14 Superキヨ子はPCヲタである
「………………」
知らねえからな、的な視線でキヨ子を一瞥した司会者はさっと目を逸らし、熱い吐息を吐きながら叫ぶ。
「第二問!」
ババンっ!
効果音に続いて出題。
「情報の最小単位をビットといいますが、バイトと言うと何ビット?」
司会者はニヤリと笑いキヨ子の顔を覗きこんだ。『どうだこのガキ、オレでも知らないことをオマエが知るはずねえ』とでも言いたそうな嘲笑めいた光を目の奥で揺らがして空々しく言う。
「小学一年生にこれは難問ですね。でも答えられなくても泣いちゃダメですよぉぉ」
ついと席を離れると客席に向かって微笑みかけた。まるで残念でしたと言わんばかりだ。
しかしその背後からキヨ子が叫ぶ。
「ちょっとお待ちなさい。この問題には二通りの解釈が可能です。過去では一度に処理できるビット数をバイトと呼んでいました。しかし現在ではIBMが提唱した8ビット単位をバイトと呼んでいます。どちらを基準にするかで答えは変わってきます」
いきなり強烈なクレームをぶっ放され、司会者は飛び跳ねて振り返った。
「え、ほんとっすか?」
「何を驚いていますの? まさかそんなことも知らずにこの問題を出したのですか?」
司会者は再び奥に控えるスタッフへ目配せをし、クイズの進行がみたび中断した。
「で、ディレクター? どうします?」
ざわつくスタッフたちを尻目にキヨ子は息巻く。
「ディジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)のPDP10では36ビットワードコンピュータであるうえに、ビットフィールドを操作することも可能でした。この場合だと8ビットが1バイトとはなりません」
まるで次期商品の開発会議で、エリート社員が問題点を指摘する勢いだった。
「中には9ビット単位で動く機種があり、当時はこれをバイトと呼んでいます」
「ま、待ってちょうだいね。キヨ子さん。ただいま協議します」
口調が変化した司会者はマイクを口から離して、
「……え? はい? はいはい」
ディレクターと打ち合わせを始めた。
少しして、急いでマイクをキヨ子に突き出し、
「ハイ! 正解です。どちらを答えてもらっても正解でした」
「ふん。バカバカしい」
「はい。5000円券です。次どうしますか?」
「めんどくさいから、ラスト問題まですっ飛ばしたらどうです」
「い、いやそういうわけには……」
とにかく次へ行けとのディレクター。
「だ、第三問」
ババンッ!
何だか急いでいないかい?
「パソコンの中に入る重要な部品と言えばCPUですが……」
『おいおい。こんな問題ばかりでおもしろいのか?』
つい言いたくなるのは当然だ。一般人向けの出題ではない雰囲気が濃厚である。
だがアキラは、
「お店がお店だから、これでいいんだろ」と言い。
「わたしは楽しいわよ」
恭子ちゃんも目が爛々だ。
まあ、あなたはメカ女子だから平気かもしれないが、お客の大半は引いておるぞ。
司会者が問題の書いた紙をガサガサと広げ、
「え~――。歴代CPUメーカー名と製品を……5つ以上答えよ!」
出題が終わると同時に、キヨ子は機関銃のような速さで言葉を打ち出した。
「インテル8008・8080・8085・8086・80286・80386、ザイログZ80、モステクノロジー6502、モトローラ6809・68000・68030・68040、NECμPD8748・V30・V40……」
「わあぁぁ。キヨ子さん正解です。も、もういいですキヨ子さん」
「まだペンティアム系からパワーPC、それから組み込み制御用のマイクロチップのPICやアトメルAVRもございますが、まぁこれはCPU内蔵のコンピューターチップと呼んだほうが正しいかと……」
「はいぃぃぃ。正解~~~」
「日立のSHシリーズなどはいかががです? SH1からSH・Mobileまで、なんでしたらスペックのご説明でもしましょうか? それともセガガサターンのお話でも……」
「おめでとうございまぁぁす。もう正解ですよ~」
キヨ子の動き続ける口を無理やり塞ぐように、司会者が1万円のカードで幼けない口元を隠した。
しかし彼女はそれを受け取るとぽいと投げ返す。
「次、行ってください」
まるで大食い選手権で大皿をぺろりと平らげたような堂々とした態度だった。
小声でディレクターへ詰め寄る司会者。
「だからヲタク向けの問題はやめようって言ったんだ……見ろ、観客もそれらしいヤツらしか残ってないじゃないか」
「しょうがないだろ。このあとアニヲタ向けの声優が歌うんだ……ヲタだけでも残っていればいいんだよ」
ディレクターが周囲を見渡して肩をすくめた。
6歳児のキヨ子がスーパーモードに変身した時は、頭脳だけでなく五感も鋭くなる。当然スタッフとの会話が筒抜けになっていた。
「これは聞き捨てならないことを……」
「は?」
「司会者の人。オタクと呼び捨てにしないでいただきたいですわね。あの方々が湯水の如くお金を使っておられるから、この不景気な世の中にもかかわらず、かろうじて経済が回っているのです。救世主のような方々を呼び捨てにするなんて、私が許しませんわよ」
「これは失礼しました緑川さん。決してバカにしたのではありませんので、勘違いなさらないでくださいね。ここは朝までテレビ討論会ではありませんから。ほんとすみません」
「当然です。バカはあなたたちのほうです。さ、早く次の問題を出しなさい」
「そうだそうだ。オレたちをバカにすんなぁ!」
居丈高小一に味方に付く観客も中には入るようで、
「賞品にSAOのフィギュア出せぇぇ!」
「年末になったら、美少女系のお友達ゲームのコマーシャル連投させるなぁ!」
「まったくだ。あれはいかんぞ~。オカンとテレビ見ていてバツが悪い」
味方に付いたのではなく、どうやらキヨ子を利用して憂さ晴らしのようだ。
しかし妙に納得する部分もある。
あの手のコマーシャルが流れるたびに、家族が集まった年末年始のお茶の間が凍りつくという噂だ。どうやら、お茶の間ブレーカーの存在は事実だったのであるな。
その後、キヨ子は出される問題全てを即答し全問正解。司会者は喉を枯らしてしまい、かすれ気味の声でほとんど助けを求めるようであった。
「ひぃぃぃ。きよ、いや。緑川さん。おみごとです。次がラスト問題です。この30万円のカードどうしますか? 高機能なパソコンが買えますよ」
「ですから。オモチャなどいりません。NASA行きのチケットを出していただけます?」
相変わらずキヨ子は淡々とかつ上から目線で問題を求めた。その威厳にも似た雰囲気を漂わせる幼女の態度に客席は呑まれ、そしてラスト問題という緊張した空気は店内を巻き込み、いつのまにかステージの周りは黒山の人だかりになっていた。
「この女の子、小一なのに9問連続正解だって~」
「うそぉぉ。オレ、大学生だけど2問目でアウトだったぜ」
「すげぇぞ」
「前髪が可愛いぃ~」
その声に睨みを利かせるキヨ子。
「ボクはひとつも答えられないよ」
「そりゃバカだからだ」
会場からはどよめきにも似た囁き合う声が漂った。
「あー。イケメンめっけ~」
その中にNAOMIさんのタイプがいたのであろう。それともくだらない問題に飽きが来ていたのか、ロボット犬はさっさとアキラのリュックから逃げ出し、ステージに見入る人ごみの中へ飛び込もうとしていた。
『な、NAOMIさん。今離れるとやばいのでは?』
と言った我輩の忠告に、
「すぐ戻るし、スピリチュアルインターフェースの稼動範囲は50メートル以上あるからだいじょうぶよ」
お気楽な言葉を残して、この場から消えた。
『おいおい、だいじょうぶであるか?』
「北野くん。いよいよラストよ」
「え? そうなの?」
「もう。どこ見てるのよ」
マイボがいなくなったことに、アキラも恭子ちゃんも気づいていない。
「では最終問題。これに答えるとNASAへ2名様ご招待ですよぉぉぉ」
「どうぞ」
大人でも緊張して声が震えるであろうNASAを賭けてのラスト問題だが、6歳児のキヨ子はまったく動じることも無く、その鋭い視線は司会者に据えられたままだった。
大げさなライトの演出と派手な効果音が大きく場を盛り上げた後、やってきた瞬断の時。一抹の静けさと共にスポットライトがステージの2人に絞られ、客席がごくりと息を飲んだ。
一拍おいて司会者の呼吸音が沈黙した会場に滲み渡る。
「コンピュータの命令スループットを向上させ……。えぇ~っと。命令レベルの並列性を高める?」
司会者にとってはチンプンカンプンの問題なのであろう、その意味すら解からない様子。客席もほとんどの人が疑問符を頭から噴き出して静観中。
「……え~。で、並列性を高めるために考え出された方法で、ですね。えーっと、命令パイプラインと呼ばれるモノがありますが……あるの?」
ディレクターに尋ねる司会者。肝心のディレクターも腕を組んで首をかしげている。
「あ、あります。では問題。パイプラインの行程、フェッチ、デコード、実行と、あとひとつは……、なに?」
「………………」
「緑川さん……? どうされました?」
「……おにいちゃ~ん、どこぉ?」
いきなり豹変したキヨ子に司会者が凝固。
「あひぇ? 緑川さん?」
「おにいちゃ~ん。ここどこ? なぁに。ダンス踊っていいの?」
キヨ子は椅子から飛び降りると、ステージの真ん中で両手を挙げ腰を振って踊りだした。
「き、キヨ子先生……踊る時じゃないのよ」
恭子ちゃんがステージに駆け上がり、とにかくダンスをやめさせる。
「ほら、こっちに行こうね……」
背中を押してマイクの前に連れて行くと、
「お答えはなぁに?」
茫然として立ち尽くす司会者に代わり、尋ねる恭子ちゃん。
しかしそんな状況に関係なくタイムアウトは迫り、ラスト問題でいきなりエレクトロダンスを踊りだしたキヨ子、意表を突かれた会場は別の意味で騒然。
「キヨコねぇ、プリン食べたい……たい……たい……たい……たぃ……」
エコーの掛かった大きな声が店内を渡った。
「帰りに食べるからね。それより答えは?」
「…………あの?」と司会者。
『ヤバいぞアキラ、キヨ子どのがガキモードに戻ってる』
我輩の叫び声に慌ててアキラが背中のリュックへ首をねじる。
「ま、マイボ、どこ?」
『さっきイケメンを追いかけてどこかへ消えた』
「あひゃぁ。スピリチュアルインターフェースが切れちゃってる。ゴア何とかしてよ」
ほんとにこいつはネコ型ロボットが出てくるアニメの登場人物とそっくりだな。
我輩の腹にはポケットなど無いので、代わりにスマホにインストールされているデータ通信で呼びかけた。
『NAOMIさん、どこへ行ったのであるか? キヨ子どのが元に戻っちまってるぞ!』
幸い連絡はすぐに取れ、
「ごめんごめん」
どこにいたのかNAOMIさんが飛んで来た。
「可愛い男の子を追いかけてエスカレータ乗ったらさ、3階まで行っちゃって、ちょっと離れすぎちゃったわ」
ロボット犬が急いで尻尾を振り、それに同期するようにキヨ子の髪の毛がふわっと持ち上がった。
「……答えは、ライトバックです」
と言うと、さも当然そうに右手を司会者に差し出した。
「さ。NASA行きのチケットをお出しください」
キヨ子の変身振りに、会場は再びしんと静まり返った。
「あ? あぅあぅ」
オットセイみたいな声を上げて司会者が手を振る。ステージは目映いばかりの色鮮やかな照明が点滅して紙吹雪が舞い散った。
「やったわ。キヨ子先生」
無意識に恭子ちゃんはアキラの手を取り、
「柔らかい手だね、恭子ちゃん」
何を勘違いしているのか、アキラも至高の幸せを噛み締め、満面の笑みを彼女に返していた。
その胸ポケットでは我輩が、そして背負われたリュックの中ではNAOMIさんが互いに狂喜乱舞。
『うはははは~。NASAだぁぁ。USAだ! キヨ子どのありがとう。これで我輩は宇宙へ帰れるのである』
「うれしい~。飛行機乗れるわぁ。初めて空を飛ぶのよ。これであたしも飛んでる女よ~」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「アキラさん……? USAは新幹線で行くものですか?」
「ひ、飛行機が関空じゃないんだ」
「成田ですか。そこから直行便で飛ぶわけですね。うふっ。私たちの新婚旅行がUSAのNASAなんて……。あぁ。幸せですわ」
新幹線に乗ってから一度もキヨ子と目を合わそうとしないアキラ。時速200キロメートルで流れ去る景色を眺めながら長い溜め息を吐いた。
「ねえマイボ……。インターフェース止めてくれない。このまま行ったら、僕、キヨ子に殺されちゃうよ」
機嫌よく前髪を揺らしている隣の幼女をすがめながら、足元のリュックから首だけを伸ばしているロボット犬に囁いた。
「いいけど……。どうせバレるわよ」
NAOMIさんは気の毒そうに見上げる。
『まったくである。できることなら我輩がキヨ子どのの代わりに大暴れしたい心境であるぞ』
「とにかく後のことは考えないことにしようよ」
「わかった。切るわね」
すぐにインターフェースが切れたのだろう。キヨ子の瞳がふんわりと丸まり、ニコニコし始めた。
「ねぇ。キヨコ、プリンたべたい」
「はいはい。すぐに買って来るから待っててね」
『我輩をそこの充電コンセントに差し込んでくれないか。新幹線なる乗り物を探索してみたいのだ』
「はいはい。いいですよ。行ってらっしゃい」
人の良いアキラは言いなりになっていたが、ふと我に返り、
「ちょっと。僕だけの責任じゃないだろ?」
『我輩は地球語が苦手であるからな……』
「恭子ちゃんもバツ悪そうに家に帰っちゃって、それっきり連絡無しだよ。なんで僕の責任になるんだよ」
「あたしも文字解析に疎いほうだしぃ……」
「ウソ吐けっ!」
アキラは諦め切れないような顔をして、もう一度窓の外を眺め、
「はぁぁぁ~あ」
湿気の多い息を漏らし、賞品で貰ったNASA行きの招待券を窓に透かすようにひらひらさせていた。
「ねえ。このネバー・アミューズメント・スタジオ・イン愛知って何なの?」
『こっちが訊きたいぞアキラ。宇宙へ戻れると思っていたのに、我輩の気持ちはどうしてくれるんだ』
「……略してN・A・S・Aかぁ」
力なくポツリとつぶやいてから、がくりと首を落とすNAOMIさんは、
「飛行機、乗りたかったなぁ……」
そのままリュックの中に潜り込み体を丸めて寝転がった。その仕草はまさに飼い犬のそれだった。
「おにいちゃん。キヨコね、プリンがたべたいの」
『うるさいから、早く買ってきてやれよアキラ』
「宇宙人が命令するなよ」
『我輩はいま非常に胸を痛めておるのだ』
「だから、僕の責任じゃないよ」
結局、名古屋へ日帰りで出掛け、何がネバーなのだか分からないが、ネバー・アミューズメント・スタジオ・イン愛知とかいう、紛らわしい名前の遊園地へ行って遊んで帰って来ただけであった。
『これなら、小学生部門のモバイルパソコンを貰ったほうが良かったのである』
「あぁぁ。恭子ちゃんも来てたらもう少し面白かったんだけどな……」
相変わらずアキラは能天気であった。