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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第四章 接近
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3 恋心


 ミードの村では、マールとオルクが皆の帰りを待っていた。

 すでに深更であり、村人たちはすっかり寝静まっている。今この村で、目を覚ましているのはこの少年少女のみだったろう。

 マールとオルクは、あれ以来ヨシュアの宿所に決まったルツ婆の家の離れで、まんじりともせずにいた。


「マール。今のうちに、ちょっとでも寝とけよ。みんなが帰って来たら、起こしてやるからさ」

 時々、オルクが心配そうに言ってくれる。だが、マールは甘えようとはしなかった。

「いいのよ。あたしは好きで起きてるんだから」

 言いながら、囲炉裏の(おき)をちょっと火掻き棒でつついてみたりする。マールは、今では着慣れた女官の制服姿のままである。眠るつもりなどさらさらなかった。


 あれ以降、オルクは正式にヨシュア付きの小姓見習いとなって、あの少年王と共に王都とこのミード村を行ったりきたりする生活になっている。

 正式に召し抱えられるに当たり、小姓としての制服も支給されて、今は金糸の飾り刺繍つきの少年小姓用の上着と下穿き姿になっていた。どうしても首元が窮屈らしく、普段はそこをくつろげて着崩しているのだが、背の伸び始めた少年特有の若々しい爽やかさが、その首筋から覗き始めているようだった。


 もちろんマールも、同様にして王都とこの村との行き来を繰り返している。

 とはいえマールは、ミード村でこそヨシュアの側付きになるものの、王宮内では相変わらずの下っ端新米女官に過ぎない。だから普段、ヨシュアの近くにいることはまずない。王宮では前と変わらず、朝から晩まで掃除その他の雑用がおもな仕事だ。

 普段一緒にいる時間が長い分、今ではオルクの方が、すっかりヨシュアと仲良くなってしまっている。二人きりの時にはまるで友達のような気楽さで、敬語も抜きで冗談を言ったり、笑いあったりといった具合だった。

 周囲の大人たちは、それを非常に微笑ましく、嬉しく見つめているようだった。

 兄王があのような悲惨な形で南の狂王に奪われて以来、ずっと暗く沈んでいた弟君の顔に、昔どおりの明るい笑顔が戻り始めた。そのことを、王宮の皆が喜んでいた。

 しかし。


(なんっか……、むかつく!)


 マールはここのところ、なにやらずっと機嫌が悪い。

 自分が何に対していらついているのかもよく分からないままに、ただひたすらに神経を尖らせている。畢竟(ひっきょう)、当り散らす矛先は、目の前のオルクに向くことが多かった。


「だからさ~。ここんとこ、なにをそんなに怒ってんだよ? マール……」

 遂に、困ったようにオルクが尋ねた。

「は? あたしは別に、何も怒ってなんかいないわよ」


 それが怒っている人の常套句だということも分かりきっていながら、マールはそう言わずにいられない。ただ手の方は正直で、逆手に持った火掻き棒でぶすりと囲炉裏の灰を突き刺している。

 オルクは困ったような顔でその手許を見ながら、頭の後ろで腕を組んだ。胡坐をかいた姿勢のまま、手持ち無沙汰のようにゆらゆらと上体を揺らしている。


「サタケが忙しいのは、しょうがねえじゃん? 今は普通の時じゃないんだしさ──」

「そんなことは分かってる。……って、そんなことじゃないわよっっ!」


 オルクはまるで、佐竹がマールを構ってくれないことを不満に思っての不機嫌だと決めて掛かっているらしい。


(そんなわけ、ないでしょっ……!)


 かっとなってオルクを睨みつけると、少年はますます困った顔になった。

「へ? ……そうじゃねえの??」

 きょとんとした紫色の瞳で見返され、マールは押し黙った。


(あれ? あたし……)


 ふと、胸の中に湧き起こった違和感に戸惑ってしまう。


「そうじゃねえなら、なんなんだよ。ったく……」


 オルクは溜め息をつき、ばりばりと真っ赤な髪色の頭を掻いている。

 マールは黙り込んだままだ。

 ざくざくと、火掻き棒で意味もなく灰に穴を開けながら、考えこむ。


(ほんとに、あたし……。何をいらいらしてるんだろ)


 自分だけが、なんだかずっと蚊帳の外なのが悔しいのは本当だ。

 あれだけの決心をして、祖母とルツを拝み倒して、やっとのことで王宮に出仕までして佐竹を追いかけていったのに。結局、王宮でもここでも、佐竹は多忙すぎて、ほとんどまともに言葉を交わしたことさえないぐらいだ。


(……それなのに)


 この幼馴染みのオルクなんて、あとからぽっと出てきた癖に、あっという間にヨシュア付きの小姓になって。今ではあの少年王の「友達」という、たぐい稀なる立場さえ、苦もなく手に入れようとしている。


(男の子って……ずるい)


 佐竹とあの「ナイトウ」とかいう人の関係もそうだけれど。ヨシュア王とこのオルクにしても、ミード村にやってきているゾディアスやディフリードといった王の臣下たちにしても、どうして男たちは、ああも当然のようにして「女の子の入れない領域」をきっちりと持っているのだろうか。


(だって、あたしだって……!)


 自分だって間違いなく、このミード村と王宮とを繋ぐための役割を持って、この「<白き鎧>研究班」とでも言うべき集団の一員であるはずなのに。

 それらが苛々の原因のすべてでもないけれど、とにかくマールはずっと、自分の中の不愉快な気分をどうにも昇華できずにいた。


「……でも、あれだよな?」


 オルクが恐る恐る話しかけてきて、マールはじろっと彼を睨みつけた。赤髪の少年は、ちょっと肩を竦めたが言葉を続けた。


「俺、王宮に行けば、もっとマールに会えるもんだと思ってたけど……。なんだかんだ忙しいし、王宮は広いしさ。ちっとも会えねえのな、あそこに居ても」


 ぽりぽり頭を掻いている。マールは呆れた。


「……あんた、何しに王都に行ったのよ」

「なにって、そりゃあ……」


 少年の顔が、一気に髪の色に近くなった。


(……ん?)


 怪訝な顔になったマールを見返して、オルクは慌てて視線をそらした。

「さっ、サタケはほら、忙しそうだろ? いつもマールのこと見てられる訳じゃねえだろうし……。それに、王宮って、男ばっかりじゃん? マール一人じゃ、何かと危ねえと思ってさ──」


 マールは呆れ返って天を仰いだ。


「あんたって……。ほんっとーにいつも、そればっかりね」

「わ、(わり)いかよっ! だって心配じゃん! 王都の男どもなんて、酒場で夜遊びだのなんだの、し放題だって母さんも言ってたし! お(ばば)さまだって、そういう風にはしてねえけど、ほんとはマールのこと、すんげえ心配してんだかんな!?」


 オルクの突然の剣幕に、マールは目をまるくして沈黙した。急に怒り出した幼馴染を、ただびっくりしたように見返すばかりだ。


「マールがいくらサタケのこと好きだってさ! だからってサタケがいつもいつも、マール守ってくれるわけじゃねえんだかんな! だってサタケはっ……!」


 言いかけて、オルクは急にはっとなって口を(つぐ)んだ。

 マールは(みどり)の瞳を見開いて、ひたと幼馴染の顔を睨みつけた。


「サタケは……なに?」

「……う。な、なんでもないよ……」


 マールは板敷の床の上に四つ這いになると、急に体を固まらせて黙り込んだオルクのほうへ素早く近寄った。


「言いなさいよ。なんて言おうとしたの? オルク」

 ぐっと顔を近づけ、凄まじい目で覗き込む。

 オルクは明らかに顔色を失っていた。


「え……えと……」

「オルクッ……!!」


 その瞳が、翡翠の炎を吹き出したようだった。

 マールが小さな拳を振り上げるに及んで、オルクは自分の頭を庇うように手をかざした。


「わああっ! だから! サタケは、あのナイトウって人のことっきゃ考えてねえっつうの!」


 マールの拳は、オルクの額の上でぴたりと止まった。

 ひとたび言い出してしまったら、今度はオルクの口は逆に、まったく止まらなくなったようだった。


「あの人さえ取り戻したら、サタケなんて、元の世界に帰っちまうだけじゃんか! だって、そのためにここに来たんだろ!? それであんなに頑張ってるんだろっ……?」

 オルクは目をつぶったまま、口の動くに任せて夢中で言いまくった。

「それにっ、もしほんっとにサタケがマールのこと、好きになってくれてもだぜ? いつか向こうの世界に帰っちゃうのに、マールにそう言うと思うのかよ!? あのサタケがっ……!」


 マールの振り上げた拳が、ぴくりと動いた。


「マールがどんなに想ったって、どうせ……どうせっ……!」

「…………」


 マールはしばらく、石のように動かなかった。

 やがて、振り上げていた拳がのろのろと下にさがった。


「……?」

 オルクが頭を庇っていた手を下ろして恐る恐る見返した。

「あ……」


 少年は、幼馴染の少女を凝視して、もう顔いっぱいに「しまった」という色を浮かべていた。

 ……が、もう遅かった。


 少女の翡翠の色をした大きな瞳から、その色をうつしたような大粒の雫が、あとからあとから零れだしていた。





 少年王ヨシュアとそのお付きの侍従長、および「<白き鎧>研究班」の面々がようやくミード村に到着した時、日付はとうに変わっていた。


 一同は村の中央広場で解散し、ヨシュアは侍従長の男を伴って、ルツの家の離れへと歩いていった。ゾディアスとヨルムスは所用がまだあるとかで先に宿舎に戻り、ディフリードと佐竹が護衛がてら、ヨシュアの後ろからついていった。

 と、そろそろ離れの建物に到着しようという所で、いきなり小さな人影がその入り口から飛び出てきた。地面から少し高い位置の入り口から、下におろした小さな梯子を一足飛びに飛び降りてくる。


「え……?」

 ヨシュアが驚いてその影を見つめた。ディフリードと佐竹は、素早く少年王を守るようにその前に立ちはだかる。

「何者!」

 松明を掲げた侍従長が誰何すると、人影はびくりと足を止めた。

 マールだった。


「マール……? どうした」


 訊ねた佐竹が、その顔を見て言葉を呑んだ。ひどい泣き顔のマールは、佐竹を見ると一瞬だけ驚いたようだったが、その顔をさらにくしゃっと歪めて、くるりと踵を返し、一目散に駆けて行ってしまった。


「あっ! こら、お前! お勤めを放り出して、どこへゆく……!」


 侍従長が厳しい声で呼び止めたが、まるで聞く耳などもたない。あっというまに姿が見えなくなってしまう。

 と、マールのすぐ後から、オルクが入り口まで出てきて叫んだ。


「マール! ……っと。ああ、ヨシュア……!」

 すぐに眼下にヨシュアらを見つけて、困った顔になる。

「ご、ごめん……! ちょっと──」

「陛下はどうぞ中へ。自分が」

 言って佐竹が行きかけようとすると、オルクが慌てて叫んだ。

「ダメだ! サタケはだめだ、行かないでくれよ!」


 佐竹が怪訝な顔で足を止める。ディフリードが、ちらりと両者の顔を窺って、何かを察したようだった。


「……わかった。では、私が行こう」

「え……」


 オルクが一瞬、言葉をなくす。

 佐竹に行かれるのも都合が悪いが、かと言ってこうなるのも、彼としてはなにやら困る理由があるようだった。


「陛下は先にお休みください。かの者は、わたくしが連れ戻してまいりますので」


 にっこりと妖艶な笑みを浮かべて言う将軍を、オルクはぎろっと睨みつけた。


「閣下ひとりで? あっぶねえ……」

「おやおや。聞き捨てならないね」


 思わず口から転がり出たらしいその台詞に、ディフリードはきらりと瞳をきらめかせた。もちろん、顔は笑ったままである。


「それはどういう意味かな? 少年」


 ディフリードは手袋をした手を頬のあたりに添えて首をかしげる、いつもの仕草で微笑んでいる。


「あっ、す、すみません……。でも──」


 うまく理由は説明できないらしかったが、やっぱりオルクは困り果てた様子である。

 ヨシュアがそんな一同を見回して、ちょっとため息をついた。


「……わかった。それでは、私も同行しよう」

「え? ヨシュ……陛下が??」


 驚いたオルクを、ヨシュアは平然と下から見上げた。


「構わないだろう? 彼女は私の、この村での大事な世話係なのだから」

「いえ! とんでもないことでございまする! あのような者のために、陛下がわざわざそのような……! それぐらいならば、この私が──」


 侍従長の男が憤然と言いかけるのを、ヨシュアは珍しく、ぴしりと片手を上げて制した。


「ディフリードが一緒なら心配いらぬ。……そうであろう? ディフリード」


 美貌の将軍は、その少年王の顔を見て、ほんの僅か意味ありげな笑みを浮かべたが、黙って(うやうや)しく頭を下げた。



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