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白き鎧 黒き鎧  作者: つづれ しういち
第二部 第三章 黒の王
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9 呪詛



 先王の崩御したその年の夏。

 サーティークは初めて<黒き鎧>の儀式に臨んだ。

 幸いにも健康を取り戻したマグナウトが同行し、二人であの<黒き鎧>に赴いてその<儀式>を行ったのだ。

 それは、地獄の苦しみと言うにも余りあった。



「ああ……わかります」

 内藤は暗く沈んだ声で言った。ナイトの意識下に閉じ込められていたとはいえ、それは自分にも経験のあることだ。

「あれはほんと……(ひど)いですよね」

「そうだったな。そなたも──」

 サーティークは目を上げると、こちらを見て少し笑った。

「何かつい、お前を見ているとそういうことを忘れるな」


(わあ、何気(なにげ)にひどいよ、この人──)


 内藤は脱力した。

 まったく、一体みんなして自分をなんだと思っているのだろう。

 黒髪の王は、そんな考えなど見透かすように、くすりとしのび笑った。


「なに、褒めているのだろう。そんな顔をするな」

「ほんとかなあ……」


 不満げな顔になった内藤からまた目線を外すと、サーティークはまた夜空を見上げて話を続けた。





 <黒き鎧>から王都へと戻る道中、彼はマグナウトと話し合った。

 サーティークには大きな疑問があったからだ。

 この<儀式>の、真の目的はなんなのか。

 いったい誰が、なんのために、このような<儀式>を必要とし、伝統として取り決めてしまったのか。

 そもそも、あの<鎧>とは何なのか――。


 老マグナウトは、ごく理性的で英明な人である。当然、サーティークの感じているような疑問を、彼自身も長年の間ずっと心に抱えてきていた。彼ばかりでなく、この王国において物事を客観的に見、考えようとする理知的な人々も、同様の疑念を覚えてきただろうことは想像に難くない。


 ただその一方で、この国の民たちや王宮の中にも、もはや「鎧信仰」とでも言うほかはない、ややもすれば狂信的とすら言えるような一派が存在してきた。

 彼らは数百年に(わた)る王国の歴史の中で、その長い年月をかけ、ねっとりと醸造されたような集団だった。<鎧>をなかば神格化し、その<儀式>を行うことこそ人類の、また王家の至上の使命と考えていた。そうしてその当時に至っては、すでに国王に対して当然のように<儀式>の履行を期待し、場合によっては強制さえしかねない勢力ともなっていた。


 事実、数年前、身罷(みまか)った国王ナターナエルに代わり、魔道の力によって異なるいずこかの世界からあの宗之を召喚せしめたのも、その一派の主要な人物だったのだ。

 宮中伯、バシリーである。

 バシリー自身は、マグナウトとそう年も変わらぬ地味な外見の老人だった。一見ごく真面目で多少神経質な以外は、忠誠心のあつい有能な家臣の一人だったと言えるだろう。

 ただその真面目な一面が、年を追うにつれて次第に先鋭化しすぎたのかもしれなかった。彼のものの考え方は、もはや固陋(ころう)と言ってもよかった。


 彼は、<儀式>はもちろんのこと、<鎧>にまつわるあらゆる伝統を非常に重視し、きっちりと執り行うことに異常なほどに執心していた。

 宮中伯筆頭といえば、御前会議を構成する枢要メンバーの第二位である。バシリーはその高い地位に就いて以降、ますます<鎧>や<儀式>への執着の度合いを深めていた。

 その高い地位のこともあり、国王と宮宰マグナウト以外、だれも彼のいう事に口を差し挟むことはできなくなっていたのである。


 やがて、その年の暮れになってレオノーラが懐妊した事実を知ると、バシリー以下「鎧信仰」の面々は小躍りせんばかりに喜んだ。

 これでひとまず安心だ。たとえこの先、若きサーティーク王に何か不測の事態が起こったとしても、我らはその子によって<儀式>を継承してゆくことができる。

 何も言わずとも、彼らの目は雄弁にそう語っていた。


 御前会議の席などで、サーティークはそんな彼らをただ苦々しく見つめていた。

 宗之との顛末もあり、サーティークはもはや、あの<鎧>について懐疑的な思いのほかは何もなかった。もちろん、建国以来何百年も続いてきた慣習を断ち切るのにはただならぬ決意が必要なことはわかっていたし、その時のサーティークにはまだ、そこまでするほどの強い動機も存在しなかった。

 それに、バシリーを初めとする「鎧信仰擁護派」の面々を黙らせるための条件も、まだまだ十分とは言えなかった。彼らを言いくるめるための足場となる情報が、当時はあまりにも少なすぎたのである。

 必要なのは、客観的な事実のみだ。「言い伝え」だの「伝統」だの「妄信」だのは必要ない。必要な情報を十分に集め、検討し、体系化かつ論理化して、彼ら「妄信派」の顔に叩きつける。それ以外に、この「悪習」から離脱する方法などない。


(……もしも)


 と、サーティークは今でも思う。

 歴史に「もしも」などという、甘い言葉が存在しえないとはわかっていてもだ。

 もしもあのまま、何事も起こらなかったのならば。

 自分も歴代の国王らと同様、「自分があの<儀式>に耐えさえすればよいことだ」と、問題をただ据え置いたのかも知れなかった。


 ……だが。

 事は起こった。


 それは、忘れもしない、

 レオノーラが懐妊した翌年、あの夏至の日のことだった。





 その年の夏は、例年に比べても、随分と厳しい暑さだった。

 田畑はあの真っ赤な太陽にじりじりと()かれ、あまりの暑さに家畜も涼しい畜舎に入れられて、放牧される姿を見かけなかった。


 レオノーラの腹はもう随分と膨らんで、順調に臨月に近づいていた。

 大きなおなかを抱えて王宮の廊下や中庭をよたよたと歩く彼女を、周囲の侍女や召使いたちは後ろをついて回っては心配していたものだった。なにしろ、これから母になろうかというのに、彼女の粗忽(そこつ)は相変わらずだったからである。


 ちょっと目を離すとすぐにすてんと転んでしまいそうになる彼女を、サーティークはじめ周囲の皆は、いつもはらはらしながら見守っていた。下々の者たちは、足元をぐらつかせてよろめいたレオノーラをそばに居たサーティークが急いで抱きとめる姿を、よく目にしたものだった。

 そんな時のレオノーラは、顔を真っ赤にしてどもりながら、必死になって若き夫に謝っていた。だがその顔は薔薇色に輝いて、今にも幸せにはち切れそうに見えた。

 結婚当初は少し痩せすぎのようだった体型が、懐妊したことでふっくらと女性らしくなり、レオノーラはそれまでの人生の中で最も美しい瞬間を迎えているようだった。

 その頃には、王太后である母・ヴィルヘルミーネも、可愛い孫の顔を見ることを楽しみに、最愛の夫を(うしな)った悲しみから少しずつ立ち直りかけているところだった。


 サーティークはそんな中でも秘密裡に、マグナウトと共にある計画を進めていた。

 例の「鎧信仰」の一団は、毎年の<儀式>に執拗なまでに固執していたが、その主な理由は、あまり納得のいくものではなかった。

 要するに、その儀式を滞らせることにより「世界の均衡が崩れ、この地が破滅する」からだ、というのである。

 サーティークとマグナウトは、その「信仰」が妄信に過ぎないものであるのかないのかを、この際、検証してみようと計画していたのだ。





「ああ……同じですね。それは、北とも」

 ここまで静かに話を聞いていた内藤が、そこでふと口を挟んだ。

「そう言ってました。こちらの、宰相だったズールっていう人も……」


『<儀式>の停滞は、この世界の均衡を崩す』――。


 あの痩せた老人はそう言って、自分を向こうの世界から(さら)ってきた。その後もずっと、ただただそれを恐れるあまりに、ナイトに対して<儀式>の継続を願い続けていたものだった。

 考えてみればあの老人も、ただあの<白き鎧>にその運命を狂わされた、哀れな人に過ぎないのかも知れない。

 悲しげな目になって夜空を見上げた内藤を、サーティークは相変わらずの静かな瞳で見返している。

 やがてその瞳と同じように、落ち着いた声が内藤に問うた。


「大丈夫か……? ユウヤ」

「え?」

 振り向くと、サーティークはまた少し、逡巡する風だった。

「ここからの話は、そなたには相当、衝撃的だろうと思うぞ。……本当に、覚悟はいいな?」


 すでに何度目かになる確認を、また低い声でされてしまう。

 内藤は少し考えたが、ゆっくりとひとつ頷いた。


「陛下こそ……大丈夫なんですか?」

「ん?」

 怪訝な目で見返されて、内藤は苦笑する。

「だって、それ……。陛下にとって、その……お(つら)い話なんでしょう? もし陛下が辛いんだったら、俺……」


 もしもそうなら、自分はべつに他の人に──たとえばマグナウト翁などに──話を聞いても構わないのだ。むしろ内藤にしてみれば、そのことで最も辛い思いをしたはずの当人から話を聞くというのは、いかにも気の毒な思いがしていた。

 サーティークは、手元に視線を落としてしまった内藤をしばし黙って見つめていた。

 が、やがてほんの少し微笑んだ。


「……いや。むしろ、話させてくれ」

「……!」


 意外な言葉に、内藤は驚いて目を上げた。

 サーティークが静かに言葉を継ぐ。


「あれから、もう八年が経った。……いや、正直『まだ八年しか』と言いたい気分もあるがな。それでも──」


 少し言葉を切り、あの「兄星」を見上げる。


「そろそろ俺も、区切りをつける頃合だ。いつまでも、過去を引きずっているわけにもいかんしな──」


 そうしてまた、その瞳は過去へと戻っていったようだった。





 その年の夏至の日を前に、サーティークとマグナウトは周到に準備を整えていた。もちろん、それらはすべて秘密裏に行う必要があった。もし、この計画の一部でもあの「鎧信仰擁護派」の人々の耳に入ってしまったなら、彼らがどんな過激な真似をするかわからなかったからである。


 サーティークの計画は、こうだった。

 まず、<儀式>を行うふりをして、マグナウトと二人、いつもどおりに<鎧>に入る。しかし、実際にはそれを行わないでおいてみるのだ。「鎧信仰者」たちの言うように、それで実際、天変地異が起こるのかどうか。それを確かめてみる必要があった。


 とはいえサーティークも、ただ闇雲にそうしようと考えたわけではなかった。当然、ある程度の確信があったのである。

 実はサーティークは、そこに至るまでにやはり秘密裏に、優秀な文官で古代文字に詳しい者らを召し抱え、いわば「鎧研究班」とでも呼べる組織を作り上げていた。その者らに<鎧>や<召喚の間>に記されている様々の古代文字の記述を調べさせ、ある程度の内容をすでに把握してもいたのである。

 それは前回の儀式の後にすぐに着手され、そこから一年弱の間に着実な成果を上げてきていた。そして<鎧>に関する驚くべき事実と歴史が、相当の部分、解明されることにもなったのである。


 まず第一に、<鎧の稀人>は、<鎧>の管理者であるということ。それが今の、ノエリオール王国の王族の血筋の者に連綿と受け継がれてきたということ。

 そして第二に、我々とその<鎧>が、あの「兄星」からもたらされたものだということだ。それも、あろうことか罪人として、その「母なる兄星」を追われてだ。

 これら衝撃の事実を知って、サーティークとマグナウトは無論のこと、<鎧>研究班に属していた文官たちも倒れんばかりに驚愕していた。それは無理からぬ話だったろう。


 そして第三が、例の<儀式>の必然性に関することだった。

 結論から言えば、それら記述の中に「儀式の不履行によって世界が滅びる」などという一文はどこにもなかった。そればかりか、それを示唆するような文言すらもいっさい存在しなかったのである。

 これが、何を意味するのか。


「まことにもって羞恥の極みとしか言いようがないが。それは恐らく、父祖の王らの詭弁(きべん)ではないかと俺は考えている」

 サーティークは、一言のもとに言ってのけた。

「き……詭弁??」

 言葉そのものが難しくて、内藤は目を白黒させた。

「要は、噓っぱち、ということだな。(てい)のいい作り話、と言ってもいい。……考えてもみよ、ユウヤ。王の一族がかの<鎧>の管理者に過ぎぬとなれば、その王権の意味は失墜しよう?」

「…………」


 言われてちょっと考え込んだ。

 なるほど、単なる「管理人」に権威づけをする民などいまいと、そういうことか。

 そうなれば、王位の簒奪や王族の暗殺のみならず、その権威を欲する者らによって、その他の多くの(いさか)いが起こることは避けられなかったに違いない。

 内藤は驚愕を禁じ得なかった。


「だからこそ、その『呪詛』は必要だった。『国王の一族がいなければ<鎧>の儀式が行えず、そのゆえにこの地がすべて滅びることになる』。つまり、そう言って国民(くにたみ)を脅しつけておいたのよ。そうすることで、父祖は己が王権を確実なものにしようとした……。少なくとも俺は、そう見ている」


 それはもはや、斬って捨てるがごとき言いざまだった。相手がほかならぬ己が父祖たちのことであるにも関わらず、その言葉には一片の憐憫(れんびん)も含まれてはいなかった。

 サーティークにとって、ただただそれは、呪わしいばかりのノエリオールの黒歴史にほかならないということなのだろう。


 それらの話はどれも、内藤にとっても愕然とするような話だった。

 呆然と、ただ言葉を失ってしまう。


「これは俺の想像だがな。恐らくはフロイタールの王族も、国民に向かって同様の呪詛を言い続けてきたのではないかと思うぞ」


(そんな……。たった、そんなことのために……?)


 そのために、北でも南でも、王たちは命を削り、時には異世界の住人を呼び出すようなことまでして<鎧の儀式>を行い続けてきたというのか。

 それも、この数百年もの期間を掛けて。


(俺も、佐竹も……佐竹のお父さんも……??)


 目の前が少し暗くなったような気がして、ぐらりと体が傾いた。


「……おっと」

 すかさずサーティークに支えられる。

「まだ、倒れるには早いぞ。ユウヤ」

 多少困った顔で笑っているが、その目は明らかに苦渋の光を宿しているようだった。

「あ、はい……。すみません……」


 内藤は頭を振ると、もう一度座りなおしてサーティークに向き直った。

 彼は自分に、「覚悟をしろ」と言った。

 それはまだまだ、この程度の話ではないということだ。

 こんなところで、聞くことをやめるわけにはいかない。

 内藤はまた、自分の気持ちを励ました。


 サーティークは暗い色の瞳でこちらの目を覗き込み、しばらくじっとその意思を見極めるようにしていた。

 が、やがて再び口を開いた。


「そして、あの日がやってきたのよ──」


 いよいよ、その「事件」の話が始まろうとしていた。



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