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我輩はゴアである  作者: 雲黒斎草菜
第一巻・我輩がゴアである
18/100

15 海を渡る電磁性ノイズである

  

  

「ラン、ラ、ラ~~ン。ランランラン」

 おしゃまな幼女、緑川キヨ子は6歳と2ヶ月。肘を枕に部屋の真ん中で寝転がる北野アキラの周りで、スキップを踏んでいた。


「ふぁぁぁ……」

 中央に置かれた丸いちゃぶ台の横で、アキラは退屈そうにあくびを済ませ、

「ちょっとぉ。静かにしようよ、キヨ子ぉ……」

 ロケットの絵柄が縫い込まれたカーディガンをなびかせながら舞っている幼女に、迷惑げな顔を向けた。


「だってぇ。おもしろくないんだもん。ねぇ、おにいちゃんあそんでぇ」

 たたたと駆け寄り、畳の上に寝転がるアキラを揺さぶる。

「ねぇぇ、あそぼ~よ~」

「タルいよ~」

 気だるそうにアキラはそのまま床に崩れた。


『ふむ。また今日もキヨ子は可愛い服を着ておるな……』

 アキラを踏んづけてその上で踊る幼けない姿を我輩はちゃぶ台の上に載るスマホのレンズ越しに見ながら、以前から疑問に思っていたことを訊いた。

『アキラ。キヨ子どのがいつも着ておるロケット柄の服であるが、ママさんはどこで購入されておる?』

「伊藤洋角だよ……あぅ、キヨ子痛いよ~」

『なるほど……あそこなら手に入るかも知れぬな』


 アキラに振り落とされたキヨ子が再び部屋を回りだした。その姿を恨めしそうに見つめる青年の額には、大きな絆創膏が張られていた。

『それよりアキラ。傷は治ったのか?』

 ちゃぶ台に載っていた我輩をアキラは手のひらに乗せ替えると、レンズを覗き込んで答える。

「まだ少し痛いけど……。でもよくこのスマホ、壊れなかったね」


『確かに頑強な作りだなこの装置。我輩が言うのものなんだが、えらく感心したぞ』


 我輩が定宿(じょうやど)にするキヨ子の黄色いスマホのことである。少々狭苦しいが、ネット環境万全、カメラ、オーディオ機器完備の5インチ足らずの住居は思いのほか快適で、部屋の中で固定された家電などよりはるかに居心地がよい。


 そうそう。我輩の住宅問題などどうでもよいのだ。

 アキラの額の絆創膏は、招待されたNASAが名古屋の遊園地だったという衝撃的事実に憤慨したキヨ子が、我輩スマホを投げつけたのが原因である。


 我輩は温厚な性格だから、NASAへ行けなかったことなど気にしていないのだが、彼女はそうではなかったようだ。

 困ったものだな……。


 それにしてもキヨ子がガキモードに戻るだけで、この家はこれほど温和に弛緩するのだ。

 そう。ここは北野家の最も奥にある和室だ。8畳ほどのきれいな部屋の中は、はんなりとした柔らかい空気で満ちていた。


 家具などを排除した質素な(しつら)えで、畳の上にカーペットが引かれ、落ち着いた空間のど真ん中に古風な丸いちゃぶ台がひとつ置かれている。


 我輩はスマホのレンズから周囲の様子を観察してひとり感想を述べる。

『ここに通されたのは初めてだが、登場人物が海関係の名前で構成された日曜夜のアニメみたいな部屋だな』

 たぶんこの説明でアタリだと思うが、アキラは白い歯を見せてニヤニヤするだけで何も答えなかった。



「入るわね……」

 チャッチャッと爪音も軽やかにサイバー化された人工ビーグル犬が廊下をやって来ると、前足で器用に障子を開け、お茶の載ったワゴンを押しながら入って来た。あのアニメでは絶対に見られない光景である。


「マイボちゃ~ん。あそぼ~」

 キヨ子が駆け寄り、アキラは怠惰に足を投げ出し背中を向けた。

 ガキモードのキヨ子にとってマイボは喋るぬいぐるみで、彼にとっては小うるさい姉なのだ。


「さぁさぁ、お茶の準備ができたわよ。キヨ子さんも座ってね」

 その後ろに続いて――。


「こんにちは……」


 目元ををほんのりと赤らめて部屋に入ってきたのはメイド服姿の恭子ちゃん。フリルで縁取られたミニのエプロンドレスがとても似合っておった。

 今度はアキラが生き返った蛙みたいに畳の上で跳ね起きる。

「恭子ちゃん。可愛いじゃない」

「NAOMIさんの私物をお借りしたの。今日はこれを着なさいって言われて……似合うかな?」


「にあう、にあう」

『ゴマにも衣装であるな』

「それを言うならマゴだよ」

 とアキラが言い。キヨ子が抱き付いた。


「おねえちゃん。キヨコもきてみた~い」


 恭子ちゃんの柔らそうな胸に飛び込んだキヨ子を思わず凝視する我輩とアキラ。オスとして正しく成長していることを実感しつつ、部屋の真ん中で抱きあった二人がくるくると旋回する姿を熱い視線で眺めていた。まるで大輪の花が咲き広がるかのようにエプロンドレスの裾がふわりと広がる。


「あははは。キヨ子ちゃん、おねえちゃん、目が回るよー」

 うっとりと見るアキラと我輩の前で、恭子ちゃんは幼女と手を繋ぎ、嫣然と微笑んだ。

「今日はキヨ子ちゃんの大好きなシュークリームをお土産にもってきたのよ」

「わぁぁぁい、キヨコだぁーいすき。おねーちゃんもだぁいすき」

 恥ずかしそうにキヨ子と戯れる可憐な姿の恭子ちゃん。メイドドレスがとても眩しいのである。


「おねぇぇちゃ~ん」

 まだまだ踊り足りないキヨ子は執拗に恭子ちゃんに擦り寄るが、彼女は飛びついてくるキヨ子を柔和に受けとめ、

「ごめんね。お洋服汚したらNAOMIさんに叱られちゃうから」

「なに言ってんの。それは女子が着る、ある意味作業服みたいなものよ。汚れたら洗うから遠慮しないで」


「恭子ちゃん、これからその服で家においでよ」

『であるな……。メカ女子であっても作業服はメイド風にするべきである』

 我輩はその姿を写真に収めようと、バイブを震わせてスマホを彼女のそばに移動させた。


 ほぉ。近くで見れば見るほどにお美しい。

『――それにしても、なぜロボット犬がメイド服を所持しておるのだ?』

「あたしが女だったときに源ちゃんが着せていたのよ」

 マイボの説明に、アキラが嬉しそうに付け足す。

「裸にメイド服だったんだよ。な。すごいだろ。背中なんてこんなに割れててさ。だけどジイちゃんは学会で発表する前にテレビで先に流しちゃったから大騒ぎになったんだ」

 そのときの録画は無いのだろうか。見てみたいものだ。


「あの、わたし、こういう服着たことがなくて、何だか恥ずかしい」

 裸にメイド服でもないのだから、恥ずかしがることはないのだが、ほんのり赤らめた頬が白い肌に(いろど)りを加えており、それがさらに透明感を増して、奇跡の女神さまのようだ。写真に収めておこう。


 我輩はアキラだけに聞こえるような声で、

「な? アキラ、かまわぬな?」

 男どうし考えることは一つである。ヤツも無言でうなずいた。

 以心伝心である。お互エスパーかと思うほどだ。


 すぐにカメラ機能を起動させ、裏モードに設定してシャッター音を消す段取りを終える。

 やはりバレると後々まずい。


 おぉ。このアングルが最も良いな。

 はい、ちーず。


 ゴンッ!


 焦点を合わせる音が響かないように、そっとコントロールするスマホ(我輩)をマイボが前足を使って勢いよく裏返した。

『痛ででで』

「肖像権の侵害で訴えるわよ」

『な、何を言っておるのだ? NAOMIさん』

 派手にバイブを震わせてもう一度表に返り、スマホのレンズからジト目で見る我輩。せっかく最高の一枚だと思ったのに……。でもバレると何を言われるかわからないので、

『な、何の話である?』

 すっとぼける我輩にNAOMIさんが睨みを利かせる。

「レンズの焦点を合わせるモーターのインダクタンスノイズを検知したわよ。あんた盗撮癖(とうさつへき)でもあるの?」


 バレバレだったので、急いで話題を変える。

『この、すんばらしい衣装はどこで購入されたのであるか?』

「伊藤洋角で買ったのよ」

 何でも売っている店だな……。ていうか、そういう店だったのか?


「みなさん、どうぞ」

 ワゴンからティーカップを降ろし、小皿にお菓子を盛って、ちゃぶ台に並べる清楚な姿の恭子ちゃん。本来メイド服とはこういうシチュエーションで用いられるべきであり、さらに恥ずかしげに動く仕草が控えめな立ち振る舞いとなって、それはあまりに似合いすぎである。

 ずっと我輩のそばに置いておきたい気分だ。アキラも同じ心境なのであろうその姿を食い入るように眺めていた。


「わぁ~い」

 膝からダイブしてちゃぶ台に飛びつく元気なキヨ子に釣られて、ようやくアキラも席に着く。そして給仕作業をひと通り終えた恭子ちゃんは、メイド服のまましゃがむことに躊躇しながらも、そっと座布団の上に膝を折って座り込んだ。


 洋風の装いで、和風の象徴でもある座布団に正座する姿も、なかなか艶っぽいもので。

「恭子ちゃん。楽にしてよ」

 ドレスの裾からすらりと伸びた白いお御足が強烈にまぶしかった。


 あぁぁ。スマホから出て、座布団に入りてぇぇぇ。

 しかし絶縁物が詰った座布団には電磁生命体は侵入することができないのである。


 つまらんな……。


「わぁぁ。しゅうくりーむ、だぁいすき」

 目の前の皿に盛られたシュークリームを両方の手にそれぞれ持つと、キヨ子が交互に目を見張った。

「キヨ子ちゃん。慌てて食べるときれいなお洋服にクリームがついちゃうよ」

 恭子ちゃんが膝立ちでキヨ子ににじり寄る。ドレスの背中でクロスするフリルがユラユラと揺れていた。


「うん、でもね。キヨコね。こっちのイチゴのしゅうくりーむもすきなの」

 前髪を額の上で切り揃えた小学一年生という幼げな体型で正座をしたキヨ子が、ちゃぶ台にひじを当てながらシュークリームをはむっ、と口に頬張ると、案の定、その横からピンク色のクリームがにゅるんと飛び出した。


「ほぉら。クリームさんがお顔を出したよ」

 柔らかそうなキヨ子のほっぺたを指で拭う恭子ちゃん。


 アキラは生まれたてのゴマアザラシみたいな潤んだ目でその姿に固着していた。

 おいおい。ちゃんと呼吸もするんだぞ。青年。


 だいぶして息を吹き返したアキラが、

「それより、キヨ子の重大発表ってなんだろね」

 絆創膏が痛々しい額をわざと恭子ちゃんに見せ付けてから片眉を歪めた。

「すごく怒っていたから、たぶん罰則でも考えたのじゃないかしら」

「嫌だなぁ……」

 額の傷に手を当て、痛みを思い出した様子。



「うふふ……」

 アキラに悪戯っぽく微笑んだマイボが、尻尾を振った。

 と同時に、キヨ子の前髪が静電気でも感じ取ったように波うち、つぶらな瞳が切れ長に変形。そして知的な光を帯びた。

「ちょっとマイボ。インターフェースを起動させないでよ」

「だってキヨ子さんがいなきゃ話が進まないじゃない」


「お茶だけして今日は解散したかったのに」


「だぁ~め」

 イヌのクセに口調だけは艶かしいロボットを苦々しく睨むアキラ。そして面接の待合室に入ったのと似た緊張感と共に正座に戻した恭子ちゃんが、両手でフリルのついたドレスの裾を直し背筋を伸ばした。

「気にすることないよ。楽にしてて」


「――ったくっ!」

 固まる恭子ちゃんの前で変身シーケンスを終えたスーパーキヨ子が憤然と呼気を吐いた。

「いい歳した男女と、年齢性別不明な、いや存在自体が意味不明な宇宙人までいておきながら、なにが『ネバーアミューズメントスタジオ・イン愛知』ですかっ! 略してNASA?」


 キヨ子は大きく怒りを顕にし、

「はんっ! ちゃんチャラおかしいですわねっ!」

 アキラと恭子ちゃんは、突っつかれたイソギンチャクみたいに首をすくめた。


『いつまでも引き摺っておるなキヨ子どのは……』

「何か反論でもあるのですか?」

 彼女は憤懣やるかたない態度で、ちゃぶ台上の黄色いスマホ(我輩)を睨みつけた。


『我輩は……宇宙人なのであるからして……』

「なにが宇宙人ですか。じゅうぶん地球に馴染んでますでしょ。そのスマホのブラウザ履歴を見ましたよ。あなたアニメのページばかりを見ているようですが。宇宙人のクセにアニヲタですか?」

『………………』

 そのとおりだから、何も言えないのである。


 尖った視線のまま、今度はエプロンドレスの恭子ちゃんを睨み、

「今気付きましたけど、ヘンタイの憧れみたいなドレスを着ているのは、乳女(ちちおんな)ではありませんか」

「ねぇ。藤本恭子ちゃんて名前があるんだよ」とアキラ。

「あたしのお古で悪いんだけど、サイズも丁度よくてさ。特に胸の周りなんかぴったりなのよ」

 むほぉぉ。ますますマイボの前世を見てみたいものであるな。


「ちょっとメイドさん。シュークリームぐらいで私の機嫌を取るつもりですか?」

 昼ドラの嫌われ役みたいな幼女。さっきまでのキヨ子とはまったくの別人である。

「プリンも買ってきています」

「私の好物を何故に乳本(ちちもと)恭子が知っているのですか?」

「あれだけプリンプリンって騒いだんだ。誰だって気付くよ。それよりさ、ちゃんと名前で呼んであげてよ」

「ふんっ。藤乳デカ子が、今日は何の用で我が家へやって来たのです?」

 もう人の名前じゃないし――。


 しかしプリンのカップに手を掛けたキヨ子はまんざら嫌でもなさそうで、ふんわり目尻を下げ、

「モロゾフフのプリン……ですわね」

 ピンクの頬をほころばしてにこりと笑った。

 プリンさえあればこの家は平和なのだ。


「僕たちを呼んだのはキヨ子だろ?」

「そうでしたっけ?」

 ガキモードからスーパーモードに変身した直後のキヨ子は、どうやら記憶が混沌としているらしく、アキラにそう告げられて、しばらく考え込んでいたが――、


 やがて額の上で揃えたサラサラの前髪を揺らして首肯する。

「そうでしたわ……。物理的に……ちゅるん……宇宙人をUSAへ送る方法は……ちゅるん……断たれましたが……」

 小さなスプーンでプリンをほじくっては口へと運ぶ作業の合間に語るキヨ子だが、いったいこの子は何を言おうとしておるのだろうか。


 メイド服のまま正座を崩して横座りになった恭子ちゃんが、紅茶をすすりながらキヨ子の顔を覗きこむ、その色っぽい仕草に我輩はスマホのレンズを向けたままどうしようか悩んでいた。

 なんとか記録しておきたいのだが、写真はバレるし、ムービーも同じだし……。

 脳内DVDレコーダに焼き付けるしか方法は無いのだろうか。



「物理的とはどういう意味ですか?」

 両手でティーカップを持って尋ねる恭子ちゃん。

「いい方法が……ちゅるん……ありますわ」

「モフ。モフ。ぬぉんなぁ(どんな)?」

 シュークリームをひと口で頬張り、目を丸めるアキラにキヨ子が呆れた風に言う。

「喋りながら食べるのはおよしなさい……ちゅるん……はしたないですわよ、アキラさん……ちゅるりん……」


 あんたもだ!


「じつは、とてもよい……モフモフ……」

 今度は片手に残っていたシュークリームにかぶりついた。

「アイデアが……モフモフ」

「アイデア?」

「はい……ムグムグ」

 頬張ったシュークリームを飲み下すあいだ、一同はキヨ子が喋り出すのを固唾を飲んで待っていた。


「………………」


 可愛い頬っぺたがもぐもぐと動き、喉が上下に揺れる。そして――、

「あぁぁおしかったぁ~。キヨコ、しあわせぇ~~。こんどねぇ。メロンくりーむが食べたいなぁ」

 全員ひっくり返る。


「マイボ! キヨ子をオモチャにしないで!」

 スピリチュアルインターフェースが切られたキヨ子は6歳児に戻るのである。


「あははははは。なにを怒ってるのよ。あのね人生は緊張と緩和なのよ~」

「もう~。ロボット犬が何を判ったようなことを言うんだよ~」

「アキラさん!」

 毅然とした態度でアキラに言い返すマイボ。

「あたしは今でこそイヌの姿をしてるけどね、精神は女性なの。苦楽を理解した人工知能なのよ」

 人間以上に人間臭い理由はそこにあるのか……。すばらしいことである。


「遠い目をして言うなよ。わかったから早くキヨ子を元に戻して」

  

  

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