『プロローグ』
目が映しているのはありえない情景だった。
焼かれ、焦げきり、黒い塊と化した木。
立ち込める煙。
その中に佇む人影。
――――まだ常識を逸するものはない。
ただ、その光景を目にする者は確信していた。
「これって異世界転生ってやつ――!!?」
とある少年の声が草原中に響き渡る。驚きと確信を含んだものだった。少なくとも発言の根は疑問ではない。
彼の名は成瀬他月。特にこれといった能力を持たない、ごく普通の男子高校生だ。そんな平々凡々なタツキが、今は膝を付いて状況理解を試みている。
その瞳に宿るのは、好奇心と、感謝と、迷いだ。
彼の眼前にあるのは、焼き焦がされた巨木。付け足せば、数分前までは自らの意思で喋り動いていた木、だ。
――マンションから落ちて死んだはずの自分が、なぜこんな非日常的な状況に陥っているのか。
アニメ脳のタツキが、この不可解な謎を『異世界転生』と結論付けるのは早かった。むしろそれ以外ないだろうと思っていた。肯定してくれる者はいないが。
「もしくは異世界転移もあり得るな。魔界天界のいかにもなところは避けたいところだ」
先刻死の間際に見た紅蓮の光と木の怪物、そして魔法。異世界モノに有りがちの要素を、既に身を持って体験しているタツキだ。ここを異世界だと証明するものは十分に揃っていると考えていた。
先の見えない世界で、タツキは独り笑みを零す。邪悪とも微笑みともとれる笑い方だった。
"異世界"はタツキの憧れだ。
剣と魔法の世界。
主人公が転んだり起きたりしながら人を救い、自らを強化し、時にはウフフも経験して英雄となる世界。あくまで漫画内での知識を、自らの未来に重ね合わせる。
「―――!」
そのまま疲労を訴える身体を労りもせず、新しい世界への希望を胸に焼野原を駆けて行った。顔面に狂気的な祈りを貼り付けながら。
――――そしてナルセ・タツキは、念願の異世界の中で何度も"死"に近い体験をしながら、無我夢中で己と戦っていくことになる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー✽―――✽――――
「―――まさか、君が…?」
恐る恐る彼女に問いかける。
先程から歯の芯が合わず、格好悪くかちかちと音を立てていた。
答えがほしい訳じゃない。―――むしろ、答えなんか聞きたくない。
幸せが、終わる。
今まで積み上げてきた関係も、信頼も、全て。
彼女が何を言おうが受け入れられる余裕が今の自分にはない。
体が言葉を拒絶している。彼女の言葉なら、例え平凡な挨拶でも、日常的な会話でも、全部が全部特別で―――聞き逃すことなどなかったのに。宝物だと、そう思っていたのに。
そんな辛そうな顔をしないで。
そんな悲しそうな顔をしないで。
お願いだから、そんな泣きそうな顔を見せないでくれ――――。
真実を知る前なら真正面から受け止めようとしたはずだ。笑って、ふざけて、冗談でも混ぜて相手を笑わせて―――
大好きで大好きで大好きで……仕方なかったから。あふれる気持ちを止めることなどできなかったから。
「――――」
「やめ……」
反射的に止めようと手を伸ばす。
だが、彼女は涙とともに、綺麗な形をしたその口をゆっくりと開いた。
――――人はこんな時でも綺麗だと思うことができるのか。常識を逸した美しさに魅入られ、伸ばした手は意味無く滑り落ちた。思わず諦念を抱く。
耳を塞ぐが、開閉される彼女の口は逃げることを許さない。
やめてくれ!分かりたくない!
楽しさや嬉しさから始まる『幸せ』が身体中から染み出し、足元から崩れていくのがわかった。