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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第三章 黒の王
92/141

13 慟哭 ※

※ R15に相当する、残酷表現を含みます。どうぞご注意くださいませ。


 サーティークの目には、それがひどくゆっくりと見えた。


 青年兵が無造作に振り抜いた刀は、王太后の体を袈裟に切り裂いた。

 頚動脈をも切り裂かれたその体から、真っ赤なものが噴き出して、彼女の体はずるずるとその場に崩れ落ちた。最期の瞬間まで、彼女自身にも、何が起こったのかは分からなかったに違いない。


「お、……お母様っ……! い、やああああああ────!!」


 布を引き裂くような悲鳴がレオノーラの喉からほとばしった。自分の体のことも忘れて、夢中でヴィルヘルミーネの体を背後から支え、その顔を覗きこむ。


 母は、すでに絶命していた。

 その瞳はもはや碧玉としての光しか宿しておらず、どこを見てもいなかった。

 青年兵は血刀を下げて、ぼんやりとその前に立ち尽くしていた。


「きっ、……さまアアァッ……!」


 次の瞬間、サーティークはバシリーを突き転がし、母のもとへと駆け寄った。間髪いれず、持った刀を一閃させる。

 青年兵の胴体が、一瞬にして横薙ぎに両断され、べしゃりとその場に転がり散った。

 噴き出した熱い血潮をまともに浴びて、サーティークの顔面が血に染まる。

 レオノーラを囲んでいた兵たちが、慌てて剣を構え直した。


「来い! レオノーラ!」

 叫びながら、彼女に手を差し伸ばし、サーティークが彼らに向き直ったとき、はっと目を見開いてマグナウトが叫んだ。

「若ッ!」

 途端、どすっと、背中に衝撃が走った。

「く……!」


 見返ると、バシリーが全身の重みでもって、匕首を自分の背中に突き立てているのが見えた。

 思わずその場に片膝を突いたところを、すかさず老人と数名の兵が覆いかぶさるようにして動きを封じた。老人が、レオノーラに槍を突きつけていた金属鎧の兵に怒号を浴びせる。


「何をしておる! 早う、王妃様をお連れ申せっ……!」

「は……はは!」

 怒鳴られた兵は慌ててレオノーラの腕を取り、彼女を引きずるようにして<鎧>の入り口へと歩き出した。

「い……、いや! いやああ! サーティーク様あぁっ……!」


 レオノーラが恐怖に顔をひきつらせて、しかしなす術もなく兵に引きずられてゆく。それでも必死に、膨らんだ腹部だけは庇おうと、虚しくそこを片手でおさえたままだった。

 マグナウトも侍女の少女も、周囲の兵らに羽交い絞めにされ、動きを封じられて動けない。

 レオノーラが入り口まで到達したのを見計らって、バシリーは他の兵らの下から抜け出し、サーティークから離れて、素早くそちらに駆け寄った。サーティークも背中の痛みなど物ともせずに、残った兵らを跳ねのけて起き上がる。途端、周囲のほかの兵たちが、ばらばらっと駆け寄って行く手を阻んだ。

 いまや、総勢、六名ばかりに囲まれている。

 サーティークは容赦なく、目の前の兵らに斬りかかった。


 一人目は瞬時に首を飛ばされ、首のない胴が膝をつき、そのままそこにくず折れた。

 二人目は両腕ごと槍を奪われ、奇妙な声を上げてその場にへたり込んだ。

 三人目は頭部を綺麗に縦真半分に割られて血しぶきと脳漿(のうしょう)を吹き上げ、それでもしばらくは意識があったが、「あれ?」とひとこと言ったあとは絶命した。


 そうする間にもバシリーは、手にした匕首からサーティークの血糊を指先に取り、老人とは思えぬ素早さで<鎧>の入り口の石版に押し付けていた。

 次の瞬間、何もなかったはずの岩壁に、ぼかりと通路が開いて、レオノーラを連れてきた金属鎧の兵はあっと驚いた。バシリーはレオノーラの腕を掴み、素早く中に走りこんだ。


「レオノーラ! 貴様ら、どけっ!……どかんかあッ!!」

 あと三名ばかりの兵どもを次々に斬り伏せながら、サーティークが絶叫する。

「う……おおおおおッ!!」

 そこいらに、兵どもの頭や足、腕などが斬り飛ばされて跳ね散った。

 兵らの悲痛な断末魔が、木々の梢に(こだま)した。


「レオノーラ──……!」


 だが、その叫びも虚しかった。

 彼が残りの兵すべてを血祭りにあげて扉に辿りついたときにはもう、それは何事もなかったかのように消えうせていた。





 <鎧>の外は、しばし、恐ろしい静寂に支配された。

 生き残った兵や重臣らはすでに逃げ散ってしまい、残されたのは宮宰マグナウトと侍女の少女、そして物言わぬ王太后はじめ、血塗れになって転がった兵らの(むくろ)だけだった。


 サーティークは勿論、すぐに我が血で扉を開こうとした。しかし、<鎧>の扉はうんともすんとも言わなかった。

 これまで、二人以上の王が相次いで扉を開いたためしなどない。

 <鎧>の機能として、このような状況を想定していないからなのか、或いは一定の危機的状況を避けるためなのかは分からないが、一度王によって開かれたその扉は、ある程度の時間を経なければ、外から再度開くことは叶わないらしかった。

 結果的に、それが最悪の事態をもたらすことになった。


 ようやく扉が開いたのは、レオノーラとバシリーがその中に消えてから、優に一刻は過ぎ去ってからのことだった。

 マグナウトと侍女の少女を伴い、サーティークは<鎧>に入った。

 内部はしんと静かなもので、物音ひとつしなかった。

 その暗い産道のような通路を進むうちに、どうにも間違いようのない、吐き気をもよおすような異臭がし始めて、サーティークは侍女の少女にだけ、そこで待つようにと命令した。


 サーティークはその時すでに、ある程度の覚悟は決めていた。

 しかし。


 それでも、その場の惨状は、言葉にできるものではなかった。


 <鎧>の中央制御室は、まさに血の海だった。

 その中に、二人の人物が倒れていた。

 一人はもちろん、レオノーラであり、もう一人はバシリーである。

 ふたりとも、既にこと切れていた。


 バシリーはどうやら自害したらしく、首もとの刀傷による失血死のようだった。その顔には、絶望と落胆の色が濃かった。目も口も大きく開いたまま、先ほどの匕首を握り締め、虚空を恨めしげに睨んだような顔で絶命している。

 レオノーラは、初めからそういうドレスを着ていたのかと思われるほど、胸から下が真紅に染まった状態だった。涙まみれのその顔は、この地獄絵図の中にそれだけがたった一つの救いであるかのように、まるで眠ったように安らかに見えた。

 その腹部には、先ほどまでの豊かな膨らみは見えなかった。

 この場で何が行われたのか、それは火を見るよりも明らかだった。


 サーティークは、そこまでどうやって歩いたのかを覚えていない。

 気がつけば、血まみれのレオノーラを力の限り抱きしめて、血だまりの中に(ひざまず)いていた。細身のレオノーラの体はもう、氷のように冷たかった。

 その肩口に顔を(うず)めて、血が出るばかりに奥歯を噛み締めた。


 ……そして、吼えた。


 喉も裂けよとばかりに、天に向かって吼えた。

 狭い<鎧>の部屋の中に、獣のような叫びが満ち溢れた。


 そして再び、静寂が訪れた。


 どのぐらいの時間、そうしていたものか。


 壁の制御版では、あの揺らめく古代文字が、ちらちらとまだ光っていた。

 それは、いつも目にするあの<儀式>の成否を示していた。

 マグナウトが震える足でそろそろとそちらに近づき、表示にじっと目を凝らした。

 そして、ただ沈痛な面持ちで、ゆっくりと首を横に振った。

 「王太子」はこの世の日の目を見るより先に、<鎧>の中で崩御していた。

 そして<鎧>は、彼の代わりとなる誰かを、再び異界から呼び出せとばかりに、しきりと次なる命令を待つようだった。


 その盤面を睨み据えたサーティークの顔を見て、マグナウトは息を呑んだ。

 その御歳にして初めて、彼は血の涙を見たのだという。

 そのようなことは、どうでもよかった。


 サーティークはレオノーラの体に自分のマントを着せ掛け、そっと床に寝かせて立ち上がると、盤面に無造作に歩み寄った。

 そして、力任せにそこをぶッ叩いた。

 何度も、何度も、無言のまま、拳の骨も砕けよとばかりに殴りつけた。

 何で造られているものか、それはそれほどの事をしてさえ、一筋の(ひび)も入らなかった。

 やがて、遂に見かねた老人に止められるまで、サーティークはそこを殴り続けた。


 呼吸も苦しいほどに咳き込みながら、サーティークはよろめくように、再びレオノーラの躯の前に戻った。そして静かに彼女を抱き上げ、無言のままに<鎧>を出た。

 見るも無残なレオノーラの姿を見て真っ青になった侍女の娘が、気を失って足元に転がったらしかったが、それも目には入らなかった。


 真紅に染まったドレスをマントに包まれ、蒼白な顔色になった妻を抱えて、サーティークは森を歩いていった。

 森は静かで、先ほどとなんら変わらなかった。

 木漏れ日はひどく優しく、失われた(ひと)相貌(かお)の上を撫でていた。

 鳥たちは平和そのものの歌声で鳴き交わし、近くを流れる小川からは、陽気な水音が耳に届いた。

 木々の匂いと草の香りが、異なる世界へと旅立った人を、優しく送り出してくれているかのようだった。


 すでに涙を拭ってやったレオノーラの顔は、ちょっと見るだけならば、ただ眠っているようにも見えた。

 だが、それはもう、もの言わぬ人の顔だった。

 もう二度と、その笑顔を見ることも出来ない。


 しでかしてしまった粗相のことで、真っ赤になって謝ることも、

 少し恥ずかしそうな小さな声で、

 自分を「サーティーク様」と呼んでくれることも、

 もうないのだ。


 もう、二度と――。


 既に山の()よりも遥かに高くあがっている紅の太陽を、

 サーティークはそれよりも赤い、血涙の瞳で睨みつけた。


(……許さん)


 決して、許さぬ。

 

 必ず、壊す。

 壊し尽くす。

 どんな手を使っても、必ずお前らを壊し尽くしてみせる。


 貴様らのような呪いの産物、この地から必ず一掃せしめる。

 それを邪魔しようなどと言う者がいるなら、誰であろうと薙ぎ払う。


 この国の狂信者も、

 その狂信者の権化たる、北の愚か者どももだ。


 この地に、<鎧>など要らぬ。


 すべて滅ぼす。


 たとえ、この命に代えようとも――。





 内藤は、窓の(さん)に突っ伏して、今にも漏れ出そうな嗚咽を懸命に堪えていた。

 必死に口許を覆っていなかったら、とっくに大声で泣き喚きそうになっていた。


 隣にいるサーティークは、黙ってそんな内藤を眺めている。

 彼はひたすらに静かだった。

 話をしている間もずっと、全てをただ、淡々と語っただけだった。

 そこには涙も、嗚咽も、悲しみの表情さえも存在しなかった。

 それは、まるで誰かの、どこか遠くで起こった出来事を話しただけのようにさえ見えた。


 しかし。

 これは、この人の身の上に、実際に起こったことなのだ。

 目の前で、そんな(むご)いやり方で、愛する人と、まだ生まれてもいなかった、小さな我が子を奪われたのだ。

 それもただ、<鎧>を狂信する人々の暴走の結果として。


「……何度も言うが」


 サーティークの低い声は、多少、呆れた色を滲ませている。

 少し苦笑していることさえ、見ている内藤にはつらかった。


「お前が泣くことはない――」

「無理、ですよっ……!」


 思わず叫んだその声が、もう涙に紛れてしまった。

 そんな内藤を見つめて、サーティークが笑みを深くする。


「……だが、礼を言うぞ。ユウヤ」

「……?」


 不思議に思って目を上げると、サーティークは少し嬉しげな瞳でこちらを見ていた。


「俺の妻子のために泣いてくれたこと……感謝する」

「っ……!」


 静かに一礼する黒髪の王を、内藤はもう、涙なしに見返すことなどできなかった。



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