7
片足だけ机の上に乗せて、こちらに体を向けながら、私の右手に納まった欠けた板チョコに手を伸ばす。
されるがまま板チョコを渡せば、先輩はそれをぱきんと割って、人差し指と親指ではさんで掲げる。
「チョコレートって、媚薬効果があるんだって」
「え…」
そうなんですか、と言う前に、それを遮られた。
先輩の指に挟まれたチョコレートのかけらは、言葉を発しようと開いた私の口の中に、するりと入り込む。
先輩は満足そうに、ちょっとだけ口角を上げて、また手元のチョコレートの塊をぱきり、割る。
私は口の中で溶ける甘さに支配されながら、ゆっくりとそれを咀嚼する。
その香り高い甘さが私の喉を通ったころ、先輩はまたおもむろに、一口大に割ったチョコを私の口元に持ってくる。
口を閉じたままでいると、控えめにつんつん、と先輩がチョコのかけらで口先をつついてくるので、少し迷ってから、口をまた開く。
するとまた先輩は満足そうに、少しだけ口角を上げた。
かけらを私の口に押し込んだ後、そうしてまた手元の板チョコを割ろうとするので、私は声をかける。
「あの、先輩」
「うん」
「そんなにいっぱいは、いらないです」
すると先輩は割ろうとしていた指先をとめ、顔を上げた。
「そう?」
「……そう」
うんうん、と頷いてみせると、どうやら納得してもらえたらしい。
いそいそと銀紙にまたチョコレートを包んで、パッケージに丁寧に納めなおしてくれた。
そうして、はい、とそれを返してもらう。
素直に受け取って、机の上に置いた。
チョコレートだけを食べていたら、やたらと喉が渇く。
食べてるときは幸せなのに、食べたあとに飲み物がないときの辛さといったらない。
喉元に残る甘ったるい食感に少し眉をひそめながら先輩を見ていると、先輩はなにやら考え込んでいるようだった。
少し目線を上に上げて、考えをめぐらせている
……ように、見える。
その様子を観察してみると、ふいに目が合った。
そしてぽんと、疑問が飛んでくる。
「まどかは、甘いものがすき?」
「は、い…ていうか、え、名前…」
知ってたんですか。いつの間に。
どうも昨日から先輩は、私の個人情報を盗むクセがついたらしい。別に構わないけど。
「アドレス交換したときに、携帯に入ってたから」
「……ああ」
“交換”というか、一方的に盗まれただけですけどね。
「下の名前しか書いてなかったから」
「下の名前しか、登録してないので」
そういうと、先輩の右手がふいに伸びてくる。
目だけでそれを追うと、先輩の右手の指先が、私の髪の毛の先を掬って、くるくる、と数回遊ぶ。
そしてそのまま、ぽん、と肩に力が加わって、私はそのまま机に倒れこんだ。
私は特に抵抗もしなかったし、その動きはとてもスローモーションのようで、
それでいて、あっという間に場面が変わる。
気づいたら、目の前ほんの数センチ先のところに、先輩の両目があった。
真っ黒な両目が、私を覗き込む。
先輩とこんな距離感になったのは初めてで、内心で、心臓が自分の意思とは関係なしに暴れ始めていた。
先輩の瞳は、綺麗だと思う。
とても深い色をしている。
その目が特に感情を込めないまま、私の目を覗き込んでいる。
だから私もなんとなく、先輩の目を見つめ返す。
なんなのかなあ、この人の空気感。
独特です、先輩。
「それで」
その状態のまま、先輩はいつものように、静かによどみなく、声を出す。
私が小さく首を傾げると、先輩は言葉を続けた。
「甘いものは、好き?」
「まあ、人並みに」
「そっか」
「はい」
そう答えると、先輩はまた小さく、口角を上げた。
そしてそのまま、私の頭を撫でるように髪を少しだけ掬い、そこからいつもの気まぐれな戯れがはじまる。