27 またまた桜園田町なのだ(第四巻・最終話)
2時間が経過した。
「暑いな……」
絡みつく砂に足を取られて我輩の動きが止まった。
釣られてアキラとギアも立ち止まり、がくりと砂の上に膝を突いた。
「喉渇いたよー」
「干からびそうや」
二人そろって空を仰ぐ。何も変わらぬ青空が焦燥感を誘い、ギラギラと刺す陽射しは、いっこうに弱まる気配は無く。疲労度は最高潮に達していた。
すぐ後ろを嘲笑めいた表情でついて来るリョウコくんが腹立たしい。
数メートル先で、キヨ子の手を引いたドルベッティが立ち止まった。
「ギア。オマエの野球帽をこの子に貸してやれ」
「え――。ワテの頭はこれでっせ」
帽子を取ったギアは、天辺ハゲタカの状態を見せて平手でぴしゃりとするが、
「こんな小さな子には、ジーラの陽射しはきつい」
「しやけど……まあ、しゃあないか」
文句を垂れつつもギアは差し出した。
「ありがとう。でもね、キヨコね。あつくて死にそうなの。イチゴのジュースないかな」
「…………」
疲れと渇きから我輩も言葉が浮かばなかった。
「キヨコ。あと少し歩こう。そしたら休憩するから」
「テレビある? ののかちゃんが始まるんだ。キヨコね。ジュース飲みながらののかちゃんが見たいの」
「ああ。テレビあると思うよ。ジュースも飲もうな」
「あはははは。そんな小さな子供を連れて、あと何キロ歩けるかしら」
「歩けるさ。アタイがおぶってでも連れて行く」
「我輩もいるぞ!」
憤りに耐えられなくなった我輩は、リョウコくんの前に白衣を翻して割り込んだ。
「ドルベッティくんが疲れたら、我輩が代わりにおぶる。アキラもギアもいるのだ。45キロ残ったとしても、一人たったの十数キロではないか」
「ワテの分は少し減らしてくれへんか。この頭に直射日光やもんな」
「なら。これをやるから我慢しろ」
我輩は白衣の背中部分を破り取り、ギアへ差し出した。
「これでターバンでも作ればよかろう。砂漠の人らはみんなそうしておるぞ」
ギアは受け取りながら、
「これ……尻に当たってた部分やんか」
片眉を歪めて見せるので、つい声を荒げた。
「バカヤロ。死にそうなときに何を言ってるのだ!」
ギアは肩をすくめて、笑ってごまかす。
「アホ。冗談やろ。ほんまアカンで。どんな危機に面しても冗談を忘れたら」
頭にそれを巻いたギアは、嬉しげに顔をもたげた。
「おほー。白い布の効果はあるがな。意外と涼しいで」
「その代りほら見て……」
アキラが楽しげに我輩を指差す。
「お尻が丸見えだよ、ゴア」
「きゃははは。オシリ、オシリ。おじちゃんオシリが出てますよー」
「そうか。見えておるか? ほれもっと見るか?」
わざと背を向けてやると、元気を失くしていたキヨコが甦った。
「うきゃきゃきゃきゃきゃ。オシリだー」
こうなると恥ずかしくもない。
「これでキヨコちゃんの元気が出ればそれでいい。また疲れたら見せてあげるからね」
「うきゃきゃ。ののかちゃんよりおもしろいよ。また見せてねー」
「ああ。見せてやるとも」
「よし。これでみんな仲間だ。交代でキヨコをおぶって、あと40キロとちょっとだ。乗り切ろうぜ!」
とドルベッティが雄叫びを青空に打ち上げ、
「「「おおぅ!」」」
全員もそれに合わせた。
「あ――くっさー。すんごく鼻につくわ」
いきなり後方からリョウコくんの蔑む声が轟く。
「なにそれ? 絆だとか言いたいワケ? くっさ~、時代遅れもいいとこよ。腐った加齢臭しかないわ」
「なんだとっ!! アタイたちをバカにすんのか!」
ドルベッティが怒りを爆発する寸前の時であった。
「まあ、お待ちなさい……」
「ええっ!」
ワンピースの裾を払い、小さな幼女が砂の上に立ちあがった。
「――仲間と呼べる人がいないあなたには、この方々の温かな気持ちは死ぬまで理解できないのです!」
「き、キヨ子どの?」
「どうしたのさ、キヨ子!」
吃驚仰天である。NAOMIさんがいないのにスーパーキヨ子が登場した。
「どうですか、カーネルさん。反論の余地がありまして?」
リョウコくんは浮かべていた嘲笑を一瞬で消し去った。
「なぜ!? マイボがいないのに……」
揺るぎの無い毅然とした態度を崩さずに、キヨ子どのは正面から黒髪の少女と向き合う。
「もう一度尋ねます。私が誰だかお解りですよね?」
「えっ? だ……誰って、キヨ子さんでしょ?」
「ええそうです。桜園田小学校1年3組、緑川キヨ子です」
威風堂々としてて、なんかすごいな。
「間違いないけど……。でもなぜワタシの制御外にいるの? あり得ない。ここはワタシの世界。ワタシが神様なのよ。誰も手出しできないはず」
「そうです。あなたのおっしゃるとおり、誰も手出しできません…………でも私は別です」
「あなた……誰なの?」
初めて聞くリョウコくんの戸惑った声だった。
「この世界の神があなただと言うのならば……私は……」
さらに一歩、グイッと迫り。
「あなたよりも上位の世界。実世界の神と言っておきましょう」
「どういうこと? なにその尊大な態度……」
リョウコくんは何度か白い指をパチンと弾くが、何も起きない。
「え――? ちょっと待って、待って」
もう一度確認するように指を鳴らしたが、
「あたしのコントロールがまったくキミに通じないじゃない」
見開いた目を丸々とさせて狼狽え始めたリョウコくんは、その後も繰り返し指を弾き、腕を振って対応していたが、そのうちキヨ子どのを凝視した。
「ま、まさか……」
リョウコくの白い喉がゆっくりと上下する。
「……あなた実体が無いわ」
「やっと気づきましたか。私の体はあなたの上位クラスで作られたインスタンスオブジェクトなのです」
「なっ!」
悪霊退治をするつもりが、反対に憑りつかれてしまった霊能力者みたいに、リョウコくんは愕然とし、
「じゃ……じゃあ。ワタシはすでにインスタンス化していたオブジェクトを実体だと思い込んでそれをシミュレートしていたの?」
疑問の糸が解けていったのであろう。ポカンとしていた表情が反転。悔しげに顔を引き攣らせて、リョウコくんは6歳児の幼けない面立ちを睨みつけた。
と、そこへ。眩いばかりの美女が、舞い上がる砂塵の中から現れた。
「それは慢心が招いた盲目だ。つまりコピーのキヨ子を本物だと思い込んで、この世界で再現していたわけだ。だから最後は思うようにシミュレートできなくなった。これがタスクキラーの本当の姿なのだ」
「く……クララどの」
突然砂の上に姿を現したクイーンは嫣然とした笑みを我輩にくれ、
「安心しろ、ゴアよ。ワタシもその上位インスタンスだ」
「なんやねん。そんなごっついモンやったら、飛行機の墜落とか列車の横転事故やとか、ビビらんでもすんだのに」
「敵を欺くには味方からと言うだろ、ギア。気付かないお前が悪い」
「そんなことゆうたかって……」
もぞもぞと言葉濁らし、ギアは撃沈。
笑い顔とともにギアから目線を外したクララは、リョウコくんを尖った目で睨んだ。
「愚かな下位クラスは消えるんだな」
キヨ子も平淡に続ける。
「さようなら。量子さん」
「そ……そんなバカな――――――――――っ!」
「うあぁぁぁぁ。どうしたの?」
驚いたのはアキラだけではなかった。我々も息を詰めて驚愕する。砂の惑星ジーラが巨億の光子となり、大きな渦巻きを起こして青空へ舞い上がって消えた。そして入れ替わりに現れたのは、ラブジェットシステムのカプセル内。登場人物全員が棒立ちになって内部は満員電車みたいであった。
「皆さんお疲れ様でした。カーネルのスレッドから抜け出しましたよ」
カプセルの扉が開いて、顔を出したのは藤本恭子ちゃん。
「手はずどおりカーネルは閉じましたか? 乳本でか子さん」
ちゃんと名前があるのに気の毒だな。
「心配ないわ、キヨ子さん。ほらごらんのとおりよ」
甘い声音を漂わせて、恭子ちゃんの足下からトコトコと出てきたのは、いつものビーグル犬の姿をしたNAOMIさん。操り人形よりやっぱりこの人はイヌが似合ってるのだ。
「――と言うことは?」
「助かったの?」
ギアとアキラが同時にキヨ子どのの顔を窺い、キヨ子どのは無言でうなずいた。
「よかったー。喉が渇いて死にそうだったんだ」
「終わった……」
疲労度の高い吐息を吐き、ゆっくりと立ちあがろうとしたドルベッティの肩を抱き上げて、クララは優しげな言葉を掛けた。
「ミッションは大成功だ。カーネルの目をオマエたちに引きつけておいて、内部から潰す。キヨ子の思惑通りになった」
労いの言葉を語るクララの横顔を眺めながら、我輩は感慨にふける。
ようするに、キヨ子どのとクララはもう一つ別のシステムでシミュレートされたオブジェクトであり、それが獅子身中の虫となることに気付かずに、リョウコくんはそれを自分の世界の中に投影していたのだ。
「最初に登場した私はあなた方と同じ、ハーレムクラスオブジェクトからダイレクトに作成されたインスタンスでした。あの後、元の世界へ戻された時にこの作戦を考えたのです」
「そっよ。最終的な制御はメカ女子の恭子ちゃんがやってたの」
とNAOMIさんが告げて、モジモジした恭子ちゃんが付け加える。
「わたしは言われたとおりに操作していただけです」
キヨ子どのは満足げにうなずき、
「陰の功労者として、今回は仲間に入れてあげましょう」
「ありがとうございます。わたしもこんな形でお寿司を食べられるって、ちょっと楽しみなんです」
「まあ、めったにない経験となるでしょう。それではクララさん。報酬の回転寿司食べ放題へ参りましょうか?」
「ちょっと待ってくれ!」
「なんですの?」
「こんな形でお寿司って……我輩たち……」
「あー。ホンマや!」
「我々はまだヒューマノイドのままであるぞ?」
「そうです。ここはまだハーレムクラスオブジェクトです。それとも実世界に戻してあげましょうか? その代りあなたたちはお寿司を食べられない上に支払いだけをお願いすることになりますが?」
「リョウコくんが消えたのに、まだシミュレートされたままなのか?」
「そうですよ。ここはさっきのお転婆カーネルより上位の制御が入る、新しく派生したクラスです」
恭子ちゃんもニコニコと笑い。
「NAOMIさんの制御の下、起動してるから安心ですよ」
「じゃあ恭子ちゃんもシミュレートされたオブジェクトなの?」と訊いたのはアキラ。
「そうなの。ドキドキしてるのよ」
「おや、ま。今オブジェクトと言いましたわね。あらま、嬉しい。アキラさんも新しい言葉を覚えたようです。ではご褒美としてお寿司をたらふく食べていただきましょう」
そうか。これなら我輩たちもヒューマノイドとしてお寿司が食べられる。
だが今一つ一歩足が前に出ないのには、小さな事だが、懸念事項があるからだ。
「あの。キヨ子どの? 誰がその支払いをするのかな?」
「当然、この騒動を引き起こした張本人たちが支払うべきですわね」
と言われても。実世界であろうと、シミュレートされた世界であろうと。我輩たちは空っけつなのだ。
「どうする。ギア?」
「明日は明日の風が吹くや。食えるときに食うておこうデ」
能天気なヤツめ。
キヨ子どのことだから、シミュレートされた世界での請求を実世界で突き出すやも知れんぞ。
「そん時は知らぬ存ぜぬで貫き通せばエエねん」
「だめです。このシミュレータを起動するために膨大な電力を消耗したのは現実世界において、これは事実です」
「そうね。一ヶ月分の下宿代ではとても賄えないわ」
「もとはと言えば、オマエらがまいた種だ。諦めるんだな」
「クララどのまで……。くそー。ギアの口車に乗ったばかりに」
我輩は悔しげにギアの横顔を睨むが、奴は空々しくこう言った。
「あー。バーチャルリアリティはもうコリゴリやな」
「こら、ギア。ギャグアニメの常套句で終わらそうとして誤魔化すな。消費した電力の折半ではこっちは納得いかんぞ」
詰め寄ろうとした我輩とギアの間を恭子ちゃんが遮った。
「まあまあ。とにかくお寿司屋さんへ行きましょうよ」
ラブジェットシステムの扉を開けつつ、今度はクララが振り返る。
「しかしなんだな。女王が回転寿司というのも……。ま。こういう機会もそう無いだろうからいいか。よし娘子軍に命じる」
6人の少女がさっと整列した。
「いいか。今回はギアとゴアのオゴリだ。遠慮するな。ケツの毛まで毟り取る気で食べまくれ!」
「「「「「「はい!」」」」」」
我輩とギアは思わずお尻を手で押さえたのである……が。
「あうっ」
ギアのターバンに使用したため、我輩はお尻丸出しだったことをころっと忘れていた。
恐るべし、シミュレーテッドリアリティ。どこまでもリアルなのである。
「キヨ子どの……我輩にパンツをはかせてくれないか?」
懇願は虚しく拒否される。
「だめです。ののかちゃんを見るよりも面白いので、今回はそのままで行きなさい」
「お――の――」
キヨ子どの厳命なら仕方が無いのだ。
ちょうど、おケツが出たところで今回は終決としよう。
だが地球人よ。まだ5巻、6巻と続くかも知れぬぞ。せいぜい覚悟……いや、楽しみにしておくんだな。
え? なに?
ああ、そうだったな。
ページを締めくくる前に、後日談を記しておこう。
にゃりーパミパミの書いたアニメの原作であるが……。
なに? それは誰だと?
もう忘れたのか? 青年。
まあ、仕方が無いな。こうも話がとんでもない方向へ飛んでしまっては、誰しも困惑しただろうな、ワルイワルイ。
それでな。カミタニさんは、にゃりーパミパミが書いた原作をリアリティに飛んでいると高く評価した。
そりゃそうだろ、彼は知らないが、これはSFストーリーではなく実話なのだ。
気をよくしたカミタニプロデューサーは、有名どころの声優さんをわんさか採用、主題歌担当はもちろんKTN48。宇宙を舞台に大いに暴れ回る美少女軍団、キャザーンの物語である。
もちろんアニメのタイトルは――。
『タスクキラー・戦慄のキャザーン』であった。
終……。
さて無事四巻も終りを迎えることができました。これもひとえに皆さまの応援の賜物です。
途中から首を突っ込んだ危なっかしい版権問題や、難解なオブジェクト指向の概念を持ち出し、支離滅裂になりそうな文章を羅列したことに関して謝意を表すると共に、そんな意味不明の物語を最後までお読みくださった読者さまに感謝をささげまして、第四巻は閉幕とさせていただきます。さて第五巻はどうなるのか。それは作者にも分かりません。ひとまず謎を含んでお終いです。長らくありがとうございました。