21 女王、クララ・グランバードVS女帝、緑川キヨ子である
クララはほっそりとした白い腕を高々と挙げ、濡れた赤い唇を大きく開けて砂場の三輪車に命じる。
「攻撃班は直ちに出撃せよっ!」
「チン……チリン」
なんだその間の抜けた金属音は?
「三輪車のベルから何か出てくるわよ」
「ほんとだ」
目を丸めるマイボとアキラ。
「チリチリチリリリリリリリリリン」
ハンドルに取り付けられたベルの隙間から、昆虫のような緑色の物体が次々と飛び出してきた。それは藪の中を突ついたら何かの巣があって、変な虫が一斉に飛び出した的な光景で、
「うぁぁぁぁ~。んげぇぇ虫だぁ~」
最初に逃げ出したのは、あの警官だった。
「ちょっとお巡りさん。なんですその取り乱し様。腰の拳銃が泣きますわよ」
警官はキヨ子の言葉には耳を貸さず、
「本官はたくさんの虫を見ると気分が悪くなるんだ!」
両手を上げて漫画みたいな格好で退散。キヨ子はクララに劣らない鋭い目線で憤然と見つめ、眉間にシワを寄せた。
「……情けない」
のんびりした星であるなぁ。
三輪車の警音器から飛び出した物体は、群れをなしていったん砂場の上空へ舞い上がった。それらは薄いボディをした、いかにも昆虫ぽい形である。
「なにあれ? 僕見たことがあるよ」
「カメムシですわ」
呆れたようにポツリと言うキヨ子に、クララは怖い目をして憤慨する。
「馬鹿者、ロボットアーミーだ。臭そうな名前を出すな」
でも6歳児は冷静に観察して、
「あの色と平べったい形。そして三角の頭といえば……」
「うん。カメムシだね」
アキラも納得して首肯。
「だから臭い虫と一緒にするな! 最強の攻撃用フライングロボットが1500機だ。オマエら舐めていたら痛い目に遭うからな」
魅惑的な切れ長の目から、高圧的な光をキラリとさせて睨むクララをアキラは大口を開けて眺めていた。
「なんかこの女の人カッコいい……」
やっぱりこいつはバカであるな。何も考えていない。
キャザーンの攻撃隊は不快な羽音のような低いエンジン音を響かせて、クイーンの次の命令を待つかのように砂場の上をホバリング中。まるで蚊柱が立っているかのような景色であった。
ちなみに、我輩はインターネットを活用しておるからな。いろんなことを知っておるぞ。例えば、蚊柱は『ユスリカ』と呼ばれる種類で吸血はしないのだ──あ? ふむ。関係ないか。
「おい、空を見ろ!」
「虫だ!」
「カメムシの大量発生だぞ!」
「異常気象だもんな」
劇の練習を見学していた──と思い込んでいた野次馬がざわめきだした。
「誰か保健所に電話しろ。カメムシの異常繁殖だ」
「くっせぇぇぇぇぞ」
「黙れ! 害虫ではない。あっ、こら誰だ、保健所に電話しようとするのは? 侮辱にもホドがあるぞ!」
その騒ぎにクララは眉を吊り上げ、集まっていた連中へ向かって、行き場の無い怒りをぶちまけようと、黒いブーツで地面を蹴りあげたが、その色っぽい容姿では説得力は無い。
「劇団のねえちゃん、相手はカメムシだ。あんたもなんか着たほうがいいぜ」
冷たい返事が返ってきた。
人類とカメムシの関係がこれほどまでに険悪であったとは……ネットで見ただけだが、それほど醜い形でもないし、綺麗なライトグリーンのボディは意外と目に優しい気がするのだがな。
「今年の冬が異様に寒くなる前兆かもしれないぞ」
「飢饉になるっていう話もあるぜ」
「おぉぉ。クワバクワバラ」
「臭いがつく前にオレ帰るワ……」
そんな我輩の思いとは裏腹に、野次馬集団はそれぞれに苦言を漏らしながら去って行った。
「……………………」
砂場にポツンと取り残されたキヨ子とマイボ。そしてアキラの手には黄色いスマホ。
「ねえ僕たちも退散したほうがいいんじゃない?」
「でも関係者だし……この変な女の人を呼んだのはこの中にいる宇宙人だしさ」
「私も何らかの責任を感じています。ですからここで逃げるのはよしますわ」
「うそだろ。その目は何だか喜んでない?」
キヨ子は素直にうなずき小声で告げる。
「また面白そうなバカがひとり増えてくれて、じつはとても愉しいのです」
「だろうな。お前は変なコトに顔を突っ込むのが好きだからな」
「さすが将来を契りあった人ですわね。私の胸の内をよくご存知だこと」
「契りあってない、まったくないよ」
「そんなに恥ずかしがることではありませんわ」
キヨ子はその幼児体型には似合わない仕草ではにかんだ。
なんだその腰遣い……。へんてこなテレビの見すぎではないか?
「それより妙案を思いつきました。少しのあいだ時間稼ぎをお願いします」
と言うとキヨ子どのは踵を返そうとするので、
「どこ行くの?」尋ねたNAOMIさんに耳打ちをすると、スタスタと幼児はその場を去った。
「面白いものを持ってくるそうよ」
と説明するマイボにクイーンは睨みを利かす。
「何をウダウダ言っておる。どうもあれだな。オマエらは対象物の大きさだけで武力を評価しておるだろう。これを見ろ!」
ひとり放置されていたクララが腰に手を当てて、豊満な胸をぐいと反らした。
「うは……」
突き出た見事な盛り上がりに視線を固着させるアキラ。
「痛っっっっっ」
不埒な目をした青年の尻に噛み突いたのはロボット犬のNAOMIさんだ。
「エッチな目をしないの」
イヌなんだから噛みつくのが仕事なのだが。
「あたしのを見ておきなさい」
犬のおっぱいを見て喜ぶ奴はいないのであって……。
「わからへんで。獣医さんとかおるやろ」
「お前ら何の話をしておる、バカモノが。こっちを見るんだ!」
だからあんたを見ていてアキラが変な気分になって……。
「うるさい! クイーンをバカにしているのか!」
クララがその目の色を赤に変えた。
さっきから青になったり赤になったり、信号機であるか?
「いいか、よく見ておけ! これが我が軍の本当の力だ! 猿並みの知能しかない人類にでも分かるように、今とくと見せてやるからな!」
鼻であしらうように言うと、蚊柱みたいに集まる飛行物体を指差し、冷えた口調で命じる。
「戦闘員397番。やれっ!」
群れの中から一機のカメムシ風戦闘機が砂場に急降下。
そしてクイーンの雄叫び。
「てぇーっ!」
声の割に見た目は迫力が無い。
親指の先ぐらいの物体から、定規で引いたような細い白光が放射された。
だがそのちんまりとした動きからは想像できない激しい閃光がほとばしり、同時に砂が消えたのである。
『なんとっ!』
砂が無くなった遊び場は、枠だけが残り、ぽっかりと四角い穴が空いていた。
「わぁぁ、なんだこりゃ。砂のなくなった砂場ってこうなってるのか……初めて見たよ」
「視点がズレてるわよ、アキラさん」
肩をすくめるNAOMIさんに、あらためてアキラは首をねじる。
「え? そうか。砂はどこ行ったんだろ? 消えたのかな?」
クララは鼻で笑う。
「ふはは、これがプラズマ砲だ。消えたのではなく蒸発したのだ。コンマ何秒という短い時間で数万度に達した物質はなんであろうと蒸発して消える」
またもや小ばかにした視線でアキラたちを睥睨し、
「オマエら猿どもには見たことのない武器のはずだ。あんな小さなナリだが我が軍団の武力を結集するとこの数千倍にも及ぶぞ」
「こんな小さな虫みたいな武器で……すごいわね」
尻尾をプルプル振って、NAOMIさんはかなり興奮した様子。でも平たい声で言い返す。
「でも消すだけなら、イリュージョンとして未完成ね。次にあっと驚くものに変えなければ観客は喜ばないわよ」
「バカモノ! ワタシはマジシャンではない!」
いやいや表向きは旅芸人だという話である。
NAOMIさんの忠告めいた口調に憤りを隠せなかったクララが、オレンジ色の瞳で尊大に告げる。
「ナスカ平原にでっかいサルの絵があるのは知っておろう。あれは大昔、我が軍団が上空1万メートルからプラズマ砲で落書きをした跡だ」
とんでもない大うそつきであるな。
『いや。相手はキャザーんや。ほんまやろ』
「うそぉー」
「ウチの婆さんの婆さんに聞いた話だがな……」
「先祖代々海賊をやってるの?」と訊くのはNAOMIさんで、
「違ぁう! キャザーンだ」大声で否定するのはクララ。
『どっちにしても迷惑な連中だ』
「オマエうるさい。消えろ」
クララは赤いロングヘアーを翻して、アキラの手に握られたスマホへ怖い顔で迫った。
『ほんまや。さっきからゴアうるさいねん』
『我輩は事実を言っておるのだ』
『あ、アホ。逆らうんやおまへんで。この人は女王さまや。ほんますんまへんな。こいつ田舎モンやからキャザーンの偉大さを知りまへんのや。後でちゃんと言い聞かせますさかいに。ここは辛抱しておくんなはれ』
「ふんっ!」
盛大に鼻息を吹きかけたキャザーンのクイーンは、その滑々した背中をこちらに向けた。
「それよりさ。今晩中にこの話を片付けてくんない。明日学校だしさ」
『まだそんなのんびりしたことをゆうてまんのか? 明日はもう学校なんかおまへんわ』
「え? そうなの♪」
「アキラさん。うれしそうな顔をしないの」
『イヌに叱られてまんがな。この子アホでんな』
ま。イヌもイヌだが──確かにアキラは一本抜けておる。
「それではこの星を引き渡してもらおう。住民をここへ呼べ。今日からこの星の女王となるのだ。その就任式を執り行う」
「──お待ちなさい」
毅然とした声を園内に響かせたのはキヨ子だ。クイーンの前で仁王立ちになっていた。
「どこ行ってたの?」
アキラが尋ねるのも無理はない。面白い物とはいったい何であろうか?
キヨ子はぎろりと辺りを見渡し、
「公共の砂をどこへやったのですか?」
市役所のお偉いさんみたいな口調で憤然とした。
「我が軍のプラズマ砲で瞬間に数万度にして消してやったのだ。その武力、お前に見せてやりたかったな」
クララは腰を伸ばし、またまた豊満な胸を張った。
「なら私がその化けの皮を剥いで差しあげましよう」
と言ってもたげた物。
「どうしたのそれ?」
キヨ子の小さな手には殺虫剤のスプレーが握られておった。
マイボが鼻先をスンスンさせる。
「量子コンピュータの冷却装置の水を溜めておく庭池で、今年の夏大量発生した不気味な虫を退治した特注の殺虫剤です」
それを聞いてクララが哄笑する。
「うははははははは。文明の遅れたお猿さんらには理解できないらしいな。我が軍は害虫ではないと言っておろうが。こちらはロボットアーマーだ。殺虫剤ごときでやられるわけがないだろう」
「あなたこそ。ワタシの話を聞いてませんの? 特注と申してますでしょ。特別に作らせた薬剤だと言っているのです」
「ふんっ、バカバカしい。もうよい。猿どもは相手にせん」
クララはぷいっとキヨ子に背を向け、空中を群がる飛行隊へ命じた。
「一斑から三班はこの土地に残れ。その他のグループは残りの大陸に散って人類を制圧してくるのだ」
「ちょっとお待ちなさい」
群がる大編隊へと殺虫剤を撒くキヨ子を一瞥して、せせら笑うクララ。
「バカが……」
『キヨ子どの。無駄なことはやめ……あっ!』
我輩は信じられない光景を目の当たりにする。
飛行体の群れに噴霧された部分が瞬時に消えた。すっぽり抜け落ち、丸い空間が出現。向こう側が見えた。
「やはり何にでも効きますわね。この薬」
「なーっ!」
クイーンは目を剥いてしばし凝固。それからぎぎぎと首をねじってキヨ子を見た。
「ば、ばかな。これは生物ではないんだぞ。ロボットアーミーだ。薬剤などで……」
『腐食剤……でっか?』
「オマエらはそんな物質で害虫退治をするのか?」
「一網打尽にするには、塩化第二鉄がよく効きますこと」
楽しそうに薬剤を噴霧し続け、すでに空中を舞う飛行隊は数機を残すだけになっていた。
「う、ウソだ! こんなことありえない」
クララは声をふりしぼりひどく荒げた。それは焦燥感に苛まれたのか微妙に震えている。
「何がウソなんです?」
「我が軍の先鋭機がそんな化学薬品でやられるわけがなかろう」
「うふふふ」
キヨ子どのの笑いが不気味だ。
「先ほどあなたは砂場の砂を消したのはプラズマ砲だとおっしゃいましたわね。コンマ何秒で数万度に達したと」
「ああ。言ったがそれがどうした」
「その割にこのあたりから熱を感じませんでしたわ。私がいなかったのは数分のことです。そんなに早く冷めるものでしょうか?」
さらにニヤリとして、
「私も偽りを申しました。塩化第二鉄と言ったのは真っ赤なウソです。でも効き目があったということは、ワタシの仮説が正しいことを意味しますす」
「なにが仮説だ! 言ってみろ。ガキの分際で偉そうな口を利くのではない!」
「おや、ま。何を慌てているのです?」
「あ……慌ててなどいないワ。それよりお前の仮説とはなんだ?」
「それは後ほど実証して差しあげます」
「くっ! 我が軍を殺虫剤ごときで……ば、馬鹿にしやがって、この猿どもめ!」
怒り爆発寸前。真っ赤になったクイーンが恐ろしい形相でキヨ子を睨み、
「もうゆるせん。こんな星は抹消してやる。人類など皆殺しにしてやるからな!」
引き攣る頬を歪めてクララがヒステリックに怒鳴り、真っ赤なロングヘアーが逆立って風になびいた。
ギリシャ神話に出てくる悪魔のような形相で拳をぷるぷる振るわせる光景を見て、我輩の背筋にぴりぴりとする逆起電力のようなサージが走った。地球人的表現でいうところの、『ぞっと』した、だな。
『ほら言わんこっちゃない。この手のオナゴは下手に回って、ちやほやしとったらよろしいのに。逆らうからこんなことになりまんねんで』
「指令室聞こえるか! 帰艦するぞ。ワタシを収容しだい第一種戦闘配置だ。地球を攻撃する」
不気味な言葉を残して、クララ・グランバードは煙のようにその場から消えた。
「転送技術まで……」
「え? どこいったの?」
空を仰いでポツリともらすマイボと相変わらず能天気なアキラ。
反対に我輩とギアは恐怖に打ち震えていた。
『まずいぞ。キャザーンの総攻撃が来る』
「攻撃隊はほぼ全滅しましたわよ」
こともなげに返事をするキヨ子に、ギアが言って聞かせる。
『アホな。母船が残ってまんがな。相手はキャザーンでっせ。容赦しまへんで』
確かにあいつらの凶暴性は宇宙の端々にまで轟いておる。その気になればこんなチンケな星など、さっきの砂のように消し去ることなどたやすいだろう。
『ブルブルブルブル』
我輩とギアはスマホのバイブを派手に震わせて縮み上がった。
「相手は三輪車でしょ?」
『ちゃいまっせ、それは擬装したシャトルクラフトやゆうてまっしゃろ。母船は不可視の状態で成層圏辺りに待機してますワ。それが実体化すると……うあぁぁぁ。な、な、なんや!』
腹を震わす低音と共に公園の上空が黒雲に覆われていく。
「そ、空が!」
首を折って、上空を見上げるアキラ。
黒雲はさらに広がり、辺りを闇に沈めていった。
マジでやばいことになったのである。