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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第三章 黒の王
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11 人質


 一団の騎馬隊が、葬列のような静けさで山道を進んでゆく。

 サーティークとマグナウトは騎乗したまま、それぞれ前後を騎馬兵らに囲まれるようにして、黙って<鎧>への道を辿っていた。

 森は既に、朝の光をちらちらと木々の梢から洩れ光らせている。平和な小鳥の鳴く声が、皮肉のように明るく聞こえた。

 宮中伯筆頭バシリーが、貴婦人のつける髪飾りをちらつかせてサーティークとマグナウトの武器を兵に渡させてから、一刻ばかりが過ぎている。二人とも、さすがにその身分を鑑みてか、体に縄を打たれるまではされていなかった。


「そろそろであるな」


 隊の先頭をゆくバシリーが馬を止め、静かな声で言った。後ろに続く兵どもとともに、サーティークとマグナウトも馬を止める。

 バシリーは皆に下馬するように合図を出し、兵らはそれに従って、サーティークにもそうするように促した。怒りの面持ちを崩さぬままに唇を引き結んでなかなか動こうとしない青年王に、若い兵士が申し訳なさそうに下馬を懇請した。


「申し訳ございません……陛下」


 若者の(つら)そうな声は、彼が心ならずもこのような任務に就く羽目になったことを物語っていた。彼をはじめ、周囲を囲む兵どもは抜刀して、サーティークから決して目を離さぬようにしている。

 サーティークは一度かれらをじろりと睥睨(へいげい)してから、沈黙したまま下馬し、先頭にいるバシリーの背中を睨みつけるようにして立ち尽くした。腕組みをして傲然と立つ青年王の傍に、老マグナウトもとことことやってきて、背後に寄り添うようにして立ち止まった。

 老人も、目の前にかざされている白刃など平然と無視している。まるでそこには何もないかのようだ。表情も、平素のものと変わりない。普段、そのようなことを誇る風は一抹もない老人だが、その胆力たるやなかなかのものだった。


 バシリーが兵らに命じ、彼らがしばらくがさがさと、とある岩山の裾にある(くさむら)を掻き分けるようにしていると、突然、くぐもった女の声が聞こえた。

 サーティークがはっと目を凝らす。

 叢に隠されるようにして、女性が三人、そこにいた。見張りの兵が二人、その傍に立っていたようである。

 女性の一人はもちろん、レオノーラである。彼女は大きなお腹を庇うようにして後ろを向き、そこに座り込んでいる。その傍に同じようにしゃがみこんでいるのは、彼女付きの侍女の娘だ。どうやら、道中のレオノーラの世話のために、一緒に連れてこられたものであろう。

 そして、あとのもう一人は。


(母上……!?)


 我が目を疑うとはこのことだった。

 あろうことか、この者どもは、王妃と王太后を両人とも(さら)い奉ってきたというのか。

 もはや、狂気の沙汰というにも余りある暴挙だった。

 いや恐らくは、たまたまその場にいた母が「自分も連れてゆけ」と無理にもついて来たというのが実際のところなのだろう。あの気の強い母ならば、十分あり()る話だった。


 三人は手首を後ろ手に縛られており、それぞれ大声を上げないようにと猿轡を噛まされている。みな、ドレスの裾は泥に塗れていた。

 レオノーラは怯えきって顔色を無くしており、結い上げた橙色の髪はその頬に乱れかかって、侍女とともにがたがたと震えていた。

 ただ一人、王太后ヴィルヘルミーネだけは、鼻先に槍の切っ先を突きつけられていながらも、今なお生気を灯した強い瞳で、自分たちを拉致した兵らを恐ろしい眼光で睨みつけていた。豪奢な色味の金髪に明るい碧玉色の瞳をした王太后は、このような状況下にあっても、その気高く誇り高い気質は少しも損なわれてはいないようだった。

 やがてサーティークの姿を認めた途端、周囲を見回していたその目がはっと見開かれた。ヴィルヘルミーネが体をよじって、震えている二人に注意を促すと、レオノーラも恐るおそるこちらを向いた。

 サーティークと目が合ったとき、猿轡の奥から掠れたような悲鳴が上がった。驚きに見開かれた目の周りは、涙と土埃でどろどろに汚れていた。必死にこちらに向かって首を振り、「来てはいけない」と訴えているようである。


 サーティークの奥歯がぎりぎりと(きし)んだ。

「よくも貴様ッ……このような……!」

 女性たちの前に立っていたバシリーが、ゆるりとこちらを振り向いた。

「おお、どうぞ陛下、お静まりを」

 それは、いやに穏やかげな声だった。

「何ごとも起こりませぬよ。陛下が例年どおり、何ごともなく<儀式>をお務めくださりますればのう……」

 王宮の廊下で雑談でもするような調子で、平然と言ってのける。

「その後は丁重に、皆様を王都へとお送り申し上げまする。この爺いの望みは、ただそれのみでござりますれば……」


 その声には、なんの気負いも、穢れもなかった。だが、それが(かえ)って、聞く者の心を萎えさせるような力を含んでいた。狂信者というものは、得てしてこういうものなのかも知れなかった。


(そもそも、こやつ……)


 今年一年をそうして乗り切ったところで、来年からはどうしようというのだろう。レオノーラの産んだ子供がある程度大きくなるまでは、とてもサーティークの後を継いで<儀式>など行なわせるのは不可能だろうと言うのに。

 まさかとは思うが、来年は来年のバシリーが、そして再来年には再来年のバシリーが、既に何人も用意され、待機しているとでも言うのだろうか……?

 背筋に思わず寒気を覚えて、サーティークは眉を(しか)めた。


 ……そこまでか。

 そこまで、この国の人々は、<鎧>に精神(こころ)を蝕まれているというのか。

 こんな数百年にも亙る世迷言(よまいごと)に、理性を惑わされているというのか。

 こうして人の命を盾にしてまで、王に<儀式>を強要するほどに。


(……愚かな)


 いったいいつまで自分たちは、

 あの「兄星」の犯した罪を、こうまでして(あがな)わねばならないのか──。



 そんなサーティークの、ある種絶望にも似た思いを読み取ったかのように、バシリーは静かな微笑を浮かべて見せた。

()()が終わりさえ致しましたら、わたくし如きの命など、いかようにもなさって頂いてよろしゅうござりまする」

「黙れ」

 サーティークはその言葉を遮った。喉奥から搾り出したような声だった。

「俺の前で、命を軽んずるもの言いをするな」

 思わず口を噤んだ老人を、ぎらりと殺気の籠もった瞳で睨み据える。

「……たとえ、貴様の命のことでもだ」


 バシリーは、ほんの一瞬、少し驚いたような目になった。が、王の言葉にはもう何も答えるつもりはないらしかった。そして一礼し、片手をすいと叢の奥へと向け、サーティークに《鎧》への入り口を指し示した。


「どうか、陛下──」

 無言のままにも、明らかに「扉を開けろ」と命令している。バシリーはどうやら、サーティークと共に<鎧>の中へ入るつもりのようだった。

「…………」


 凄まじい眼光で睨み続けている青年王を尻目に、老いた宮中伯は見張りの兵に命じてレオノーラたちを立たせ、<鎧>の前から一旦どかせた。兵らに槍を突きつけられ、追い立てられるようにして、レオノーラがよろよろと歩いてゆく。侍女と王太后は彼女を両側から挟み、庇うようにして歩いていた。

 歩いて行きながらも、レオノーラも母も、じっとサーティークの方を見やるようだった。レオノーラは涙に潤んだ瞳を不安げに揺らしていたが、母は意志の籠もった強い視線で「大丈夫」と言うように、サーティークを見据えている。

 青年王は彼女らそれぞれに頷き返すようにしてから、バシリーに向き直った。


「で? 刃物はどうする」


 <鎧>に入るためには、<鍵>となる王族の血が必要だ。いつもなら指先を少し傷つけて血を絞り、入り口の窪みに押し付けるだけなのだが。

 この状況下で、無造作にサーティークに刃物を渡す馬鹿もあるまい。

 バシリーはひとつ頷くと、少し離れた位置にいるレオノーラたちの側に立ち、彼女らに兵らがしっかり槍や長剣を突きつけているのを確認してから、別の兵らを数名呼んだ。

 彼らは白刃の刃先をサーティークに向けて取り囲み、中の一人が小さな匕首(あいくち)を懐から取り出して、青年王に少し近づいた。


「……申し訳ありませんが、陛下。お手をこちらへ」


 十分に間合いをとりながら、男が用心深く言う。

 サーティークは自分を囲んでいる兵どもをひと渡り見回してから、面倒くさそうに手袋の端を噛んで引き抜き、片手をその男に差し出した。男はそれでも十分注意を払い、そろそろとその親指に匕首の刃先をあてがおうとした。

 ほんの僅かだけ、それが指先に触れたようだった。


 その刹那。


「くあッ……!?」


 男の口から、間の抜けた声が上がった。

 サーティークは男の手首を掴んだかと思うと体を半回転し、片足で相手の足を払って横向きに体ごと跳ね上げた。

 そのまま、力任せに男の体で周囲の兵らをなぎ倒す。

 次の瞬間、虚を衝かれた兵の一人の手を蹴り上げて、あっと言う間に刀を奪い、その場から跳躍した。

 それは、周囲の兵には鬼神のごとき動きに見えた。


「ひ、……いいっ!」


 バシリーが度肝を抜かれ、声にならない悲鳴を上げた時にはもう、サーティークは老人の首元に白刃を当て、片腕で締め上げていた。


(じい)! 来い!」


 そう叫ぶより早く、宮宰の老人はとうにこちらへ移動していた。その年齢を、まるで感じさせない素早さである。周囲の兵らが呆気に取られた一瞬を見逃さなかったのは、文官にしては大したものだった。

 マグナウトは、女性たちのもとに膝を突き、すぐさま彼女らの猿轡と手の戒めを解き始める。

 苦しい体勢からようやく解放されて、レオノーラと侍女はごほごほと()き込んだ。レオノーラの頬は青ざめて、ひどく苦しそうである。


「陛下……。愚かなことを」

 サーティークの手許で、バシリーが落ち着き払った声で言った。

「わたくしが、いまさら(おの)が命を惜しむとお思いか」

「そうは思わん。だが──」

 サーティークは周囲を見回してにやりと笑う。

「果たして、周りの者どもの方はどうかな?」

「…………」


 サーティークの言った通りだった。

 周囲の三十名ばかりの兵どもは、誰もかれも、バシリーがサーティークの手に落ちた途端に腰が引けたようになっていた。

 先ほど青ざめた顔で震えていた兵などは、逆にあからさまにほっとしたように刀や槍を下ろして、ことのなりゆきを見定める様子である。

 金や地位などで雇われたらしい者どもも、明らかに戦意を減退させて、自分の身の振りようをあれこれと思案する表情を見せ始めたようだった。

 バシリーの仲間である重臣三名が、慌てたように彼らに怒鳴りつけている。


「な、なにをしておるのか、貴様ら!」

「はやく、バシリー閣下をお助けせぬか……!」


 おろおろと口を動かすばかりの重臣どもは、自身も相当腰が引けている。自分こそ、今にも逃げ出したい様子が丸出しだった。

 サーティークらから最も離れた位置に立っていた兵のうちの幾人かは、すでに足音を忍ばせるようにして、そっとその場を離れたようだ。サーティークが目の端で捉えただけでも、四、五名はいただろう。

 それらを見て取り、バシリーが慌てたように叫び声を上げた。


「い、いかぬ……! そなたら、いかぬぞ!<儀式>は絶対なのじゃ。どのようなことがあろうと、継続させねばならぬ……!」


 その声は、やはりどう聞いても狂信者のそれだった。

 己の命も顧みず、清らかな使命感に(あふ)れたそれはしかし、この場にあっては(うつ)ろに響くばかりだった。


「でなければ、この世が滅ぶのだぞ! 誰一人、生き残ることすらできぬのだぞ! そなたらの家族も何も、みな死ぬるばかりなのじゃぞ……! それが父祖より我らに知らしめられた真理であるわ! このような愚昧の狂王に、騙されてはならぬのじゃ……!」


 老人の枯れた慟哭は、虚しく森の木々に吸い込まれてゆく。

 しばし、沈黙がその場を支配した。

 やがてゆっくりと、サーティークが口を開いた。


「根拠は、なんだ?」

「……む?」


 怪訝な目で、老人が至近距離からサーティークを見返した。

 

 周りは、鳥の声ひとつ聞こえない。

 森閑とした静寂の中、青年王と宮中伯の息詰まるようなやり取りを、周囲の兵らは固唾(かたず)を呑んで見守っていた。


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