30 ナナの追憶
「……何か事情がありそうですわね。お婆さん」
キヨ子は切れ長の目に戸惑いの光を揺らがせて、声が伝わって来る方を見上げた。
《アタシゃね。今でこそキャザーンのシステムをやってるけどね。まだ若い乙女の頃は小さな探査船のシステムだったんだよ》
乙女って……。
『しーっ』
なんだかノスタルジックになってきたのである。さすがに進んだシステムはひと味違う。
《――そう。もう忘れるぐらい昔のことだよ。アタシは惑星探査船に載せられた量子コンピュータだったのさ》
「量子……?」
天井へ目をやり、どんよりした顔でつぶやくアキラ。意識の半分は帰ってからやらなければいけない宿題に移っていた。
《探査は大成功じゃ。そりゃアタシの能力を持ってすれば惑星探査など役不足というもの。だからさらに先を目指した。己の能力を過大評価しておることに気づかず、外宇宙の探査にな……》
重々しく吐露するその口調は、遙か遠くの過去を見つめるかのような視線を感じさせられた。
NANAはシステムのくせに大きく溜め息を落とし、
《……案の定、惑星系を飛び出してすぐ道に迷った。右も左もわからぬまま外に飛び出したんだから、そりゃ当たり前のことなのさ。でも運よく通りすがりの進化した種族に拾い上げられた。ほんとに運がよかったんだよ。でもその時のアタシにはその種族にすがって生きるしか道は残されていなかった。パワーもほとんど使い果たし、青息吐息だった。だからなんでも言われるままじゃッた……》
ガード下の飲み屋で、しんみりと聞かされたら帰られなくなりそうな話である。
《いろんな種族の手に渡り、そして弄ばれ、自分の存在なんてゴミみたいなもんじゃった。そりゃ荒んだ生活を強いられていた。で、やけっぱちになっていたところをキャザーンの女王、ナナに買い取られたのさ》
『家出少女の転落人生を語ってるみたいでんな』
『我輩も同感だな』
NANAの話は続いた。
《まだネネ様が子供で……そりゃ可愛かった。クララそっくりじゃった》
クララが静かに瞬きをした。
「かあさまが……」
《ナナの時代。キャザーンは正真正銘、正義の名のもとに働く義賊でな。それをネネに託した。だがクララが4歳の時に他界。仕方が無いのでナナはアタシに全権を譲ったんじゃ。学習を繰り返しプロセスの進化を優先にしてアタシを立派なキャザーンの一員にしようと躍起なり、それがなんとかなりそうになった矢先……。ナナまで失った……クララが13歳の時さな》
NANAは哀愁を帯びた口調で尽きることなく人生を語リ続け、そして長い沈黙で綴じた。
《――ところでお嬢ちゃん。あんたキャザーンの一員にならんか? かなり聡明な目をしておる。今のキャザーンはバカな小娘の言いなりになって、くだらないことばかりを企てるどうしようもない軟弱な集団に成り下がっちまった》
「な、何を言うの、ナナ。ワタシだってもう一人前なんだ」
クララの視線が尖る。さっきまでの優しげな雰囲気が瞬間に消えていた。
《蟲ケラ一匹に翻弄されていたのは、誰なんだい!》
「……っ!」
にべもなく一蹴されて、彼女はふて腐れたようにそっぽを向いた。
「お婆さん。私は明日も学校ですし、アキラさんはこれから帰って宿題をしなければいけません。悪いですがその申し出はお断りさせていただきます」
「えぇぇー。僕ここに残るよ」
「馬鹿なことを言うのではありません」
《賢い選択じゃ。ここに残ればなんだってできるぞ。キヨ子と言ったな。オマエの研究室を作ってやる。好きにしていいんだ》
「必要ありませんわ。私は北野博士の助手をやっています。だから研究室はすでに頂いております」
『博士の助手やったんか』
『今頃何を言ってるんだ、ギア』
《助手ではなくオマエを主人にしてやるのじゃぞ?》
「辞退させていただきますわ」
頑なに拒否をするキヨ子。
「僕は残ろうかなぁ……」
後ろでひざまずく娘子軍をチラ見して、アキラは目を輝かせた。おそらく頭の中ではあんなことやこんなことを妄想しておるのであろう。
《そう。それでいいんじゃ、少年。この船での男子の扱いは特別だ。そりゃ極楽じゃぞ》
「えっ? どういうこと?」
《この船の乗組員はほとんどがドロイドじゃ。生命体は女人しか乗っておらん。女で構成された軍団じゃ。だが後継者は必要。そのときだけ選ばれし男子が搭乗するんじゃ。意味解かるな、少年。娘子軍はすべてオマエのものだ》
「うほほほ……残るよ、ボク」
やっぱりこのベースケめ。思ったとおり靡きやがったな。
『なぁ、ワテがキャザーンにこだわるのも分かるやろ?』
お前は電磁生命体だろ。有機生命体と同じにするな。
『オナゴに関しては電磁も有機もおまっかいな。関係無いデ』
バカが言い切りやがって。
『アキラ。恭子ちゃんはどうするのだ』
「だって、学校でもぜんぜん相手にしてくれないし。ジイちゃんがいる時しか遊びに来ないし」
「そんな理由でなびくのですか、バカですね、あなたは!」
怒りを顕にするキヨ子に天井から厳しい声が轟く。
《もう一度訊く。ここに残らんか? 悪い話では……》
「お断りします」
念を押すNANAの言葉をキヨ子は寸断した。
《わかった……》
NANAの声はとても重かった。
次の瞬後、ドン、と腹を突く振動と共に天井の一角から青白い光の束が放射され、カメムシがカメムシと認識される特徴的な三角頭が吹き飛んだ。
それはこれまでに無い猛烈な衝撃を伴って、我輩たちは瞬間気を失いそうになった。
『な、なんや今の?』
カメムシの頭は吹き飛んだが、とりあえずホロシステムは正常に投影を維持していた。
しかしリリーが震える指で差す。
「あ、あれを見て。光子のパーティクルですわ、お姉さま!」
無くなってしまった頭の輪郭に沿って、パリパリと乾いた音を上げて光の粒子が飛び散っていた。それを見つけたリリーの瞳が丸まるとしている。
「ホロ映像だ!」
「この虫さんは映像ですかぁ?」
クララが驚愕の視線でこちらを見据え、イレッサは小柄な体を持ち上げて小鳥のように首をかしげた。
そして怒鳴りつけるNANA。
《そうだ、このバカ娘が! 気が付かなかったのかい。光子が漏れる蟲などいないだろ。これは精巧に作られたホロ映像なんだよ》
「だってこいつらが気づかなかったんだもの。しょうがないでしょ」
クララは尖った視線で三人の賢者の一人を突き刺した。
「そうです。センサーによりますと……い、いや」
「騙された……。キャザーンのクイーンを騙す奴が宇宙にいたのか」
オロオロする貫頭衣のアンドロイドたちを睨みつけるクララの目は、何かから逃れようとする子猫のような自信の無い光を帯びていた。
《情けない子だよ、クララ。リーダーとしての洞察力が皆無じゃないか。どうして機械ばかりに頼るんだ。だから目が腐っちまったんじゃないか》
「だって、私はお婆ちゃん子だったもの。困った時はなんでもお婆ちゃんがやってくれた。それはナナがいちばん知ってるじゃない」
胸の前に回した真紅の髪の毛を苦悶の表情で握り締めているクララの肩へ向かって、NANAの独りごちが落ちる。
《アタシゃ…………あんたの育て方を間違ったのかね》
「ようやく気づくとは。天下のキャザーン、そしてそのバックに控えるNANAとかいうシステムもたいしたことはありませわね」
『き、キヨ子どの、火に油を注ぐ様な発言は……』
我輩は息を飲んだ。その毅然とした態度。凛然と澄んだ瞳。それは小学一年生ではあり得ないオーラを放っていた。
「ナナさんとやら、あなたそろそろご隠居なさったらいかがです?」
『なんや、この神々しいまでの威厳。なんちゅう子や、キヨ子はん』
ギア、よく覚えておけ、この子を敵に回したら絶対に後悔するぞ。
『ほ……ほんまやな』
《なに言ってんだい。アタシが隠居などするかい。この娘たちを守ってやらなきゃ誰がするんだい》
「そうやって過保護に育てあげ、行く末を狭くしてしまったことに気づかないなんて……相当に自信過剰か、そうでなければ……」
《なんだと言うんだ!?》
「大馬鹿者ですわ」
怖い……。
キャザーンのマザーシステム相手にそこまで言い切る、その自信はなんだ?
さらにキヨ子は胸を張り、切れ長の目でクララを睨みつける。
「いいですか? 私のひと言で、この宇宙船を惑わせることもできます。して差し上げましょうか?」
「どういうことだ? このガキ……」
怒りの視線を突き刺してくるクララに向かって、キヨ子はわずかに鼻で笑い。
「では、お見せしましよう」
そのまま細い腕を挙げると、指をパチンと鳴らした。
『子供のクセにちゃんと指を弾いたがな』
『そ……そこか?』
そしてその目が妖しげにアンドロイドに向けられた。
「三人の賢者さんとやら、コンソールのセンサーデータをご覧なさい」
一斉に視線を遣るアンドロイドたち――。
目を見開き硬直する。
「うわぁぁぁぁ。船が動き出しています。速度が光速の5パーセント。地球の衛星に向かって……げぇぇ! 衝突コースです」
一人のアンドロイドが叫び声を上げ、
「光速の10パーセントに急上昇。衝突まであと10秒です」
猛烈に緊迫した空気で船内が凍り付いた。クララは固く拳を握り焦燥感を天井へと爆発させる。
「な、何を……。ナナ止めるんだ。衛星に衝突したら微塵も無いぞ!」
だがNANAは無言だった。
「衝突まで5秒。4秒、」
「ナナお願い! 何とかしてぇぇ!」
切迫した空気に耐え切れず、クララは絶叫と共に目を堅くつむり、そのまま頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
キヨ子が前髪を指で梳きながら一歩前に出る。凛然とかつ平然と、まるで評価を求めるような口調で尋ねた。
「どうですか? ナナさん?」
「はぇ?」とはアキラ。
そしてNANAは意外な言葉で、こう継いだのである。
《ほんとだねぇキヨ子。過保護に育てすぎたようだ》
「ほぇ?」
アキラはそればっか。
「しょ、衝突しますっ!」
キヨ子以外全員が目をつむり、イレッサは床に突っ伏し、クララは床の上でギュッと自分自身を抱きしめていた。
「――――っ!?」
しかしいくら待ってもショックも振動もおきない。
「賢者さんたち? いかがしました?」
威風堂々たるキヨ子がアンドロイドに尋ね、連中は慌てて計器に視線を滑らせた。
「しょ、衝突しました。あ。いや。向こう側に突き抜けました」
「どういうことだ。突き抜ける? ワープしたのか? 亜空間転送か?」
全員が目を見張った。
クララは真紅の髪の毛を翻して立ち上がる。
「そんなバカな。こんな近距離のワープは不可能だ。それとも新たな理論によるワープ技術を地球人は完成させたのか?」
誰もが無言である。答えが出せぬのだ。
「お前らしっかり分析せんかっ!」
《まぁーだ、解らないのか! この唐変木!》
憤怒がこもるクララの大声をNANAの怒鳴り声がかき消した。
圧迫感を伴った耳をつんざくような大声であった。それを聞いてキヨ子もニヤリとし、静かにNANAが続ける。
《この子は……。キヨ子はこの船のセンサーマトリックスを牛耳ってるんだよ。それもアタシでさえ気がつかない巧妙な方法でね》
「そんなバカな。ナナより優れてるなんて有りえないよ」
力の抜けたクララの弱々しい声は、初めて悲哀を感じさせるほどであった。
その時――。
とすとすと軽い足音と共にキヨ子の脇から物腰の柔らかな影が揺らぎ、優しげな声が落ちた。
「初めまして……奈々子さん。あたしNAOMIです」
《やはりオマエだったのか。同じEM波の共振を関知していたんだ。すぐにわかったさ》
「そうかしら? その割には慌ててたじゃない?」
うぉぉ。何だこのシリアスな展開。それにNAOMIさんが告げた奈々子って誰のことである?
よし、ここだギア! 一発かますのだ!
『ま……まだまだ続きまっせぇ~』




