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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第三章 黒の王
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12 王殺し


「根拠は、なんだ?」

「……む?」


 底知れぬ()()()()老人の目が、不思議そうに青年王の静かな顔を見返した。


「根拠はなんだ、と訊いている。そこまで『真理』のなんのと言うからには、それ相応の根拠があろうな? 余人の誰が聞いても(うけが)うような、こと明らかな根拠が?」

「こ……根拠、……すなわち、父祖よりの──」

 言いかけた言葉を、サーティークはすぐさま遮った。

「父祖よりの言い伝えだからと申すのか? 伝統であるから守るべきだと? <儀式>を行なわなかったことなど一度もないのに、なぜそれで、即座に世界が滅びるなどと分かるのだ?」

「ぐ、ぬぬ……」

 言葉を失った老人の額に、ぷつぷつと冷や汗が滲み出るのがはっきりと見えた。

「俺はこの一年、この<鎧>を調べてきた。文官どもに、古代文字を解読させてな。なるほど、<鎧>の言い伝えのすべてが出鱈目(でたらめ)なわけではない。確かに、事実だったところもある。しかし――」

「だ、黙らっしゃい――!」


 サーティークはもはや、バシリーの言葉など聞いてはいなかった。むしろ今は、わが手で首を締め上げている老人にというよりは、周囲の人々に聞かせるようにして言い募っている。


「我ら王族が<儀式>を行なわねば世界の均衡が崩れる、世が滅びる。これだけは、あいにくと眉唾だな、ご老人。これだけには、どうにも根拠が見いだせん――」

「や、……やかましいッ!」

 バシリーの声は、もはや悲鳴だった。

「こ……の、鬼子めが! 王族の裏切り者めが……! 父祖より連綿と続く、この王国の気高き伝統に……よくも後足で泥を()ね掛けるような真似をっ……!」


 老人の舌鋒が鋭くなるにつれて、サーティークの目がどんどん細められる。

 そこに凶暴な光が宿り始めて、周囲の兵らは明らかに恐怖の色を瞳に浮かべた。


「昨日今日、生まれたような若造にっ……! この世の(ことわり)の、一体なにが分かろうか!? お父君をご覧あそばせ! あのように最期まで、父王ナターナエル公の、なんとご立派であらせられたことかっ……!」


(なにを──)


 父の名がその口角泡だらけの口から飛び出た途端、サーティークの目に憤怒の炎が燃え上がった。

 

 ちがう。

 立派だったのは、宗之だ。

 父ももちろん、最期まで立派な王だったことだろう。

 ……しかし。


 異界から無理やりに呼び下ろした無辜(むこ)()の人に、

 あのような思いをさせてまで――。



 この男は、知らないのだ。

 自分がすでに、それを知っていることを。

 あの最後の数年間の父王が、もはや本物の父ではなかったことをだ。


(それを今、この土壇場で臆面もなく──)


 そんな卑怯な話があろうか。

 血の繋がった息子をすら(たばか)って、父をすり替えておきながら……!


 それもこれも、ただあの<鎧>の儀式を完遂させんがためにだ。


 サーティークの腹は、ぐらぐらと煮えた。

 出来ることなら、この場で洗いざらいぶちまけてやりたかった。

 皆の前で、事実を暴露してやりたかった。


 ……だが、それはできなかった。

 それでは、宗之の、あの最期の命懸けの思いを無にすることになる。

 今、隣には、母がいるのだ。

 事実を何も知らずに、最期まで彼を国王本人だと信じていた母が。


 宗之は、誰よりも、何よりも、

 ああしてこの母の心を守ってくれたのだから。


 自分がそれに対して一片の感謝なりとも示すことができるとするなら、

 それはただそのことを、死ぬまで母に黙っていることだけなのだ。

 サーティークは一瞬だけ目をぎゅっと閉じてから、再びかっと見開いた。


「……それ以上申すな。バシリー」


 ぎりぎりと噛み締めた歯の間から、腹の底に響くような声で言う。

 あまりの怒りのために、むしろすべての感情が抜け落ちたかのような声だった。

 だが、老人は黙らなかった。


「この世の安寧を脅かし、これを怠るような暗愚の王など、我らには必要ない! ええい、もう構わぬわ! 者ども、殺せい! この王を殺すのじゃ……!」


 その言葉を聞いて、周りを囲んだ兵たちはざわっと身を(すく)め、互いの顔を見かわした。金や地位を餌に集められた連中でも、明らかにそんなことまでは「契約」のうちに入っていなかったらしい。

 「王殺し」は、この王国に住む者にとって、当然ながら最大級の禁忌だ。

 ましてやノエリオールには、北の敵国フロイタール以外の隣国もない。

 「他国に逃げる」という選択肢が、そもそもないのだ。

 罪に問われ、もしこの国を追われたら、行きつく先は死か地獄だ。


 一方、家族の命を質に取られている者は、ただ、呆然としているばかりだった。彼らは得物をだらりと下げて、真っ青な顔でことの成り行きを見守るばかりである。

 重臣の文官らでさえ、自分たちの頭目の言葉に驚いた様子を隠そうともせず、しばらく口をぽかんと開けていた。


「バ、バシリー閣下……? いえ、それでは……!」


(こやつ……)


 サーティークも、バシリーの言葉に奇妙な違和感を覚えていた。

 自分を殺して、この老人は一体どうやって、<儀式>を完遂するつもりでいるのだろう……?


 たまらなく嫌な予感が、先ほどからサーティークの頭の中で激しく警鐘を鳴り響かせている。だが、残念ながらまだその理由を、しかと捉えきってはいなかった。

 と。


「待ってくれよ……。『王殺し』なんて、冗談じゃねえ……!」


 下卑た顔をした兵の一人が吐き捨てるようにそう言って、周りにいた他の兵らも同様にして頷きあった。


「だ、だよな……? 金やら地位やらの問題じゃねえや!」

「大体、『道を誤った陛下の目を覚まさせる』とか、言ってたんじゃねえのかよ、あんた……!」

「俺ら、こんな話は聞いてねえ!」

「下りた、下りた……!」


 言うなり、ざざっと踵を返して、さらに幾人かが馬に飛び乗り、来た道を一目散に駆け去っていった。

 今や、バシリーの側に残った者は、重臣の文官三名を含めて、やっと十名ほどになっている。いつの間にか、随分と相手側の頭数は減っていた。残った者らも、きょろきょろと互いの動向を窺いあう風である。


 マグナウトは、すでに女性三人の戒めを解き終わり、身重のレオノーラに手を貸して立ち上がらせているところだった。王太后ヴィルヘルミーネと侍女の少女も、互いに手を取り合うようにしてどうにか立ち上がっている。

 彼女らに槍などを突きつけて取り囲んでいる兵たちも、見るからに浮き足立っていた。それぞれ、どうやら自分の行動を決めかねているらしい。それはその表情からありありと窺われた。

 とはいえ、彼らはさすがに「<鎧>信仰擁護派」の中核に近い立場であるらしく、戸惑いつつもその剣先はしっかりと、マグナウトと女性たちに向いていた。

 バシリーはそれらの状況を見て、もう地団太を踏まんばかりだった。


「ええッ、不甲斐ない者どもよ……!」


 サーティークは白刃を老人の首筋にぴたりと当てたまま、口角を引き上げただけの作り笑いを貼り付けて、静かな声でその耳に囁いた。


「お仲間は、幸いどうやら貴公ほどの熱意はなかったようだな。……どうする? もうこのあたりで諦めぬか」


 今、目の前に残った人数ぐらいなら、自分一人でもどうやら退けられぬこともない。

 そもそも、すでに戦意を喪失しかかった相手など、この自分の敵ではなかった。

 サーティークは敵の兵力を冷静に値踏みしつつも、胸中に広がりかけた安堵によって集中力を切らさぬように、自分を律していた。そうして、残った兵らの目を一人一人、殺気の籠もった眼光で睨みつけてゆく。

 そうやって睨まれただけで、「ひいっ」と声にならない喉声をあげて、一人、また一人と、兵がその場から逃げ去った。

 形勢は明らかにこちらに有利に傾きかけていた。

 しかし。


「そ、そこな者ッ……!」


 急にバシリーは元気づいたように、先ほどから真っ青な顔をして震えている、一人の青年兵の方を見やった。

 青年が、びくりと目を上げた。それは、先刻サーティークが下馬するときに、申し訳なさげに懇願してきた兵だった。


「そ、そなた、分かっていような……? ここで逃げなどすれば、そなたの大事な者らがどうなるかッ……!」


 言われて、ぎくっとその体を竦ませたところを見ると、サーティークが予想していた通り、青年はバシリーたちから、家族を質に取られた口であるらしかった。

 彼にしてみれば、ここでバシリーにつこうがサーティークにつこうが、はたまた逃げてしまおうが、いずれにしても家族の命の保証などない。あまりの極限の選択を迫られ、感情を(さいな)まれすぎて、その思考はすでにどうにかなりそうになっているようだった。

 彼の内面を裏打ちするかのように、彼の足は先ほどから、ずっとがたがたと震えっぱなしだ。その混濁した精神をさらにかき混ぜるように、バシリーが不快な声で雄叫びを上げた。


「そなた、申しておったではないか……! 生まれたばかりの赤子と妻を、どうあっても守りたいのだと! そのためには、<鎧>の儀式をどうあっても王に続けていただかねば困るのだと……!」

「…………」


 青年兵は青白い顔に冷や汗を浮かべて、定まらない視線をあちこちに投げている。両手で構えている刀の先は、あきらかにぶるぶる震えていた。


「……そなた。王妃殿下を<鎧>の入り口までお連れ申し上げい」


 バシリーが、サーティークの(やいば)が己が喉にぴたりと当てられていることなど歯牙にも掛けぬ様子で静かに命じた。まるでそれが、当然の要求であるかのような声音だった。

 青年兵がおどおどと目を上げ、サーティークとバシリーを、そしてレオノーラの顔をかわるがわる見やった。


「……早うせい」

 バシリーの声は、有無を言わさぬ響きを帯びていた。

「ひ……」

 レオノーラが侍女やヴィルヘルミーネと抱き合うようにして、小さく悲鳴を上げる。

 マグナウトも彼女らを守るようにしてその小柄な体を前に出した。彼らを囲んでいる兵士らは、相変わらず槍や長剣を彼らに突きつけたままである。


「よせ。何を考えている」


 サーティークが静かだが威圧するかのような声で制した。

 自分ではなく、レオノーラを<鎧>の入り口に行かせる、その意味は一体何か。

 いずれにしても、ろくなことでないのは明らかだった。

 青年兵は、しばらく蒼白な顔で何かを考え込んでいたようだったが、やがてのろのろと足を動かし始めた。その目には、もうほとんど理性の光は見えなかった。


「ちっ……!」


 どうやら思考することを放棄したらしい。サーティークは舌打ちした。

 青年兵は、ゆっくりとレオノーラに近づいてゆく。


「やめよ! 動くな、貴様……!」


 が、サーティークの声は、青年の耳には届いていないようだった。青年は、もはや幽鬼のような足取りでレオノーラたちに近づいてゆき、その前に立った。


「……申し訳、ありません……王妃様」


 もはや声まで、この世の人のもののようではなかった。「こちらへ」と、やはりのろのろと片手を上げる。

 マグナウトとヴィルヘルミーネ、それに侍女の三人がレオノーラを庇うように立ち、青年の手から守ろうとした。レオノーラはもう、両手で顔を覆って全身をがくがく震わせ、倒れる寸前といった様子である。

 やがて周囲の兵の一人が、ぐいとマグナウトの肩を掴んでひきはがした。老人の軽い体は、兵士の腕でつまみ上げられるようにして簡単に押しのけられた。さらにもう一人が、無造作に侍女を引き離す。


「お、王妃さまっ……!」


 侍女も涙と埃まみれの顔で、それでも気丈にレオノーラに手を伸ばした。が、彼女も槍兵の無骨な金属製の手甲の手で、あっけなく距離をとらされた。

 最後に王妃の傍に残ったヴィルヘルミーネが、「梃子(てこ)でも動かぬ」という気概を()めた凄まじい目でバシリーを睨み、レオノーラの前に立ち尽くしている。女性にしては上背があり、豪奢な色合いの髪を高く結い上げた姿は、誰が見ても誇り高いこの国最高位の女性であると分かるほどのものだ。

 凛としたその声が、静まり返った森に響き渡った。


「このわたくしを、王太后と知って手を触れるつもりですか? 誰であろうと許しませんよ」


 彼女の目には、一粒の涙もなかった。

 その代わりに、あるのは燃えるような怒りと決意の炎であった。


「王妃は、わが娘も同然のお方です。この方に、そのような穢れた卑しき手を掛けると申すなら、まずはこの私を殺してからにするがいい!」

 その言葉を聞いた途端、サーティークの目がぎらっと光った。

「母上――」


 言いかけたサーティークの顔を、「黙りなさい」とばかりに睨み返して、王太后は再び、目の前の青年を睨み据えた。


「さあ、そなたら如きに、そこまでする覚悟がおありか? どうなのじゃ?」

「…………」


 青年兵は、その声を聞いて少し項垂れた。

 しばし、息詰まるような沈黙が流れた。

 が、青年はやがて、手にした得物を握りなおして、むしろ落ち着き払ったような声で言った。


「……お許しください、王太后殿下」


 そこには、何の感情も表れてはいなかった。


(いかん……!)


 その目がもはや、目の前の誰も見ていないことに気付いて、サーティークは叫んだ。


「母上、お逃げを──!」


 が、母は動かなかった。

 手を広げ、相手を見据えてレオノーラの前に立ちはだかっていた。


 じわじわと、その得物が上へと上がっていく。

 青年の口から、朦朧としたようなふわふわした声が洩れ出た。


「おっしゃる通り、わたくしは、あなた様に比べれば虫けらのごとき者……。ですが」

「やめろっ……!」


 サーティークの叫びも、虚しかった。


「たとえその様な者にでも、妻もあれば、子もあるのでございます──」


 そうして。

 あっけないほど簡単に、その刀が振り下ろされた。



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