえるから怖い。


「はぁぁ。(あつ)(なつ)いねぇ」


「…………………………」


 再び寒風が恭子ちゃんを襲い。彼女は白く滑らかな腕を自ら抱き締めて震えた。

 クーラーが無いのにこの家が涼しいのは、庭に大きな木陰があるからでは無く、アキラが原因だと悟った。


「なんや。寒なって来たんちゃうか?」

「いま何度? インド……ちゃって」


「…………………………」

 キヨ子さんの目がさらに細く尖り、アキラをすがめていく。


 我々は寒いとか暑いとかの感覚が人間とは異なり、はるかにその範囲が広いからして、日本の気候などには左右されないのだが、電子の動きと空気への放電具合から、それなりに湿度や温度を感知できるのである。だからアキラは何を語りたいのか理解できんが、確実に部屋の空気を乱していた。


「ほんまや。ますます寒なってまっせ。今の呪文もなかなか強烈や。電子の動きが、瞬間、(にぶ)なったもんな。すごいなアキラ」

「いや。あのね……」

「なるほどなー。この家が冷やっこいんはアキラがおるからなんや。省エネなボンやな」


 感心に浸る我輩たちと違い、アキラは赤い顔をして、

「あぁ。今日も暑いね」

 頭をガシガシと掻いた。何かをごまかしたようだが、いったい何であろう?


「はぁぁ~あ」

 アキラが溜め息を吐き終えるのを待っていたのか、静かだった庭の木々がにわかに騒がしくなった。


 寒気に耐えきれなくなった恭子ちゃんがトストスと窓際に移動。ほのかな芳しい香りを漂せて外を眺めた。

「庭のあるおうちっていいわね。大きな木陰と蝉時雨。素晴らしいわ」

 風に漂う長い黒髪を手で押さえ、何とも言えぬ憂いのある声を漏らした。


(これは美しい)

 感嘆のつぶやきが自然に浮かんできた。

 すだれ越しに窓外を見遣る清楚な姿は、豪華なキャンバスに描かれた美人画のよう。非の打ちどころがないお姿であった。


「何でんの、こんな虫コロどこでも鳴いてるで。サクラ婆さん()の松の木なんかゴキブリみたいにたかっとたで」

 せっかくの感動を大阪弁のバカがぶち壊した。


 こいつは人の家を土足で上がっても、平気な顔をするヤツなのである、ほんと。


「うちはマンションで小さなベランダしかないの。町から蝉の声は聞こえてくるけど、こうはいかないもの。落ち着くし、何だか涼しいわ」

「セミなんか小うるさいだけや。アキラの冷凍小話のほうがまだマシやろ?」

「なにさ、冷凍小話って?」

「おまはんの話や。さいぜん部屋の温度を2度ほど下げとったやんか」

 それならギアのくだらん話でも同じ音波なのであるからして。


 そこへ、奥部屋へと続く扉が音も無く開いて──。

「四季を感じつつ生活する。ここが日本人のいいところね」

「まーた。変なのが入って来た……」

 アキラの面持ちは憂鬱の色に染まり、気の抜けた溜め息声は、NAOMIさんの穏和な声音に消される。


「お勉強も終わったんだし、お茶にしましょうか?」

 とてもロボット犬だとは思えない優しげな口調である。器用に後ろ肢で立ち、ティーセットが載ったワゴンを押して部屋に入って来た。


「NAOMIはん。勉強終わったんはキヨ子はんと恭子ちゃんだけで、アキラは朝から何もやってまへんで」

「うるさいな。僕は夜やるんだよ」

「ほんまかいな」

「ちょっとアキラさん。テーブルの上を片してよ。さっきやったばかりなのに、またとっ散らかってるじゃない」

 ラジオに息巻いているアキラを咎めるNAOMIさんは、この青年の姉のような存在である。


 ぶつぶつ文句を言いつつも、素直に片づけるアキラを見守り、

「今日は生菓子と冷たい日本茶にしてみました。いかが?」


「あ、NAOMIさんお手伝いします」


 恭子ちゃんがワゴンに飛び付き、キヨ子どのが吠える。

「当たり前です。あなたに無料(ただ)で飲ますお茶などありません」


「キヨ子にも無いよ」

「なんですって!」

「いや……けど……そのお茶は僕んちのだし……」

「なら問題ありいません。黙ってなさい」

「あ、はい」

 幼児に一喝される17才というのも、いかがなもんかな。


 薄いガラス食器の奏でる涼しげな音が、外の蒸し暑い空気を幾分か和らげてくれる夏の夕刻少し前である。まったりとした空気を扇風機の風がかき混ぜていく。


「今日は蒸すわねぇ……」

 もの想いげなNAOMIさんの声音は鳥肌が立つほど心地よい。あ。鳥肌が立つ肌は持ち合わせていないが、電子の振動が微妙に広がるのだ。この辺りのとこは察してくれ。それより、このロボットは気温や湿度を感知できるのか?


「NAOMIさんにはあらゆるセンサーアレイが装備されています。家の中に居ておきながら、成層圏を飛ぶステルス戦闘機の位置を通過1時間前に感知できるのです」


「怖おまんな……」

 ぽつりとこぼすギアの声が部屋に滲みた。


「微弱な電磁波の揺らぎを感知することもできるから、あなたたちがゴソゴソしてもすぐバレるからね」

 鼻先ですだれのたるみを直して部屋の中央へ踵を返す、その自然な動きには感銘を受けるのである。


「それと……」

 ん?

「あんたたち時々電磁波を放出してコソコソ内緒話してるでしょ。電磁生命体の言語プロトコルはもう解析済みだからね。内緒話したってあたしにはバレるから気をつけたほうがいいわよ」


「な、何のことであるか? な、ギア?」

「う、う、う、後ろめたい話なんか、す、す、するわけおまへんやろ。なぁゴア?」

 慌て過ぎだぞ、ギア。


「そう。それならいいんだけど。でもお風呂場の節穴は埋めておいたからね」


「あ。ぐぅぅ」


「節穴って?」

 水ようかんを頬張りながらアキラ。それへとキヨ子どのが説明する。

「廊下から数センチのところにあった節が抜け落ちて穴が開いたみたいですわ。そこから脱衣所の中が覗けていたらしいです」


「あ――っ。暑いから冷たい廊下に置いてくれってスマホとポケラジを僕に置かしたのはそう言うことか」


 アキラはさっとポケラジに口を近づける。

「イレッサちゃんやキャロラインちゃんがお風呂に入るとこ見たんだろ。録画ある?」

「おまへん。頭の中のブルーレイレコーダに録画したデ」

「スマホのほうは?」

「我輩も同意見だ。証拠は残さん……ぐわぁぁぁ!」

「あだだだ。な、何すんのやキヨ子はん!」


 ドガガっ!

 いきなり床に叩きつけられた。


「これが北野家の制裁の仕方です。体で覚えてもらいましょう!」


「な、なんでや。たまたま節穴があっただけやろ。乱暴すんなや、キヨ子はん!」

 ギア……。口答えはしないほうが。


 どがっ! ガシャン! ドンガラガラガラ。


「あひぃぃぃぃ――っ」

 日本製のラジオが頑丈で幸いであった。


「あたたたたたたた。いきなりこんなとこで衝撃耐久テストやらんといてぇな」

「アキラさん!」

「な、何さ?」

「他の節穴などを探すような愚行を重ねると、同じ制裁を加えます。よーく覚えておきなさい」

「は、はいぃ」

 キヨ子どのはアキラを睨み付け、アキラは怯えた目を天井に逸らし、恭子ちゃんは葉むらの隙間から射し込んでくる木漏れ陽を涼しげに見続けた。


「なんなんや……こいつら?」

 宇宙を散々放浪したギアでさえ呆けさせるこのメンバーに、敵などいないのであろう。



「ほんでアキラ? 恭子ちゃんに何か用事があったんちゃいまんの?」

 水ようかんをスプーンで小分けにし、小さな口へ運んでいた恭子ちゃんに、ポカンと愛らしい表情を向けられ、アキラは慌てて視線を逸らした。


「なんのことさ?」

 ひと口で食べてしまった羊羹に付いていた爪楊枝を口で咥え、ラジオの前でピコピコさせていたが、肝を据えたように小さく吐息した。


「用があったから門扉の裏で待ち伏せしとったんやろ?」

「ちょ、ちょっと。待ち伏せって、人聞きの悪い」

 床に落ちていたラジオをさっと引っ掴むとアキラは電源ボタンを押した。


「何してまんねん? 電源を切ることはできまへんで。コントロールはワテの思うがままや。それよりなんや今の行為。まさか口封じでっか?」

「ち、ち、違うよ」

 アキラは、生菓子よりも瑞々しく柔らな恭子ちゃんの唇の動きを観察しながら、覚悟を決めたバンジージャンパーみたいな顔つきになった。


「仕方が無い……」と切り出してから、

「あんまり暑いし、今度みんなで海にでも行かないかな、って思って……さ」


 アキラはじっと恭子ちゃんの朱唇の動きを凝視。

「海? いいわね」

 ほのかにほころぶのを確認すると、それからはまるで機関銃である。


「そうさ。高楼園(こうろうえん)浜さ。海さ。海水浴だよ。キヨ子も行きたがっていたし。恭子ちゃんはこの子の家庭教師なんだから、課外活動と言う意味で行くべきだよ。そう夏休みの思い出にさ。思い出は大事だよ。特に幼児期にはね」


 お前の思い出だろう……と言ってやりたかったが、黙っておくことに。

「おまはんの思い出にしたいだけやろ」

 こいつは、よくよく土足で登るヤツだな。


 当のキヨ子どのは──。


「私は紫外線を浴びるよりも、電子線を浴びるほうがどちらかと言えば好きです」

「だめだよ。小学一年生なんだからもっと子供じみた遊びしなきゃ。キヨ子の絵日記帳を見たけど、回路図ばっかり書かれていたじゃないか。あんなの先生が見たら困るだろ」


「あぁ。これって絵日記帳でしたの? 白紙部分と文字欄が付いていたのでアイデアノートにちょうどいいと思って利用していましたわ。説明欄が縦書きになるのが少し気になっていましたが」


 テーブルの上にぱさりと置いて無造作に開く。確かに数字と記号、加えて縦線やら横線やらが入り乱れており、説明欄には細かな文字がびっしりと書き綴られていた。


「小一のくせして、開発ドキュメントを夏休みの宿題に提出する子なんかいまへんで。呆れたな」

「まずいですわね。次世代を担う量子デバイスのアイデアノートなのに。世間にバレてしまいますわ」

「いや、その点は先生も理解できないから大丈夫だと思うよ」

 とアキラが言い、すかさずギアも同調する。

「というより、逆に落書きや思って叱られまっせ。これはどう見ても幾何学模様でんがな」


「失礼な。模様じゃありません。ちゃんと論理的かつ数学的な記序を行っています」

「つまり、天才工学博士の書くアイデアノ-トと、幼児の描く絵とでは、素人目に区別が付かんちゅうことや」

「あたしには解るわよ。これってウエアラブルコンピューティングの繊維圧力センサーの増幅回路ね」

「さすがNAOMIさん。ご名答です」

「ぅぁ……」

 ロボット犬とスーパーキヨ子には、とっても付いて行けないのである。


「ちょっとまた話が逸れて来てるよ。キヨ子の絵日記が奇怪(きっかい)だから、海にでも連れてってあげようじゃないか、っていう僕のアイデアの話だよ」


 アキラはノートを素早く閉じて、恭子ちゃんへちらりと視線を振る。

「どう? 家庭教師としては?」


「別にわたしは問題ないけど、キヨ子先生の研究の手を止めるのはどうかと……」

 ところが意外にもキヨ子どのは乗り気で、

「参りましょう。新婚旅行にと思っていたNASA行きが、くだらない遊園地だったと言うショックからようやく立ち直りつつある時です。近場であっても旅行は旅行です」


 すぅっと息を吸い。

「いいですわね。蒼い海。白い砂浜。波しぶき……ああぁ。これが青春ですわ」

 まだ青春の入り口にも立っていないと思うのだが。


「ちょい待ちなはれ。波しぶきって……海ってゆうたら、この惑星の大半を占めてる、あの水溜りのことでっしゃろ?」

「そうだよ。高楼園浜ってここらでは有名な海水浴場なのさ。砂が細かくて綺麗だよ」

「砂はかまへん。でも水気は厳禁や。大地に直接つながってまんがな」

「海とはそういうものです」

 何を問題にしておるのだ、という顔のキヨ子どの。

「もしそんなとこに落とされたら、ワテら一巻の終わりでっせ」

「そうである。危険なところは我輩も行きたくないぞ。金魚鉢でさえあの騒ぎである。塩水(しおみず)などもってのほかだ」

 キヨ子どのは長い間を空け、怪訝に眉をひそめて言う。

「何か勘違いしてませんこと?」


「へ?」


「は?」


「なぜわざわざ電磁生命体を海などに連れて行くのです。ばからしい」

「ばからしい……って」

 けんもホロホロなのである。

「けんもほろろや!」

「地球語など知らん……話の腰を折るな、ギア」

「どっちゃにしても、ワテらは行かんで」

「どうぞご自由に」

 冷たいな……。

「じゃあ。恭子ちゃん行こうよ」

「え? ええ……」

 まだ逡巡している。何を思い迷うことがあるのであろうか、恭子ちゃん?


「アキラさん」

「なにさ?」

「近場とはいっても新婚旅行です。他人は遠慮するに決まっていますでしょ」

 キヨ子どのは腰を変なふうにくねらせ、ワンピースの裾をチラりと。

「ば、ばば、ば、ば、ばば、ば、ば、バカなこと言わないでよ」


「ぎょうさん『ババ』が出ましたな」


 アキラは素早くサッとNAOMIさんへ視線を滑らせる。

「マイボ。ややこしいからインターフェース切って!」

 柔和な微笑と共に尻尾が降られ、吊り上っていたキヨ子さんの目が、地球の中心方向へと緩んだ。


「ねぇ~。うみいくの? おにいちゃん?」


「そうだよ。家庭教師のオネエーさんもいっしょなら、ママも許してくれると思うよ」

 そのセリフはキヨ子ではなく、恭子ちゃんへ向かって言っておるな。

「どう? 恭子ちゃん? このまま放っておくと、この子の絵日記は悲惨なことになるよ」

「それはそうだけど。そういうのはお父さんかお母さんが決めることで……」


 突然、素に戻った幼児は少し悲しげに言う。

「キヨコねー。なんどもうみいきたいって、パパにいってるの。でもおしごとがいそがしくてぜんぜんつれてってくれないの」


「ほらね。その鬱積(うっせき)が溜まって、あの模様だらけの絵日記なんだ」

 だからあれは模様ではなく論理回路を図案化してあるだけの……と説明してやりたいが、アキラには模様以外の何モノでもないのだろう。


「悪い話じゃないわよ」

 すくっと立ち上がったNAOMIさんは、テーブルの食器を器用に前肢で掻き集め、

「幼児期の夏休みの思い出は大切してあげないとダメよ」

 マリア様みたいな慈愛がこもる目を向けた。ロボットのくせに。しかも犬のな。


「そうですね。じゃぁ。わたしもキヨ子先生のお供をさせていただきます」

 やたら豊かな胸の前で腕をクロスさせ、アキラではなく──NAOMIさんに恭子ちゃんは一礼した。


「わっは、これで決まりぃぃ」

「キヨコ、うみいけるの?」

「そうだよ」

「うぁぁい。うみだぁ~~」

「海だねぇ~」

 二人は手を繋いでバカみたいに部屋を踊り回り──実際バカである。


「ほんま、なんで地球人は水に浸かりたがるねん?」

「夏だからさ。暑いから入るんだよ」


「ようワカランな。夏でも毎晩風呂に浸かっとるやろ。暑いのに湯やで。矛盾してまへんか?」


「行けば解るよ。焼けた砂浜。飛び散る冷たい波しぶき。海だよ」

「キヨコねー。うみいくのはじめてなのー」

 二人はまだ踊り続け、ギアは呆れる。


「アホちゃうか。気が知れんワ」

 ギアの言うとおり、塩分の多い海は伝導率が高い。危険極まりないのである。


「我輩も遠慮させていただく。砂浜の高温にスマホを晒すのもよくない」

「ほんまや、そんな危険を冒してまで誰が行きまんねん。ようーやるで」

 ギアは呆れ口調だが、NAOMIさんはラジオの前でソワソワ。

「そうと決まれば。あたしも水着を準備しなきゃ」


「へ?」

 キヨ子と踊っていたアキラの動きが、ぱたっと止まった。


「何でマイボが行くのさ?」

「何言ってるの。高楼園浜よ。ヤングが集中するわよ」


 ヤングって……死語である。


「それも半裸で集合するのよ。きっといい男がワンサカよ。あー今日寝れるかしら」


 ワンサカも死語である。

 それよりあんたはロボットのクセに夜寝ているのか?


「番犬が夜寝てたらあかんやろ」

 ギアも似た意見である。

「番犬って、失礼なこと言わないでよ。あたしは、うら若きオンナなのよ。乙女なの。海って聞くだけ心踊るわ」

 遠い目になっておるが、

「ちょっと訊きまっけどな。若い男子が来るということは……」

「モチよ~」

 NAOMIさんは黒い鼻先をラジオに向け、

「高楼園浜行きのバスは連日ギャルで超満員だってさー」


 ラジオのスピーカーが「ガガッ」と鳴った。


「……しゃあないな。ワテも行きますワ」


「なんでさ。いいよ来なくても」

 迷惑げなアキラの声。

「なに言うてまんねん。海と言えば砂浜。砂浜と言えばビーチパラソル。ほんでそこにぶら下げたラジオからトロピカルな音楽を流すのが定番や」


 お前なら落語か漫才が流れていそうな気がするぞ。


「海に落ちたらラジオは即死だよ? それでもいいの?」とアキラが尋ねるが、

「かまへん。危険を冒さなギャルと知り合えるチャンスはおまへん」

 きっぱりと言い切りやがったな、こいつ。


「なら。我輩も行く。ギアには負けてられん」

「そうと決まったらさ。計画立てようよ」

 ハイテク犬はキャンと鳴かずに、「きゃっほ~」と叫び、ラジオは鼻息を荒げる。

「ほんで何時のバスが一番ようけギャルが集中しまんのや? せやゴア。ネット検索してみい。高楼園浜行きのバスや。最寄りの駅はどこやねん。ルートは?」


 こいつの頭の中では海とギャルがイコールになっておるようだが。


「そうだ。せっかくだから、お弁当も作って行きましょうよ」とイヌがぬかし、

「NAOMIさん。わたしもお手伝いしたいです。キヨ子先生にはいつもハードウエアの面でお世話になっていますので。こういうときは張り切らせてもらいたいの」

「いいわよ。じゃあさ買い物から始めましょうよ。楽しそうね」


 あんたの場合、タダの散歩ではないのか?

「NAOMIはん、店に入れまんの?」

「失礼ね。天下の源ちゃんが作ったシステムよ。町中の人が知ってるわ」


 ダッチワイフ時代もな。


 大人的な会話とは裏腹に、こちらの頭の中では虹が掛かったようである。

「うみよー。キヨコうみにいけるの~」

 歓喜の声を天井に捧げ、意味不明な歌を唄いだす。


「うみはひろいなデっコイぃなぁぁ。つきはおちるし、ひはしぼむ~。……とんでユキたぁ~い。よそのくにぃぃぃ。ランララーン」


 あぁぁ、何と世紀末的な歌なのだ。悲しい……。悲惨すぎるぞ。

 太陽系に侵攻してきたエイリアンが仕掛けた(デコイ)に、まんまと嵌まった地球防衛軍の歌なのだ。

 衛星である月は撃ち落とされ、太陽の核融合反応まで止められた地球。砂漠化した大地に雪が降り出し、生き残った人類が空を拝みながら他惑星への救助を求める……。


 何だか悲しい気分の我輩と、手を繋いで踊り狂うアキラとキヨ子。NAOMIさんは全くサイズの合いようもない女性用の水着を引っ張り出してきて鼻先で吟味。ラジオはトロピカルな音楽を探してチューニングを始め、恭子ちゃんはスマホでお弁当特集を検索。


「ちょっと待て、みんな! 浮かれておる場合ではない。えらいことだぁ。バスは1時間に1本しか無いぞ!」

 我輩もルート検索に必死であった。

 ギャルが最も乗ってくる時間は……と。

 ふむふむ。電車の時間から言って……。


「あか――ん! 日本にはトロピカル専門の放送局が無いがな。NAOMIはん。有線放送のチャンネルが流れるように、このラジオを改造してくれへんか?」


 そんなことをしたら犯罪になるのである。

  

  

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