第一章2 『残された道 (過去編2)』
「おい、ついにあの忌々しいガキ殺すんだって?」
外から声が聞こえる。
守衛の一人だ。タツキの中では守り男Aと名付けている。
その男が言っているのはタツキのことだ。
毎度お馴染みの憎々しい口調だが、今日に限っては重みが違う。
「あぁそうさ。なんだってあの方は今まで糞ガキを生かしてたんだ? あれにかける金なんて無駄でしかねぇよ。さっきなんて泣き喚いていやがったぜ。その行為は人間様にだけ許される高貴なモンだってのに」
――守り男Bだ。どちらもタツキを"人"とは認識していない。
「ハッ、惨めだな。ジジイの死を教えてやった時以来か。化物でも死ぬのが怖いなんてとんだ傑作だ。 これでやっと…」
――そうだ。今日が俺の処刑日なんだ。この世からいなくなるおめでたい日だ。みんな心底嬉しいんだろうな…。
泣き疲れたからか、タツキの思考はどこかぼんやりとしたものになっており、現実味を帯びていなかった。
しょけい。
タツキは今日、その単語に殺される。
だが、一般的に考えてみてほしい。
普通"目の色が違う"というだけで、死罪に値するだろうか。
症状の有無を除けば病気の可能性だってある。そもそも誰かに迷惑をかけたわけでもない。
なのに処刑が行われる理由。簡単だ。
普通の価値観を持たない者たちがその判決を下したからだ。
すなわち、彼の親族である。
――自分たちの立場まで疑われてはたまらない。
――同じ血が流れているなんて信じたくない。
――悪魔の子供なんて厄介事引き受けたくない。
なら、秘密裏に"成瀬他月"という存在を抹消すればいい。単純だ。
そんな狂った計画、思いつく方も馬鹿だが実行するやつも馬鹿だ。
だが、実際に遂行されている。
タツキの目を狙ったコレクターが、紅蓮の目をくり抜こうとしたことも、作戦の裏付けとして利用された。
"守るため"――――。
これが表向きの理由。反吐が出るほど馬鹿馬鹿しい。
そんな馬鹿げた理由により、高校入学と同時に自由を奪われた。
――叔母が、ある一室にタツキを閉じ込めたのだ。
虐待。人権無視。親権剥奪。
普通なら咎められる行為だが、親族たちは今ものうのうと暮らしているのだろう。罪の意識など微塵も感じずに。
「お前は人じゃないんだから」
暗い部屋に閉じ込められ。
最低限の生活を強いられ。
扉には外鍵が付き、自由も奪われ。
戒めの家具として大きな鏡が置かれ。
それでもタツキは、これまで狂わず日々を過ごしてきた。
その理由には祖父の存在が深く関係してくる。
タツキにとっての味方は、両親を失った今祖父しかいない。そう、こっそり様子を見に来てくれたり、温かい食べ物の差し入れをしてくれる人なんて…。
自分に生きる価値を見出すたったひとつの希望でもあった。
タツキの部屋に山積みされている本の山もその一環だ。
漢字の本や問題集など、年齢通りの勉学の本から、娯楽に繋がる小説やラノベ、漫画なども日を挟んで持ってきてくれていた。特にファンタジー………勇者やヒーローが活躍する少し幼稚なものから、魔法をふんだんに使いまくるもの、異世界に迷い込むものなど、現実ではありえない非現実的な小説が多かった。そのおかげでタツキは相応の学力とともに、相応の趣味を持つことができた。ネトゲ廃人の一歩手前。それは世間では"引きニート"と呼ばれるレベルのものだった。好んでそんな名称を手に入れたわけじゃなかったが、タツキは日々の生活に満足していた。自堕落な生活―――とまではいかないが、ゲームを好きなだけやり込める環境にいるのだから。
軽い運動と、長い休息を挟んだ短い勉強。毎日やることは同じだった。
貴重な高校生活は、青春とは程遠い物として浪費していたのである。漫画の世界みたく、自分には特別な力が宿っており、ここからその力を使って脱出してやろうと思ったのもその時からだ。高校生になって初めてアニメの世界に触れたのだから、一時の気の迷いとして許してほしい。
タツキはその為に、祖父に進められた筋トレメニューをこなしていた。今思えばうまく言いくるめられただけで、本当は運動不足を心配しての進言だったのだろう。空腹は祖父の持ち込む食料品で解決できていた。
疲労と引き換えに得たものもある。日々の訓練を絶やさなかったおかげで、何年かした頃には同級生以上の筋肉がついていたのだ。時間は腐るほどあったから、それは当たり前なことなのかもしれない。
だが、そのマヤカシの希望や幸せは数日前に消えた。 ぎりぎり"火"とみえる姿を保っていた蝋燭が、完全にその灯火を失ったみたいに。
―――愛する祖父が、他界した。
…さて、たったひとつの希望の光が掻き消されたら、人はどうなるだろう? まずその条件下に立たされる人自体が少ないかもしれない。
無気力になる。
腐る。
死を渇望する。
生きることを、やめる。
…かもしれない。
けれどタツキは終わらなかった。
部屋を訪れる唯一の人物を失っても決して泣くことはなかった。
泣いてもどうしようもないことだと解っていたからだ。
既に一生分の悲しみを体験したタツキには、その感情をどこに処理すべきか学んでいたのである。
だが、そんなタツキの頑張りを嘲笑うかのように、
「お前を消すことに最期まで反対したから、あのジジイは殺されたんだぜ」
その言葉が耳に入って来た。
止めていた涙腺は役割を忘れ、止めどなく流れる雫を静かに受け入れた。
予感は正直あった。
比喩でなく閉じ込めている"囚人"的立ち位置の自分に世話を焼けばどうなるかぐらい、ガキでも分かるだろう。
しかし、自分の幸せの時間を壊したくないがために、タツキは「もう来ないで」の一言が言えずにいた。ずっと、ずっと。
それがいつか祖父を殺すと理解していても。
絶望、憤怒、罪悪感、不甲斐なさ、寂しさ―――
感情が爆発する。それらをすべてを混ぜ込んだような、身を焦がすほどの激情をタツキは知った。
静かに頬を伝う涙は、枯れ尽きるまでやむことはなかった。
…それからの日々は、怒らず騒がず泣きもせず、すべての感情をセーブして生きた。
全部自分のせい。そう思い、解放されるその日が来るのを待ちながら。
…生き地獄はもう散々。迷惑かけた人たちを解放できる上に母さんと父さんのいる場所に連れて行ってくれるのなら、それが一番だ。
こちらも馬鹿げた発想だが、タツキを救う道はそこ以外は完全に途絶えており、一本道になっていた。選択はできない。
「あと一時間後にアレをあそこに連れて行く。そんで事故に見せかけて屋上から突き落とせば―――おしまいだ」
俺は、やっと救われる。